来年から来世にかけて
「というわけで、耕一、お願いできないかな?」
「気持ちわりい猫なで声するから、なにかと思えば・・・」
「耕一にしか頼めないんだよ、こんなこと」
「そりゃあ、お前に他に兄弟がいるなんて聞いたことないしな、そうだろうが・・・何で俺がお前の学校の文化祭の助っ人しなきゃならんのだ」
それを言われると、梓も辛いものがある。
事の起こりは、そう、極端レズ三段、日吉かおりのせいである。
かおりは、レズの噂はあるものの、女の子に対しての態度は柔らかいし、話も面白い。男のことを無茶苦茶に扱う、言ってみれば毛虫糞味噌(失礼)扱いだが、その分女の子にはやさしいのだ。
だから、梓もなかなか追い払い辛い。しかし、二人きりになるとかおりの巧みな話術にのってついつい気を許してしまいそうなのだ。
そんなわけでいつもいつもかおりから逃げるのに四苦八苦しているのだが、それを同じクラスの演劇部部長、園見に救われたのだ。
女の子で唯一と言ってもいい、かおりの苦手とする人物であり、悪人というよりは変人、理論的な展開と、それを根底から揺るがす意味不明な理由付けで、学校最強と名高い人物だ。
あんまりお近づきになりたくない人物ではあったが、かおりの追撃を何故か撃退してくれたのだ。
当然、梓は喜んだのだが・・・
「柏木さん・・・やっぱり、綺麗よねえ」
「ということは、新しい女に追っかけられてるんだな。さすが色男は違うなあ」
「違うっ!」
ドスッ
「ぐはっ! お、おい、梓、鳩尾にトーキックは反則だぞ・・・」
鳩尾を足の親指の先で突き蹴られた耕一の死骸を踏んづけながら、梓は怒鳴る。
「いっとくけど、あたしは九死に一生を得たんだぞ。命の恩人が頼むんだから、仕方ないだろ」
「つまり、童貞をささげたんだな」
ミシミシッ
「いでででででっ!」
耕一の頭蓋骨がなかなか面白い音をたてているが、梓はそれどころではないのだ。
「男手が欲しいって言うから、耕一を紹介するんじゃないか。あたしの顔をつぶす気?」
「いるだろ、鏡見ればいつもいる男手が…」
ミシミシミシッ
「いぎゃあああああ!」
「このまま頭蓋骨を踏み割られて死ぬのと、あたしを手伝うの。どっちがいい?」
「どっかであったようなこの展開…」
耕一は、名誉より命を取った。当然である。
「しかし、いいのか? 学校に全然関係ない部外者が、部活の出し物とか手伝って」
「うちの学校はちょっとかわってるからねえ」
総出演料が5000円未満ならば、プロアマ問わずに助っ人を一人雇うことができる。無茶苦茶な設定だ。
だが、これも文化祭を盛り上げようという色々な試行錯誤の末にできた条例だ。実際、文化部はその条例を毎年可能な限り活用している。
「で、その助っ人が、何でまた俺なんだ?」
「それは…他に男の知り合いなんて思いつかなかったから」
「あたしの身内?」
「そう、柏木さんは…お兄さんいる?」
「いないよ。あたしんちは全員女だよ。まあ、今は役立たずが一人いるけど」
「役立たず?」
きらりん、と園見のメガネが光る。
「その役立たずというのは、どなた?」
「あたしの従兄だよ。暇人でね、今うちに来てるよ」
「ふーん…ときに、その人の写真見せてくれない?」
「へ?」
「写真よ、写真。まさか今の時代に似顔絵を描いてくれなんて言わないわよ」
何をするんだ、と思いながらも、梓は生徒手帳から耕一の写真を取り出す。
「ほい、こいつだよ」
梓から受け取った写真を、まじまじと
「…ふーん、予想通りね。柏木さんの従兄というなら、間違いないとは思ったけど」
「何よ、その含みのある言い方は」
園見が悪人とは思わないが、変人なので付き合うと疲れる。
「はい、ありがとう、柏木さん。かっこいい従兄の人ね」
「そ、そうかな?」
梓は自分がほめられたわけでもないのに、少し照れる。
「じゃあ、ありがと。助かったよ」
「いえいえ、困ったときはお互い様よ」
えらく含みのある口調で言われ、梓は首をかしげたが、元来梓は竹を割ったような性格なので、そこまで気にしなかった。
「それから、柏木さん、ちょっといいかしら?」
「ん、まだ何かあるのかい?」
「ええ、私も実は困っていて…それで、話というのは…かっこいい人ね、その従兄の人」
「何、園見、こいつに興味あるの?」
「まあ、あると言えばあるわよ」
