私は太田香奈子。 私の周りには沢山の人が集まり、私はいつもその中心にいる。 そう私は常にみんなの注目の的であり、誰もが私に笑顔で話し掛ける。 男の子は私の心を射止めようと、知恵を絞り、手を替え品を替え、話題を見つけては話し掛けてくる。 女の子も私を羨望の目で見ながらも、少しでも私に近づこうと躍起になっている。 私はそんなみんなにお高く止まらず親しみを持って公平に接している。 容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、性格は明るく社交的、生徒会では副会長を務め辣腕を振るっている。 絵に描いたような才媛、それが私、太田香奈子。 …以前はそうではなかった。 平凡な女の子。 勉強も運動もそう得意でもなく、顔も可愛くも綺麗でもない、何処にでもいる目立たない女の子。 それが以前の私だった。 その頃私は変な癖があった。 『お願い癖』。 綺麗になりたい、明るくなりたい、男の子にもてたい、そんな風に『お願い』ばかりしていた。 あの年頃の女の子なら誰もがしていたかも知れないけど、私は特に熱心にしていた。 だから─叶った。 ある日、急に綺麗になって、男の子にもてるようになった。 何人もボーイフレンドができ、勉強も運動もできるようになった。 しかも誰もそのことに気付いていない、私が昔からこうだった様に思っている。 それから何度か『お願い』してみたが、すべてが『お願い』通りになった。 最高だ、最高に幸せだ。 私が『お願い』すれば何でも叶う、何でもそうなる。 そう─すべてが現実になる。 だけど最近この生活も飽きてきた。 何人もいるボーイフレンドもみんな私に嫌われないよう振舞っているし、女の子の取り巻きもウザイだけだ。 だから、彼を選んだ。 彼─長瀬君。 クラスでも特に目立たない男の子。 勉強も運動も特に出来るわけでなく、背も高くなく、顔は─まあまあだけど暗い表情でもったいない、そんな男の子。 昔の私を見るような男の子。 不思議なことに彼には私の『お願い』が通じないようだ。 彼だけはみんなのように私に取り入ろうとはしない。 私と目を合わそうともせず、むしろ私を無視しているようだ。 そんな彼を好きになった。本当に好きになった。 どこか昔の私に似ている彼が、最初は気になる程度だったのが、次第に惹かれていつしか本当に好きになった。 私のことを見て欲しい、私のことを愛して欲しい、彼と…ずっと一緒にいたい。 しかし彼にはいつものようには『お願い』が通じない。 ならば私と二人っきりの世界を作ってしまえば…。 そうすれば私のことを見るしかない、私のことだけが頭の中を占めれば、きっと私のことが好きになる。 いえ、絶対私のことを好きになってもらう。 よし、これが新しい『お願い』。 私が『お願い』すれば─すべてが現実になる。 『お願い』が叶って、彼と二人きりになってみると彼とはすぐに親密な仲になった。 だって彼も本当は私のことがずっと気になっていて、意識しすぎたために私と目も合わせなかったのだから。 そして彼もまた私と二人っきりの世界を想像していた。 私たちは本当に良く似ている。 これで私は幸せになれる…そう思っていた。 学校の屋上。 やさしく頬を撫でる風に当たり、キスを交わした後、私は彼に『お願い』癖のことを話した。 高嶺の花の私と二人っきりになれて有頂天になっていたのか、この異常事態に何の疑念も持っていなかったようだから 教えてあげたのだ。 彼はもちろん目を丸くして驚いた。 そして不安げな顔を私に向けた。 元の世界に戻れるのか不安なのだろうか、それとも元の世界に戻ってしまえば今の関係が壊れてしまうのか不安なのだ ろうか。 心配することは無い。 私がまた『お願い』すれば世界は元に戻るし、そうなっても私の気持ちは変わらない。 だから今はこの二人っきりの生活を楽しめば良い。 そう言って、私が屋上の金網に体を預けたとき──世界は凍った。 「…ふーん、これが太田さんの妄想の世界かい」 突然私の体は動かなくなり、やさしく吹いていた風も止み、私と彼を包んでいた温もりも消えた。 その凍った世界に彼の声だけが冷たく響く。 動かない視界の中に立つ彼の顔が見える。 冷たい、いやどんよりとした虚ろな笑みを浮かべている。 彼がこんな表情をするなんて信じられない、…でも私はこの『笑顔』を知っている。 そんなことより今何が起こっているの。彼は何を言っているの。 「茶番はもう終りだと言ってるんだよ、太田さん」 そんな私の疑問に応えるように彼の声が届く。 茶番…なに、何のこと、違う、あなたは長瀬君じゃない、彼はそんなことを言わない、誰、あなたは誰なの? 私はひどく狼狽えた。 「僕は僕だよ。君の知らない僕。