すべてが――になる 投稿者:わいと 投稿日:8月22日(火)02時09分
 ――ごめんなさい……

 この娘は最期まで謝ってばかりだったな、と浩之は思った。 
 彼の足元に倒れ伏しているのは姫川琴音。
 蒼黒く鬱血した顔が、ピクリとも動かない四肢が、彼女の魂がすでに現世にないことを語っていた。

「琴音ちゃん。もう、謝る事はないんだぜ」

 ついさっき浩之がその手でくびり殺した少女は、首を絞められながら、それでも悲しげに唇を震わせていた。 
 『ごめんなさい』と。
 だが、その唇ももう動く事は無い。
 浩之は気を落ち付かせるように深く息を吸うと、ゆっくりと辺りに目を配った。 
 琴音が静かに横たわるこの場所は、学校の屋上。
 彼女と深い絆を感じあった初めての場所も、今のように、誰もいない学校の屋上だった。 
 夕焼けに伸びる自分の影に、浩之は何かしら目に見えない因縁を感じていた。

 ――なんでこんなことになっちまったなんだろうな…

 原因は嫌になるほど思い付いたが、どれもこれも些細な事でしかなかった。 
 だからもう、そんなことはどうでも良い。
 ただ、今考えるべき事は、足元に横たわる厳然たる事実について。 
 浩之は彼女から目を切ると、全ての感傷を振り払うかのように小さく首をふった。 
 そして動き出す。
 彼が成すべき事を成す為に。



 1.すべてが――になる


「明日は朝から雨が降り続きますよ。天気予報では快晴ってなってましたけど…」 
 
 琴音は空を見上げながら云った。
 浩之もつられて空を見上げる。
 真っ青に晴れた雲ひとつ無い空。 
 この蒼を見る限り全く想像も付かないが、彼女が云うならばそうなのだろう。 
 経験が浩之を納得させた。
 天気予報。
 地震予測。
 この手の予知を琴音が外したのを、彼は見た事が無い。 
 では、人間の運命や絶対的な宇宙の真理については知ることができるのだろうか? 
 最近、この不可思議なチカラを目の当たりにする度に、浩之は考えずにはいられなかった。 
 なぜなら、今や彼らの関係は崩壊の危機にあったから。
 ひょんなことから付き合いだした浩之と琴音だったが、元々、飽きっぽい上に軟派な浩之と、献身的 
且つ懐疑的な琴音は相性が悪かったのかもしれない。
 それとも浩之に神岸あかりという幼馴染な彼女が居た事が原因なのだろうか。 
 はたまた長年苛められてきた琴音が、浩之さえも信じきれていないことも問題だったのかもしれない。 
 とにかく、崩壊は目前まで迫っていた。
 ただ、それが何時かまでは浩之には判らなかった。 
『じゃぁ……これからのオレ達の運命についても判るのか?』
 付き合い始めた当初、冗談めかして聞いてみた時には曖昧に微笑むだけで答えてはもらえなかった。 
 だから気になっていた。
 とても気になっていた。
 だけど……
 結局、その答えを聞き出す前に、崩壊の方が足早に彼らを通り過ぎて行った。

 

 2.すべてが――になる


 琴音の死体を放置したまま、浩之は屋上をひとまず後にした。 
 明日までは屋上に人が来る事はない、という彼らしい大胆な決め付け判断からだった。 
 屋上を後にして。
 まず浩之は放置自転車を探した。
 首尾良く見つけた自転車を駆って、今度は学校周辺のコンビニ・スーパーを一巡する。 
 2年間も通い続けた学校周辺だけに、コンビニ巡りはお手のものだった。
 再び屋上に戻ってきた時、彼は大量の氷を手にしていた。 
 最近は、コンビニでもKg単位で氷を売っている。便利になったものだ。
 死者の死亡推定時刻を遅らせるため、なんて使用の仕方をする人は少ないとは思うけどな。 
 自嘲的に口元を歪めながら、浩之は袋から氷を取り出し琴音に向かってバラバラと振りかけた。 
 彼女の全身を氷が覆うように。
 彼女の姿が見えなくなるように。
 すべての罪を見えないように。 
 その行為は、浩之の感情さえも冷たく凍らせた。

 ――この氷が完全に溶けるのはいつ頃だろう?

 浩之は手を動かしながらも、頭の中で冷静に計算する。
  この時、浩之は死体の発見者として、用務員のおじさんを想定していた。 
 彼は毎朝7時に、必ず屋上に景色を眺めに行くことで有名な古き良きおっさんだった。 
 季節は8月も終り際になり、めっきり夜も涼しくなってきている。
 明日の朝までに、この氷はどのくらい溶けているだろうか? 
 朝まで氷が持てば、3〜4時間は死亡推定時刻を遅らせることが出来るはずだ。 
 そしてその代償として、この大量の氷が溶け、辺りは水でびしょぬれになっている事だろう。 
 当然、少女の死体も。
 だから、この学校の関係者であれば、普通このような馬鹿なアリバイ工作は思い付きもしない。 
 なぜなら、毎日朝7時には用務員が屋上に来る習慣であることは周知の事実だからだ。 
 濡れ鼠の死体をみれば、氷を使ったトリックなど幼稚園児でも連想する。
 バレバレだ、と誰もが思うだろう。 
 だから――
 だけど――
 その時、雨が降っていたら?
 雨は溶け残った氷を流し、浩之の作為の跡を消して行く。 
 昨晩まで予想だにしていなかった雨が降る屋上で。
 濡れそぼった少女の死体が横たわっていたら。 
 誰もそこに疑惑を挟むことはない。
 氷を使った、死亡推定時刻の誤魔化し。 
 それは、雨が降らなければあまりにも意味の無いアリバイ工作だから。
 だからこそ常人の想像の範囲に入らない。 
 そう。
 これは明日、朝から雨が降る事を確信している人間だけができる、愚にして偶なるトリック――

