月下(九月お題「つき」SS) 投稿者:刃霧星椰 投稿日:9月12日(水)20時48分
――今宵も、月が、綺麗だ。
空を見上げて、思った。
そして、水筒に口を付け、ぐびり、と喉を鳴らして中の液体を飲み下す。
焼けるような熱さが喉を通り過ぎる。
特別美味い酒、というわけでもない。
特別酒が好きなわけでもない。
ただ、昼間に通りかかった町で、気まぐれを起こして久々に買ってみただけだった。
手作りの、どこにでもあるようなどぶろくである。
それでも、広い野原で月を見上げて飲む酒は、格別だと思う。
特に、動き疲れて体を休めているときに飲む酒は。
たとえ、傍にいくつもの死体があるとしても――


北の国で鬼が暴れている――
その噂を聞いたのは、板東での一仕事――領主同士の小競り合いに雇われて参加していた――が終わっ
た直後であった。
そして、その国の領主が討伐隊を徴募している、とも。
――行ってみるか。
幼い頃に戦に巻き込まれ、両親を亡くして以来、野太刀一本で侍のまねごとをして世の中を渡ってきた
彼にとっては、ただの稼ぎのタネとしての話でしかなかった。
当然、鬼、などというものが居るわけはない、幾つかの野党が結束して悪事の限りを尽くしているだけ
だろう。
支払われる給金も、普通の戦仕事よりも高いという。
だから、興味がわいた。
それだけだ。
いつものように参加して、「適当に」働いて、「適当に」褒美をもらう。
それだけだ。
終われば、また次の仕事を探して当てもなく流れるだけ。
今までずっと繰り返してきたように、そうするだけだ。
足利幕府は未だ権勢を保っているとはいえ、地方の小領主どもの小競り合いは絶えない。
そういった戦に参加することで、食いつないできた。
時には、今向かっている天城領のような、野党を討伐する仕事をすることもあった。
戦に出れば、当然死ぬ可能性もある。
しかし、彼は運がいいのか、もって生まれた才能か、人よりは剣の扱いが数段上手かった。
だから、少々のことでは死にはしない。
それに、もし死ぬのならば――――それは、ただそれまでというだけの話だ。
死なないにこしたことはないが、死んだとしても仕方がない。
そういう生き方をしているのだから。


日が暮れ、今日はここまでか、と野宿を決めた。
慣れているのでどうということはない。
枯れ木を拾い集め、火を焚いて干し魚をあぶって食う。
それと、持ち歩いている米と、近くの小川で汲んだ水で薄い粥を作った。
ささやかな夕餉を食い終わり、揺らぐ炎をただ見つめていたときだった。
あたりに数人の気配がした。
傍に置いてあった太刀を引き寄せる。
すぐに、気配の正体は姿を現した。
抜き身の、ぼろぼろの太刀。
所々ほころんだ粗末な鎧。
それらをまとった、数人の男達。
野党である。
男達は、金を出せ、それがなければ食い物を出せ、それがなければその太刀をよこせ、そう言った。
出すものを出せば命はとらぬ、とも。
野宿をしていると、時々こういう輩に出会うことがある。
そういった連中の言うことは、たいていの場合、なぜか同じだった。
何処に行っても似たような輩ばかりだな、と彼は内心苦笑した。
そして、いつもの通りの言葉を言う。
それはできぬ、どうしてもと言うならば、力づくで奪ってみせよ、と。
それからあとは、いつもと同じ――似たようなものである。
斬りかかってくる野党の太刀を軽くかわし、太刀で弾き、返す刃で容赦なく斬り捨てた。
たちま二人斬られ、四人斬られ、五人斬られたところで残った野党は逃げ出した。
野党の姿が見えなくなってから、彼は元通りにどっかりと腰を下ろした。
野党が踏み散らかしたせいで火は消えてしまっている。
月明かりを頼りに、懐から出したぼろきれで太刀についた血を拭い、次に自分にかかった返り血を拭っ
た。
そうして、気分直しにと水筒を取り出し、彼は今に至っている。


ふと、斬り殺した野党の亡骸に視線を落としてみる。
月明かりではよく見えないが、おそらくは無念の形相を浮かべていることだろう。
――――くだらん。
ぼそりと、呟いた。
野党などという生業をするなら、当然返り討ちにあうことも考えてしかるべきであろう。
だというのに、こういった輩が殺された後に浮かべる形相は、何故かこちらを恨むようなものが多い。
まるで、自分が理不尽に殺されたとでもいうような――そういった表情を見るたびに、彼は不快になっ
た。
おそらく、彼自身はいつ殺されても不思議はない、と理解し、覚悟しているからであろう。
戦などに関わって生きる以上、それは避けようのない、必定のこと。
命のやりとりを生業にする以上――戦人のしろ、野党にしろ――それ相応の覚悟をしていない連中を見
るたびに、彼は不快になるのだった。
覚悟がないならば、野党などにならなければいいのだ。
すでに物言わぬ骸と化した野党を見下ろして、彼はそう思った。


ごろり、と横になる。
近くには野党の死体があるが、対して気にはならない。
一点のかげりもない、美しい満月だ。
――次に満月を見るのは、おそらくは天城の領内だな。
埒もなくそんなことを考える。
鬼、と呼ばれる野党どもはどんなであろうか。
強いのだろうか。
強いのだろう。
――どちらでもいいことだ。
戦って死ぬなら、それまでだ。
自分の腕が足りぬか、運が悪いか、どちらかだ。
そう思いながら、眠りについた。


彼は知らない――腕がたとうが、運が良かろうが悪かろうが、どうにもならない相手というものが、鬼
であることを。
彼は知らない――次の満月の下で出会う、一人の鬼の少女のことを。
そして、彼はやがて知ることになる――覚悟があろうと無かろうと、無念、というものは戦で自らが死
ぬ可能性と同様に、必ずあるということを。

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