まさか、自分に耕一を紹介してくれ、とでも言うつもりなのかと思って、梓は身構えた。別になぐりかかるわけでもないが、心構えというやつだ。
「柏木さんが、肌身離さずその人の写真を持ってるのと比べれば、負けるけれどね」
「はあ?」
少し梓は園見の心意がつかみかねた。もとより遠まわしな言い方を好むので、梓には理解不能なこともあるが、今回はそれの中でも飛びぬけて何が言いたいのかわからない。
「ふふ、生徒手帳の中に写真だなんて…柏木さん、古風なのね」
その言葉で、梓はやっと自分の失態に気付いた。十分に時すでに遅しというやつではあるが。
断れよう訳がない。園見は、こんなことを言いふらすような性格ではないが、あくまで、好き好んでしないというだけで、目的のためなら平気でする人間だ。
「とにかく、頼むよ。どうせ暇なんだろ?」
「そりゃあ、これと言ってやることはないが…」
暇な大学生の耕一はともかく、千鶴さんはいつも忙しいし、梓、楓、初音は学生だ。もう学校は始まっている。
「それで、報酬は?」
だが、耕一にはそこまで苦労して梓を助けてやる義理はない。これが他の姉妹の誰かならば、きっと二つ返事だったろうが。
「…知らないよ、とりあえず、つれてくるだけつれて来いって園見に言われてるだ。報酬の交渉は園見にしてくれ」
梓だって、あの弱みさえ握られていなかったら、こんなことする気はなかったのだ。それこそ、自分に言われても困るだけだ。
「梓姉さん、無責任です」
ぼそっと、楓がきついことを言ってくる。
最近の楓はかなり手厳しい。言い合いをするのが梓と耕一で、ついでに耕一の味方に絶対につくのだから、これは仕方のないことかもしれないが。
さすが、前世では一族を裏切ってでも一緒になろうとしたほどのベタ惚れ様だ。今更姉妹の一人や二人、敵にまわすのも怖くはないのだろう。
「て言われても、あたしだって困ってるんだよ」
梓には、前世の記憶はあまりない。それが、最近ちょっとだけ腹立たしくもある。
「まあまあ、お姉ちゃん達も落ち着いて。助けてもらったんだから、恩返しするのは当然だよ。お兄ちゃんも、梓お姉ちゃんの助けになってあげてくれないかな?」
「うう、初音、あたしの味方はあんただけだよ」
ひしっと梓は末の妹を抱きしめる。
しかし、初音も前世の記憶を持っている。前世では、耕一と初音は夫婦だったらしい。それはまあ、夢か幻かわからない話なので、くやしい気もするが許せる。
「うーん、初音ちゃんにそう頼まれると断れないなあ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「…ありがと」
不平不満は沢山あるものの、初音にひじでつつかれ、梓は仕方なく礼を言うが、まったく言う必要がない理不尽さを感じる。
今ここに千鶴はいないが、千鶴がお願いしても、結果は同じだったろう。
四姉妹の中で自分だけが唯一特別扱いされていないのが、梓にはものすごく癪であった。
「あなたが、柏木耕一さんですね」
「は、はあ、そうですけど」
およそ学生らしくない口調、言い回し、そして何を考えているのか読ませないポーカーフェイス、園見を見た耕一の印象は「変人」だった。とりあえず耕一の人を見る目は一般からそう大きく外れていないということだ。
「初めまして、園見達子といいます。以後お見知りおきを」
「はあ」
耕一は生返事をした。実におかしな子である。かおりちゃんといい、もしかしたら梓のまわりにはこういう人間しかいないのかと邪推してみたりしたくなる。
今日は土曜日、いつもは学校は休みだが、文化祭が近いこともあって、文化部はほとんどが出てきている。体育系はだいたい売店をするので、あまり前準備はいらないのだ。
で、ここは演劇部の部室、30人ばかり、全員女の子ばかりが集まっている。よく文化部は性別が片方に偏るらしいが、この演劇部はその見本のような所のようだ。
「ねえねえ、ほんと」
「まあ、柏木先輩の従兄って話だから…」
「さすが部長、うまくしたもんよね」
ぼそぼそと部員達の会話が聞こえてくるが、とりあえず耕一は無視することにした。あまり自分がこの場にそぐわないことぐらい、重々承知だ。
「で、ええと…」
「あ、どう呼んでくれてもかまいません。個人的には達子ちゃんなどがいいかと」
「え、ああと、じゃあ、園見ちゃんでいいかな?」
