笑って欲しい。 彼女が鞄を探った後、コンドームの袋が一つ、絨毯の上に落ちた。 「あ」 彼女は苦笑いをしてから、その白い包みを拾い、指で端を摘んで私の方へ軽く、ハンドベルのように振って見せた。 「彼氏、大きくて」 通常よりも大きいサイズのものらしい。 見慣れないから、良く分からない。 「下品」 咎めるつもりは全くなかった。 ただ、彼女がいつのまにか、そういう相手を作った事、その相手と上手く行っているらしい事、それからそういう事を人前で臆面もなく話せるようになった事に、私は少し心苦しくなった。 「許せ」 楓が彼女のコンドームを、彼女のグッチにしまう。 「それ、お下がり?」 興味があるのに、つい話を逸らしてしまう。 「んーん、買った。自分でお金出して」 楓が鞄から出したものを私に渡す。 私は礼の言葉を口にしながら小さな日本酒の瓶を胸に抱く。 四万に行っていたお土産のようだ。 「かおりんに会うのも超久しぶりですね」 「ですな」 年単位で会っていなかった気がする。 詳しく日数を数える程には親しくなかったはずだった。 「いきなり電話してくんだもん、びっくりしたよ」 彼女が私の家に来たのは、初めてだった。 私が楓の部屋に入ったのは、一度だけだ。 「悪いね」 「群馬、携帯、通じるんだもんなぁ」 「取り込み中だった?」 「訊かないで」 確かに重苦しい息を吐きながら彼女は電話に出たけれど、そういう意味で訊いたのではない。 目を逸らして口を尖らす彼女に、少し安心する。 彼女の元来の性格は、そういう仕草の似合う、どうしようもない位の根暗だった。 人が寄り付くのを嫌うような所があったけど……根暗が変わらないのは私だけかな。 「群馬って部落差別あるのね」 「そうなんだ」 「ポスター駅に貼ってあってびっくりしちゃったよ。関東ってそういうのないもんだと思ってたし」 可愛らしいクマの大きなプリントを恥じながら、私はクッションを楓に渡す。 貰った酒をコップに注いで、二人で向き合って呑む。 肴はケーキだった。 どんな人? と、訊いてみて、耕一ではない事は分かった。 安心の後で、寂しさが来る。 前に会った時には、まだ、楓は耕一を好きなままだった。 やっぱり、耕一の結婚が転機になったんだろうか。 「結婚が終着駅とは思わないけど……」 ありがちな答えを楓は返してくる。 音楽に合わせて鳴らしていた指を止めて、両手でコップを包む。 「不幸な恋なんて追っ掛けてても仕方ないし」 その自嘲にはもう自虐さえないから、ありがちな事を訊く事が出来た。 「……幸せ?」 「思った程には」 そこで途切れた。 酒を呑む。 思った程には幸せではないのか、思った程には不幸ではないのか、分からなくなる。 以前の彼女が言ったのだとしたら、多分、不幸ではない方だろうと思う。 「なんか、ドラマみたいな会話してんよねー」 下を向いて彼女は肩を竦める。 「ありがちで」 スピーカーを背にした私がその表情に応えると、彼女は溜息をついた。 「ありがちにならざるを得ないって、社会に出ると」 彼女にしては随分と大袈裟な抑揚のつけ方だった。 それで漸く普通の人レベルになるけれど、ハイになっている時の私には及ばない。 「そう?」 「自分を標準に合わせていかないと色々言われるもん」 彼氏作ったのも、その為なのかな。 私はコップを傾ける。 一口、胃の中へ酒を入れてから訊いた。 「楓はしないの?」 「ん? 結婚?」 「初音ちゃんもするんでしょ?」 「あら、良く知ってんね」 「まぁね」 私は目を細めて肩を竦めてみせる。 「あぁ、姉さんか……」 私のその仕草で楓は眉を寄せる。 突然に彼女が声を大きくして私を真っ直ぐに見る。 「昔から訊きたかったんだけどさ」 吊り目の瞳が夜の猫のように輝いている。 「なに?」 「やっぱ……してんの?」 「なにをよ?」 私は照れた苦笑いをしてみせる。 「えっと、エッチ」 そんな話をするだけ気を許してくれていると見るべきなのかもしれない。 