ココアと楓 (痕SSこんぺ委員会 短編部門参加作品) 投稿者:ゆき 投稿日:1月17日(金)01時25分

 唐突ですがココアに夢中になりました。
 今まではお茶以外はあまり関心が無くて、例えばカップから香る甘さよりも寧ろ急須からお茶碗に注ぐと
きのとくとくという音や、口や蓋の隙間からふわっと上がる湯気の方に魅力を感じていたのですが、もう毎
朝底の深いカップに半分くらい入れたココアを飲んでからでないと動きたくないくらいです。
 純和風の我が家の庭を眺めながらココアをすするというのも、変な話ですが。


 十日くらいに一度、学校帰りに近所のスーパーで買ってきたココアのパックを宝物みたいに胸に抱いて、
私は家に帰ります。
 帰ってきて、普段着に着替えた後。ココアのパックから直接カップに移すのは大変なので、取り出しやす
いようにもともと抹茶か何かの入っていた缶にココアの粉を入れ替えます。
 缶はあまり大きくないので四杯分くらいしか入れられませんが、パックから缶にココアを移してるときと
いうのはなんだか楽しいです。まるで柔らかい積み木を作っているみたいで。
 何もない銀色のアルミの上に、焦げ茶色の粉がつもっていって、途中で崩れて、崩れても少し形を変えて
残って、また積まれて、また崩れて、その残ったところがまた積まれて──。
 ふっと雪が積もっていく様を思い出します。
 雪。
 そう言えば少し前に沢山降って、お陰で家でも学校でも雪かきが大変でした。
 ココアを飲むのは、雪かきみたいに作業的ではないですけど。


 そんな私の小さな楽しみを見かけた初音が、「…びっくりした。お姉ちゃんお茶を始めたのかなと思って
みてみたら、粉が茶色いんだもん」と本当に驚いた顔をして言っていました。
 確かに今まで緑茶一辺倒だった私が抹茶の入っていそうな缶を持っていたら、そう思うのも当然かもしれ
ません。
 取り敢えず、一緒に抱えていたココアのパックの方が目に入らないくらいには。
 …少し、複雑でした。別に良いのですが…。まあ、それはともかく。
 缶に入れ替えた後、私は最初のココアを楽しみます。
 ちょっと焦らされた後みたいで、口を付けるまでとくとく動悸が早くなっているような気がするのです。
 …このことに関しては、ある種のすり込みが多分に入っている気がするのですけど。
 それについては今は言及しないでおきます。


 最初に書いたように、私の朝はココアを飲むことから始まります。少し早く起き出して、歯を磨いて、そ
れから梓姉さんが朝の支度を始める前に飲み始めます。飲み終わった頃には初音も起きてきていて、一緒に
手伝ったりもします。
 ですがやっぱり朝は少し苦手なので、寝坊してしまうときもあります。そう言うときでも、ココアを飲ま
ないと何となく朝が来たという気がしないので、朝御飯の直前に飲んだりします。ココアを飲んで、そのあ
とすぐにお新香を口に運ぶ、そんな具合に。
 「ココア飲んで甘くなった口に浅漬け入れるってどうなんだか?」と、なんだか梓姉さんに呆れられてし
まいましたけど、甘くなった口の中をお新香で真っ白に洗う、と言うのも悪いものではないことを発見した
のですが…、やっぱり変でしょうか?


 朝は何はともあれココアを飲まないと、と言う感じですが、夜はそうでもありません。
 夜に飲むココアは、飲む場所を考えてみたり、カップを変えてみたり、色々遊んでみることが多いです。
 ココア自体で工夫してみることもあって、例えば牛乳だけで作ってみたり、量を加減して一番自分に丁度
良い甘みを探してみたり、アイスココアにしてみたりしました。
 苦労したのが綺麗な泡のたて方で、最近になって漸く泡たて機を使うのだと気がついたのですが、それを
試してみるまで色々とおかしな試行錯誤をしました。
 ちょっと笑われそうなので、具体的にどんなことをしたのかは書きませんが。
 …やっと綺麗に泡立てられたココアを作れたときには、この前のことを思い出してしまって少し赤面して
しまいました。


 そう言えば、私が夜自分の部屋で試行錯誤をしていたとき、千鶴姉さんが何とも言えない複雑そうな顔を
しながらやってきたことがありました。
 何だろうと思っていると、姉さんは少し視線を横に外しながら、もごもごと何か言うのです。
 よく聞こえなかったので何? と問い返すと、「……あのね、楓。あの、その、よ、夜の九時を過ぎてか
ら甘いものをとるのはね、体に良くないのよ?」と、やっぱりもごもごと言います。
 私は一瞬何のことだろうと考えてすぐに合点し、それから試しに姉さんの前へいれたばかりのココアを差
し出してみました。
 姉さんはそれを見て「う……っ」と唸ったあと、「ううう、楓…ひどいわ…?」と良いながら、でもちょ
っと嬉しそうにカップにいっぱいのココアを飲み干したのでした。


 私がココアに夢中になったのは、絶対に間違いなく、疑いようもないくらい完璧に、耕一さんの所為です。
 耕一さんの家に泊まりに行ったあの日の朝に、耕一さんが嬉しそうに差し出してきた、あの綺麗に泡だっ
たココアの所為です。
 …でもそれだけなら、まだ今ほど夢中ではなかったかもしれません。
 …耕一さんの所為です。
 …耕一さんがいけないんです。

 耕一さんのシャツを着て、差し出されたココアを飲んでいる私を見て、猫みたいで可愛──




 楓は、便箋に文字を綴る手をふと止めて顔を上げた。
 読み返す。
 かじかんだように頬が朱色に染まっていった。
 ふるふると首を横に振る。
 それからふぅとため息をつき、丁寧に便箋を畳み始めた。
 これ以上曲げられないと言うところまで畳んでから、くずかごに捨てる。
 紅潮した頬はまだその冷静さを取り戻していない。


 楓は新しい便箋を抽斗から取り出して再度ペンを走らせたが、その手もすぐに止まる。
 傍らのカップに手を伸ばした。
 半分ほど残っていたココアは既に冷めていて、飲み干した楓はまたため息をついた。
 冷たくなった指先を、顔の火照りを取るように頬に当てるが、あまり効果はないようだ。
 暫くぼんやりとする。
 それからふっと時計に目を遣った。午後十一時。
 何かを思案するような、間。
 時計をじっと眺めている。
 やがて意を決したように、楓は立ち上がった。
 そして足早に廊下を駆けていく。


 どうやら、電話をすることに決めたらしい。



                    −おしまい−