電話の怪 投稿者:丹石緑葉 投稿日:10月31日(水)23時36分
 電話ほど、不安を駆り立てるモノはない。
 なんせ、相手の顔が見えないのだから。
 電話の向こうにいるのは、果たして本物なのか?
 ある一件以来、オレは電話に疑念を持つようになった。



    その時、オレはアメリカにいた。
    毎日、昼休みに日本に電話をするのが習慣だった。

 いつものようにメモリから番号を呼び出す。
 この番号だけはすぐにダイヤルできるように記憶してある。

    しかし、ふと奇妙なことに気が付いた。

「ツー、ツー、ツー…」
「あれ? また話し中だよ…」

    いつ電話をかけても、あいつは話し中。

 西海岸のこの地域、日本との時差は8時間。
 こっちの昼は、向こうの夜だ。
 夜の8時9時といえば、電話でお喋りに花が咲く頃。
 とはいえ…
「おかしいな、あいつそんなにお喋りするような相手がいるのか?」
 何度かけても、戻ってくるのは話し中の信号ばかり。
 まぁ、もしかしたらセリオと話しているのかもしれないし…
 あいつのことだから、近所のHM−12とチャットとかしているのかもしれない。

    ちなみに、家の電話にかけたこともある。
    そっちの方は、常に留守電だった。

「……あいつに限って、浮気なんてあり得ないよな」
 ふと想像して、思わず苦笑してしまう。
「まぁ、あいつも…」
 オレの余裕のある時間は昼休みだけだって分かってるだろうし。
 なんて考えている内に。
   チャーン チャーン チャーン
   チャチャ チャチャチャ チャチャチャチャン
 オレの携帯電話が、安っぽい音を奏で始めた。
 ちなみに、着メロは数年前に流行った「Brand New Heart」だ。

    そして、あいつからはなんの問題もなくかかってくるのだ。
    たいてい、いつも同じ時間に。

「おぅ、マルチか?」
『浩之さ〜ん、寂しかったんですよぅ』
「なに言ってんだよ、さっきまで話し中だったくせに。
 相手はセリオか?」
『アレ? 浩之さんからもかけられてたんですか?
 申し訳ないですぅ〜』

    まぁ、内容はいつも他愛ないモノだったけど。
    研究尽くめのオレにとっては、いい気分転換だった。

 そして昼休みが終わる頃。
 名残惜しく電話を切ると、研究室に駆け戻るのが常だった。



 大学2年の夏、あのマルチがオレの元に戻ってきたとき。
 あるひとそろいの書類が、オレの目を引いた。
「……アメリカ留学だぁ?」
「えぇ、有名な工科大学ですよ」
 アメリカの大学への、2年間の留学。
 それを推薦する書類が添付されていた。
 推薦者は…Gengoro Nagase。どこかで聞いた名前だ。
「お父さんは、浩之さんのことを高く評価されてます。
 『ロボット工学を目指すならば、ぜひに』っておっしゃってました〜」
 すぐに疑問は氷解した。
 そうか、『お義父さん』が…
 しかし。
「オレの専門は、ソフトウェアなんだがなぁ…」
 機械工学科への推薦状だった。
 まぁ、制御系の方ならば…

 マルチに出会って以来、オレはメイドロボ関係の研究を目指していた。
 そんなオレにとって、米留というのはかなりいい話だったわけで。
 大学の休学届けもすぐに出して。
 留学の話はトントン拍子に整った。
 オレ、英語はずっと赤点だったけど…
 まぁなんとかなるだろう、と気楽に構えていた。
 ただ。
「せっかく、マルチが帰ってきたのになぁ…」
 また遠く離れるなんて。
「いえいえ、わたしは浩之さんを待たせてしまったのですから。
 今度はわたしが待つ番なんですぅ!」
「……寂しくないか?」
 オレは、ずっとマルチが恋しかった。
 向こうに行っても、やっぱりそうだと思う。
「うふふふふ、実はひみつへいきがあるのです」
 突然含み笑いをするマルチ。
 そして、スカートのポケットをごそごそと探って。
「じゃーん」
「……携帯電話?」
「はい、そーですぅ」

