空はあいかわらず、どんよりと曇っている。
　あの日から、ずっとそう。
　８月も下旬に入ろうかという、ある暑苦しい日。
　飲酒運転のダンプカーが、歩道に突っ込んで派手にぶつかった。
　ただそれだけで、浩之ちゃんは私の前からいなくなった。


　その前の日、浩之ちゃんは私を家まで送ってくれた。
「……じゃぁな」
　右手を挙げ、軽い一声だけ飛ばして、浩之ちゃんはてくてくと遠ざかった。
　そんな浩之ちゃんに、私は二、三度手を振った。
　また明日も会えると思っていた。
　思っていたのに。
　それが最後。
　最後だった。


　葬式に参列しても、実感がわかない。
　宮内さんが泣き叫び、保科さんがきつい調子で睨んでも、私は涙を流さなかった。
　後輩の松原さんは唇を噛み締め、姫川さんは始終ハンカチをまなじりに押し当てた
まま。
　セバスチャンさんに先導される中、芹香さんと綾香さんが何も言わずに焼香を済ま
せる。
　通り過ぎる際に、芹香さんから言葉が漏れた。
「…………」
　ごめんなさい？
　ごめんなさい、って何？
　何なの。
　その時、初めて目の前が揺らめいた。
　志保が後ろから抱きとめても、私の涙は止まってくれなかった。


　そして、今日。
　私は古いビルの屋上から、沈む夕日を眺めている。
　どんよりと曇った空の切れ目から、ほんの一部分だけの、オレンジ色の光が私の目
に飛び込む。
　いつもなら、きれいだと思っただろう。
　横にいる人も、そう言ってくれただろうから。
　でも私の横にはもう誰もいない。
　ふと寄り添って感じる温もりもない。


　私を取り巻く空気が冷たくなっている。
　太陽が沈みきり、きらめくネオンサインとかすかな喧騒が私を包んでいる。


　ぽつり。
　私の頬に雨粒が一滴当たる。
　じきに勢いが強くなり、痛いくらいに身体を打つ。
　酸性雨だとはいえ、私の身体を溶かすわけではない。


　ずっといっしょにいてくれた。
　ずっと私は眺めてた。
　そばにいたかった。
　ずっと、ずっと。
　この世界が終わるまで。
「そばにいて」
　その一言が、何故言えなかったの。


　いっしょにいるのが当たり前だから？
　何も言わなくても、そばにいたから？


　濡れた瞳をぐい、とぬぐい、私は頬をぱん、と打った。
　そして、金網をゆっくりよじ登り、脚一つ分だけ張り出しているへりに恐る恐る脚
をつく。
　地上十五階建のビルの屋上。
　ほのかに光る歩道は、洞窟の穴のように私を吸い込もうとする。
　この雨なら、洗い流してくれるだろう。
　そう思うと少し気が楽になった。


　言えなかったせりふ。
「浩之ちゃんのそばに、いつまでもいたい」
　次に会ったら、きっと言おう。
「私を置いて行かないで」


　お父さん、お母さん、ごめんなさい。
　浩之ちゃんがいない世界に、未練などあるものですか。


　そして、私は足を踏み出した。
　虚空に。
　私を取り巻く大気が強い風となり、雨粒に包まれながら、私は落ちて行った。


「屋上から誰か飛び降りたぞ！」
「誰か、救急車を呼べ！」
　雨の勢いはますます強くなる。



　藤田浩之の事故死から６日後の８月２７日。
　神岸あかりは飛び降り自殺により死亡と届けられた。
　享年１９歳。



「あかりまで、オレの後を追わなくてもいいだろうに」
「だって、浩之ちゃんのそばにずっと居たいんだもの」
　そう言って、私は浩之ちゃんの手を取った。
　ごつごつして大きくて、温かい手のひらに頬を寄せる。
　それが嬉しかった。
「……仕方ないな」
　浩之ちゃんの腕に力がこもる。
「芹香先輩からひとつ依頼を受けている。手伝ってもらうぞ」
「うん！」



　こうして私、神岸あかりは『番号なし』――SINlessとして第二の人生を歩みはじ
めた。

【終】
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　反則技で済みませんでした。
　『東鳩ラン』をお読みでない方には不親切な話で、申し訳ありません。
　サイバーパンク特有の酸性雨の強いシャワー、という表現からつらつらと考えて、
このような作品になりました。

　ちなみに、あかりは屋上から飛び降りてから、雲霧精霊の《守護》のパワーで守ら
れて無事生き延びたということで（笑）。
　で、この地域の警察であるＫＳＤに収容され、死亡診断書を書いてもらって、住民
曲への届け出がなされ SINless へと変わったのは、もちろん浩之も同じです。
　それでは感想、文句その他、minakami@ky.xaxon.ne.jp までお待ちしております。

http://www.ky.xaxon.ne.jp/~minakami/index.htm