桜の樹の下には 投稿者:わいと 投稿日:4月18日(水)06時53分

――さくらが美しい理由をご存知ですか?


 桜の樹の下には
 ― 桜×四月馬鹿×ミステリ ―


1.

 あかりがいなくなった。
 それは、3月の終りのことだった。
 
『あかりが家に帰ってこないの』

 オレがそれを知ったのはそんな、あかりの母、ひかりさんからの電話だった。

『あの、浩之ちゃん。あなたの家におじゃましてないかしら?』

 夜10時。
 ひかりさんの口調はちょっと不安げな、こちらの様子を覗うような口調だった。
 でも、それは、馬に蹴られることを恐れているような、そんな見当外れな不安で。
 あかりのことは、それほど心配していなかった。
 ひかりさんも、そして、オレも。
 あかりが本当にいなくなるなんて、にわかには考えられなかったから。
 すぐに帰ってくると思っていたから。
 でも――

 あかりは帰ってこなかった。



(1)

――さくらが美しい理由をご存知ですか?

 先輩が問いかける。
 オレはぼんやりと、彼女の唇が小さく動くのを眺めていた。
 耳をすまさなければ聞こえないほどの小さな声だけど、ちゃんと唇は動いているのだな、
などと妙なところに感心した。

「いいや、知らない。そんなこと知らなくても、花見は出来るからな」

 そんな感じのことを云った気がする。
 先輩はゆっくりと肯くと、オレの目を見つめながら囁いた。

――さくらが美しい理由。それは……


2.

 あかりがいなくなって4日が経っていた。
 あかりの両親はとっくに警察に捜索願いを出していたし、警察はオレのところにだって
聴取に来ては、あること無いこと聞き出そうとやっきになっているようだった。
 でも、あいつの行方はようとして知れなかった。
 品行方正、成績優秀。友達付き合い良好。異性関係は……良好だった、と思いたい。
 とにかく悩み事の種も欠片も見当たらない。
 そしてそれは同時に、あかりの失踪の手掛かりも皆無であることを示すものだった。
 少なくとも、家出ではない。
 それは、あかりの両親にとって、なんの慰めにもならなかった。
 家出ではなかったら、なんだというのか?
 オレはそれ以上考えることは止めた。
 そして、自分に出来る事に専念する。
 つまり、ただ地道に、足を使って、街中をあかりを捜して歩き回ること。
 それは黙々とこなすにはあまりに情けなくて、でも、オレにはそれしかできなかった。
 そう、オレには。
 だから。


(2)

「浩之ちゃん、助けて……」

 あかりがオレを呼んでいる。オレの助けを求めている。
 そんな夢を最初に見たのは、何時のことだったろうか?


3.

 自然と足はオカルト研の部室に向かっていた。
 なんの手がかりも掴めない今、出来ることといったら、神に祈るか悪魔と契約することだけ。
 オレは無意識のうちに後者を選んでいたのかもしれない。
 ドアを軽くノックすると、聞こえないくらいの小さな声が、どうぞ、と云った。
 きぃっと音を立てて、ドアが開く。
 外はあふれんばかりの陽光が差しているというのに、この部屋は相変わらず薄暗かった。
 そして、いつものように、ゆらゆらと揺らめく蝋燭の炎を前に、来栖川先輩が座っていた。

「先輩。春休みだってのに、学校に来てんのか?」

 ……浩之さんがいらっしゃる、とメケメケさまが仰ってたので

 先輩はそういって、ぽっと頬を桃色に染めたようだった。
 メケメケさまって? と聞くのは疲れそうなので止める。
 失礼、と呟きつつ部屋に1歩踏み込むと、微かな煙たさと共に、東洋を想起させる甘い、ふうわり
とした香気が漂ってきた。お香でも焚いていたらしい。
 なんの匂いだい? と目で問いかけると、アルカロイド系です、と良くわからないことを云う。

