愛で咲く花君色に (痕SSこんぺ委員会 短編部門参加作品) 投稿者:じぎーすたーだすと 投稿日:1月17日(金)01時14分

 きんと冷えた麦茶を一気に飲み干し、
「学園祭に?」
 鸚鵡返しにそう訊いた。グラスの氷がカランと合唱。
「はい。明日、その、一緒に……行きませんか?」
 俺のグラスに麦茶を注ぎながら、伏目がちに楓ちゃんが言う。 

 ヒグラシの声が響く、夕日に焼かれた縁側で。
 暇をつぶす術もなく、ぼうっと呆けていた俺は、珍しく一番手に帰宅した楓ちゃんに突然デートに誘われた。

「駄目、ですか?」
「そんな事はないよ。うん、行こう。行こうよ、学園祭」
 明日と明後日を通して、梓の通う高校で催される学園祭。
 最近の食卓では、その話題が何より美味いおかずのひとつともなっていた。しかし、
「でも、楓ちゃんに誘われるとは思わなかった」
 彼女はいつも聞き手に回り、それほど興味はなさそうに黙々と食事を続けていたのに。
「それは、その、」
「なんだい?」
「……お笑い大会に、行きたくて」
 なんだか恥ずかしそうに、ぼそぼそと言う。
 ああ、なるほど。そういえば、昨日梓がそんな事を口にしていた。
 なんでも飛び入り大歓迎だそうだが、まあ俺には関係のない事だろう。
「はは。いいよ、俺も一緒に行くよ」
「本当ですか? 良かった……」

 見た目に似合わず、楓ちゃんはお笑いが好きだ。曜日ごとに決まった時間になると、彼女は居間のテレビにかじりつく。ときには俺もその隣りに腰を落ち着けたり、それを見た千鶴さんに「そんなにテレビに近づくと、目が悪くなりますよ」なんて事を言われ、ふたりで苦笑を浮かべたりもした。

 そんな俺に、断る理由など有る筈が無く。





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 この街に来て初めて見た気がする人込みを、小さな手を引き、かき分けて進む。彼女が辛くないように、隙間を作り、広げながら。やっとの事で抜け出して、俺は額の汗をぬぐった。
 どうやら、今年の夏は往生際が悪いらしい。せめてもの反抗と窓の向こうでぎらつく太陽を睨んだら、眩い光に目を焼かれた。
「どうしました?」
 心配そうなその声に、目頭を押さえていた俺は無理に目を開けて笑って見せた。
「いや、なんでもないよ。あ、そこ入ってみようか」
 紙の輪っかで飾られた教室を、目線で指して彼女に訊いた。
「はい」
 離れていた手をどちらからともなく絡め合い、歩き出した。




 お前ほんとに高校生かよ、と口が滑りそうになるのを抑え、がっちりと手を握り合った。肘の位置を微調整し、試合開始の合図を待つ。たかが腕相撲とはいえ、これは漢と漢の勝負である。文字通り、手を抜くつもりは――無い。
「レディー……ファイッ!!」
 レフェリーが叫び、凄まじい力が右腕にかかった。じりじりと、俺の右腕が右方向に傾いていく。しかし、俺は慌てない。勝機は一瞬。それを逃しては、ならない。
「耕一さん、がんばって!」
 彼女の声が聞こえた。瞬間、俺は全ての力を右腕に込めた。

 そして――

 どこかで歓声が上がった。それから、拍手。
 勝負は、あっけない幕切れだった。レフェリーの少年が俺の右腕を高々と掲げ、声を張り上げた。
「勝者、挑戦者ーー!!」
 気分はオーバー・ザ・トップのスタローンだ。顔真似をしようとしたが、激しく難しいのでやめた。
 見ると、まばらなギャラリーの中で、楓ちゃんが一生懸命手を叩いてくれていた。俺はそれに会心の笑顔で応えた。


