雨宿り 投稿者:丹石 緑葉 投稿日:6月12日(火)22時57分

 昼から降りだした雨は、夕方になってもやまなかった。
 霧雨だったのがいつの間にか本降りになっている。
 それどころか、遠くの雨雲がやけに黒い。
 雷が鳴り出さない内に、早く帰ろう…

 下駄箱で靴を履き替えて。
 玄関に出て傘を差そうとしたところで、その影に気が付いた。
 空を見上げて、ぶつぶつ言いながら爪先で地面を叩いている。
 腰に手を当てて、イライラとしているみたいだ。
 間違いない、あの赤い髪は…
「沙織ちゃん?」
 呼びかけに、振り返る人影。
「あ、ゆー君!」
 やっぱりそうだった。
 いつもは明るい色をした髪が、今は暗くくすんで見える。
 それとは裏腹に、沙織ちゃんはやけに嬉しそうだった。

「どうしたの、沙織ちゃん。雨宿り?」
 たぶん沙織ちゃんのことだから、誰かを待っているってわけじゃなくて…
「うん。傘、忘れちゃったんだぁ…」
 ああ、やっぱり。
「今日は、朝寝坊しちゃったの。
 降るかなぁって思ったけど、すっごく慌ててたら…」
 そう言って、てへへ笑いをする沙織ちゃん。
 なんの脈絡もなく、食パンをくわえて走っている沙織ちゃんを思い浮かべてしまった。
 思わず、笑いが漏れてしまう。
 ふと、沙織ちゃんがふくれっ面をしているのに気が付いた。
「なによぉ、あたしの顔見て笑ったりして。
 ヘンな想像、してたでしょ?」
「してない、してないよ!」
 ぶんぶんと頭を振って、ごまかす。

「それで、どうして雨宿りしてるの?」
「うん、この雨でしょ? 濡れて帰ったら風邪ひきそうだし…
 やまないかなぁ、って」
 恨めしそうに空を見上げる沙織ちゃん。
「…沙織ちゃん、今朝、天気予報見なかったの?
 今晩いっぱい、雨やまないよ?」
「え? えぇ?!
 それ、困るよぉ」
 僕の言葉を聞いて、沙織ちゃんはじたばたと慌て始めた。
 なんだか分からないけど、すごく焦ってるみたいだ。

 ……しょうがないなぁ…
「沙織ちゃん、よかったら…」
「え、祐くん、傘かしてくれるの?!」
 話を最後まで聞かずに僕の傘をひっつかむと。
「今日、見たいテレビがあったんだぁ!
 祐くん、ありがとね〜」
 傘を広げて、沙織ちゃんはばしゃばしゃと駈け去ってしまった。

 …僕の傘に入って、一緒に帰る?
 って、言おうとしたのに…
「はぅ…」
 思わずため息が漏れてしまう。
 空いっぱいに、真っ黒な雲が広がっている。
 今更ながら、玄関に電気がついていたことに気が付いた。
 まだ4時過ぎだっていうのに、玄関の外は夕方みたいな暗さだった。
 どんなに空を眺めたって、とうてい雨がやみそうな気配はない。
「どうしようかなぁ…」
 再びため息が漏れてしまった。

「どうしたの、長瀬ちゃん」
 ふいに声をかけられて、振り向いてみると。
「瑠璃子さん…」
 学生カバンと、男物の大きな傘を抱えて。
 少し首を傾げて、瑠璃子さんが立っていた。

「雨宿りをしてたんだ」
「どうして?」
「傘がなくて、困ったなって」
「持ってないの?」
「うん」
 瑠璃子さんは、ぼんやりとした視線を空に向ける。
 玄関の灯りの中、瑠璃子さんの顔が仄白く際だって見える。
 僕は、その横顔にみとれていた。

「長瀬ちゃん、いっしょに帰ろ?」
 空を向いたまま、そんなことを言う。
「え? なに、瑠璃子さん?」
 それが僕に向けられた言葉だとは思わなくて、思わず聞き返してしまった。
「わたしのこのかさ、大きいから。
 いっしょに差して、帰ろう」
 今度はこちらを向いて、にこっと笑いながら提案してきた。
「あ… うん、ありがとう」
 瑠璃子さんの笑顔は、月夜みたいに優しい。
 そんなことを考えながら、僕は頷いていた。

 瑠璃子さんと肩を寄せ合って、歩く。
 頭の上では、バチバチと雨の弾ける音が続いていた。
 瑠璃子さんは、何も言わない。
 僕は、瑠璃子さんが濡れないように傘を差しかけて歩く。
 その代わり僕の肩は濡れたけど、反対側の肩は暖かかった。
 瑠璃子さんの体温が、じんわりと染み込んでくる。

 天気はかなり最悪で。
 僕の体も冷え込んだけど。
 心は温かな、帰り道だった。


おまけ
 その日、学校で。
「瑠璃子ぉ、どこにいったんだ〜」
 けっこう遅くまで、そんな声が響き渡っていたらしい。

 で、次の日、月島先輩が風邪ひいて休んだとか、休まなかったとか。