涙雨・なきさめ 投稿者:仮面慎太郎 投稿日:6月23日(金)00時20分
 暗く、そして重い空。悲鳴をあげながら荒れ狂う風。その身を軋ませ、苦痛の
うめき声をあげ続ける木々。流れに逆らい波紋を広げる水面。ふと、波紋が飛沫
となって霧散するのをみた娘は、まるで自分達の運命を垣間見たかのように、そ
の美しい顔を曇らせた。
 その娘は一人の男の身を案じていた。娘は、その男の事を深く愛していた。自
分の全てをなげうって男を愛した。男もまた、自分の全てを捨て去って娘を愛し
た。男は、狩りに出かけていた。いや、知り合いの住職の所に食料を貰いに行っ
ているのかも知れない。どちらにしろ・・・
 「早く・・・ 帰ってきて・・・」
 娘は、誰にとも無く呟いた。何か嫌な予感がする。風が一陣、娘の髪を鋭く裂
く。風が静まり、娘の髪はたおやかにその身を静めた。
 「次郎衛門・・・」
 娘が男の名を呼ぶ。答えはない。ただ、風と木々のざわめきのみが、耳に届く。
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 小さな山間の小屋。薄明かりの中で、エディフェルは次郎衛門の腕の中にいた。
冷たい風が頬に当たるのを感じ、エディフェルは目を覚ました。まだ夜は明けて
ないのだろう。囲炉裏の中の薪は、一つ所にその身を寄せ、最後の輝きを放って
いた。まだ覚めぬ眼(まなこ)をこすりながら、エディフェルはまるで自分達の
ようだと哀しい顔をした。
 顔を上げ、次郎衛門の寝顔を見つめる。トクトクと力強く脈打っている、次郎
衛門の心の臓。全ての物から守ってくれる、次郎衛門の大きな腕。温かみ。優し
さ。エディフェルは思った。私はこの人といつまでも一緒にいたい。この腕の中
で覚えた安らぎを、いつまでもなくしたくない。離れたくない。いつまでも側に
いたい。泣いていた。声を殺し、すすり泣いていた。その願いが叶う事はないと、
何よりわかっているのが彼女自身だから。震える視界の中、もう一度次郎衛門を
見た。凛々しい寝顔。また涙が溢れてきた。どうしようもない事。どうしようも
出来ない事。

 パキッ・・・

 薪が音を立てて崩れ落ちる。
 (離れたくない・・・ ずっと、一緒にいたい・・・)
 「・・・泣いているのか、エディフェル」
 いつの間に起きたのか、次郎衛門がエディフェルの顔を覗き込む。涙に濡れた
その顔を見て、次郎衛門はエディフェルの肩を抱き、その身を起こした。
 「何が哀しいのだ?」
 灯りの消えた薄闇の中で、次郎衛門は優しく尋ねる。
 「・・・ ・・・ ・・・」
 胸が痛い。また涙が溢れる。雫がこぼれ落ちる。
 「エディフェル?」
 「・・・ 火が・・・」
 エディフェルは涙を飲み込み、震えながら笑顔を作った。愛する次郎衛門の為
に。愛する次郎衛門の為に・・・
 「火が・・・ 消えたの・・・」
 笑顔が崩れる。泣き顔を見せまいと、次郎衛門の胸に顔を埋める。次の瞬間、
エディフェルは力強く次郎衛門に抱きしめられた。

 長い・・・ 長い・・・ 抱擁・・・
 またこぼれる涙・・・

 次郎衛門は、エディフェルが泣き止むまでその手を離さなかった。
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 暗く、そして重い空。悲鳴をあげながら荒れ狂う風。その身を軋ませ、苦痛の
うめき声をあげ続ける木々。流れに逆らい波紋を広げる水面。そして・・・

 そして、血塗れの娘・・・

 「エディフェル!! エディフェル!! 」
 「・・・ を・・・ リズエルを・・・ 許してあげて」


 空は暗く・・・ 風は重く・・・


 「俺は忘れないぞ!! またいつか・・・」
 (ジローエモン・・・)
 「!! ・・・ ・・・ ・・・!!」
 (聞こえない・・・)
 「・・・! ・・・ ・・・!!」
 (見えない・・・)
 「・・・! ・ ・ ・! ・  ・  ・」

 娘は手を上げ、闇の中で男の顔を探した・・・
 男はその手を硬くにぎり、片手で娘を抱きしめた。そして・・・

 
 空は重く・・・ 風はやみ・・・ そして・・・



 ポツン・・・


                   ポツン・・・

   ポツン・・・      ポツン・・・

      ポツン・・・                ポツン・・・
 ポツン・・・      ポツン・・・ ポツン・・・


 娘の頬を暖かな雫が濡らした・・・

                             完