電車に乗って………(イベント:紀行SSシリーズ作品) 投稿者:雅 ノボル 投稿日:10月23日(月)01時29分
 夏も終わりのとある日、友達に誘われて他の大学で行われるセミナーに参加して
みた。去年も同じセミナーがあったのだけど、人気があったせいで行けなかったの
で、今年は早めに登録していたから行く前から楽しみにしていた。
 選択した講義はお昼過ぎからだから、朝はいつもの授業のある日に比べれば比較
的ゆっくりとできる。
 路線図を頼りに講義の行われる大学への道のりを調べてみる。しばらく路線図と
にらめっこして大体の道筋が分かったけれど、大きくコの字を描くように大回りし
ないといけない。
 この道でも良いけれど、ちょっとだけ気が進まない。
「あれ?」
 よく路線図を見てみると、いつも乗っている路線と、講義のある大学へ行く為の
線路の間を結ぶ別の路線があった。
「あ、こんな路線。あったんだ」
 ちょっと時間もあるし、たまには知らない電車に乗って道草するのも、悪くない
かな?

         Leaf presents "WHITE ALBUM" Misaki Sawakura's Side Story
                            電車に乗って………
                             Take a Light rail

                          Wrote By Noboru MIYABI

 いつもの電車に乗りこんで、途中の駅で電車を下りる。
 ホームの壁に書かれた案内に従って、線路の上にある駅舎の改札口を出て、1階
へと続く連絡通路を降りて別の電車の改札口へと向かう。
「なんで、改札口をわけちゃうのかな?」
 交通のバリアフリー化(公共機関の移動円滑化)が言われているのに、作りも新
しい駅は、どこかお互いが他人過ぎて冷たい感じがする。
 お年寄りや子供も使うのだから、人が普通に乗り換えやすくする工夫も必要だと
思うのに………
 大きなヤードで覆われた別の線路の改札口を抜けると、そこには緑色のペンキで
塗られた2両の小さな電車が、発車の時間を待っていた。
「わ………」
 まず、待っていた電車の全てに驚いた。
 ホームの高さは低いのに、電車の床はとっても高い。大きなステップを2つ上っ
て、やっと電車の床になるくらい。
 ステップを上がって、電車の中を見て改めて驚く。天井や手すり、窓のサッシを
除けば、殆どがニス塗りの木で作り上げられていたから。
 ずいぶんと使いこまれているようだけれど、古いだとか汚れているとか言うわけ
じゃない。木で作り上げられた内装は、どこか無機質で冷たい雰囲気しかない今の
電車の内装と違って、人の手の温かみが伝わってくる。
 そのまま、街並みの中に溶け込んでしまいそうな、そんな小さな2両編成の電車
だった。
「こんな電車が、まだ現役なんだ………」
 ちょっと見ると古めかしいけれど、綺麗に整備された電車は、未だに多くの人が
乗り、多くの人に親しまれているみたい。
 出入り口の脇の、運転席が見える席が空いていたから、周りに子供やお年寄りが
いないことを確認して席に座る。
 まだまだ暑さの厳しい季節なのだけれど、この電車にはクーラーなんて便利なも
のはない。
 天井に取り付けられた小さな扇風機が、窓が開け放たれた車内を扇いでるだけで、
さっきまで冷房の効いた空間にいたせいか、じっとしてても汗が出てくる。
 しばらくすると、発車の合図がホームに鳴り響いて、私の他に数人を乗せた電車
は、モーターの大きな音と一緒にゆっくりと動き始めて、すぐに大きく右に曲がっ
ていった。

 『コトンコトン、コトンコトン』と言うリズムを伴った音が、開け放たれた窓か
ら聞こえてくる。
 走り出せば窓から風が舞い込んで来て、電車の中を涼しくしてくれる。
 運転手さんのいる真ん中の窓も大きく開け放って、夏の陽射しの暑さをしのいで
いた。
 電車が発車してすぐに、路線の両隣に道が沿うように近づいて、しばらく先まで
路線と一緒になっている。
 しばらく路線も道路もまっすぐな道筋で、運転手さんの脇から見える景色だと、
まるで大きな幅の風の通り道みたいにも見えてくる。せわしない都会の中だけど、
背の低い家々が広がって、どこか穏やかでのんびりしたような街並みが続く。
 そんな道の途中で、電車はゆっくりとスピードを落として止まる。
 線路の両脇に日よけの屋根がある小さなホームがあって、駅名と広告が張ってあ
るだけの、駅員さんのいない駅。
 私のとなりのドアが開くと、運転手さんは運転席を降り返って、乗りこんでくる
お客さんの相手をし始める。
「運賃は130円です、おつりの方は両替します」
 運転手さんは、乗ってくるお客さんにそう告げながら、運賃が入れられるのを見
守ってる。
 数人のお客さんを乗せ終わると、運転手さんはまた運転席に戻って、電車を運転
し始める。