「はい、かまいませんよ。苗字にちゃんというのは少しおかしい気もしますが」
「…」
どう反応していいのか図りかねている耕一を見て、梓は耳打ちする。
「こういうやつなのよ、あんまり深く考えない方がいいわよ」
深く考えないで、梓は罠に、というか墓穴を掘ったのだが、それは棚上げだ。
「それで、柏木さんから本題は聞いていると思いますが、私達の演劇部の演劇に、主役の一人として出て欲しいのです」
「…主役?」
「はい、今回の劇にはどうしても男の方が必要なのですが、あいにくうちの演劇部には男子部員はいないもので」
「いや、そういうことじゃなくて…部外者の俺が、主役なんてしてもいいのかな、と」
「はい、かまいませんよ。それに、もう一人の主役は、柏木さんにやっていただく予定ですので」
「ほえ?」
梓は、がらにもなく間抜けな声をあげた。
「ええと…ちょっと、待って。そんな約束した覚えは…」
というか、耕一、つまり男手が必要なのも、女子生徒しか部員がいないので、大荷物を持つのに必要なのだろう、と思っていたのだ。
というか、自分が主役をやるとなど、一度も聞いた記憶がない。言っては何だが、梓は演技が下手だ。性格がまっすぐにできているせいで、嘘もつくのもへたくそで、ついでに、実はけっこうあがり症だったりもする。
「あたしには無理だよ、主役なんて」
むしろ、脇役でもごめんこうむりたい。
「あら、柏木さんには話を通したつもりだったんだけれど?」
穏やかに園見はそう言ったが、腹のうちは嫌というほど見えていた。言うことを聞かないなら、ばらす。間違いなく目はそう言っている。
「そ、そうだったかも…」
こんなに押しの弱い自分はかおりの前以外ではない。やはり、かおりが逃げる人物だ、一筋縄ではいかない。
「でも、俺が主役の一人ってのはちょっと…なあ?」
梓に話をふられても困る。というか、残念ながら、梓はここでは弱い。耕一を助けることなど、できようわけがない。
耕一が主役をできるとかできないとか、そういう部分で論じれるほど、梓に権限はないだ。
「もちろん、報酬は出しますよ。いくら今は大学生の方は学校がお休みとは言え、違う学校まで来て色々やってもらうんです。それなりのものを用意しますよ」
それなりのもの、と言われても、5000円以下というのはすでに梓から聞いている。確かに耕一は貧乏学生だが、5000円以下でどうこうなるほど貧乏はしていない。
だが、興味の方はある。まさかそのまま5000円を渡してくるわけはあるまいし、どんな手でいくのか知りたいところだ。
「…ちなみに、報酬って何だい?」
「まず、5000円を耕一さん、でよろしいですよね? 耕一さんに支払います」
本当に普通に5000円支払われても…と思っていたのだが、その表情を見て、園見のメガネがキラリンと光る。
「しかる後に、この中で誰か一人とそのお金でデートしてもらいます」
「…はあ?」
「全員に許可は取ってあります。二人同時、という無茶をしない限り、基本的にはOKをもらえると思いますよ。ねえ、みんな?」
『はーい』
部室にいた女の子全員が手をあげる。もちろんレベルはまちまちではあるが、間違いなくかわいい子は中にいる。
「もちろん、私でもかまいませんよ」
そう言って、園見はニコリと微笑みかける。さっきとはうってかわって、かわいい笑顔だ。
耕一の鼻がのびるのびる。天狗も真っ青に伸びている。ただし下なところがいただけないが。当然、梓は面白くない。
「ええと、それじゃあ、ご期待にそれるかどうかわかりませんガッ!」
耕一のあごを、梓のアッパーが見事に捉えた。舌を噛み切っているように見えるが、鬼の耕一なら死ぬことはなかろう。
「それでは、お願いしますね、二人とも」
『おねがいしま〜す』
こうして、二人は一時的に演劇部の助っ人となったのだった。
「まあ、梓と耕一さんが主役の劇ですか?」
それを聞いて、千鶴は嬉しそうに笑った。
「ぜひ見に行きますね」
「もちろん、私達も行きます」
「うん、がんばってね、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
姉妹達の応援に、耕一も梓も苦笑している。
梓はおどしで、耕一は色香に惑わされた結果受けることになったのだが…
「どうしたの、二人とも?」