 腕相撲の賞品であるバカみたいにでかいサイズのポップコーンを2人で食べながら、俺達は廊下を歩いていた。
「すごいです、耕一さん。あんなに強そうな人に勝つなんて」
「はは、ありがと。でも、彼も疲れてたんじゃないかな。あれが初戦ってわけでもないだろうし」
 昨日の敵は今日の友。にこやかな濃い笑顔で握手を求めてきたあの少年に、俺は奇妙な親近感を覚えていた。
「それでも、すごいです」




「お、射的やってるよ。行ってみようか」
「はい」
 教室に入り、店員の男子生徒に百円を払った。
 一向に減らないポップコーンを台の上に置き、代わりにおもちゃのライフルを手に取る。
 見たところ、景品の大半はぬいぐるみのようだ。結構簡単に落とせるらしく、ちょうど隣りでやっていた女の子がひとつゲットして満面の笑みを浮かべていた。
「そうだ楓ちゃん、どっちが沢山取れるか勝負しないか?」
「え?……いいですよ。私、これ得意なんです」
「ほほう、望むところだっ」
「ふふ、こちらこそです」
 見えない火花を散らし、俺達は同時に銃を構えた。


「……入りません」
 小さなバッグにぬいぐるみをぎゅうぎゅう詰め込みながら、楓ちゃんがうめいた。
 あれから、俺達は熾烈な死闘を演じ、数々のターゲットを撃ち落とした。周りの呆れ顔なんてお構いなしで、子供みたいにはしゃぎあった。
「勝負は私の勝ちですね」
 チャックを閉めながら、楓ちゃんが言う。
「あれ、そうだっけ?」
「そうですよ。――あ」
 彼女が俺を見た隙に、ぬいぐるみがひとつ、おしくらまんじゅうから逃げ出した。
 俺はそれを拾い上げ、彼女に見せる。
「このぬいぐるみ、なんだか楓ちゃんにそっくりだよ」
 見様によっては微笑んでいる様にも見える、つんとすました白い猫のぬいぐるみ。
「……似てません」
 なんだか拗ねた様にそう言って、俺の手からそれをひったくった。バッグのポケットになっている所に押し込む。顔だけがはみ出して、おすまし顔を俺に向けた。
「そろそろ行きましょう。もうすぐ開演の時間です」
 言って、すたすたと歩き出した。そんな彼女に苦笑して、俺はその背中を追いかけた。




 黒いカーテンで光を遮られた体育館は、薄闇とざわめきに支配されていた。
 俺達は最前列に陣を張り、ポップコーンで腹ごしらえ。開戦まではあとわずか。
「よかったね、いい席取れて」
「はい」
 俺の隣に座った楓ちゃんが頷いて、買って来た缶ジュースの蓋を開けた。
「どうぞ」
「あ、サンキュ」
 俺が受け取ると、彼女は自分の缶も開け、口を付ける。俺も一口。

