それはちいさな幸せ ――『初音をいじめる会』活動報告 投稿者: 投稿日:7月28日(金)23時55分
 蝉時雨と強い陽光の降り注ぐ、濡れ縁の向こう側を彩る庭を眺めて、楓は何をするでも
ない時間を過ごす。
 今日は家族全員が家に揃っていた。暑気を避けるために朝早くに墓参を済ませ、だけど
家に帰った後にすることはなかった。さりとてこれから遊びに行くような雰囲気はない。
 こういう一日があってもいいと、楓は思う。立ち止まって、振り返る時間。特に、背負っ
た過去がある自分達は――。
「楓お姉ちゃんっ!」
 名前を呼ばれて、意識を室内へ戻す。さっきまで友達と長電話をしていた初音が、ちょっ
とおかんむりな様子を膨らました頬と腰に手を当てた仕草で表現して、楓を見下ろしてい
る。
「楓お姉ちゃんのお話ぜんぜん違うよっ。お友達に話して恥かいちゃったよー!」
「お話?」
「『ヘンゼルとグレーテル』だよー」
「――どんな話だったっけ?」


・お話 要約


 昔々あるところにヘンゼルとグレーテルと言う兄弟が暮らしていました。ある日お母さ
んが病気でヘブン、新しいお母さんが来ることになりました。
 継母は大変意地悪で、兄弟に嫌がらせをしてきたので逆に思い知らせました。
 そんなとき飢饉が村を襲い、その日食べるものにも困るようになりました。
 ヘンゼルとグレーテルの継母は旦那に、
「明日森へ子供たちを連れていってそのまま置いてきましょう!」 
 と、飢饉を口実に暴力兄弟を亡き者にしようとしました。頭の弱い親父は裏読みするこ
ともなく同意。普段から抜け目なく奴らの動向に目を光らせていたグレーテルは立ち聞き
したその情報をヘンゼルに報告。兄弟は夜になるのを待ち、継母の口紅に砒素混入。準備
完了。
 次の日の朝、親父に兄弟は森の奥深くへと連れられて行きました。歩きながらヘンゼル
は、余った砒素を混ぜたパンをちぎっては投げ、ちぎっては投げして散歩をエンジョイ。
適当に遊んでたら案の定おいてけぼりにされたので、パンの道標べを探して家に帰ろうと
しましたが、毒入りパンを食べた小鳥の死体やらその死体を食べた山猫の死体やらが点々
と続く道に、死体を狙って夜行性の肉食獣が集まることを予想、計画変更、森の奥深くへ
と入っていったのでした。
 あらかじめ地図で確認しておいた森の中の屋敷へ向かう兄弟は、目的地に屋敷ではなく
お菓子の家を見つけたのでした。その幻覚の正体を麦角菌により自然に生成されたLSD
であると予想、家の中でラリッていた一人暮らしの資産家の婆さんを、予定通り魔女とい
うことにして簡易魔女裁判、死刑決定、かまどで生きたまま火葬、そして家捜し、財産没
収。ありったけの金目の物をポケット一杯に詰め込んで、LSDの影響を避けるために風
上へ逃走。
 ほとぼりがさめるまで森の中で暮らし、そろそろかなと思った頃、家に帰りました。
 あの継母は砒素中毒でヘル、でも病気で死んだことになっており計画殺人成功。
 自分達を殺そうとしたけれども、まだ利用価値はあるので親父は生かしておくことに決
定。
 それから家族3人仲良く暮らしたのでした。
 めでたしめでたし。


「――ああ」
 楓はぽんと手を打つ。そういえばそんな話を「創って」聞かせた覚えがあった。
 でも信じるほうもどうかと思う。
 ただ、それが初音なのだが。
「「ああ」じゃないよー。すごく恥ずかしいんだからねっ! だいたい楓お姉ちゃんの昔
話も間違いばっかりだしっ!」