 ちんちん。

 小さなベルを鳴らして、電車はまたゆっくりと動き始める。
 線路の両脇には草が青々と茂っていて、電車の色と同じ緑が線路を彩っている。
 緑の少ない都会の中に、隠されたようにある緑の道。その緑の中を、電車は夏の
陽射しを受けながらコトコトと揺れながらも進んでいく。
 しばらく視界を楽しんでいると、線路の先から反対側の線路に、私が乗っている
のと同じ緑色の電車がやってきて、やがてすれ違った。
 すれ違う瞬間に、行き違う電車をちらっと見てみると、むこうも窓を大きく開け
放っていた。
 私が生まれる以前の夏場は、きっとどこの電車もこんな風に大きく窓を開け放っ
て、舞いこむ風を涼としてたのかな?
 今でこそクーラーが電車や車の中にまで幅を利かせるようになったけれど、自然
の風でそよがれて涼む方が、どちらかと言うと気持ちが良い。

 電車が左にカーブしながらスピードを落としはじめると、左手に電車の車庫らし
い大きな建物に、おろしたての新品の服のような新しい電車と、私の乗っているの
と同じ型の電車が肩を並べて止まっていたのが見えた。
 新しい電車の顔は今風のデザインで、ライトの部分がちょっとつりあがってて、
どことなく愛嬌のある顔つきだったけれど、今まで見てきた風景の中にはまだ馴染
めてなさそうで、車庫の中で窮屈そうに縮こまってるようにも見えてしまえる。
 ちょっと見た感じでは同じ緑色に塗装された電車達だけれど、私の乗っているの
と同じ型の方は、どこか人の手の暖かさを感じさせてくれる、けど新しい方は電車
はまだどこか他人行儀でそよしい感じかな。
 車庫の脇を曲がってすぐに、電車が止まった。
 ホームに掲げられた駅名を見てみると、もう路線の真ん中の駅。
 そういえば、この駅は年の瀬の頃になると、大きな市が開かれる玄関口となる駅
だったと聞いた事がある。
 「ボロ市」という名前の露天の市場が、近くの大きめの道の両脇に立ち並んで、
師走の年越しの準備に明け暮れる人々へ、さまざまな物を売るのだそうだ。
 この市が、400年の昔から伝わる「楽市」である事は、あまり知られてない。
 8月だから市はないけれど、それでも人の乗り降りは多く、あっという間に車内
には立つ人もちらほらと現われる。その中にはお年寄りの姿もいた。
 座る席のないお年寄りに席を譲って、私はいつものようにつり革につかまって、
本を読む代わりに電車の風景を楽しむ事にする。
 しばらく電車は、アップダウンを繰り返しながら、民家の中を走り行く。
 のんびりとした速度で線路の両脇にある家々の軒先をかすめ、窓の外には手入れ
の行き届いた植木や干された布団が見えると、思わず笑みがこぼれてしまう。

 少し先の駅に着いて乗り降りを済ませた後、私の乗る電車はいつになくゆっくり
とした速度で駅のホームを滑り出して、ほんの50メートルも走った所で、停止し
てしまった。
 もちろん次の駅じゃない。それどころか運転席越しの目の前の風景は、多くの車
や人が行き交う大通りだった。
 レールは、大通りを突っ切るように敷かれていて、大通りの先にはまた今までと
同じような線路が続いているのだけど、道路と線路を分ける踏切がない。
 けれど電車も車内の人達は、さっきまでの雰囲気のまま、ただ待っている。
 どこかへ買い物へ行こうとしているおばさん達も、さっきから腕時計を見ている
サラリーマン風の男の人も、電車が止まってる事にはぜんぜん動じてもない。
 心配そうにきょろきょろと見てるのは、私だけ。
 それに気がつくと、なんだかとっても恥ずかしい気分。
 しばらく待っていると、大通りの信号機が黄色に変わって、赤色に変わる。路上
を行き交う車の流れが止まると………

 ふぉーん!