「なんかの儀式の、途中だったか?」

 オレの問い掛けに、先輩は、かまいません、と首を振った。
 落ち付いたその様子は、本当にオレが来る事を前もって知っていたかのようだった。
 そして、用事がなんであるのかも。
 先輩はじっとオレの目を見つめながら、次の言葉を待っている。
 だから、オレは前置きなしで頭を下げた。

「先輩。実は、先輩に占って欲しい事があるんだ」


(3)


「暗いよ……何も見えないよ……浩之ちゃん、怖い……よ」

 光だけではなく、音さえも吸い込むような闇の中。
 捨てられた子犬の鳴き声のような声は、頼りなく、今にも消えそうだった。
 それでも、その声がオレの名を呼んでいることだけははっきりと聞き取ることができた。
 だから、たまらずに、オレは叫ぶ。

 あかり!

 そして、その瞬間、オレはいつも思い知らされる。

 これが夢であるということを。
 


4. 

 ………

 先輩は、無言のままぺこりっと頭を下げた。

「……そう、か。いや、良いんだよ。先輩があやまることは無い……」

 すまなげに顔を俯けた先輩に対して、オレは落胆のあまり、中途半端な言葉しかかけられなかった。
 つまり、結論から云うと、ダメだった。
 あかりの行方は、先輩でも判らなかったらしい。
 人の生死ならば占えますが、と申し出てくれたが、それを占ってもらう気分ではなかった。
 オレは膝から崩れるように、床に座りこんだ。
 この4日間、あかりを探して動き回って、心身ともに疲れきっていた。
 体がだるく、頭がうまく回らない。
 オレはぼんやりと揺らめく炎を、そして、その向こうに映える先輩の顔を見つめていた。
 先輩は、そんなオレを、話しかけるでもなく、炎越しに静かに見つめ返してくれていた。

「――花見……約束してたんだ」

 オレは云った。

「桜が、綺麗なところ知っててさ。あかりが弁当作って、雅史や志保も誘ってさ。先輩も誘う
 つもりだったんだ」

「でも、それどころじゃなくなっちまった」

「桜はあんなに綺麗なのに」

「あかりの奴は、どこに行きやがったんだ?」

――浩之さん

 オレの呟きに答えるように、先輩は囁いた。

――さくらが美しい理由をご存知ですか?

 オレは、彼女の唇が小さく動くのを眺めていた。
 耳をすまさなければ聞こえないほどの小さな声だけど、ちゃんと唇は動いているのだな、
 などと妙なところに感心した。

 「いいや、知らない。そんなこと知らなくても、花見は出来るからな」 

 そんな感じのことを云った気がする。
 先輩はゆっくりと肯くと、オレの目を見つめながら囁いた。

 ――さくらが美しい理由。それは……

 そのとき、閉めきったはずの部屋にふぅっと風がふきぬけ――
 揺れる暗幕のその隙間から――

 満開の桜が見えた。



(4)

 コリアンダー、麝香、マンドラゴラ、LSD……
 畸形にブレンドされた香が焚かれた薄暗い部屋の中。
 彼女は、ただ静かに、それが訪れるの待っている。
 
 ……抗うことなど、かないません

 裏返したカードはThe Hermit(隠者)。預言者のカード。
 ゆらゆらと揺らめく炎の向こうで、形の良い唇は、妖しく歪められた。
  
 
 
5.

 夜。月明かりの下、オレは、桜の樹の根元を掘っていた。
 満月にはあと数日足りないか、という月の下、その桜は、ひときわ大きく、派手に咲き
誇っている。
 しかし、派手なわりには、場所柄の所為か、人が寄りつくところを見かけた思い出が無い。
 オカルト研の窓から見えた桜だった。

 ガッ

 シャベルが弾かれ、じーーんとした衝撃だけが手に残る。
 掘り進もうとしても、根っこが邪魔して、まともに掘り進むことが出来ないのだ。
 
『こんなところに、あかりが居ると思っているのか?』

 オレの正気が諭すように問いかける。
 そうだ。
 あかりがいなくなったのは、4日前。
 もし、もしもだ。あかりが殺されて埋められたとしても、こんな硬い地面の下にいるはずがない。
 埋められて何日も経っているわけはないはずなのだから。
 殺されて……死んで何日も経っているはずはないのだから。
 でも……

