果てしなく青いあの空に向かって(七月のお題「青」サンプルSS) 投稿者:ゆき 投稿日:7月1日(日)14時23分
「支度できた?」
「うん、後はお弁当もって出かけるだけだよ」
 台所から大きな手提げのバッグを持ってきた初音ちゃんを見て、俺は椅子か
ら立ち上がってそう言った。初音ちゃんは、少しはやっている俺を見て小さく
くすくすと笑う。
「なんだよー、笑わなくったっていいだろー?」
 照れくさくてそう言うと、
「お兄ちゃんて、時々変に可愛いよね」
 今度はふふ…と笑いながら言った。幼い顔立ちに、どこか大人びたものが見
え隠れする、それは何処かしら面白いものだった。


 夏の空は何処までも青く、降ってくるようだった。お弁当の詰まったバック
を左手に、初音ちゃんの手を右手に握りながら、静かな街をゆっくりと歩く。
目的地は隆山で一番静かで、そしてもっとも海に近い場所だ。
「お兄ちゃん、やっぱり手をつないで歩くのは恥ずかしいよ…」
 歩いてる途中で、右手を口元に当て、ちょっと上目遣いに初音ちゃんがそう
言ってきた。俺はふーん、ととぼけて、握っている初音ちゃんの指をふにふに
ともてあそぶ。
「お、お兄ちゃん?」
 どうしたらいいのか解らないような風に困った初音ちゃんは、もてあそばれ
る指と俺の顔を交互に見てから、
「…もう」
 小声で呟いて、顔を伏せた。

ふにふに

ふにふに

 なぜだか顔が真っ赤だ。
「初音ちゃん、気持ちよかったのかな」
「えっ、あっ、そ、そんなんじゃないよっ?」


 言われなければ、きっとそこが崖のふちであることになんて気がつかなかっ
ただろう。ついた場所は、そんなところだった。
 山麓の草原からなだらかな坂を延々とあるいた先に、そこはあった。
 そこまではずっと草原で、草原と大地が同時に途切れたところから先はもう、
空と海があるのみである。
 一歩踏み外せば、高い崖の上から深い海の底へ真っ逆様だ。
 けれど、それなのにここは広い草原そのもので、まるで波の音はとおいとこ
ろから届くもののようだった。


 青々と茂る野草達の上にシートをひいて、海鳴りを聞きながらお弁当箱を広
げる。
「おにいちゃん、わたしちょっとがんばったんだよ」
 割り箸を俺に渡して、初音ちゃんはちょっとだけ胸を張っていった。決して
もとがちっちゃくて胸を張っているように見えないわけではない。
「…お兄ちゃん、目がお弁当にいってないよ…」
 …さすがに露骨だったようだ。
 俺は唐揚げを摘みながら、ちょっとフォローする。
「た、確かに出来合いのものを一つも使ってないなあ」
「そうでしょ? ──」
 初音ちゃんも、俺が唐揚げを口に入れた後で箸をとる。
 はくっと口に含んだその顔を見る限り、初音ちゃん的にもおっけーなようだ。
 その間、俺はもう三個ほど口に運んでいるので、当然俺的にもおっけーであ
る。
「──朝早く起きて、お兄ちゃんを起こさないように支度するの、大変だった
んだからね」
 初音ちゃんは唐揚げをこくんと飲み込むと、もう一度胸を張ってそう言った。
「俺、物音くらいじゃそんなに目を覚まさないから大丈夫なんだけどなあ」
 と、言うと、
「……だって、結構強くぎゅってしてきてて…──あっ」
 そう言って慌てたように顔を伏せる。
「大丈夫だよ、誰も聞いてないし」
「もう…そう言う問題じゃないのっ」
 伏せたまま、ちょっともの言いたげにこっちを見てくる顔も、可愛かったり
するのだが。俺はそんなことを考えた自分が可笑しくて、また唐揚げに手を伸
ばす。
「お兄ちゃん、唐揚げばっかりじゃだめだよ、ほかのも頑張ってるんだから」
 潮騒と、鳥の囀りが同時に聞こえた。
「んー、そうだなあ、それじゃあ、何に自信ある?」
 穏やかな、青空の下、
「え? う、んーと…煮物、かな…」
 まるでゆっくりと時間が流れる。
「いいねえ、煮物に自信を持てるって結構すごいんじゃないの?」
 ゆるゆるとゆるゆると、
「えへへ、お姉ちゃん直伝だから────」
 時間というものが、限られた存在であることを自ら誇示するように。
 俺は多分、そのとき横を向いた。
 視線の先にある崖からのぞくのは、ただただ、