僕も未だ知らない『僕』だよ」 感情がどこかこもっていない声で言う。 何を言っているのか解らない。体も全く動かない。 いったい何が起こっているの──ここは『私の世界』なのに! 「そう、ここは『君の世界』。君の創った妄想の世界。そして君が開きかけている狂気の世界の入り口」 妄想…、狂気…、ああ、そうか、そうなのか。 「『お願い』すれば何でも叶う世界か…ふふ、案外少女趣味なんだね、太田さん」 …………。 「君から見れば僕は妄想の中で君と二人っきりになって喜んでいる男ってわけか。まあ当たらずとも遠からずってところ かな、確かに『僕』は君に惹かれていたからね」 …私は本当は何を『お願い』したかったのか…。 「正確には君の世界、『狂気の世界』にだけどね」 …綺麗になりたい、明るくなりたい、男の子にもてたい、そんなことを色々『お願い』していたけど、本当は…友達が 欲しかった。 「ここ数日か、君からこう毒々しい波動…みたいなモノを感じていたんだ」 …昔の私は自分に自信が無くて、引っ込み思案で、だからなかなか友達ができなかった。 「日々それは増幅されていくようで、僕の心も次第に狂気の世界に惹かれていった」 …中学にあがったばかりのある日、私はいじめられている女の子を見かけた。すぐ前に転校して来た女の子で私と同じ ようにあんまり友達がいない子─瑞穂を。 「といっても、紙の上に展開される、そんな世界だけどね」 …あの時私はどうしてそんなことをしたのか今でも解らない、だけど私はいじめている男の子達の中に入って彼らが瑞 穂から取り上げていたオルゴールを取り返した。そして私達は友達に、親友になった。 「しかし転がる石のように加速する、僕の狂気の世界への傾倒は留まることを知らなかった」 …あの子にとって私はヒーローだった。私は人から頼られる喜びを知り、瑞穂のために、自分のために努力したり、い つも以上の力を出せるようになった。 「そして今日、君から感じる波動は今まで以上に凄かった」 …すると私は自分に自信が持てるようになり、性格も明るく前向きなものになった。表情が明るくなると可愛くなった ねと友達から言われるようになった。…ただ男の子たちの間では男勝り、凶暴女と思われ、ボーイフレンドはできなかっ たけど、私のお願いはそれ以外はすべて現実のものになった。 「いつもは心の中の狂気を隠して取り澄ましていた君が、今日は狂気の笑みを浮かべていた」 …『お願い』なんてちょっとしたきっかけと後の努力で叶える事ができるのだ。私は昔『お願い』した通り、そして新 しく『お願い』したように瑞穂のヒーローであり続けた。 「いよいよ君は『扉』を開けて、現実の世界から狂気の世界へと飛び立つのだとわかった」 …だけど私は本当のヒーローじゃない。人に、瑞穂に頼られるのは嬉しいけど、同時に重荷にもなった。瑞穂の前で虚 勢を張るのも疲れた頃私はあの人に出会った。生徒会長のその人は、周りに持ち上げられて副会長になった私と違って、 自分から学校の綱紀粛正に取り組もうとし、実行に移せるだけの実力を持った本当のヒーローだった。 「君は僕の知らない狂気の世界へ行ってしまう。悔しくもあり羨ましくもあったよ」 …次第にあの人に惹かれていった私は、ある日告白し、そして彼の恋人になった。瑞穂も泣くほど喜んでくれた。私も 涙が出るほど嬉しかった。また私の『お願い』が叶った。私は幸せになれると、そう思った。 「そんな僕の想いが通じたのか、君と僕の意識が、いや心の世界がリンクした」 …だけど…あの人が私に与えてくれたものは、愛でも安らぎでもなく、淫靡なセックスと狂気の世界への『扉』の鍵。 さっきから私を放って、一人熱弁を振るっている長瀬君が言う世界にやがて私は向かうのだろう。 「君に言わせれば『お願い』が叶ったのかな」 …長瀬君、ニヤッといやらしい笑いをするこの長瀬君はあの人にどこか似ている。自分と妹の関係を声高らかに話す時 の、あの『能力』の話を得意げに話す時の彼に似ている。熱をこめて話しながらどこか感情がこもらず、虚ろな瞳と崩れ た笑みを浮かべたところが。ひたすら破滅へと向かっているところが。 「でもここは僕の思っていた所でなく、君の創った妄想の世界。少女趣味の甘ったるい世界だった」 …私の知っている長瀬君は昔の私に似ていて、この長瀬君はあの人に似ている。さっきまで私が長瀬君に惹かれていた のは真実だろう。ただそれは昔の私に還りたい想いがそうさせたのだろうか? それとも裏の顔とも言える今目の前に立 つ長瀬君を感じて惹かれたのだろうか? わからない…。 「暫く君の茶番に付き合っていて、もう我慢ができないと思った時、…ついに僕は見つけた、『扉』を!」 …そう言い放つと彼は『扉』を、屋上と階下をつなぐ扉を指差した。