一年後の夏 投稿者:第3接触 投稿日:8月1日(火)00時30分
「ねえ、初音何してるの?」
「え、な、な、何でもないよ、楓お姉ちゃん」

 私が居間に入ると初音は机に向かって何か書き込んでいた。
 正確には手にした赤のボールペンをピクリとも動かさず、目の前のものをじっと見つめるように固まっ
ていた。
 何を見ているのだろう?
 今は数日前に夏休みが始まったばかりだし、夏休みの宿題? 今から? 初音が?
 よほど集中しているのか私が部屋に入って来たことに気が付いていないようだ。
 休みに来たのにこんな空気では落ち着けない。
 仕様がない、解らない問題があるのなら教えてあげようと声をかけたら…。

「お、お姉ちゃん、お部屋でお勉強してたんじゃないの」
「休憩」

 私は手にした雑誌を見せながら、初音が慌てて隠したもの─薄い雑誌を目で追う。
 何だ。ここ隆山の情報誌、タウン誌だ。
 つまらない。あんなに慌てていたからラブレターかと思ったのに。

「ここ座るね」
「あ、うん」

 私は初音の返事を聞く前にさっさと隣に座り、手にしていた雑誌を胸の前に広げて読み出す。
 初音はこっちをちらちらと見ていたが、諦めたのか先程のタウン誌を机の上に広げた。
 私はばっと自分の本を下ろして初音の本を覗き込む。

「…なに、間違い探し?」
「もう、楓お姉ちゃん!」

 初音は慌てたように両手でそのページを隠すが、指の間からそれが見えた。
 一ページを上下二つに分けて、似た絵を載せて、そのわずかな違いを探し当てる、間違い探し。
 何だ、本当に何だって感じ。隠すことないじゃない。

「なに熱中してるのかと思ったら…」
「良いじゃない、何だって!」

 語気は少し荒いが顔はプウっとふくれっつら、クス可愛い。いつまでも子供みたいね。
 用は済んだと再び雑誌に目を落とす。
 初音はしばらくこっちを睨んでいたようだが再び本の方に挑みかかる。
 が、動かない。
 お預けを食ってる犬のようにじっと本に向かったまま動かない。
 初音は昔からああいうパズルのようなものが好きで得意だ。
 本人の弁では記号や絵柄なんかを覚えるのは得意だと言う。
 だから神経衰弱や歌留多なんかは姉妹で一番強い、百人一首は歌が覚え切れないみたいだけど。
 その初音が苦戦している。少し興味が湧いた。

「あといくつ?」
「…あ、うん…あと一つ」

 ちょうど読みたい記事も読み終わったので雑誌をたたみ初音に声をかける。
 ワンテンポ遅れて問いを返す初音。顔は上げない。
 どれどれと本を覗き込む。
 初音ももう諦めたのか隠そうとはしなかった。
 山中と思える場所で、山犬か狼に囲まれた侍がそれらと応戦していて、左隅に仔犬を抱えた娘がアップ
で描かれてあった。

「…『次郎衛門と鬼姫御前』?」
「…うん」

 隆山に伝わる昔話、『次郎衛門と鬼姫御前』の一幕か…。
 ここ隆山でも次郎衛門といえば、室町の世に他国の侵略を退け続けた猛将で、開墾・灌漑で国を潤した
名主で、他にも治水事業、鉱山開発、交易業で多大な足跡を残した一代の傑物として知られていて、その
妻、異国より流れ着いた鬼姫御前が影に日向に夫を支え、その偉業の数々も彼女の助けが有ってこそ成せ
たと言われ、次郎衛門も異国にてただ一人である鬼姫御前を愛し護った。その英雄伝を夫婦愛と絡めて物
語の形で綴られた物、それが『次郎衛門と鬼姫御前』だ。