顔色のさえないというか、ひどく苦笑している二人に、千鶴は気になって訊ねてみた。
「それが…耕一、説明してよ」
「…その劇、何をモチーフにしているか、わかります?」
「いえ、劇の内容までは聞いていませんけど、もしかして、お子様には見せれないような…」
「ち、違いますよ」
「ち、千鶴お姉ちゃん、何でわたしの方見ながら言うの」
さすがにあからさまな態度に初音が不平を言うが、当然そういう問題ではない。というかそういう内容ならば、耕一はうはうはで、ついでに確実に梓にボコられているはずだ。
「それが、今回の劇、題材に使ったのが、雨月山の鬼の伝説なんです」
「それは…」
千鶴も、さすがに苦笑した。
苦笑しようというものだ。あの話が嘘ではない、少なくともこの四姉妹と、耕一には夢物語ではないことを知っており、さらに言えば、5人はその中心人物だったのだから。
「もちろん、話はかなり変えてあるようですよ。というか、むしろ女の子が好きそうな話というか…」
簡単に話すと、鬼を退治した次郎衛門と、その鬼との友情劇、というにはちょっと怪しげな雰囲気がただよっている、そんな感じだ。
「で、俺が次郎衛門役なんだけど」
「本人なのに、おかしな話ですね」
楓がくすっと小さく笑う。この中で一番前世の記憶を残している楓だ。次郎衛門と耕一は楓の中では同一人物なのだ。
「きっと似合いますよ、耕一さんの鎧姿は」
ほう、と楓は思い出すように言った。楓にしてみれば、それは昔の話であり、想像の中のものではないのだ。その態度に、梓は少しむっとしたが、他の姉妹の手前我慢した。
「でも、ということは、鬼役は…」
千鶴の気付いてはいけない発言に、全員、梓の方を見る。
「梓、いいご身分ね」
千鶴はちょっとくやしそうだ。初音もうらやましそうな顔をしているが、楓にいたっては梓を睨んでいる。
しかし、梓にとっては残念ながら、この役はそういう問題ではないのだ。
「ふん、どうせあたしは男のように見えるよ。どうせ鬼のようにがさつな女だよ」
「あ、梓お姉ちゃん、男役なんだ?」
初音は、今の耕一の話では、それがどういう話かわからなかったようだ。
「初音ちゃん、宝塚とか知ってる?」
「うん、知ってるよ。ああ、それでお姉ちゃん男の人の役なんだね。でも、お兄ちゃんも男の人の役だから…」
初音は首をかしげているようだが、千鶴と楓はそれがどういう劇なのか、理解したようだ。
「確か、女の子ばっかりの演劇部なのよね」
「はい…」
「耕一さん、がんばってください」
まだ梓が相手だからいいものの、男の耕一には気持ちのいいものではない。梓がかおりから逃げる気持ちが、少しは理解できた気がした。今度からは助けることにしよう、そう心に誓ったりする。
「でも、真実と違います。私が抗議してきましょうか?」
「作り話だし、それぐらいは大目に見たら、楓」
「いいえ、ここは譲れません」
楓にしてみれば、つまり恋人役は自分でなくてはいけないのだ。いかに話が全然違って、相手も男ということになっていても、許せないものがあるのだろう。
そこらの考えは、梓とまったく正反対だ。
自分が美味しい役だったのだから、当たり前と言えば当たり前の気もするが、かやの外の梓にとってみれば、どうでもいい話なのだ。
耕一は、どう思っているのかは梓にはわからないが、終始苦笑だった。
劇の練習は、順調に進んでいた。
梓は、器用な方ではなかったが、男の役なので、別にいつもの自分とそんなに違う行動を取る必要もなく、せいぜい口調を変える程度だ。
一方、耕一も、そんなに苦労はしていない。何せ、前世の記憶があるのだ。口調などはどうとでもなるのだ。
しかし、順調に行っているにも関わらず、梓は非常に不機嫌だった。
「どうかしたの、柏木さん?」
「う、ううん、別に何でもないけど」
「そうかしら?」
また含みのある言い方で、園見は心配しているのか、自分をおちょくろうとしているのか、判断つかない。
いや、一応心配しているのだろう。梓が耕一に手が出るように、この子はこういう言い方しかできないだけだ。一緒に練習をしていて、何となくわかるようになった。
「練習は順調よ。耕一さんも、柏木さんも、さすがね。当然顔がいいからスカウトしたのだし、柏木さんの運動神経がいいのは知っていたけど、耕一さんもそれ以上ね。大学ではかなりもてるんじゃないかしら?」
