すべてが夕焼け色に………(Ver1.1) 投稿者:雅 ノボル 投稿日:9月11日(月)23時59分
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* 最初に:このSSは、8月イベントSS「すべてが夕焼け色に………」の  *
*     改訂版です。若干の内容の修正が入っております。     Ver1.1*
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 8月も半ばをすぎて、もう季節は降り返し始めたけれど、まだまだ暑い。
 その日は久しぶりに、大きな書店でミステリの新作を買い求めに外出していた。
 書店巡りを追えると、もう時間は午後3時すぎ。帰るにはちょっと中途半端な時
間だったから、私はその足でエコーズへと向かう事にした。

         Leaf presents "WHITE ALBUM" Misaki Sawakura's Side Story
                         すべてが夕焼け色に………
                          All,in the sunset glow

                          Wrote By Noboru MIYABI

 書店街の近くにある地下鉄の駅へ行って、エコーズの近くの駅へ行く線路の乗り
場まで歩いていく。
 あまり大きくない通路を人が行き交うけど、地上に比べればほんの少しだけ冷房
が効いているせいもあって、駅の構内へ向かう人達は、涼を得てどこかほっとした
表情をしている人が多かった。
 私も汗ばむ首筋をハンカチで拭きつつ、冷房の効いた切符売り場で、エコーズの
近くの駅までの切符を買って、改札口をくぐる。
(エコーズまでは歩いても行けなくもないけれど………)
 季節によってはビル街を抜けて、大きな公園の並木を眺めながらのお散歩を楽し
む事が出来るのだけど、この暑さの前ではそんな気にもならない。

 ホームへ続く階段を降りようとすると、ゴウッという風の音と共に、目の前から
風が押しよせてきた。
「きゃっ!」
 突然の風圧を受けて、体が浮き上がりそうになるのを、壁の手すりにつかまって
堪える。すぐにその突風は収まったけれど、電車が到着したことを告げるアナウン
スが、下のホームから聞こえてきた。
 どうやら、突風は電車のせいだったみたい。
 到着した電車に乗ろうと階段を降りる足を速めようとしたけれど、まだホームへ
の階段の中ほどだったから、いま到着した電車には間に合いそうもない。
 うん、止めておこう。
 特に急ぐわけでもなかったから、私はゆっくり降りて次の電車を待つ事にした。

 書店街からエコーズの近くの駅までは、地下鉄でもほんの5分足らず。
 ちょっと強めの冷房が効いた車内は、空席が目だっていたけれど、あえて立った
まま過ごすことにした。
 冷房の送風機も強い風を送りつづけているせいで、汗がどんどん冷やされて熱を
奪っていく。
(ちょっと寒いかも………)
 汗が引いてくれるのはありがたいけれど、身体も冷えてしまうのはあまり良い訳
じゃない。あまり温度差が激しい所を行き来するのも、身体に良くないと言われて
いるのだけど、夏場はそれも仕方がないのかも知れない。
 しばし待って目的の駅へ到着すると、私は冷房の効き過ぎた車内に別れを告げた。

「ふぅ……… やっぱり暑い………」
 駅の改札口を再び抜けて外へ出てみると、相変わらず外の暑さは変わらない。
 夏の太陽が容赦なく空から照り付けて、あまり日焼けしていない私の肌を焼こう
とする。
 それくらいは構わないと思うけれど、空気も湿気を多く含んでいるせいか、つい
さっきまで冷房の効いた場所にばかりいた身にしてみれば、引いたばかりの汗が堰
を切ったように肌を湿らせていく。
 服が汗で湿らないうちに、早くエコーズへいこう。
 日が沈むのを待って、お家に帰るのも良いかも知れないな。

 冷房の好く効いたエコーズには、冬弥君がお店にいた。
「いらっしゃま……… あれ? 美咲さんじゃない」
 私がお店に入ってきたのに気がついた冬弥君は、カウンターでコーヒーカップを
磨く手を休めて、私の近くに来る。
「こんにちは冬弥君。今日は冬弥君だけ?」
 お店の中に、彰くんがいないので、冬弥君に聞いてみた。
 エコーズには、冬弥君だけでなく彰君もいる事が多い。どちらかと言うと彰君の
場合は半ば強制的にお店を手伝わされる事が多いけれど、冬弥君もこの所エコーズ
でのバイトに忙しいと聞いていた。
「えーっと、彰の奴は買い出しにいってる。マスターも今いないんだけど………」
 そう言ったところで、冬弥君は言葉を泳がせる。
 なんでもマスターさんは、一度いなくなるといつ帰ってくるのか判らないのだ。
 ただでさえ、お店の裏の私室にこもっている事の多い人だけに、行動が全く読め
ないんだと彰くんが言っていたっけ。
「あ……… そうなんだ」
 私の言葉に、冬弥君は苦笑いを浮かべて頷いた。
 マスターさんには、前に本屋巡りをしていて雨に降られたときに、ずぶ濡れにな
った私に服を貸していただいたお礼もしたかったのだけれど、仕方がない。
 今度逢った時にきちんとお礼をしないといけないな。
「あ、美咲さん。今日はカウンター? それともテーブル?」
 冬弥君が聞いてくる。あまり長々と立ち話をするのも、お客さんである私に申し
わけないのもあって、冬弥君はちょっとばつの悪そうな表情をしていた。
「……… 今日はテーブル席にさせてね」
 今日買った本が詰まったディバックの重さと相談して、私はテーブル席を選んだ。