その『扉』は少しだけ開いていて、中からは─肉 と肉がぶつかる音と体液の混じり合う匂いがする。隙間の先は闇に包まれているが、『扉』の向こう、狂気の世界で何が 行われているのか言わずとも知れている。 「これが狂気の世界か…」 …扉に近づき隙間から覗き込んでいる長瀬君。うっとりとした声は本当に素晴らしいものを見たかのようだ…その先は 破滅にしか繋がっていないのに。でもまさかここ屋上が狂気の世界に通じているとは、…いやここにはよく瑞穂とお弁当 を食べにあがったけど、ここでよく彼女に会った。彼女─あの人の妹、結局話せず仕舞だったけど、思えば彼女も心を病 んでいたのだろう、そしておそらくあの人の『能力』にも関係していたのだろう。そう思える噂も聞いたことがある。そ う考えればこの屋上に狂気の世界への入り口があるのも頷ける。 「いずれ僕が向かう世界…」 …今まさに私が向かう世界。淫靡で猥雑な恍惚の世界。妄想の世界でしか生きていけなくなった私にはお似合いの世界。 だけどあの生徒会室での目眩く淫楽の日々と違いがあるのだろうか? ある、大きな違いが。あそこにはあの人がいない。 それは仕方ないこと。だって私は棄てられたのだから、飽きた玩具のように。結局私はあの人の玩具でしかなかったのだ ろう。それでもよかった。あの性宴から逃れることも抗うこともできなかったけど、私はそれでも幸せだったと思う。あ の人の側にいられたから。…それだけは信じたい。あの人の側に…今となっては届かぬ想い。…叶わぬ『お願い』。 「そして、…今、君が向かう世界…」 …長瀬君は扉から離れて、何か期待するような、わずかに嫉妬の混ざった視線を私に向ける。…いやだ、やはりいやだ。 行きたくない、狂気の世界なんて。あの人のいない世界なんて。だけど…ふと瑞穂の顔が浮かぶ。心配そうに私を見つめ る顔。驚きそして涙。私が今朝最後に見た瑞穂の顔。瑞穂…私の大切な友達。あの子にはこんな私を見られたくない、知 られたくない。夜の学校のこともあの人のことも今までひた隠しにしてきたけど、それももう駄目だ。今朝の私は普通で はなかった。あの子も私の異変に気付いてしまった。もしこのまま今日を乗り切っても、あの子は私に問い質そうと付き まとうだろう。そして私はきっと昨日のようにあの人の元へ向かうだろう。あの人の家か生徒会室か。そうすればあの子 も絶対私の後をついてくる。あの子を巻き込んでしまう…それだけは駄目だ。すでにあの人に頼まれて生徒会の二人を引 きずり込んでしまったから、今更いい子ぶるつもりはないけど、あの子は、瑞穂だけは守りたい。あの子だけは無垢の女 の子のままでいて欲しい。…でも自分から『扉』の向こうへ行くことはできない。…だから私の最後の『お願い』…。 ──私を、壊して── 私を見つめていた長瀬君は少し驚いたように目を丸くして、やがてにっこりと無邪気な子供のような笑みを浮かべた。 …昨日最後に見たあの人の笑顔によく似ていた…。 カッ! 長瀬君が右手を胸の高さまで挙げて掌を広げると、そこには銀色に鈍く輝く球体があった。何、と思う間もなく、それ は閃光を発した。爆弾? それは爆音もなく光だけを残し、世界を揺らした。そして凍っていた世界は動き出し、私が背 中を預けていた金網が音も立てず外れた。 そして、私は飛び立った、…狂気の世界へ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− どうも、第3接触です。 遅ればせながら八月の競作、お題:『すべてが○になる』の作品です。 えーと、この作品はいつか長編を書こうとストックしていたネタを、切り出したというか前倒しにしたものです。 そのためか妙に冗長と言うか詰め込みすぎたと、本人も自覚しています。 特に最後の方の香奈子の独白は長すぎて文章のバランスが悪いなと思っています。 でも、今回は言いたい事、書きたい事を書き切る事を旨に書いたので、自分ではそれなりに納得しています。 まあ、事故に遭った人とかは集中力が増して、通常よりも頭の回転が早くなるとも言いますし…(笑)。 かなり強引な展開ですが、原作の冒頭によると祐介が妄想の世界に没頭しだすのが数日前からとなっていたり、瑞穂シ ナリオでは祐介は瑞穂のために何かしてあげたい自分と妄想の世界に浸っている自分は別人みたいだと自覚していて、無 茶苦茶強引ではないとは考えています。 あと、この作品の中の祐介はあくまで無意識下の彼で、この時の記憶はないと思っていただければ幸いです。 もともとは沙織エンディング後の祐介に電波能力を持たすにはどうすればよいかの回答の一つなので、いつかこの設定 を再び使うことがあるかもしれませんが、その時は御容赦下さい。 ではまた。