「浩之ちゃん、助けて……」

 あかりがオレに助けを求めた、あの夢からは――
 4日も経ってしまった。



(5) 

 人体には無害な香が淡く焚かれた薄暗い部屋の中。
 彼女は、ただ静かに、それが訪れるの待っていた。
 そして、夜の10時を過ぎた頃。
 カーテンの隙間から、桜の下に動く人影を確認したとき。
 
 ……メケメケさま、万歳?

 彼女は独り、満足げに小さく頷いた。



6.

 オレは地面を掘り続けていた。
 頭の表層部では、ひっきりなしに、
 『こんなことは無意味だ』
 『他に、あかりのためにやれることはあるだろう?』
 といった警告が打ち鳴らされているというのに。
 オレの意識の底のなにかが、桜の下を離れさせてはくれなかった。

――さくらが美しい理由をご存知ですか?

 それは静かに響き渡る。
 耳核を這い登り、中耳を抜けて、内耳に赤黒く滲んだ染みを作る。

――それは……

 聞きたくないっ

 先輩の言霊は、蝸牛を食い破り、脳にまで達してしまったようだ。
 まるで、共振する音叉のように大きく、小さく、何度も、いつまでも、響き続ける。
 耳を両手で押えたいという衝動に耐えながら、オレはふっと考えた。

 しかし、先輩の言葉はなにに共振してるっていうんだ? 
 オレの予感か? あかりはもう、生きちゃいないっていう……

「ふざけるな!!」

 オレはひときわ強くスッコプを振り下ろした。
 



(6)

――冗談です

 先輩は、人差し指を唇にあてて、そういった。

――今日は、エイプリル・フールですから

 オレは笑えなかった。



7. 

 東の空が薄い紫から白い青へと色を変えていく。
 オレはそのまぶしさに、思わず目を細めた。
 目に染みるような黄色。
 その眩むような陽光は、オレの周りの景色を映し出すには十分だった。
 無秩序に掘り返された地面。
 投げ捨てられた樹の根の残骸。
 桜の下に掘り返されてない場所は無かった。
 オレ自身、今でも半分、地面に埋まっているような状態だった。
 それでも、あかりは居なかった。

「当然じゃないか」

 オレは声に出して呟いた。
 そう、いるはずがないのだ。
 いるはずが。
 だって、あかりはまだ、死んでいないのだから。

――冗談です

 朝日が桜を優しく包み込む。
 早朝の涼しい風が、疲れた身体を癒すように吹きぬける。
 オレは、淀んでいた意識が、心の隅々まで澄み渡るのを感じた。 

――今日はエイプリル・フールですから

 夜が明けてしまったので、もう2日だけど。
 オレは馬鹿だったんだ。
 いや、馬鹿がオレなのか?
 先輩の冗談に踊らされて。
 4月馬鹿。
 その単語を思い付いた瞬間、オレは笑わずにはいられなかった。
 だから笑った。
 涙が出るまで笑い続けた。
 そして、あんまり笑ったものだから。

 ――だったら、あかりはどこに行ったっていうんだよ?

 涙が止まらなかった。


 その日もあかりは見つからなかった。



(7)

 視線の先で、彼は、おざなりに掘り返した土を穴に戻している。
 何故か笑いながら、泣きながら、そして何事かを呟きながら。
 彼は機械的に作業を続ける。 
 その様子を、彼女は飽くことなく見つめていた。 

「だったら、あかりはどこに行ったっていうんだよ?」

 ひときわ大きな呟きが、彼女の耳にまで届いた。
 
 ……それを云ったら、お終いです

 彼女は、小さな、ほんとうに小さな声で、囁いた。



8.