 冬弥君にアイスティを注文してから、私はディバックを開いて読みかけの小説を
取り出して読む。
 今日の本はミステリの法廷物。ここ何日かで半分のペースといった感じで読み続
けてている。ちょうど今読んでいるあたりが、この物語の山場と言う所。

 裁判も終盤。今まで何人もの人間を追い落としていった、暗黒街の人間の裁判で、
弁護側から提出された新しい証拠物件が、嫌疑人の男の罪を無罪にしかねないもの
だった事に、主人公はポーカーフェイスで質疑しながらも、その内心ではあせり、
苛立ちがつのり、証拠物件の正当性を疑いつづけていた。
 法廷を埋め尽くすぎごちなく息苦しい雰囲気は、検事側である主人公に深く心に
沈み始めていた。陪審員達も困惑し、嫌疑人と弁護士は半ば勝利を確信する。
 だが、主人公は提出された証拠の、ある一点だけが気に入らない。その一点さえ
明確になりさえすれば、主人公は嫌疑人の勝利へと傾いていた現状を、ひっくり返
せると確信していた………
 主人公は、裁判の最中で新しい証拠を打破できる考えられうるだけの仮定を模索
しながら、その日の法廷が終わると、ありとあらゆる証拠をもう一度調べなおし、
自分の考えを煮詰める。
 嫌疑人のせいで、何人もの人間が破滅させられた事を思えば、いま自分のしてい
る事を無駄にするわけにはいかない。
 主人公の声なき叫びが、証拠の山をもう一度洗い直していく原動力になっていく。

 からんからん

 ドアベルのなる音で、ふと現実に引き戻される。本に夢中になるうちに、お店の
中が薄暗くなっていた。
「あ、彰おかえり」
 冬弥君の声。いまお店に入ってきたのは、彰君だった。
「かえったよ、もうすぐ雨降るみたいだね」
 買ってきた荷物を冬弥君に手渡しながら、彰君はカウンターの裏に入ってお店の
エプロンを着なおした。
「あれ? 美咲さんがいる」
 エプロンを着終えて、改めてお店を見まわした彰君が、初めて私に気がついた。
「こんにちわ、彰君」
 右手でぱたぱたと手をふって、彰君に挨拶する。
「あ、こんにちわ美咲さん」
 彰くんも慌てて答える。
「冬弥、なんで美咲さんがいるならいるって教えてくれないんだよ。買い物代わっ
てもらえばよかったかなぁ」
「あのなぁ。美咲さん、さっき来たばかりだぜ」
 小声で彰君がぼやくのを、冬弥君も苦笑しながら小声で返す。カウンターの裏で
始まったいつもの二人のやりとり。なんの気はない、ただの言葉のやり取り。
 二人とも、私に好意を持っているのは知っている、けれど………
 こんなとき、私はいつもどう返して良いのか判らず、ちょっと困ってしまう。
「ほら、美咲さんだって困ってるじゃないか」
 私の困っている表情を見て、冬弥君がそう言いだすと、いつもこの手のやり取り
は終わってしまう。
 彰君も、しょうがないなぁと呟いたあと、私にゆっくりしていってねと一言云っ
て、買ってきた物をしまうために、お店の奥に入っていった。
「ごめんね、美咲さん。いつもの事かも知れないけど………」
 そう言いながら、冬弥君はコーヒーを淹れ始める。冬弥君がドリッパーにお湯を
注ぎ始めると、たちどころに広がる甘い匂いに、少しほっとする。
 淹れたてのコーヒーを持って、冬弥君が私のテーブルまでやってくる。
「これ、サービスだから。本当にごめんね、美咲さん」
 そう言うと、冬弥君はカウンターに戻って、またコーヒーカップを磨き始めた。
 しばらく、そのコーヒーの香りを楽しんでから、冬弥君のコーヒーをいただいた。
 冬弥君の淹れてくれたコーヒーは、どこかいつもと違ってた。
 いつもよりも強い甘い香りに、少し酸味が押さえられていて苦味が立っている感
じがするけれど、それが元々のコーヒーの甘味を際立たせるような、微妙なくらい
の苦味だった。けれど、とっても飲みやすくて美味しかった。