 ジュースを舌で転がしながら、ふと、もしもここが映画館なら、なんて事を思う。
 そう。最近流行りの恋愛映画を観て、その後はお洒落なレストランで豪華なディナー。甘いワインで頬を染めた彼女に、俺はイヤリングなんかをプレゼントして。
「耕一さん」
 彼女はとても喜んで、そして良いムードになったふたりは――
「あの、耕一さん?」
「――え?……どうかした、楓ちゃん」
 出来すぎた幸せな空想は、彼女の声で霧散した。そちらを向くと、心配そうな瞳が俺を覗き込んでいた。
「耕一さんこそどうしたんですか、ぼうっとして」
「ん、いや、なんでもないよ」
「本当ですか?」
「うん。ほんとに、なんでもないから」
 俺は笑って見せる。
 けれど彼女はうかない顔で、
「……本当、ですか?」
 俯いて、どこか自嘲的な笑みを見せた。
「楓ちゃん?」
 どうしてそんなに悲しそうなんだ? さっきまであんなに楽しそうにしていたのに。
 躊躇いがちに、彼女が口を開く。彼女の言葉に耳をすませた。
「不安だったんです、私」
「え?」
 不安? 何が? どうして?
「……もしかしたら耕一さん、こういうの興味ないんじゃないかって。耕一さん優しいから、本当は嫌なのに、私に合わせてくれているんじゃないかって」
「……」
「変、ですよね。せっかくのデートなのに、こんな所に誘うなんて。でも私、今までいろいろ考えたけど、なかなか良いアイデア思いつかなくて。それで私、梓姉さんにこのイベントの事を聞いて、いてもたってもいられなくて、それで――」
 そう言う彼女はらしくない早口で。俯いたその表情は痛々しいほど淋しげで。
「楓ちゃん……」
 そんな彼女に、俺は、何を言えばいいのだろうか。
 下らない妄想ににやついて、傍にいてくれた彼女を傷付けてしまった俺に、何が出来るのだろうか。
 解らない。解らないけれど、
「そんな事ないよ」
 それだけは言える。
「え……」
「俺は楓ちゃんと一緒にいられて、すごく楽しかった。このお笑い大会だってきっとすごく面白いし、これのおかげで今日ここに来れたんなら、俺はそれに心から感謝するよ」
 自分で言っていて、クサくて堪らないけれど。自分勝手さにヘドが出そうだけど。
「耕一さん……」
「だから、そんな顔しないで。せっかくのデートなんだから、楽しもうよ」
 ただ、その言葉はまぎれもない俺の本心だった。それだけは誓ってもいい。
「はいっ」
 それでも、彼女の笑顔に胸を締め付けられて、俺はジュースを一気に飲み干し、ポップコーンを口いっぱいに頬張った。



 頭を下げ舞台袖に消えて行く少年達に拍手を送り、楓ちゃんを見た。
「いまのコンビはなかなか良かったんじゃない?」
「はい。まだまだ照れが残っているようでしたが、将来有望だと思います」
 小さく拍手を続けながら、そこはかとなく満ち足りた表情を向ける。

 彼らの漫才はまだまだ青臭さの残るものだったけれど、それでも俺の暗い気持ちのいくらかをぬぐい去ってくれた。とりあえず、今は彼女と過ごすこの時間を楽しもうと思う。そうでなければ彼女に申し訳が立たないし、きっと俺は後悔してしまうだろう。自分を責めるのは、独りになってからでいい。

 壇上では、飛び入り参加の若者が一発芸をかまして、それなりの笑いをさそっていた。初めの頃こそ皆躊躇していた様だったが、ひとりの勇気ある目立ちたがりが火を放ってからは、ハイになった幾人もの芸達者が自慢の芸を披露していた。

 楓ちゃんはいつもの様に、表情を大きく変える事なくそれらを見つめていた。それでも彼女が楽しんでくれているのが俺には解ったし、それが嬉しかった。だから、ふと、訊いてみた。
「楓ちゃん、本当にこういうのが好きなんだね。でも、どうしてお笑いがそんなに好きなんだい?」
 それは本当に、なんでもない会話のつもりだった。
「それは……」
 だから、彼女の口から出た言葉に、俺は耳を疑い、目を見開いた。


「――私は、生きている意味が解らなかったからです」


 誰かが何かを叫び、歓声が沸き起こった。

「私はずっと、私には悲しい運命が待ち受けているのだと思っていました。両親が亡くなり、そして、いつかはあなたも私の前からいなくなってしまうのだと思っていました。だから、自分が何のために生きているのか解らなくて、私はただ、訳も解らず生きていました」

 俺は呆然と、彼女の言葉に耳を打たれ、そして心を打たれていた。
 彼女と再開した頃の、あの冷たい瞳が脳裏をよぎる。
 ……彼女は、ずっとそんな悲しみに囚われて生きていたのか。