 電車の運転手さんは警笛を鳴らしながら、ゆっくりとスピードを上げて、道路に
敷かれたレールの上を進んでいく。
 ふつうの電車なら車が電車の動きに従うのに、この電車だけは電車が車の信号に
従っている。でもそんな逆の光景が、この路線のルールなのかもしれない。
 私の乗る電車は、道路の上をゆっくりと渡りきると、元の2本のレールに砂利の
道の風景に戻って、スピードを上げつつ先へと進む。
 もう終点まで、あとたったの2駅。
 私の目の前には、大きなビルが電車の行く先に見え隠れするようになる。
 元ののどかな景色のままに、電車はその大きなビルの中に入って、行き止まり式
のホームに止まった。
 所要わずか20分ほどの、小さな旅もこれで終り。正面左側のドアが全て開かれ
て、大きなステップをまた一段一段ゆっくりと踏んで、ホームに下りた。

 ホームに下りて、乗って来た電車をしばらく見ていると、ちょっと初老の運転手
さんが私に声を掛けてきた。
「お客さん、どうかしたんですか?」
 声を掛けられたはいいけど、どう答えようかちょっと迷ってしまった。
「あ、いえ……… 特には……… でも、こんな電車がまだ動いてるんですね」
 私は思った事をそのまま言ってみた。すると、初老の運転手さんは。
「まだ現役ですよ。もう50年以上使っているけれど、まだまだ働けますよ」
 誇りを持った仕事をする人の笑顔で、そう言った。
「50年以上も?」
 ちょっと驚いた。見かけは古い型ながらも丁寧に使われていたせいで、どこにも
くたびれた様子なんか感じなかったけれど、実際には半世紀以上もこの電車は人々
を運びつづけていた事になる。
 この電車は、この街の生活の中に溶け込んでいる。この街の人は、この電車が有
ることが日常なのだろう。だから、この電車がいつまでも走りつづけていられたの
だろう。
 人はそれを「ノスタルジィ」とも呼ぶ人もいれば、「日常」と言う人もいるのだ
ろう。でも、私は「小さな旅」と言いたい。
 古いも新しいもない混ぜになった街に、いつまでも有りつづけるだろう風景を楽
しむ事の出来た、ほんの20分程の小さな旅………
「でもねぇ、今度からどんどん新型の電車に変わっちゃうんです。この電車もあと
半年もしないで新型と置き換えられちゃう。新しい方が冷房もあるし、ステップも
無いからお客さんには好評なんだけど………」
 そう言う運転手さんの表情は、どことなく寂しいものがあった。
 なんとなくでも判らない訳じゃない。
 今までずっと、この運転手さんはこの電車を動かして来たのだろう。民家の庭先
や風の通りぬける道の中を、ずっとこの電車と一緒に走ってきたのだろう。
「もしよかったら、またこの電車に乗ってあげてください。今年いっぱいは動いて
ますよ、それじゃ」
 運転手さんはそう言うと、反対側の運転席へと歩いていった。
 時計を見てみると、まだまだ時間には余裕があったけれど、お仕事の邪魔になら
ないようにと、私もホームの出口へと向かって歩き出した。
 出口を出てホームを降り返ってみると、私の乗ってきた緑色の電車は、ちょうど
発車の時刻となって、いま来た道をゆっくりと戻っていった。
 私はそれを見届けてから、目的の大学へ行く電車の改札口へと向かった。

 楽しみにしていたセミナーも無事に終わって、頃合はもう夕刻。帰り道はいつも
の電車に乗って帰った。
 やっぱり夕方のあたりは、どの電車も帰宅客で混み合っていた。いつものように
満員の電車の中を立って、地元の駅まで帰る。
 電車は冷房が効いているのだけど、人の多さの前にあまり涼しいとは言えない。
 きっとあの電車も、通勤客を乗せて満員なのだろう。けれど、車内を通りぬける
風が、涼を与えてくれてる事だろう。
 あの電車がなくなる前に、また乗りに行きたいな。
 こんどはただ電車に乗るだけじゃなくて、お散歩しながらの、小さな旅をしに。
 私だけの小さな旅を、またしにいこう。
 あの電車が無くなってしまう前に、寒くなった師走の頃に………