 外は急な夕立で、激しく雨が降っていた。
 冬弥君が淹れてくれたコーヒーを飲み終わるころに、夕立が降り始めていた。
 急な雨をやり過ごす人達で、エコーズにはお客さんが入りこんできていて、冬弥
君も彰君も、それぞれの仕事をしている。
 いつのまにかお店の中は照明が入っていて、本を読むには困らない明るさになっ
ていたけれど、空は雨がしのつくまま晴れようとしない。
 私はいつ上がるかわからない空の様子を時折眺めながら、読みかけの本を読んで
いた。そんなときに。
「相席、良いかな?」
 私に声を掛けて来た人がいた。
 呼びかけられた事に気が付いて、本を読むことをやめて顔を上げてみると、そこ
にはちょっと困ったような、情けないような、そんな顔をした男の人が立ってた。
 ざっと店内を見てみると、テーブルもカウンターも人がそこそこ埋まっていて、
テーブル席も私のいる席以外は、基本的に相席していると言った感じだった。
 声をかけた人は、どこかちょっと軽薄そうだったけど、雰囲気が凄く落ちついた
人だった。この時間帯で私服だから、会社員じゃなさそうだし、年齢から言って学
生でも無い。この前の私ほどじゃないけれど、雨の中を傘を差さずに歩いたのだろ
うか、ちょっと服が雨に濡られてしまってるのもそんなに気にしていない。
 何故かどこかで見たような人だけど、ちょっと思い出せない。
「あ……… どうぞ」
 一人でテーブルを占領してるわけでもなかったので、その人にテーブルの反対側
を譲ると、その人は「わるいねぇ」と一言断って、私の反対側の席に座った。
「あ、コーヒーを頼むよ、青年」
 しばらくメニューを見て悩んでいたあと、相席の人は冬弥君にそう告げて、手に
していた雑誌を広げて読み始めた。
 ふと、相手が読んでいる本を見てみると、音楽業界の雑誌だった。この人は音楽
関係の人なのだろうか。
 ちょっとミステリアスな、正体の良くわからない、と言うのが私の最初の感想。

