我が輩はタマである (痕SSこんぺ委員会 短編部門参加作品) 投稿者:非公開 投稿日:1月17日(金)00時56分

 我が輩はタマである。名前が“タマ”。
 結構、自分ではお気に入りの名前なのだ。
 由緒正しき野良猫で、ここ、柏木家を縄張りにしている。


 秋立つ頃をとうに過ぎてなお強い日の光が、辺りから闇を隅へと追いやる。夜半にやってきた弱々しい驟雨が残していった水溜まりが、日の光をいっそう眩く照り返す。
 日が更に上がり少しばかり蒸す。ここにきて、ようやく風が来る。軒を囲う高い塀を乗り越え、庭の草木を揺らし、縁側へとやって来た頃にはちょうどいい按配だった。ヒゲが少しばかり踊る。
 朝が来た。
 うんと、のびと欠伸を一緒にすると、朝日を見やりながら顔を洗う。そのまま身だしなみを整え、終わった頃にどたどたとした足音が聞こえてきた。
 いつもの通りだ。
 ちょうどお腹も空いてる事だし、朝の身支度も終えた所なので移動する。

 台所に来ると、ここの次女の梓が朝の支度をしていた。ここの者の中では一番(胸が)でかいのに、丁稚のようなことをさせられている。気の毒に。朝の挨拶と朝飯の催促を兼ねて、声をかける。
「にゃーご」
「よ、タマ。おはよう」
 梓はそう返事をすると、また作業を再開する。何やら柔らかい物を手の平にのせ切っている様だ。軽く鼻歌まで歌っている。もう一声かけた時に「あー、ちょっと待ってろよ。お前のもすぐ用意するから」との事で一安心していると、また足音が聞こえてきた。今度のは、軽やかでいて音に弾みがある。
「あっ、梓お姉ちゃん。おはよー。私も手伝うよ」
 末っ子の初音だ。台所へ入ってきた時、窓から差し込む日の光が初音の淡い栗毛色の髪にとける。
「おっ。初音、おはよう。今日も早いな。ああ、そうだ。そいつの分頼むな。適当でいいから」
 梓はそんな事を言いながら、初音に向けた視線をこっちへ向ける。
「あっ、タマ。おはよー」
 それで気付いた初音が声をかけてきたので「にゃーご」と返事をする。
 それから、初音は早速取りかかる。こちらからは、何をしているのかはよく分からないが、毒を盛られる心配もないしする事もないので、一声かけて台所を後にした。
「アレ? タマ、いらないの?」
「いつものとこに置いとけば、勝手に食うんだろう」


 いつものとこで待ってると、初音手製の朝食が届き、それを平らげるとまた縁側へと戻る。
 縁側で横になって日の光を受けていると、これまた、足音が聞こえてきた。今度のも軽く、それでいて静かな音だ。
「おはよう、タマ」
 そう云いながら、楓は膝を抱え込む様に腰を下ろすと頭を優しく撫でてくれる。それはとても気持ちよくこのままでいたいのだが、それでは楓の両腿の付け根の白い布地がよく見えて仕方がない。それが人にとって余り好くない事を知っているので、身を起こすと、両前足を楓の膝に乗せ「にゃあ」と鳴き伝える。
 楓は「遊んで欲しいの?」と云うと、両前足をそれぞれ手にとって軽く上下に揺らす。それから「でも、もう行かなくちゃいけないから」と云いながらまた床に戻し、ゆっくりと立ち上がる。
 ちゃんとは伝わらなかったけど、これはこれでいいのかなと思い「にゃあ」と鳴き、出かける楓を見送った。
 楓は、一度振り向くと「じゃあね」と云った。
 今日は、一日、何もしない日に決めた。

 今日は何もしない日と決めたので、また、横になると目を閉じる。と、その時だった。それは余りにも不意の事で、咄嗟には身動き一つも取れなかった。音もなかった。
「あら、タマじゃない」
 そう言うのは長女の千鶴だった。音もなく、ゆっくりとこちらに近づいてくる。寝たふりを決め込みながらも、神経は千鶴へと集中させる。下手に動けば狩られると本能は告げている。嫌な汗が流れる。
 ゆっくりと近づいてきた千鶴が手を差し出してきたその時、チャイムが鳴った。その音で千鶴が玄関の方を振り向いた瞬間、身を起こすと一目散に縁側を後にした。途中、一度も振り返るような事もしなかった。