 青。


 お弁当を片づけ終わった後、俺はごろんと草の上に寝ころんだ。頬に当たる
野草がこそばゆい。体の力を抜いて、ぼんやりと昼下がりの空を見上げる。
「初音ちゃーん」
 お茶を飲んで一息ついていた初音ちゃんの名前を呼んで、
「おいでおいでー」
 右手を横に伸ばしてそう言う。初音ちゃんはちょっと苦笑して、
「それはいくら何でも恥ずかしいよ…」
 呟くようにそう答えた。答えてから、そろそろと俺の横に来て寝転がる。当
然頭は俺の右腕の上だ。
「そんなに恥ずかしいかな?」
「…こういうのの方が、よけいに恥ずかしいんだよ…」
「ふーん、そっかー」
 俺は再び体を弛緩させて、ただ右腕にかかる初音ちゃんの重みを感じながら
空を見上げた。
 多分初音ちゃんも、空を見上げているのだと思う。
 相も変わらず空は雲一つなく、ただひたすらに青く、緩やかな風が吹いてい
た。
 風に吹かれて、初音ちゃんの栗色の髪の毛が俺の鼻をくすぐる。
 俺は彼女の方を向くとその髪の毛を軽くさわり、それからゆっくりと自分の
手に絡ませ始めた。
「…? お兄ちゃん?」
 どうしたの、と初音ちゃんが俺の方を向く。
「ご飯がね、ついてるんだよ」
「え──?」
 ああ、酷く遠くで波が嗤っている。
 目の前では草達も哀れんでいるじゃないか。

 俺は、そんな戯言を頭の中から追いやるように彼女にキスをした。
 髪を絡ませた手でそのまま初音ちゃんを引き寄せて。
 ゆっくりと口付けは下りていく。


 波の音も、草の揺らぎも、俺達の震えも、止まらない──


 その後も暫くの間、俺達は二人して空を見上げていた。その間に太陽は頂上
をすぎて、影の向きを変えた。波の音は変わらず、風は少し薙いで、俺の震え
は止まり、しかし初音ちゃんはまだ小さく震えていた。
 ややあって、
 不意に、初音ちゃんが立ち上がる。
 あまりにも静かに立ち上がったので、俺は半身を上げる間すら得られずにた
だ彼女を目で追うのみだった。
 初音ちゃんは俺に背を向けたまま、海の方に向かう。海とはいえど、しかし
それは高い崖であるとさっき俺は初音ちゃんに聞かされていたから、俺はなん
だか酷く焦って彼女に声をかけようとする。
「初音ちゃ────」
 しかし、その声は振り向いた初音ちゃんにかき消された。

「お兄ちゃん」
 にっこりと、初音ちゃんは笑っていた。
「…ごめんね、なんか…わたし、やっぱりだめだよ」
 ああ、なんて哀しい──顔をするんだ。
「お姉ちゃんがいない今を、無理矢理にでも笑顔で歩いてるなんてこと、出来
ないよ」
 だめだ、それ以上言っちゃだめだっ。
 俺は酷い立ちくらみを覚えながら、体を起こす。
「ごめんね、お兄ちゃんがせっかく頑張ってくれてたのに」
 違う、そんなんじゃないんだよ、でも、それでも確かに、俺はきみと笑顔で
いたかったんだ。
 俺の守りきれなかった彼女たちのために、俺は笑っていなきゃと、せめて、
せめて今日だけでも──
 気がつけば、もう初音ちゃんは崖のぎりぎりの所にいた。
 笑顔だ、なんて、なんて笑顔だ。
 初音ちゃんはスカートのポケットから何かを取り出したようだった。
 青く輝くそれは、
 ああ、親父のお守りだ。
 初音ちゃんはそれを両手で包むように握ると、そのお守りをゆっくりと──


「だめだよね、私。だけど、お兄ちゃん────」

──自らの胸に、とん、と突き立てた。


 鮮やかな血が、流れたように見えた。しかしそれを頭が認識した頃にはもう、
初音ちゃんはそこにはいない。スローモーションのように、崖の下に吸い込ま
れていく。ああ、間に合わない──!