「でも」
 そこで彼女は俺を見て、そして――微笑んだ。
「叔父さんが言ってくれたんです。いつも暗い顔をした私に、生きる意味をひとつだけ教えてくれました」
「……なんだい、それは」
 俺の親父が? 
 二転三転する思考をとりあえず中断し、かろうじてそう訊いた。
 彼女は遠くを見つめる様にして、言った。
「『笑えばいい。一日一度でも心から笑えれば、それでその日を生きた価値は十分にある』って。そう言ってくれました。そして、『自分が笑えば、周りの人も幸せになれる』とも」
「親父が、そんな事を……」
 俺は、もうこの世界のどこにもいない親父の事を思い出した。俺の記憶の片隅で、またしても勝手に消えて行こうとしていた広い背中を、無理やりに引っ張り出す。そして、思う。まだまだ俺は親父には敵わないな、と。
「そう言って、叔父さんは笑って見せてくれました。私はその笑顔に、とても癒されました。そして、今もあの笑顔は私の宝物です」

 きっと今、彼女の瞳には親父の顔が映っているのだろう。彼女はとても安らいだ表情をしている。
 俺はその顔を見て、ひとつの誓いを胸に刻んだ。いつか彼女の瞳を、親父ではなく俺だけに向けさせてみせる、と。そして、その時こそ俺が親父を越えた事になるのだと、そう思った。

「それで、お笑いを?」
「はい。……バカみたいですよね。でも私、どうすれば上手に笑えるか解らなくて。それで、色々なテレビを観たりラジオを聴いたりしました。そして、次第に芸人さん達に興味を持つようにもなりました。沢山の人を笑わせて幸せにしているなんて、素敵だなって」
「そうなんだ。うん、俺もそう思う。いいよね、ああいうの」
 ちらりと壇上に目線を向けて見せた。
 楓ちゃんは嬉しそうに微笑んで、それから、少しだけ俯いた。
「……でも、私ダメなんです。どんなに面白くても、上手く笑えないんです。私では、周りの人を幸せにしてあげる事なんて、出来ないんです」
「……」
 それは酷く自嘲じみた物言いで。
 俯いた彼女の表情が、さっき俺が染めてしまった淋しげな笑顔と重なって。
 けれど、俺は知っている。
「それは違うよ」
「え?」
「楓ちゃんは確かに『大爆笑!』ってガラじゃないかもしれない。でも、君はいつだって笑っていたよ。俺と一緒にテレビを観ている時も、俺の馬鹿話に付き合ってくれている時も。そして、君の笑顔はいつだって俺を幸せにしてくれた。今日だってそうさ。色んな店をまわって、一緒に遊んで、俺はすごく楽しかった。楓ちゃんはどう? 楽しくなかったかい?」
「そんな事ありません。私もすごく楽しかった」
「だろう? なら、大丈夫さ。君は上手に笑えてるよ。そして、皆を幸せにしてくれてる。俺だけじゃなく、千鶴さんや、梓も初音ちゃんも」
 そうさ。彼女はいつだって笑っていた。不器用だけどとても綺麗な、彼女の色の微笑みで。
「耕一さん」
「ね?」
「……はい」
 楓ちゃんは頷き、そして控え目な、それでも間違いなく満面の笑顔を見せてくれた。
 俺は彼女に頷き返し、立ち上がった。
「耕一さん? 何を――」
 その問いに微笑みだけで答え、歩き出す。
 ここで立ち止まっているようじゃ、一生親父を越えられない。そんな気がするから。
 だから、俺は振り向かず、足を踏み出す。彼女のために。俺のために。出来る事が、見つかったから。
 ……いや、違う。出来る事なんて、最初からそこにあったんだ。



 壇上から見る客席は以外に暗くて、人影が薄ぼんやりと見える程度にしか見えなかった。そのおかげか、それほど緊張しないでいられた。
 俺は、最前列で俺を見上げる彼女だけを見た。どこかから拍手やら口笛やらが聞こえたが、気にしない。
 小さな口を開けてぽかんと俺を見ている彼女に、微笑んで見せる。それから、ゆっくりと観客席を見渡した。
 不意に、場内がしんとなった。闇の向こうから、期待と好奇の入り混じった目を俺へと向けて来る。
 俺は、少し怯んだ。
 だが、ここまで来て引き返す事など出来ない。
 ともすれば挫けてしまいそうな心を、彼女の笑顔を思い浮かべて奮い立たせる。