 ……疲れました

 芹香は手にしたシャベルをそっと地面において、空を見上げた。
 紫紺の星空には、まぁるにはわずかに足りぬお月様。
 青白い光は、芹香の影を、そして彼女が寄り添うようにしている大きな桜の大樹の
影を、くっきりと浮き出していた。

 ……朝までに終るでしょうか?

 月明かりに照らし出された自らの作業状況を見て、芹香は少し不安になった。
 彼女は、箸より重いものといったら、儀式用の燭台くらいしか持ったことが無い。
 そんな彼女だから、穴掘り作業は、とても困難な作業だった。

 幾ら埋めるべき『それ』が小柄だからといっても。
 そして――

 幾ら土の柔らかい場所を、昨日、浩之が『用意』してくれたといっても。


 ……明日は、筋肉痛かもしれません

 芹香はひとり嘆息した。

 ……それもこれも、みんなあなたの所為ですよ

 振り向くと、苦労して荷台に乗せ部室から(これまた苦労しながら)運んできた『それ』に向かって、
すねたように云った。
 芹香、ご立腹。
 しかし、芹香の言に、『それ』は答えることはなかった。
 ただ、不満げに、香を焚いても誤魔化しきれなくなりそうな腐臭を、辺り一面に漂わすだけだった。



(8)

――冗談です

 彼女は、人差し指を唇にあてて、そういった。
 知らぬうちにほころびかける唇を、抑えるために。

――今日は、エイプリル・フールですから

 それは、笑いを抑えるには、あまりにも気が利いたジョークだった。
 
 


9.

 東の空が薄い紫から白い青へと色を変えていく。
 芹香はそのまぶしさに、思わず目を細めた。 
 目に染みるような黄色。
 その眩むような陽光は、芹香の周りの景色を映し出すには十分だった。
 つい先ほどまで掘り返されていたとは思えない程度にならされた地面。
 投げ捨てられていた樹の根の残骸も、土に還した。
 一見して、桜の下に掘り返された痕は見えない。 

 メラメラと燃やすにはちょっと大きすぎるし、臭いも心配だった。
 単に捨てるにはちょっと大きすぎるし、学外に運ぶ力も足も無い。
 その辺に埋めるには……硬い地面に穴を掘るだけの体力がない。
 そう思ってあきらめかけていた。
 いつものように。

 でも、今の芹香は生まれ変わったような充実を感じている。
 さすがに疲れきった状態だったが、それでも、ある種の達成感が、彼女の気分を
高揚させていた。

 ……自分は、こんなにもアクティブだったんだ

 知らなかった。
 知ることも出来なかった。
 彼に会うまでは。
 でも、会えた。運命の人に。
 浩之に出会ってから、彼女は嬉しい驚きを感じてばかりだ。
 
 ……自分が、こんなにも学校に行くことを待ち遠しいと思えるなんて
 ……自分が、こんなにも学校が楽しいと思えるなんて
 ……自分が、こんなにも人を好きだと思えるなんて

 そして、

 ……自分が、衝動的に殺したくなるほど人を妬ましいと思えたなんて

 芹香は、桜の樹を仰ぎ見た。
 ひらひらと舞い散る桃色は、芹香の視界いっぱいにひろがって。
 彼女のほんのりと汗ばむ頬に、1枚の花弁が貼り付いた。

――さくらが美しい理由をご存知ですか?

 芹香はひとり、呟いた。

――さくらが美しい理由。それは……

 芹香の言葉は、舞い散る花弁とともに風に流され、淡く消えていく。
 乱れる長い黒髪を押えながら、もう一度、桜の樹を仰ぎ見た。
 

 卒業しても、この桜だけは見に来よう。
  だって――

 芹香は目の前の桜を仰ぎ見ながら、心に秘めたその思いを言葉にした。


 きっと、今年よりも美しいだろうから。





 あなたは――さくらが美しい理由をご存知ですか?




http://www.d2.dion.ne.jp/~ytou/index.html