 俺もまた崖の下に飛んだ、視界から地面が消えると、そこは所々に白い波が
のぞく、青い海面。
 初音ちゃんは落ちたときの体勢のまま目を瞑り落下していた。
 ああ、間に合わない、間に合わない。
 初音ちゃんにはいっこうに近づけず、ただ青い海面が迫ってくる。
 もう少し、もう少しで捕まえられるんだ。
 落下している時間は酷く短いはずなのに、彼女の服の裾をつかむまでの時間
は永遠のようだった。
 そして、やっと彼女を捕まえたそのとき、青がはじけた。
 きーんと言う発声しがたい音と衝撃に包まれて、目の前が暗くなる。一瞬意
識を失った。そして、次の瞬間、

 海の中、日の光も遮る青い世界に包まれていることを認識した。

 水の冷たさなど感じなかった。
 ただ、青さに圧倒されていた。
 ああ、青い世界、青い世界だ。
 周囲も、下も、そして勿論海面の方である上も、どれもが遠く、深い青だっ
た。
 しかし、目の前に紅い筋が現れて我に返る。
 自分が、落下の最期に初音ちゃんを抱き留めたことを思い出した。
 見れば、俺よりも少し下の方に初音ちゃんの姿がある。
 胸からにじむ血が俺を焦燥感でどうしようもなくさせた。
 動きづらい海中を必死にもがいて、初音ちゃんを抱きしめる。もうすでに俺
達は酷く深いところまで沈んでいたようだった。
 そして、気がつく。
 もがいてももがいても、浮かび上がれないと言う事実。
 何をしようとも、反応をしない初音ちゃん。
「────!!」
 俺は自分の気が狂いそうになるのを感じた。頭の後ろの方が、くらくらと回
るのだ。回りながら痛みを発し、思考を奪っていく。
 俺は乱暴に初音ちゃんの肩を揺すった。力無く首が揺れる。認めがたい冷た
さ。流れの止まった紅い筋。遠くなる海面。

──ああ、気が、遠く…。

 やがて俺も息絶えるのだろう。
 そう思った。
 酷く空しい想いが去来する。
 俺はこの子一人救えないで何をしていたのだ。
 ああ、ならば、ならばいっそこのまま。

 眩暈が頭を包み込んでいく、そんな感覚があった。
 意識が途切れるような、そんな感覚もあった。
 だがどこかでめきめきと不自然な音がしていて、それが酷く気にかかってい
た。

──死なせるものか、大莫迦ものめ。


 声がした。
 誰の声かは解らなかった。だが、自分の体が変貌していることは明瞭と認識
していた。鬼の体だ、鬼の体なのだ。
 めきめきという音とともに、次々といびつな筋肉が盛り上がり、服を引き裂
く。
 ああ、俺はここで死ぬこともできない。
 なんて空しい、誰もいない、あの場所で──この子を捨てて──
 多分、俺は泣いていたんだと思う。
 青い世界に包まれていては、それを認識することは出来なかったのだが。
 俺は初音ちゃんを強く抱きしめて、キスをした。
 変貌したいびつな唇が触れる。
 水の中、彼女の内側だけがあたたかかった。
 あたたかかったのだ。
 あたたかく──!?


 ふと、初音ちゃんの握っていた手がゆるんだ。
 そこから、ふわっとあのお守りが覗く。
 静かに輝いている、あのお守りが──


──死なせるものか、大莫迦ものめ。


 また声がした。けれど今度はその声の主が明瞭と解る、親父だ。本当だよ、
なんて大莫迦なんだろうな、俺は。あんたに守ってやれと言われておいて、自
分から諦めてるんだもんな。
 でも大丈夫。俺は、自分に言い聞かせるようにそう思った。大丈夫、きっと
大丈夫さ。


 俺が初音ちゃんを抱えなおし、ゆっくりと海面に向けて泳ぎ出すと、お守り
は満足したように海底に沈んでいった。
 海面は遠い。
 けれど、あの青い天井さえ突き破れば、
 その向こうには、
 ああ、果てしなく高い、
 あの青い空が──


            …了…


−あとがき−


 このSSは七月のお題「青」のサンプルSSです。


 …すいません、かなり駄目です。果たしてこんなものを投稿してもよいもの
か。普段だったら間違いなく没だなとか思ったり。

 書き始める前は「今回は描写頑張ってみようか」とか思ってた筈なんですけ
ど、書きあがってみると逆に描写がまるでない文章ですね…やーん(吐血)。
 あと、初音も耕一も、殆ど「彼女」「彼」が名前にすり替わっただけって言
う…ああ、もういや。

 …次回はもう少しましなものを書くように、自分を戒めたりしました。

 サンプルSSはさんざんでしたが、AIAUSさんのコメントを読んでいると、
なんだかだいぶ可能性のあるお題になることもできるようですし、
 みなさま頑張って書いてくださいませ(^^

BGM:InFlames「Colony」
    Cradle of Filth「BITTER SUITES TO SUCCUBI」
    Blue「Breath」

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/2013/