たまに、耕一を狙うようなそぶりをしてみせるのも、相手に警戒させるための癖だ。
この園見という子は、相手を警戒させ、緊張させることにより自分を勝たせるのだ。あまりまっとうな方法ではないだろうが、それが性格なのだから仕方ない。
梓は竹を割ったような性格なので、裏表なく相手を見れたから気付いただけの話だ。
「でも、ラストが近くなるほど、柏木さんは不機嫌になるわ」
「…ラストのシーン」
「何?」
梓は、耕一が他の女子部員と話をしているのを確認して、耕一に聞こえないように行った。鬼の耳なら十分聞こえる距離だが、所詮女の子達との会話に熱中している今は聞こえても意識に残せないだろう。
何か腹立つ、近くで怒鳴ってやりたい気持ちを抑えながら、梓は言葉を続けた。
「ラストのシーン」
「二人は相打ちになって、そして現代、二人は街中ですれ違い、ふいに振り返って、言葉もなく抱きしめる」
かなり省略してあるが、そういう筋書きだ。
「いいできだと思うわよ、我ながら」
「あたしは…嫌い」
「そう?」
少し訊ねるような口調が印象的な答え方だ。その理由を言わせたいのだろう。
「あたしは…前世とか、そういうのに縛られるのが、大嫌い」
「そう…まあ、そうかもね。前世の記憶なんて、残っていても、百害あって一理なしかもしれないわね」
「そうに決まってる、絶対」
「前世の恋人が、今は不細工だったりしたら、1000年の恋も冷めるかもしれないものねえ」
そういって肩を震わせて含み笑いをする。そういうのを人はシュールと言うのだ。
「でも、私はこの物語をハッピーエンドで終わらせたかった。前世で会うなんて、本当のハッピーエンドじゃない気もするけど、全然幸せにならないよりは、ずっと、ずっとましだと私は思うわ」
にこり、これは邪気のない顔で笑う。かわいい子だ、ちょっと変わっていても、耕一は多分この子とデートしたがるだろう。
演劇部の部員とも仲良くやっている。
いいことだ、仲が悪いことよりはよっぽどいい。梓だって、これぐらいに目くじら立てる気はない。
「さて、主役の人には出来が悪いって言われたけれど、これで行くわ。大丈夫、嫌いなことをさせるんだもの、それなりの償いはさせてもらうから」
「人を脅して主役やらせてるのに、何言ってんだか」
「そう?」
はぐらかすような、含みある言い方。これが、彼女のスタイル。
「でも、楽しいでしょう?」
前言撤回、アンド、二度とこの女は信用しない。
梓は、心の中で、固く誓った。それもこれも、きっとこの嫌がらせをするために準備したに違いない。
「それじゃあ、おさらいね。まず、次郎衛門を鬼が剣で貫く。で、鬼、次の順でセリフ。鬼はここのセリフが終わったら剣を落として、それと同時に次郎衛門が剣で鬼を切る。いいわね?」
園見は真面目な顔で演技するタイミングを教えている。演劇がよほど好きなのだろう。いつになく真剣だ。
「そして、鬼は倒れて、その身体を次郎衛門がゆっくりと持ちあげる。こう、上半身だけをね。ここで、鬼、次の順でセリフ、それで…」
園見は、含みのある顔で笑った。
「耕一さんが、梓さんにキスをする。そのままの体勢で動かないでね。それから、幕を下ろすわよ」
まわりの女の子達から、きゃーという嬉しそうな歓声があがる。
…このアマ、わざわざ名前の方で呼びやがった。
これこそ、園見達子のスタイル。実に迷惑で、嬉しいからこそ梓はかなり顔をひくつかせていた。
もちろん、本当のキスではない。そういう格好をするだけだ。が、それでも、梓にはすごく大切なことだ。それを、他人の劇でやろうことになろうとは…
うれし恥ずかし、ではない、悔し恥ずかしだ。
「あ、耕一さん?」
「はい?」
「我慢できずに、柏木さんにせまっちゃ駄目よ」
殺す、絶対殺す、間違いなく殺す。
梓は、久しぶりに鬼の血がざわつくのを感じた。
「君と僕は戦う運命。それはもう覆らない」
「…ならば、せめてこの手で!」
鋭い剣劇。お互いさすがに剣で戦うようなことはなかったが、もともと身体に何かをさせるのは梓の得意分野だったし、耕一も次郎衛門の知識、技術があるのだ。その剣劇は、時代劇などよりもよほど迫力がある。
ただ、よく飛んでくる黄色い声にはさすがに辟易していた。何せ、一番聞こえるのはかりの声だったりするのだから。
ザクッ!