「ふうん」
「………」

 仕様もない。
 そんな事で隠していたのか。本当に仕様もない。
 次郎衛門は実在の英雄で、彼の妻の助力があってこそだということも事実。
 『次郎衛門の鬼退治』などは英雄を英雄たらしめる貴種流離譚や異類婚姻譚の類のお伽話に過ぎない。
 柏木家の始祖にして隆山の英雄、次郎衛門が鬼の異能を持って領地を治めたなど笑止千万。
 鬼にまつわる話は、後の世の人々が面白おかしく脚色したからだ。
 無論、次郎衛門が先妻、鬼姫御前の姉の某から鬼の力を授かったなどは言うに及ばない。
 …そうしてきたのは柏木の祖先たち。
 そういう事にしてきたなど柏木の者には当然の事、『次郎衛門と鬼姫御前』の話が常に表に立ち、タウ
ン誌のクイズの題材に使われるのも至極当たり前のことなのに…。

「…これは山犬退治の話ね」
「…だと、思う」

 私も初音も本を見つめたまま互いの方を向かない。
 初音は誰彼なしに気を遣う子だ。
 千鶴姉さんにも、梓姉さんにも、もちろん私にも…そして私の中のエディフェルにも。
 あなたは気を遣い過ぎなのよ、初音。


『…どうやら初音と耕一さんが間違いを起こしたみたいなの』
『えっ』

 去年の晩夏、初音と耕一さんは花火をしに出かけたが、なかなか帰って来ず、心配になって探しに行こ
うとした矢先に帰ってきた。
 ホッと一息吐いたのも束の間、夜目にも二人が土塗れなのが解った。
 何があったのか、いや何かがあったのは解った、そう、それだけは解った。

『初…』
『梓、楓、あなたたちは下がっていなさい! 初音、こっちにいらっしゃい!』

 千鶴姉さんが声を張り上げた。
 皆が動きを止め、辺りに緊張した空気が生まれた。
 初音も迷子の小犬のようにおろおろしていたが、一度耕一さんの方を向き耕一さんがこくっと頷いたの
を見て、スッと私の横を通り抜け、千鶴姉さんの方へ走って行った。

『ごめんね…』

 その際、初音が私に一言つぶやいて行ったが、私はその言葉の真意がつかめなかった…。
 耕一さんも黙って自分の部屋に戻ってしまい、私と梓姉さんは顔を見合わせるしかなかった。
 だが夜半になって千鶴姉さんが部屋にやって来て、さっきの話を語りだした時、私は解った。
 言い淀みつつ、重い口を開く千鶴姉さんが言葉を連ねるより前に解ってしまった。
 初音の一言の意味が、初音─リネットが再び次郎衛門と結ばれたことが。

『それで、二人が洞窟に…、か、楓どうしたの?』
『え、私…泣いてる?』
『…ごめんなさいね、楓、あなたにこんな話を聞かせてしまって…。いけない姉さんね。解ったわ、この
事は私一人で解決するから、あなたは…』

 ふるふると髪と涙を振り払いながら私は姉を制した。

『…大丈夫、二人は間違いを起こしたのじゃないよ。二人は出会うべくして出会い、結ばれるべくして結
ばれたのだから…』
『楓?』
『悠久ともいえる時を経て、恋人たちは再び巡り会い結ばれた…ただそれだけのこと』
『何言ってるの、楓? 耕一さんの中には次郎衛門の心が在ると言ったのはあなたじゃ…ま、まさか初音
の中にリネ…』
『………』
『そうなのね? …それでいいのね?』
『いいって!? 仕方ないじゃない! 初音は大切な妹で、大好きな人と結ばれて、二人はずっと昔から
…愛し合っていて!! 私なんかが出る幕なんて…』

 激昂する私を千鶴姉さんは優しく抱きしめた。

『ね、姉さん…』
『楓…、あなたの気持ちは解るわ。あなたの想いの深さは誰よりもよく知っている。私たちはずっと一緒
だったのだから…。でもね、私にはあなたも初音も同じ大切な妹なの、だからお願い…、初音のことを怒
らないで、初音のことで泣かないで、お願い…楓』
『姉さん…、うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、姉さ〜〜〜〜〜ん』