 
 殺されてから1時間。
 琴音は氷の下に完全に埋もれて。見えなくなった。



 3.すべてが――になる


「あかり、久しぶりに外で会わないか?」

 学校を後にした浩之は、あかりの家に電話していた。 
 そんな突然の彼からの誘いにも、この愛すべき幼馴染は何の疑問を口にする事なく一言で了承する。 
 待ち合わせ場所などを取り決めると、彼女はバタバタと慌てて、でも嬉しげに電話を切った。 
 きっと直ぐにでも、逢いに来る事だろう。
 ほんとにあいつは――
 犬チックだな、と浩之は受話器を持ったまま考えた。

 案の定、学校を出てから30分後には浩之はあかりと繁華街を歩いていた。 
 デパート、ファミレス、ゲームセンター。
 浩之は、さりげなく自分の存在を印象付けるように立ち振る舞った。 
 普段と微妙に異なる彼の態度に不審げな目を向けたことも再三ではなかったが、それでもあかりは 
浩之に問いただすことはなかった。
 ただ刹那的に。この時しかない時間を。 
 彼女は彼女で楽しみたかったのかもしれない。
 移動するたびに住んでいる街から遠ざかる、そんなヘンテコなデートコースにも彼女は一言も疑問 
を挟まなかった。
 電車が止まるまで街で遊んでいる時も。
 そしてホテルに誘った時も。 
 あかりはこのことを予想していたのか、小さくこっくりと肯いただけだった。

 ふたりが泊まったホテルは、学校から2時間程も離れた場所に位置していた。 
 だから自動車等の交通手段を持たぬ限り、もはや今晩中に学校との行き返りは不可能だった。 
 つまり琴音を殺して約1時間後から明日の朝まで。
 これが浩之が手にしたアリバイだった。


 その日――浩之は久しぶりにあかりと寝た。



 4.すべてが――になれば良いのに


「浩之ちゃん、起きて」

 耳に良く響く聞きなれた声に、浩之は目を覚ました。 
 不安で眠れなくなる、とか、悪夢にうなされる、とか。
 色々と想像してはいたが、そのようなことは一切なかった。 
 過酷な運動と酒が、そしてあかりが隣に居るという安心感が、何時の間にか彼を眠りに誘ったらしい。 
 いつもの朝。
 そんな思った以上に爽やかな目覚めに、浩之は現実を感じられなかった。

 ――これは……まだ夢…か?

 寝ぼけた眼で辺りを見回す。
 自分の部屋にしては、白い壁紙が、そして部屋全体が妙に目に眩しい。 
 その違和感が彼に昨日の行為を、琴音の白く細い首の感触までも思い出させる。 
 はっとして、浩之は目を晦ます光源に目を向けた。
 そこには、カーテンの開け放たれた窓を背景にあかりが立っている。 
 バスローブ1枚の姿の彼女は、窓に腰掛けるようにもたれながら優しく目を合わせてきた。

「浩之ちゃん、目、覚めた?」
 
 はにかんだように微笑むその笑顔は、妙に初々しくて、そして幸せそうだった。  
 
「……眩しいな」

 浩之の第一声にあかりはクスクスと笑った。
 そして。


 だって―――
 今日の天気は――――だもの。


 
 楽しげに応えた。


 ――――?!  


 浩之はベッドから飛び起き、窓に走った。
 驚いたように苦笑するあかりを押しのけて、眩しく光る窓の外を覗き見る。 
 窓が息で曇るくらい近付けた、その目の前には……



              すべてが白になる


 
 しんしんと雪が降りゆく。
 季節はずれの8月の雪はすべてを白く覆い隠すように。 
 途切れなく降り続く。

 ただ、どんなに願っても―― 
 浩之の罪までは白くならなった。



『 ――次のニュースです。
 今朝未明から、**町一円に雪が降っております。 
 これは突然の寒波による影響で、今日いっぱい降り続くでしょう。
 この8月の珍事に気象台は――                』


『 ――今朝未明、**高校の屋上で発見された少女は、**高校に通う一年生、姫川琴音(16)と断定。 
 雪に埋もれた死体の傍に、溶けきっていない人工的な氷が発見されたことより、犯人がなんらかの 
 工作を行なおうとしたものと見て、目下調査中――                      』 
 
  
 <えんど>


        

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