効果音にパッチリあって、梓の手に握られた剣が耕一に刺さる。当然、本当に刺さっているわけではない。だが、効果音もあり、観客の方から見れば本当につきささったようにさえ見えただろう。
梓は、耕一から剣を抜く。
「…ごめんなさい、次郎衛門」
「いや、これでいいんだ、これで」
カラーン
梓の手から、剣が落ちる。
刺されてもないのに痛くなる胸、梓はかたくなに否定しようとしているのに、過去の蘇る記憶。
倒れるのは、自分。倒したのは、一人の男。荒い男の息。
近くに倒れているのは、姉だ。同じように、男に殺されたのだろう。
仕方ない。彼と自分達は相容れない存在。それをわかっていてなお、その男と一緒になろうとした妹を殺したのは姉。
自分も、それを止めなかった。仕方ないとさえ思った。
逃れられない運命?
そんなものでさえもない、それはただ普通に考えて、そういう行動を取っただけだ。
もう一人の妹はここにはいない。逃げたか、他の場所で殺されたか。
逃げていてくれたらいいのに、と思う。あの妹は、優しいから。きっと、一人ならば、彼らに溶け込んでいける。
私達には、それができなかったし、しようとも思わなかった。殺した、私が殺したわけではないが、姉が殺したということは、私が殺したということだ、殺した妹に、あの世があるのなら、そして会うことができたら言おう、すまなかったと。ごめんなさいと。姉は、あなたを殺したのを、後悔はしていないけれど、あなただけには、すまないと思っていると。
「すまない」
ああ、もう声を出せるわけがないのに、何を私は口走っているのだろうか。燃え尽きようとしている自分の命の炎。姉のより、綺麗だっただろうか? 何をやっても勝てなかった姉に、最後ぐらいは勝たして欲しいものだ。
「すまない」
恐ろしい顔、私達エルクゥがそう思うのだから、それはよほど恐ろしい顔なのだろう。
声を出せば、あの男がとどめを刺しに来る。いや、命の炎が見えているなら、別に声を出していなくても、とどめを刺しに来るだろう。このまま放っておいても、私達は死ぬが、男はそれでも殺さなければならないのだから。
そこの男、早く私を殺して逃げないと、ここも炎で包まれますよ。
「すまない」
…ああ、それを言っているのは、私ではないのか。
「すまない」
血を吐くように謝っているのは、あの男だ。私を一刀のもとに切り捨てた、妹が愛した、私達と良く似た男だ。
「すまない、すまない、すまない、すまない」
そんな恐ろしい顔で、何を謝っているのだろうか? 男は怒るべきだ、少なくとも、今怒ることは間違いではない。
「すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない」
…男は、誰に謝っているのだろう。
妹にか、姉にか、殺した私にか、それとも、もっと別のものか…
「すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない…」
謝る必要はないのに。むしろ、謝らなければいけないのは、私達の方です。
「ごめん、なさい」
耕一は、大きくかぶりをふった。
「いいんだ、俺もすぐに後を追うことになる。一緒に、行こう」
「では…来世で一緒に…」
「ああ、来世で一緒に」
コクン
最後に頷いて、梓は動かなくなった、そして、その動かなくなった梓の唇に、耕一は唇を重ねた。
シンと静まりかえた場内を他所に、幕が下りる。
幕が完全に下りると同時に、沸き起こる拍手と歓声。
だが、ここで終わりではない。すぐに着替えて、最後のシーンが待っている。
遠くの方で、耳鳴りがする。
二人は手早く衣装を着替える。衣装の下に着ていたものがほとんどで、すぐに準備はできた。拍手はまだやまないが、また幕があがる。
現代、街の一角。
二人は、普通の服を着て街を歩いている。その手には、剣も握られていないし、血で手がぬれているようなこともない。
二人は、そのまますれ違い、歩を進める。