下ネタの話しが出来るだけ、世慣れしただけかもしれないけれど。 「そりゃ、まぁ……」 「そうか」 一息入れる代わりに酒を入れる。 楓も同じようにコップを傾けた。 「そうか」 コップを離して、上気した頬でまっすぐ私を見詰めてニヤニヤと笑い出す。 「なんだよ」 「いや、私、女とした事ないから」 「誘ってるわけ?」 「どーせ、かおりんは梓姉さん一途でしょ?」 「あ、うん」 つい即答してしまう。 彼女はケーキにフォークを入れる。 私が自分で焼いたケーキで、アップサイドダウンケーキと言う。 最後にひっくりかえして、底のフルーツが表になる。 今日はパインとアップルとみかんを使った。 口にフォークを咥えたままでうんうん唸るように相槌を打ち、一口ぶん欠けた皿の上のケーキをじっと見ながら、楓は私の説明を聞いた。 その一口を飲み込んでから楓が言う 「意外ではないけど、かおりん、料理上手いんだ」 顔の前で片手を振った。 「いや、趣味だから」 「いいね、あ、なるほど」 「なに?」 「それで梓姉さんと気が合うんだ」 「そうかなぁ?」 「そうだろうよ」 そしてやっぱり、昔もこうやって呑んだねぇ、と言う話しになる。 しばらく、楓の部屋で二人で呑んだ時の思い出話に花を咲かす。 千鶴さんが入って来て楓と映画の論争になったとか、論争の途中で耕一から電話掛かってきて急に声色を変えた千鶴さんとか、三人でぐでんぐでんになるまで呑んだくれて後で入ってきた梓先輩に呆れられたとか。 あれからもう、両手の指で数えて精一杯なぐらいの年月が経った。 明日、会社だし。 一応、洋酒と日本酒、別に用意していたのに。 空の食器と空の酒瓶をシンクに持って行く。 どういう訳だろう。 学者を目指していた筈の楓は、とっとと就職して社会人デビュー。 私は未だに大学に残っていて、何かと色々言われ続けている。 楓と私は同い年だ。 せめて……いい加減、この家出て行けば、少しは体裁も整うかな。 ここのところ良く思い浮かぶ事を、また思うと、蛇口が冷水を流して行く音が耳に触った。 「若いうちにもっと笑っとくんだったなぁ」 楓の酔った笑い声が水音をかき消してくれる。 「なんか今はもう、酒入んないと笑えないっつーか」 笑って欲しい。 例えば、特定の地域出身というだけでもう、人と認められない事だってあるんだ。 この歳で働いていなくて、男に興味が無くて、少女趣味な所があって、人生既に守りに入っていて、どうしていいか分からなくて、それから…… ロシアのアニメのラストシーンみたいに、揺り篭を揺らしながら溜息をつきたい。 ケーキの型を棚の一番上の扉の奥にしまう。 そう言えば、 切った瞬間にブロークンハートになるからハート型は良くない、と誰か言ってたという話しをするのを忘れた。 歳を取れば取るだけ、何かひとつでも、しっかりしていくものが出来るものでもないらしくて、遅かれ早かれ、全ての事は、ばらばらになっていく事ぐらいしか、毎日には確かなものがない。 話し忘れた事は、もう一つある。 言ってしまったら、場が白けてたかもしれない。 それぐらいの配慮が出来るほどには、私も……摩れた。 頑張ってね、と力強く笑って、楓は、帰って行ったのだ。 いつかはバレる事だけど…… そうだなぁ。 扉を閉めた戸棚の前で笑ってみる。 誰もいないのは分かっているから、口に出して言ってみた。 「10年も続けられたのだから、私は幸せだったのかもね」 ------------------------- お題 妖怪 子供 暫らくぶりです〜 超久々に(スミマセン)覗いて見たので、現実逃避がてら書いちゃいました…… 最近はスガシカオばっかり聴いているので、タイトルはそれです(SMAPでも可)。 最近書くものがやたら自虐気味。(笑)http://www.ax.sakura.ne.jp/~nayurin/index.html