昼から降りだした雨は、夕方になってもやまなかった。 霧雨だったのがいつの間にか本降りになっている。 それどころか、遠くの雨雲がやけに黒い。 雷が鳴り出さない内に、早く帰ろう… 下駄箱で靴を履き替えて。 玄関に出て傘を差そうとしたところで、その影に気が付いた。 空を見上げて、ぶつぶつ言いながら爪先で地面を叩いている。 腰に手を当てて、イライラとしているみたいだ。 間違いない、あの赤い髪は… 「沙織ちゃん?」 呼びかけに、振り返る人影。 「あ、ゆー君!」 やっぱりそうだった。 いつもは明るい色をした髪が、今は暗くくすんで見える。 それとは裏腹に、沙織ちゃんはやけに嬉しそうだった。 「どうしたの、沙織ちゃん。雨宿り?」 たぶん沙織ちゃんのことだから、誰かを待っているってわけじゃなくて… 「うん。傘、忘れちゃったんだぁ…」 ああ、やっぱり。 「今日は、朝寝坊しちゃったの。 降るかなぁって思ったけど、すっごく慌ててたら…」 そう言って、てへへ笑いをする沙織ちゃん。 なんの脈絡もなく、食パンをくわえて走っている沙織ちゃんを思い浮かべてしまった。 思わず、笑いが漏れてしまう。 ふと、沙織ちゃんがふくれっ面をしているのに気が付いた。 「なによぉ、あたしの顔見て笑ったりして。 ヘンな想像、してたでしょ?」 「してない、してないよ!」 ぶんぶんと頭を振って、ごまかす。 「それで、どうして雨宿りしてるの?」 「うん、この雨でしょ? 濡れて帰ったら風邪ひきそうだし… やまないかなぁ、って」 恨めしそうに空を見上げる沙織ちゃん。 「…沙織ちゃん、今朝、天気予報見なかったの? 今晩いっぱい、雨やまないよ?」 「え? えぇ?! それ、困るよぉ」 僕の言葉を聞いて、沙織ちゃんはじたばたと慌て始めた。 なんだか分からないけど、すごく焦ってるみたいだ。 ……しょうがないなぁ… 「沙織ちゃん、よかったら…」 「え、祐くん、傘かしてくれるの?!」 話を最後まで聞かずに僕の傘をひっつかむと。 「今日、見たいテレビがあったんだぁ! 祐くん、ありがとね〜」 傘を広げて、沙織ちゃんはばしゃばしゃと駈け去ってしまった。 …僕の傘に入って、一緒に帰る? って、言おうとしたのに… 「はぅ…」 思わずため息が漏れてしまう。 空いっぱいに、真っ黒な雲が広がっている。 今更ながら、玄関に電気がついていたことに気が付いた。 まだ4時過ぎだっていうのに、玄関の外は夕方みたいな暗さだった。 どんなに空を眺めたって、とうてい雨がやみそうな気配はない。 「どうしようかなぁ…」 再びため息が漏れてしまった。 「どうしたの、長瀬ちゃん」 ふいに声をかけられて、振り向いてみると。 「瑠璃子さん…」 学生カバンと、男物の大きな傘を抱えて。 少し首を傾げて、瑠璃子さんが立っていた。 「雨宿りをしてたんだ」 「どうして?」 「傘がなくて、困ったなって」 「持ってないの?」 「うん」 瑠璃子さんは、ぼんやりとした視線を空に向ける。 玄関の灯りの中、瑠璃子さんの顔が仄白く際だって見える。 僕は、その横顔にみとれていた。 「長瀬ちゃん、いっしょに帰ろ?」 空を向いたまま、そんなことを言う。 「え? なに、瑠璃子さん?」 それが僕に向けられた言葉だとは思わなくて、思わず聞き返してしまった。 「わたしのこのかさ、大きいから。 いっしょに差して、帰ろう」 今度はこちらを向いて、にこっと笑いながら提案してきた。 「あ… うん、ありがとう」 瑠璃子さんの笑顔は、月夜みたいに優しい。 そんなことを考えながら、僕は頷いていた。 瑠璃子さんと肩を寄せ合って、歩く。 頭の上では、バチバチと雨の弾ける音が続いていた。 瑠璃子さんは、何も言わない。 僕は、瑠璃子さんが濡れないように傘を差しかけて歩く。 その代わり僕の肩は濡れたけど、反対側の肩は暖かかった。 瑠璃子さんの体温が、じんわりと染み込んでくる。 天気はかなり最悪で。 僕の体も冷え込んだけど。 心は温かな、帰り道だった。 おまけ その日、学校で。 「瑠璃子ぉ、どこにいったんだ〜」 けっこう遅くまで、そんな声が響き渡っていたらしい。 で、次の日、月島先輩が風邪ひいて休んだとか、休まなかったとか。