観客が息を呑む中、ギリギリのところで、二人は同時に振り返る。
誰だ、次郎衛門というのは。
そんなやつ、私は知らない。
「こう…いち」
台本にないセリフ。だが、梓はつぶやいていた。
「あずさ」
耕一も、それに答えるように、台本にないセリフをつぶやいた。
梓は、耕一の広い胸めがけて駆けた。
ドシンッ
梓の全力の体当たりだ。いかに鬼の耕一とて、後ろにたたらをふんで、しりもちをついた。
それでも、梓は耕一に抱きついたまま離れようとはしなかった。
涙が出てきた。何故だか知らないけれども、梓は泣いていた。
理由などなくとも、人は泣けるものなのだ。きっとそうに違いない。それでなければ、今自分が泣いている理由が思いつかない。
ぱらぱらと、拍手がわく。そして、それは段々大きくなり、それは最後には大きな歓声と拍手の渦になっていた。
「お前、泣いてるのか?」
小声で、耕一が聞いてくる。確かに、自分は泣いているのかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。
梓は、聞こえないふりをして、そのまま幕が下りるまで、耕一に抱きついていた。
「最優秀賞、ならびに最優秀男優賞、最優秀女優賞を記念して、かんぱ〜い」
『かんぱ〜い!』
演劇部は、結局最優秀賞を取れた。部員でもない者を主役にもってきて、卑怯と言えなくもなかったが、どちらも演劇はまったくの素人だったのだ。強い助っ人を呼んだわけでもないので、園見は負い目はなさそうだった。
もっとも、この程度で負い目を感じるようなかわいいたまじゃないことは、梓は嫌というほど経験した。
「でも、あれは迫真の演技だったわ。ないセリフもあったけど、あれはあれでよかったのかもねえ」
というか、最後に耕一がしりもちをついたのも、予定にはなかったのだが、結局うまくいったのだ。それに文句をつける気はなさそうだ。
「でも、えらく迫真の演技だったわよねえ」
でも、嫌がらせの一つは、彼女のスタイルとしてやるような気がするが。
「はいはい、いいだろ。うまくいったんだから」
耕一は、そこらで演劇部員とさわいでいる。さすがにもう慣れたものだし、もともと耕一は女の子と話すのは得意なのだ。梓も、そんなことはここに来るまでは思ってもいなかったのだが。
「それで、部長さん」
とにかく、梓は腹のたつことばかりだったのだ。ここらで仕返しをしないと気がすまなかった。だからわざとらしく、部長と呼んでみた。
「覚悟しといた方がいいわよ」
「何を?」
「耕一とのデート。どうせ誘われるの、園見だと思うから。スケベの耕一のことだから、どんな要求するかわかんないよ」
まあ、調子にのることはあっても最後まで間違うことはなかろう。そこは信用してやっても良いが…
「それだと願ったりかなったりなのだけど」
「へ?」
「ねえ?」
同意を求めるような、ついでに絶対からかっている園見の声。というか、こういうことに関しては、さすがに園見の方が上だ。
「でも、残念ながら、ちゃんと耕一さんからは、誰を誘うか聞いてるのよ」
そう言って微笑みながら、園見は梓に意味ありげな視線を送る。
「…へ?」
「もう、わかってるくせに。もてる人はいいわよねえ」
からかうような、訂正、からかう園見の笑み。
「え、ええ、えええっ?」
梓は、その意味を早くに理解はしていたが、混乱するばかりだった。
「…ねえ、何であたしなんだよ?」
一日中耕一を独占。耕一に与えられた報酬とは言え、それはむしろ梓にとってのご褒美みたいなものだ。
「ん、嫌か?」
「別に嫌じゃないけどさ。他にも演劇部にはかわいい子はいたろ。園見なんか、かわってるけど、かわいいしさ」
「かわいいって言えばかわいいけどな、園見ちゃんはちょっと…」
「…まーね」
色々毒とかありそうな子ではあるので、耕一が躊躇するのもわかる。
「ま、いいじゃねえか。それに、梓一人につきあってやることなんてほとんどないしな。たまには、こういうのがあっても」
