よいこのさおりちゃん(お題:もち) 投稿者:宮月純志郎 投稿日:1月8日(月)22時08分
「おー、うめぇ!」
「誰かぁ、醤油こっちにも回してくれぇ!」
「きな粉がいる人はこっちにありまーす!」
「つきたてはよく延びるよね、ほらほらこんなに」

 と、にぎわいを見せるのは、高校の中庭。時刻は正午を少し回ったところ。
 この高校では、毎年生徒会主催で元旦に餅つき大会が催される。
 今はつきたての餅が振る舞われている真っ最中だ。
 元旦に学校に出向こうなどという生徒は少ないのでさほど大行事ではないが、
正月早々学校に来て練習に汗を流す運動部員の間ではなかなか人気がある。
 今日日杵つきで餅をつく家庭も少ないから、つきたての餅を食べられる機会は
少ない。それに体を使う運動部員が食い気に負けて集まるのは自然の道理だ。

「よーし、あっつあつのつきたてのやつもらおー!」
 新城沙織も、食い気に負けてやってきた運動部員のひとりだった。
 今ついている臼の中の餅も大体こなれてきて、まもなくのつきあがりを待って
沙織は臼のそばに張り付いている。沙織以外にも多くの生徒たちが、そろそろと
見て集まってきている。
 沙織はジャージを腕まくりして、指をわきわきとほぐしながら、餅の争奪戦に
備える。争奪戦はもちろん男子も加わるから熾烈だ。
 その面子を見渡して、
『……手の早そうなのは、卓球部の若松君だよね。警戒。……ラグビー部の
大山君もいるわね。彼だったら、手は遅くても他人の取った餅をたたき落として
取ったりしそうだわ。注意。他は多分雑魚ばっかり』
 そして、取れる勝算は4割7分8厘程度、と踏んだ。ランディ・バースの打率を
超えるとはいえ、今年の餅の食い初めを飾るにはいささか不安がある数値だ。
 ここはひとつ、手を……。

「よし、もういいだろ」
「はーい。みなさん、次のお餅出しまーす!」
 額に汗して杵を振るっていた月島拓也と、こねていた相原瑞穂がそう宣言する
と、離れていた生徒までが集まってくる。臼の周りの混雑は一層悪化した。
「ちぇ……呼ばなくたっていいのに」
 沙織は目を下向き半円にして、今頃のろのろやってきておいて臼に密着する
連中をにらみつける。
 こうなっては正攻法ではいけない、と沙織が考えているところに、もうひとりの
生徒会役員、たしか吉田だったか桂木だったかいう地味な役員がポリのトレイを
持ってきた。

「はい、じゃ配りますよ」
 その美和子が(よくよく思い出すと吉田由紀ではないほうだった)餅の固まり
から一切れちぎり取って、丸く形を整えた。
 そして、その餅をトレイにおく――

「あ〜〜〜〜〜っ! ちょっとちょっとちょっと!」

 その瞬間、いきなり美和子を指さして大声で怒鳴ったのが沙織だった。
 みんながびっくりして手を止め、振り返る。当然美和子もである。
「え? なに?」
「んだよ新城、どうしたんだ?」
 と不思議な顔をする生徒たちの間をすり抜け、美和子の前に出る。
 そして、

「いただきます」

 ぴっ、と、おどろきとまどっている美和子の手から、餅の乗ったトレイを
奪い取った。

「は?」
 こんらんしている生徒たちの隙間をすいすいと抜けて、さっさと逃げていく。
「……?」
「……あ、こら、新城っ!」
「待てこらっ!」
「取ったモン勝ちぃ〜」
 正気を取り戻した生徒の一部が沙織を追いかけようとしたが、次の餅の争奪に
参加したほうがいいと思い返して、また人混みに戻っていく。


「ふふー。やったね。あっつあつー」

 人垣の外で、熱い餅を指でつつきながらふーふーする沙織。
 少しだけ冷ましてから、醤油をぽたぽたと数滴垂らして、つまみ上げてくわえた。

「を〜。やーらかーい。のいるのいる(延びる延びる)」

 さすがつきたての餅、
うにー
 と擬音がつきそうに、長く延びる。口から30センチぐらい軽く延びてしまった。
 不審なぐらいによく延びる。
 なんか気分がいい。
 ついつい冗談気を出して、そのままさらに延ばしていく。

うにー
 延びる。

うにー
 まだ延びる。

 腕をめいっぱいまで延ばしても、なお切れずに延びた。70センチぐらいは
あるだろうか。
 なんとなくすごい。得意になる。
 傍目にはずいぶん間抜けな光景だが、とりあえず本人は得意になっていた。


          *


「……けしからんな」
「正義の生徒会役員として、許しておけませんね」
「まったく」

 その様子を見ていた拓也と瑞穂と香奈子が、眉をひそめる。
 神聖なる正月の餅の第一弾を、あのようなせこい計略で奪い去ってしまうとは。

「制裁ね?」
「制裁です」
「よし、制裁だ」

 正義の生徒会の心は一瞬で一致した。
 3人はゆっくりと歩きだす。


          *


チリチリチリチリ…………

「あうっ!?」

 沙織の頭に、電波の届いた不快なしびれが走った。
 餅を放り出して頭を押さえようとする。

「!?」
 が、腕が動かない。
 口も動かないようで、口と手に餅の橋をかけたままのみっともない姿勢で体が
硬直している。

「やぁ、新城さん。どうしたんだい?」
「どうしたの?」
 そこに、にやにや笑いながら拓也と香奈子がやってきた。

「あ、あにするのよ、やえてよ(何するのよ、やめてよ)!」
「え? やめるってなにをだい?」
 肩をすくめて、極めてわざとらしく言う。

「それにしても、よく延びる餅だねぇ。なにか延ばすこつでもあるのかな?」
「しんあいわよそんあのっ!(知んないわよそんなのっ!)」
「つれないなぁ。あ、ところで、あんまり醤油がつけたりないんじゃないかな?
餅が真っ白だよ」
「おうあっえいいれしょー!(どうだっていいでしょう!) はやくはなし
れよっ!(早く離してよっ!)」
「ほう……」