 そうだ。笑わせる。彼女を、他の誰でもない俺が、心から笑わせてあげるんだ。

 息を、肺一杯に吸い込む。マイクを掴み、引き寄せる。
 そして、叫ぶ。腹の底から、心の底から。ただ純粋に、俺の想いを。


「楓―――――――――――!!!! 好きだ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!」











 カラスの鳴き声と夕焼けに染まる街を、小さな背中を追いながら黙々と歩く。俺が足を速めると、彼女はそれを気配で察知しているのか、振り向きもせず小走りになって俺との距離を保とうとする。
 ……やりすぎたかな。
 味気ないポップコーンを頬張りながら、そんな事を思う。

 あの魂のシャウトの後、いくらかの笑いと拍手が館内に広がり始めた時。
 しばらく呆気に取られていた楓ちゃんは、突然立ち上がり、それから早足で外へと出て行ってしまった。
 そして、俺は彼女を追いかけ、とうとう家まであと半分という所まで来てしまった。

 このままではいけない。俺のせいで彼女が怒っているのなら、傷ついているのなら、俺はすぐにでも謝らなければ。
 俺はそう思い立ち、彼女に逃げられないように、ロケットスタートで距離を縮めた。彼女も走り出すが、わずかに遅い。俺は小さな肩を掴み、こちらを向かせた。

 瞬間。俺は凍りつき、彼女はするりと俺の手を抜けた。
 それから、俺を見た。

 楓ちゃんは、なんていうか、真っ赤だった。顔を夕焼けよりも赤くして、拗ねた猫みたいに上目遣いで俺を睨んでいた。
 
「か、楓……ちゃん?」
 俺が唖然として訊くと、彼女は恥ずかしそうに俯いて、
「って、うわっ!?」
 持っていたバッグを俺に向けて振り上げた。俺の手にあたり、衝撃でポップコーンが本日二度目のはじけっぷりを見せ付けてくれた。
 そこら中にばら撒かれたそれらに俺が気を取られていると、彼女が背を向けて逃げ出した。
 俺は追いかけようとしたが、不意に足が何かに当たって、たたらを踏んで立ち止まってしまった。

 見ると、彼女も少し先で佇んでいた。
 俺は微かに安堵し、足を踏み出そうとした。
 その時、彼女はくるっとこちらを振り向いて、俺はまたしても立ち止まる。

 そして、彼女は夕日を背に、バッグを両手で抱きしめて――


「私も、す、好きですからっ!」


 ――身を折りながら、叫んだ。


「……へ?」
 俺は、固まっていた。
 俯いて前髪で表情を隠した彼女に、目を釘付けにされながら固まっていた。
 思考も固まっていて、表情も――きっとマヌケな顔で――固まっていた。

 彼女が顔を上げた。俺を真っ直ぐに見つめてきた。
 彼女の顔は、ますます赤くなっていた。夕焼けなんてもんじゃなく、バラみたいに真っ赤だった。
 そして俺の顔を見て、彼女は――――

 笑った。

 ぽかんと呆ける俺を見て、彼女は『してやったり』と笑っていた。
 いたずらっ子のような無邪気な笑顔を、俺に『どうだ』と見せ付けていた。
 それから髪を舞い上げて、脱兎の如く駆け出した。
 俺はただ立ち尽くし、夕日に消えて行く彼女の背中を見ている事しか、出来なかった。


 彼女の姿が消えてから、俺はゆっくり足元に視線を落とした。俺の足を止めたものの正体を知るために。
 ポップコーンの海の中、彼女によく似た白い猫のぬいぐるみが、俺に向かってつんとすました微笑みを浮かべていた。
 それを見て、彼女の咲かせた真っ赤な笑顔が脳裏に浮かび、俺も結局真っ赤になるのだった。