 正しくはPHSらしいが。
 メイドロボは、それぞれが電話回線を保有しているんだそうだ。
 ちょっとしたデータの更新とか、メイドロボ同士のデータのやりとりとか…
 そんなことに使うとか。
「ノーパソにモデムがくっついているようなもんか?」
「間違ってはいないですが…」
 オレのナイスな例えは、苦笑いで返された。
 うるさい、おまえのようなドジなメイドロボはノーパソでじゅーぶんだ!
「浩之さん、それはひどいですぅ…」
 冗談だよ、冗談。そんな、滝のように涙を流すな。


    まぁ、そんないきさつがあったわけで。
    オレとマルチは2年間、遠く海を隔てていた。
    携帯電話だけが、オレ達の絆。
    一種の遠距離恋愛…と言ってしまうと恥ずかしいが。


 さて、短かったようで長かった2年間の留学期間が終わって。
 日本の空港でマルチの姿をオレは探していた。
『絶対に、お迎えに上がりますね!』
 前の日の電話で、そう約束していた。
 ……まぁ、海を越えるわけだから、日付は変わっちゃいないが。

「…どこにいるんだ、あいつは……」
 想像通りというかなんというか…
 マルチが見つからない。
「またあいつのことだから、迷っているんだか知らない人に連れ去られたんだか…」
 到着ロビーに出たところで、オレはきょろきょろとしていた。

「浩之ちゃん、みぃつけた♪」
 そんなオレに声をかけてきたのは、予想すらしなかった人物だった。
「あかり… どうしてここにいるんだ?」
「浩之ちゃん、わたしにメールくれたでしょ?
 久しぶりだね」
「?」
 オレにそんな記憶はない。

「……まぁいいや。
 マルチはいっしょじゃないのか?」
 そう訪ねたオレに、あかりは曇った顔を向けてきた。
「浩之ちゃん、知らないんだね…
 マルチちゃんは、もういないよ…」
「……は?」
 一瞬、あかりが何を言っているんだか分からなかった。
「浩之ちゃんを好きだったマルチちゃんは…
 あなたが愛したマルチちゃんは、もういなくなったの…」
「おいおい…冗談にしちゃ笑えないぞ…
 昨日だって、オレはあいつと電話をしたんだぞ?」

 それを聞いたとたん、あかりの顔色が変わった。
「そんなはずないよ?!
 だって、マルチちゃんは、去年の事故で…
 普通のメイドロボになっちゃったんだもの!」
 今度は、オレの顔色が変わる番だった。
「なんだ、そりゃ?!
 オレは、昨日まで毎日マルチと話をしてたんだぞ?!」
 あのマルチが、他のメイドロボに…心がない、ロボットになったなんて。
 じゃぁ、オレが毎日話していたあいつは、誰だったんだ?!

 すぐさまオレは、駅のホームへ走った。
 特急に乗れば、オレの家までは1時間ほどだ。
 重たい荷物を持っていたオレは、すぐにあかりに追いつかれたが…
 相手をしている余裕はなかった。

    そして家に帰り着いたオレを待っていたのは…
    無表情にオレを出迎えた、マルチだった。

「お帰りなさいませ、ご主人様。
 長旅、お疲れさまでした」
 メイド服を着てオレを出迎えてくれたマルチの前で…
 オレは、へたり込んでいた。

 沈痛な顔をして、あかりが教えてくれたところによると…
 マルチは1年前の夏、落雷事故にあったということだった。
 その時に、マルチの記憶は全て飛んでしまったらしい。
 ボディこそ無事だったものの、記憶はサルベージ不可能なまでに壊れてしまい…
 今のマルチは、量産型と同じOSで動くメイドロボになってしまったのだった。

 空港で言われたとおりに…
 オレの好きになったマルチは、いなくなってしまっていた。
 あの愛らしい笑みとともに、失われてしまった…

    結局、誰があかりにメールを送ったのか謎だったし…
    1年以上、オレに電話をかけてきていたモノの正体も謎だった。
    遠い異国の地で、毎日マルチの声に慰められていただけに…
    少々、ショックがでかかった。

 ……実は今も、時々昼休みに電話がかかってくる。
『浩之さん、お元気ですかぁ?』
 おそらく、あのマルチから。
 愛らしい声で。

 電話の向こうにいるのは誰なのか?
 本当にオレと話しているのは、オレの思った通りの人物なのか?
 疑問は持っても、結構どうでもいいことのような気がしてきた。

 それなりにオレは、満足しているから。