昔話 例


『桃太郎』
 昔々あるところにじさまとばさまがおったそうな。
 じさまは山狩りに、ばさまは川に人に言えないことをしに行ったら、不条理にでかい桃
が擬音を発して流れてきたのでゲット。
 ばさまはその桃を見て、毒があったらヤバイので、まずじさまに毒味させようと家へ持
ち帰る。
 昼になってじさまが山狩りから平家の落ち武者の首を持って帰宅。そして興奮状態のじ
さまはでかい桃を見てさらにいっちゃって勢いでスパーッ――と切ったら中から血がーっ!
 血がーっ!
 でも急所はずれてて男の子死ななかったけどぐったり。
 名前考えるのめんどいし、まんま「桃太郎」と命名。
 ばさまがごはんを作って桃太郎に食べさせるとびっくりするほどもりもり食いやがって
エンゲル係数うなぎ登り。そして桃太郎は肥満児に。
 毎日毎日食っちゃ寝ー食っちゃ寝ーのダメ人間っぷりを発揮する桃太郎。さすがに余計
なデブ養ってるんで家計火の車。家族会議の結果、地道に働くより力ずくで持ってくれば
いいさということに決定。ということで、金持ってそうな鬼から略奪するがいいさという
ことになった。力こそ正義。
 じさまとばさまはきびだんごを作って桃太郎に持たせる。仮に桃太郎が帰ってこなくて
も投資少ないし無駄飯食らいが居なくなるしで損は無し。
 桃太郎は道中、犬と猿とキジの命をエサで買う。畜生どもはやはり畜生、騙し易し。そ
して鬼ヶ島へGo!
 旅費を窃盗でまかないつつ鬼ヶ島到着。
 島には慎ましやかに暮らす鬼の屋敷。不法侵入。強盗殺鬼――未遂、返り討ち。ただの
デブだし。
 鬼、桃太郎の身元を調べてじさまとばさまにも思い知らす。力こそ正義。
 めでたしめでたし。


『かちかち山』
 昔々あるところにじさまとばさまがおったそうな。
 毎日毎日じさまは畑で豆をまき、タヌキ餌付け。太ってからタヌキ捕獲。タヌキ汁。

 かちかち山というのはとある地方のタヌキ汁の別称。

 めでたしめでたし。


『浦島太郎』
 ラブひな。
 めでたしめでたし。


「わたし昔話ってへんな話だって思ってたんだからっ!」
「間違ってないと思う」
「へんさの方向性がなんか違うよー」
「でもね初音、教育上、あんな非論理的な物語を話せなかったことは、判って」
「楓お姉ちゃんのお話のほうが教育によくないと思うよー」
「そうかしら? かちかち山のおばあさんは食用にするつもりのタヌキの縄をほどいて、
仕事を手伝わせようとするのよ。自分の生死がかかっているタヌキがおばあさんを殺して
まで逃げようとするのは不自然? だけどおばあさんを殺して逃げたタヌキにおじいさん
は憎悪を抱く。
 そこにあるのは人間中心の考え方。人間以外の生き物は人間のために存在していると考
えるから、タヌキが自分を殺すつもりの人間に奉仕するという異常な提案を受け入れる。
そして人間がタヌキを殺すことは許されてその逆は許されない。
 それは人間の傲慢以外のなんなの?」
「うぅ……」
「初音、あなたは私にそれを教えて欲しかったのね?
 そういう人間になりたかったのね?
 鬼は悪者だって、そんな話をさせたかったのね?
 よりによって、柏木の家に生まれたあなたが、私に?」
「ち、ちがうよー」
「私、間違ったことしたの?」
「……してない、かも」
「かも?」
「……してません」
「ごめんなさいは?」
「……ごめんなさいー」
 御し易し、初音。
 しばらく無抵抗な妹の頭をヘアスタイルかわるまで撫でたり、ほっぺたぷにぷにしつつ
遊んでいると、姿が見えなかった千鶴が居間に顔を出した。
「あら楓、いいおもちゃ見つけたわね」
 楓は妹をギュッと抱きしめる。
「あげません」
「おもちゃじゃないよー」
「大丈夫よ、妹のおもちゃ取ったりしないから」
「おもちゃじゃないよー」
 初音いじめ、終了。
「それで、何か用ですか?」
「ええ、お墓参りの時、おしきみ採ってくるの忘れちゃって。お願いできる? どっちで
もいいから」
「おしきみ?」
「仏壇に供える葉っぱよ。私が行きます。初音もいらっしゃい、どこに生えてるのか教え
るから」
「うん」
「頼んだわね」