 正直に言うと、凄く怖かった。

 縁側から逃げ出すと、そのまま屋根へと行く。
 ここならば安全という事と、生命の危機を脱したばかりという事もあり、ぐてっと横になると改めて目を閉じる。
 世の不幸と自分の迂闊さには色々と思う処も感じながらも、今は、ただただ、眠りたかった。
 それでも、今日はあまり好くない日なのか、バサバサと羽音が近づいてきた。鴉だ。ただ、だからと言って、どうこうする事もなかった。此奴とは、まあ、友達みたいなものなのだ。
 鴉は、隣に降り立つと羽を休める。
「ん、おはよう」
 そう、先に声をかけてきた。
「ん」
 気怠いので、いい加減な返事をした。それで互いに黙り合う。ちらりと目を向けると、大きなくちばしと澄まし顔をこちらに向けていた。
「ねえ、楽しい?」
 仕様が無いので、そんな事を尋ねると、
「ん、タマがいた」
 なんて、返事をする。会話が咬み合わない。でも、まあ、いいか。
 鴉は足を折り、体を休める。時々、くちばしで羽を整える。
「ねえ、暑くない?」
 日は結構、高くなっていた。時々吹く風が凄く気持ちよい。
「ん?」
 相変わらずの澄まし顔で、其れ切りだった。
 そのまま、一緒になってぼーっと過ごす。偶に、雀がチチチッと鳴きながら通り過ぎる。
「ねえ、空を飛ぶのって気持ちいい?」
 何となく、そんな事を尋ねた。
「んー、どうかな?」
 また、そんな事を澄まし顔で言う。こっちを見向きもしない。でも、それはこっちを気遣ってる様な気がした。何となくだけど。
「でも、私は速くは走れないから。ねえ、思いっ切り走るのって気持ちいい?」
 そして、そんな事を言うから「んー、どうかな?」って答えた。
「ん」
 納得したのかしてないのか、相変わらずの澄まし顔だから分からないけど、そう言う。
 それから、次第に瞼が重くなる。何か、鴉が言ったみたいだけどよくは聞き取れなかった。


 気付いたら時には、何時しか空は茜色に染まっていた。身を起こし、のびをすると顔を洗う。不意に、
「ん、おはよう」
 と、鴉が声をかけてきた。まだいた。
「ずっといたの?」
「ん〜」
「暇じゃなかった?」
「タマがいたから」
「……変なヤツ」
「ん、そう?」
 そして、少し小首を傾げる。それから、また、不意に「あっ、もう行くね?」という。
「ん、じゃあね」
 と、返事をすると、
「ん」
 と短く返し、一旦起こした身を沈め、両足で瓦を蹴り、羽を思いっ切り広げる。そして、一度大きく旋回すると、森へと消えていった。
 見送ってから、一度、欠伸をした。


 夕月が何時しか高く上っていた。月明かりを無数の星々が補う。屋根から、また、縁側へと降りてきた。そこには、先客があった。一人静かに庭を見ていた。
「あ、タマ。おいで」
 縁側に膝を揃えて腰を掛ける楓が、そう云う。いつ頃からか、よく、この時間に楓とは合う。楓の膝の上で休ませて貰うと、ゆっくりと撫でくれる。
 暫くそのままでいると、不意に「耕一さん」と楓は呟く。夏頃にこの家にいた人の名だ。そう呟く時は、決まって悲しそうな顔をする。だから、楓を見やって「にゃあ」と鳴く。そして、楓が微笑みながら「ありがとう」と云い、優しく撫でてくれる。もう一度「にゃあ」と鳴く。
 今日は此処で一番月に近い場所で寝ようと決めた。


 我が輩はタマである。名前が“タマ”。
 由緒正しき野良猫で、ここ、柏木家を縄張りにしている。
 名前と此処とは、結構、お気に入りなのだ。