 拓也の目がぎらりと光った。

「味付けはどうだっていい、と……。しかし、味のない餅はつまらないぞ」
「おひょーゆうけえるあよっ!(お醤油つけてるわよっ!)」
「へえ。でも、醤油だけ、ってのもつまらない。もっと良い味付けがあるかも
しれない。色々試して経験すべきだよ。藍原さん!」
「はい!」
「うぅっ!?」
 瑞穂が抱えてきたのは、数々の調味料が載せられたお盆だった。

「ろ、ろうするのよぅ!(どうするのよぅ!)」
「ん、塗ってみるだけよ」
 こともなげに言いながら、香奈子がお盆から取り上げたのは、ホイップ
クリームだった。ご丁寧にクリーム絞りに入っている。

「そ、そんあのうったら……(そんなの塗ったら)」
「大丈夫ですよ。毒物とか食べられないものは入ってませんから」
「だよね。じゃあ、にゅ、と」
「うぅ!?」

にゅるにゅるー

 沙織の口と手の間の餅に、生クリームがきれいにトッピングされていく。
 案外かわいらしいことも上手くこなす香奈子ちゃんだ。

「あうぅ、あらしのおもひー!(あたしのお餅ー!)」
「なかなか上手なトッピングだね、香奈子ちゃん」
「ふふ。うまいもんでしょ」
「うぅ、うりーむなんへ……(クリームなんて)」
「ほほう、甘いクリームはイヤか。じゃあ、クリームの甘さをうち消すように
辛いモノをつけてフォローしようか。なににしよう?」
「練り辛子なんてのはどうでしょうか?」
「OK、太田さん、辛子行ってみよう」
「わかりました」
「うむぅぅっ!」
 素早く瑞穂が手渡すチューブを受け取って、

にゅー

 と、まんべんなく辛子を垂らしていく。

「おもひー!(お餅ー!)」
「うわ、不味そう」
「ちょっとこれは……」
 白い餅に白いクリーム、そこに黄色の層が重なっている。
 そしてその層がそれぞれまったくかみ合わない味なのだ。
「うん、やっぱりクリームと辛子の取り合わせもなんだね。もっと味のバランス
を……。甘さ、辛さの他に、酸っぱさでバランスを取ってみようか」
「むーっ!!」
「なら、ヨーグルトなんてどうですか?」
「OK、太田さん、ヨーグルトで」
「はいはい」
「むぐぅぅぅうっ!」


          *


 そして数分後。

 沙織の口と手の間の餅には、クリーム、辛子、ヨーグルト、カレー粉、
ケチャップ、豆板醤、ラード、マヨネーズ、青海苔、バニラエッセンス、砂糖、
チーズ、塩こしょう、さくらえびなど、さまざまな調味料や薬味の類が塗り
重ねられていた。

「うぅ…………」
 もはや、沙織は抗議する気力もなく、目の前で汚されていく餅を涙目で
見つめるばかりだった。
「さて……。味付けはこんなもんでいいかい?」
「そうですね。もうネタが尽きましたし」
 瑞穂は、調味料のお盆から未使用のものを探すが、見あたらなかった。

「じゃ、新城さん、試食してね。全部」
「うぇ?」
 香奈子が、当然のことのように言った。
「うん、そうだね、じゃあ、電波を解除しようか……。でもその前に」
 拓也が、沙織の鼻先をぴっと指さす。

「新城さん、たしかおばあちゃん子だったね?」
「あ、あんえそんらころ……(なんでそんなこと……)」
「おばあちゃんはきっと、戦中戦後の食糧難の時代を思い出して、食べ物は
粗末にするなと言っていたに違いない」
「う、うん……」
「それをふまえて」

 すっ、と、沙織の頭からしびれるような感触が消えた。
 とたんに、手も動くようになった。

 だがしかし、動かせなかった。

「どうしたんだい? 食べるなり捨てるなりしないの?」
「うー」

 大好きなおばあちゃんの言いつけを守るか、目の前のこの食品を原料とした
汚物を捨てるか。
 沙織の頭の中で、その二つが音を立ててぶつかりあっていた。

「餅米は、お百姓さんが一生懸命、一年掛けて育て上げた大事な穀物ですよ」
 瑞穂がぼそりと、しかしはっきり沙織に聴こえる声で言った。
「クリームやチーズの原料の牛乳も、牛一頭をミルクが取れるまで育てる苦労を
思うと」
 香奈子も同じように呟く。

「うぐ……」
 ますます沙織が捨てるに捨てられなくなる良い子の沙織。

「重病で食事もできず、点滴で栄養補給して生き延びている人もいるというのに」
「アフリカでは飢えに苦しむ子供が何人もいるというのに」
「日本でさえ、失業して食べるのにも困る人がいるご時世だというのに」

 さらに口撃は続く。
 そして、沙織は――




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