 待つことしばし、冬弥君が淹れたてのコーヒーを持って私の席に来た。
「コーヒーです。今日はちょっと違うブレンドですよ」
 冬弥君が、私の向かいのお客さんにそう言うと。
「へぇ、豆のブレンド変えてみたんだ。じゃぁありがたく試飲させてもらうよ」
 と、相席の人もそう返す。冬弥君の知り合いなのかな? にしては、ちょっと私
達よりも年齢が上なんだけれど。
「あ、冬弥君。さっきはコーヒーありがとう。美味しかったから………」
 私が冬弥君に言うと、相席の人がそれを聞いて。
「ふぅん、お姉さんのお墨つきか。今回は期待できそうだなぁ」
 出されたコーヒーの香りを楽しみつつ、取っ手を持ってカップを揺らして楽しん
でいた。
「それじゃ、青年のブレンド。いただこうかな」
 しばらく揺れるコーヒーの水面を見ていた後、相席の人は誰に言うでもなく呟い
て、冬弥君の入れたコーヒーを一口すする。ちょっと思案顔でコーヒーを味わうと、
突然片方の眉を上げて、軽く驚く。
「………へぇ、なかなか」
 出されたコーヒーに満足したらしく、そのまま飲み続ける。とても美味しそうに、
でもちょっと意外そうな表情を浮かべてだったけど。
「お姉さんが言うとおり、確かに美味しいよ」
 半分飲み干した所で、不意に私に向かって、向かいの人は話し掛けて来た。
「え?」
 突然話しかけられてきたので、少しびっくりした。
「あー……… 驚かせちゃった? 悪いねぇ」
 相席の人は、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべる。まるで「今まで俺のこと覗き
見てたろ?」と軽く問いただすように。
「ところで……… 君って青年の知り合い?」
 そう、私に聞いてきた。この人の言う青年って冬弥君の事なのだろうか。
「えぇ、冬弥君の大学の………」
 それまで観察してたこともあって、ちょっと口篭もりながら答えてしまう。
「ふぅん……… そうか、なるほどねぇ」
 私の答えに、相席の人は小さな声で一人納得する。その一言に、私は目の前の人
が何者なのか、本気で興味を持ってしまった。
「ちょっと気になったんでね。青年も隅に置けないなぁ。あぁ、青年」
 向かいの人が冬弥君を呼び寄せる。
「なんです? 英二さん」
 呼ばれた冬弥君が、私の席に来た。
「俺の豆の好み、由綺ちゃんか理奈に聞いたな?」
 軽く笑って、当たってるだろう? とばかりに冬弥君に聞いてくる。
「確かに由綺から聞きましたけど、ブレンドは少し変えてますよ」
「やっぱりなぁ……… ちょっと苦味が利いてるからさ」
 冬弥君が澄ました顔であっさりと答えるのを、相席の人は苦笑いしながら返す。
 その二人のやりとりが凄く自然なんだけど、どこか不思議に思えてみえてしまう。
「あ、あの……… 冬弥君。冬弥君の知り合い?」
 意を決して、私は冬弥君に聞いてみた。すると、冬弥君はちょっと驚いて………
「あぁ、そっか。知らないんだっけ? 英二さん、こちら澤倉美咲さん。俺の大学
の先輩です」
 冬弥君は、先に私の事を相席の人に紹介した。
「ふぅん、そっか。由綺ちゃんからたまに聞く美咲さんって、君かぁ………」
 私の知らない人が、私のことを知っている。
 そんな居心地の悪さと気味の悪さに、思わず冬弥君に、この人が一体何者なのか
を問いただしたくなってしまう。
「………っと、悪い」
 そう言うと相席の人は、服のポケットにしまっていた携帯を取り出して、何やら
小声で話し始めた。
「はい俺、あぁ弥生さんか……… ふんふん……… へぇ……… わかった。すぐ
出るわ、じゃまた」
 そう言って、携帯を切る。
「悪いね、なんか急ぎの仕事みたいなんで。もし理奈が来たら、事務所に連絡をく
れって伝えてくれないか? それから、えっと……… 美咲さんか、悪いけどきち
んとした挨拶はまた今度。それから青年、もう少しブラジルのロースト弱めにした
ほうが、俺はいいな」
 そう言って、席を立ちあがると、レジに向かう。
「それじゃまた。ちょうど雨も止んだみたいだしな」
「え?」
 相席の人の言葉につられて外を見ると、先程まで強く降っていた雨はすっかり止
んでいて、ビルの間からはオレンジ色の夕焼けが浮かんでいて、夕暮れの陽射しが
エコーズの中をオレンジ色に染め始めていた。

「えっと……… 冬弥君。あの人………?」
「うん、由綺の言う所の英二さん」
 やっぱり。緒方プロダクションの緒方英二さんか。
 なんだか今日は凄い人と相席になっちゃった。
「まぁ、本人はあんな人だよ」
 冬弥君はそういうけど、あの人が2人のトップアイドルを生み出した天才プロデ
ューサーかと思うと、簡単にはそう思えない。
「あ、そうだ……… 美咲さん悪いんだけど。今日これからも混みそうなんだよね、
でもマスターいないし、彰は裏なんで、手伝ってくれるとありがたいんだけど………
バイト代、マスターにいって出してもらうから」
 バツの悪そうな冬弥君の表情に、ちょっと吹きだしてしまいそうになるのを堪え
て。
「うん、私でよければ手伝うけれど………」
 私はそう言って、すべてが夕暮れ色にそまったエコーズの中をもう一度見渡す。
 もう席のゆとりは、私のいたテーブルだけだった。
「ごめん美咲さん。さっそくだけど店の奥にエプロンがあるから、荷物を置くのと
一緒に裏に一回行ってくれない?」
 私は冬弥君の言葉にしたがって、お店の裏の荷物置き場に私のディバックを預け
て、エプロンを着込んでお店に戻った。

 夕焼けの光が、お客さんでにぎわうエコーズを紅く染める。白いカップも私のエ
プロンも、すべてが夕焼け色になる。
 夕暮れ時は客商売の繁盛時。夕日が沈むまでの間のわずかな時間は、いつものエ
コーズの雰囲気すら一変させる。
 すべてが夕焼け色になる。夕焼けは黄昏の色。夜の始まりを告げる色。
 夕焼けはその瞬間だけ、特別な時間、特別な場所になるだけの力を持っている、
穏やかでいて、すべてをその色に変えてしまう魔力を持っている。
 夕日が沈んで、すこし風が出てくれば、この忙しさもすぐに終わる。
 落ちついたら、みんなで一緒に帰ろう。
 少し涼しくなり始めた夜風と一緒に、今日買ってきた本と、冬弥君、彰君とで。