「…悪くはない、うん、悪くはないけどね」
もうけっこう遅い時間だ。今日は一日中遊び倒すと言って来ているので、心配はされない気はするが、むしろ違う心配をされそうなので、そろそろ帰るべきかもしれない。
「ねえ、そろそろ…」
「お、そう言えばさ、あの劇、前世って設定だったろ?」
「う、うん」
「俺も、一応次郎衛門の記憶はそれなりに、完璧じゃないんだがあるけど、梓はどうなんだ?」
「…あたしは」
何で、今その話を出すかな。
「あたしは、あるよ。ちょっとだけどね」
「ふーん、梓ってさ、あんまり前世の話には関わってこないからさ、どうなのかと思ってな」
「そりゃあ…」
前世で愛し合った楓、前世で最後まで妹をかばいながらも、最終的には妹を殺し、そしてその償いに殺された千鶴、前世で耕一の妻だった初音。
あたしは、殺されただけ。
「お、おい、梓、何で泣くんだよ」
「あたしは、殺されただけなんだ。耕一と、全然関わってない」
「いや、前世の話だろ。そりゃあ、殺したのは悪いというか、変な気持ちもするが」
違う、耕一に殺されるのは、あのときの本意。
「私は、全然関わってない。前世の話なんて、大嫌いだ」
梓は言うことなど、本当に少ない言葉。
「大嫌いだ。あたしも、もっと、うらまれ役でもいいから、耕一と関わりたかった」
「梓…」
前世のことで正妻面する楓が気にくわない。前世のことで申し訳なさそうにする千鶴姉がうざい、前世のことでひどく余裕のある初音に腹がたつ。
「前世の話ぐらいで、みんなに嫉妬するあたしが大嫌いだ」
「…」
梓は、耕一の肩にしがみついた。
「段々、自分が抑えれなくなるときがあるんだ。鬼とか、前世とか、そういうのに振りまわされるのが、酷く心地悪いんだ」
梓は、そんなもの、大嫌いだった。
「あたしは、そして耕一は今ここで生きてるのに、それなのに、前世なんて…」
梓は、大粒の涙を流しながら、耕一に訴える。何がそんなに嫌なのか、うまく説明できない。
前世で耕一と交われなかったから?
前世が、酷く悲しい話だったから?
よくわからない。劇の間に思い出した前世の記憶も、ただ胸が痛いだけのものだ。
でも、これだけは言える。
梓は、耕一が、前世なんて関係なく、大好きだ。
「…なあ、来世は俺達、どうなってると思う?」
「来世?」
「ああ、例えば、俺と梓の性別が反転してたり、まったく赤の他人だったり、また敵同士だったり…」
「そりゃあ、前世があるなら、来世もあるかもしれないけど、それが?」
「いやさ」
耕一は、ちょっとてれくさそうに笑いながら言った。
「俺も、俺自身に前世は関係ないと思ってる。でもさ、少なくとも、前世は敵同士、今は、従兄妹だ。性別もかわらなかったし、離れ離れになることもなかったし、ましてや、敵同士でもなかった」
耕一は、我ながら楽天的だと思いながらも言った。
「俺達、少なくとも、前世よりも幸せになってるぜ。それってのは、前世を知っていようがいまいが、同じだろ?」
「それ、なぐさめてるの?」
「いや」
耕一は即答した。
「ほら、よく言うだろ。来年の事を言えば鬼が笑うって」
「ああ、言うね」
「だから、来年には去年。反対に考えると、前世には来世、だろ?」
「何だよ、それ」
梓は、ぷっと小さく吹き出した。
「ほら、笑った」
耕一も一緒になって笑った。
「いや、おもいつきでやってみたんだが、けっこう効果あるな」
楽しそうに笑う耕一。
「まったく、耕一って…」
少なくとも、今は、昔よりもきっと幸せだ。信じよう。
少なくとも、今日は耕一を独り占めだった。明日はどうなるかわからないし、来年のことなんてさらにわからない。来年の事を言えば鬼が笑う、とは、よく言ったものだ。
それは、きっとバカにしてるからじゃない。きっと、期待してるからだ。
もっと幸福な来年に、未来に、ついでに、来世にまで。
梓は、笑いながら耕一の見つめた。
「ばーか」
鬼が笑う。
終わり