 結局私は泣き続けたけど、その涙を哀しみを…悔しさを、千鶴姉さんが全て受け止めてくれた。


「…姉ちゃ…、…ついね…」
「え、何?」
「暑いね、今日も」
「うん、そうだね」

 空は突き抜けるように蒼く高く、雲は低く数えるほどもない、日はその空の最も高いところにあって、
地に描かれる影は小さく濃い。
 まさに夏真っ盛りだ。
 つうっと耳の横を汗が流れる。
 久しく忘れていた暑さを思い出す。
 私たち姉妹の部屋は南向きでとても日当たりがいい。
 夏は陽こそ差し込まないものの、部屋の外壁を屋根を窓をじっくりと焼き付ける
 冷房をかなり効かしても籠った熱を感じる。
 だから私も勉強が一区切りついたのもあるが、避難の意味もあって居間にやって来た。
 初音がさっきから何だかんだ言って自分の部屋に戻らないのもそのせいだ。
 この部屋は冷房はなくても陽も射さず、風もよく通るので居心地は良い。
 が、真昼から少し過ぎた今ごろは、かなり暑い。
 知らず汗ばんでいたようだ。
 初音が疲れを払うように両手を上げ伸びをする。
 その時ぺりぺりと左手と汗でくっ付いていた紙をはがす。
 汗を吸った紙は波打っていて、心持ち印刷が褪せている。
 何とはなしにその波打ったところを見る。

「…東京ディズニーランド?」
「あっ!」

 三度慌てて初音はその書かれた箇所を隠す。
 …はぁ〜ん、そういうことか。

「東京…ディズニーランド、行きたいの?」
「え、べ、べ、べっつに〜〜!」

 ちょっと意地悪そうに聞くと、初音は目を白黒しながら力一杯否定する。
 クス、本当にわかりやすい子ね、初音って。
 懸賞は東京ディズニーランド二名様御招待…か、ここを見られたくなかったのね。
 初音はバツが悪い顔を隠すように本の方に向き直る。
 私も釣られるように本を見る。
 イラストの方ではなく初音が隠していた応募要項などが書かれている所を見る。
 初音ももう隠そうとはしていなかったが、思えば左手を少し不自然に置いていたなと今更気付く。
 東京、か…。

「あっ!」
「えっ、なに、お姉ちゃん?」
「あ、あ〜〜、あっ! ここ、違わない?」
「え、どこ? あっ、ほんとだ!」

 やったあと諸手を挙げて喜ぶ初音。
 私が指差した箇所は、すでに初音が大きく丸で印を付けていた所で、その線の上の山犬の尻尾の向きが
違っていた。
 解ってみれば簡単な間違いだったが、先に書いた線が邪魔して見落としていたのだ。
 見る角度が違っていたから解ったともいえる。

「ありがとう、お姉ちゃん」
「良かったね」

 初音は庭で風に靡く向日葵のように笑みを咲かせた。
 そのまま傍らの葉書を取ろうとして、ふと気付いたように私の方を窺う。
 …やれやれ。

「ちょっと、出掛けてくるね」
「今から? 外まだ暑いよ」
「うん、約束あるから」
「ふうん。気をつけて行ってね」

 明らかにほっとした表情を見せる初音に、見えないように苦笑を浮かべ自分の部屋に戻る。
 案の定もわっとする部屋へ入り、手早く出掛ける用意をして部屋を出る時、机の上の本を手に取って中
を確認し、そのまま屑かごに捨てた。

「じゃあ、出掛けるね」
「うん、楓お姉ちゃん、今日の暑さは今年一番みたいだから、気をつけてね」

 初音に大きな麦藁帽子を見せて大丈夫と言おうとして、ふと思い出す。

「そう言えば、姉さんたちは?」
「二人ともさっき出掛けたよ、別々に。ここでお茶して休んでたけど」
「ふうん、そう。じゃあ、行ってきます。留守番お願いね」
「うん、わかった、行ってらっしゃい」