 夏の強い日差しに焼かれたアスファルトに濃い影を落とし、坂を上る。いつの間にか会
話も途切れがちになり、蝉の声だけが耳に入る音の景色のすべてだった。
 予告もなく舗装された道路から外れ、自然石を積んで造られた階段を登る姉の姿を、束
の間立ち止まって目で追って、それから慌てて追い掛ける。
「楓お姉ちゃん、こっちなの?」
 この道順は、今朝往復したものとまったく同じものだった。階段の上にあるのは柏木家
の菩提寺と、そして墓地。
「いいのよ。ここはこの辺りで一番古い墓地だから」
 答えになっているのかいないのか判らない言葉を返して、楓は振り返ることなく登って
ゆく。
 木漏れ日の下を抜けると古びた仏教建築が見える。住職にしきみをわけてもらうよう頼
んで、家から持ってきた小さなバケツに水を汲み、楓は墓地へ向かった。
 しきみの木は、特に古いお墓の多い墓地の片隅に至る所、無造作に生えていた。
「やっぱり神聖なものだからお墓に植えてるんだね」
 楓に指し示された枝を、家から持ってきた植木ばさみで切ろうと手を伸ばしつつ話す初
音に、楓は静かな、それ故に何かを含んでいるような言葉を送り出す。
「隆山にはね、明治時代くらいまで土葬のしきたりが残っていたの」
 初音の手が止まる。
「かつて野捨てと呼ばれた、遺体を放置する場合と同じく、土葬でも犬やほかの動物に掘
り返され、遺体が食い荒らされることがあった。それを防ぐ為に、動物が嫌う、毒のある
植物を遺体のある場所に植えるようになったの」
 初音、生理的な拒絶から後ろに下がるが、背中が柔らかいものにあたり、それ以上逃げ
られない。そして両肩をそっと包み込むようにつかまれる。
 耳元で囁く、感情のない声。
「桜の樹の下に屍体が埋まっているというのは梶井基次郎の小説で広まった作り話だけど、
しきみの下に屍体が埋まっているのはそんなに珍しい話じゃないの」
 目の前に青々と茂るその木が、急におぞましいものに見えて、半泣きになりながら目を
瞑る。
「悪しき実が転じて、しきみ」
 何も見えなくなった分、空想全開。悪い方向に。
「考えてみて? この木は、何を栄養にここまで育ったんだろうって」
 考えた。そして初音、号泣。
 初音の声は蝉時雨に埋もれ、聴く者は肩を優しく抱く姉と、その木の下に眠る者だけだっ
た――。
 しばらくして落ち着いてきた初音に、諭すような、慰めるような声を、楓がかける。
「初音、これだけは憶えておきなさい。宗教にあるのは思い込みよ。野犬に遺体を暴かれ
ないように植えたものが、無知と盲信によりその意味を失い、別の意味を与えられるのが
神聖化のプロセス。論理性を失い、それ故に一見、より高度な論理があるように錯覚する。
その錯覚が錯覚を呼び、その積み重ねが宗教の歴史よ。
 初音が感じるその嫌悪感や不安や恐怖はただの思い込みでしかないの。だから安心して
しきみ、採りなさい」
 ちっとも慰めになっていなかった。
「おねがいー、お姉ちゃんとってー……」
「私は嫌。さわるのも嫌。――初音、はやく採りなさい。錯覚だし」
 初音が泣きながらしきみを採るまでに、それから三十分程を要した。




 後に楓はこの時のことも含めて、
「初音に強くなって欲しかったから」
 という一言で、すべての初音いじめを片づけた。
 初音、納得。
 信じるほうもどうかと思う。
 ただ、それが初音なのだった。
 おもちゃなのだった。




 この物語はフィクションであり登場する人物、団体、お話、宗教観等は架空のものと思っ
ていただければ幸いです。