 暑い。
 容赦無く照りつける陽射しと、頭の中で谺する蝉の音に思わずたじろぐ。
 このまま家に戻ろうかという思いを頭を振って追い払い、帽子をかぶり直す。
 門の脇に置いてあった自転車はハンドルもサドルも焼けるように熱い。
 乗る気も失せるが、さりとて駅前まで歩いて行くことを考えればと我慢する。
 陽の中へ漕ぎ出してすぐにわっと汗が出たが、風を全身に受けてむしろそれが心地よい。
 陽炎が立つ道には他に誰も出ていなく、私の貸切だ。
 時折帽子を押さえながら軽快に風を切って進む。
 しかし暑い、今年一番というのも嘘じゃない。
 こんな日は家で大人しくしていればいいのに、千鶴姉さんや梓姉さんもどこに行ったんだろうと、自分
のことは置いてそう思ってしまう。
 …初音は今ごろあの横に置いてあった沢山の葉書を書いているのだろうか。
 暑中お見舞いでなく、昨日締め切りの済んだ懸賞の葉書を。
 初音はしっかりしているようで、昔からああいうぽかをよくやる。
 多分あれだけでなく他にも色々な懸賞に手を出していて、ごちゃ混ぜになったのだろう。
 東京行きの懸賞を。

『俺、しばらく隆山には来ないつもりです。初音ちゃんを、いやみんなを守れる男になるまでは』

 そう言って東京に帰っていった耕一さんも耕一さんだけど、忠犬よろしく待っている初音も初音だ。
 会いたいなら会いたいと言えば良い。
 そうしたら千鶴姉さんも梓姉さんも、もちろん私も止めることは無いのに。
 でも言わない。
 周りに気を遣って、我侭を言わずにじっと我慢する。
 だから周りの者が逆に気を遣わなくてはならない、この私のように。
 …手のかかる子。
 昔は手のかからない良い子だったけど、今ごろになって手のかかる子になった。
 良い子すぎるから。
 …フフ、でも懸賞をきっかけに東京に行こうとしていたとは、よほど会いたかったのだろう。
 子供っぽい発想だけど、初音らしい。
 これが初音なりの我侭なのだろう。
 知らず顔がほころび笑みがこぼれる。
 だけど素直に言って欲しかったな、ただ会いたいと。
 もう私は大丈夫だよ、初音。
 こんな風に素直に笑えるようになれたから
 あなたは自分の幸せだけを考えればいいんだからね

 軽快に走る自転車は、商店街の入り口でスピードを落とそうとしたけど、思いのほか人が歩いていない
のでそのままの勢いで横切る。
 自転車を駅前のパトリオット大和の駐輪場に止めると、わっと汗が出る。
 急いで中に入り一息入れてから鶴来屋トラベルのコーナーを探す。
 発送をもって抽選に代えさてもらいます…とさっき確認した。
 今から切符が取れるか解らないけど柏木の名を出せば何とかなるだろう。
 あんまり使いたくは無いけど。
 東京まで二人分、野暮だけどやっぱり初音を一人では怖くて東京には行かせられない。
 大学受験の下見と言うことにすれば構わないだろうって、私受験生だった。
 まあいいか、手のかかる妹がいると勉強も手に付かないし。
 やっと場所を見つけて中に入ると…。

「あれ、姉さんたち、何でここに?」

 …結局、今年の夏休みは姉妹四人そろって東京へ行くことになった。
 いいよね、初音。
 みんなであなたの幸せを見届けたいから。

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 どうも第3接触です。
 徒然なるままに書いていたら、一応期限に間に合ったので投稿します。
 これ3本目ですけど、今月割と少ないからいいですよね?
 あ、このお題は三題話です。
 『間違い』を捻らず間違い探しで話を進めて、『犬』と『昔話』をちらほら出しました。
 それじゃあ余りに捻りがなさ過ぎと男と女の××の『間違い』も出してみました。
 この『間違い』、他の人書いてないみたいですね、何故?