雪に散る華 投稿者:丹石 緑葉 投稿日:8月31日(木)23時41分
 雨月山には、鬼の集落があった。
 今、そこはすべてが朱に染まっていた。

  血と、炎

 女、子供もなかった。
 その集落に住むものすべては死体となり、
 その集落の建物のすべてが炭になり、

  赤く、紅く

 ただ一人、抜き身の刀を手に下げた男だけが立っていた。
 男は、虚ろに笑い続けていた。

  ***

 寒いと思ったら、寝床には自分しか寝ていなかった。
 隣に寝ていたはずの女がいない。

「む? エディフェル?」

 身を起こし、周りを見回す。
 すべては、まだ薄闇に沈んでいた。
 雨戸が少し、空いていた。
 彼の妻は、屋内にはいないようである。

 寝間着の帯を締め直し、半纏を羽織って、表に出ることにした。
 無意識に、腰に刀を落とす。

 雨戸を開け、目に飛び込んできたのは白だった。
 空からちらちらと白いものが降り来たり。
 庭一面、白く。
 戸口から、足跡が点々と伸びていた。
 その先に、黒が広がっていた。

「エディフェル、そこで何をしている」
「…冷たい」
「当たり前だ」

 エディフェルは、その中に寝転がっていた。
 その長い髪だけは、白の中でも鮮やかに黒かった。

「次郎衛門… この、白いものは、何?」
「…雪だ」
「雪…? これが、雪…」

 今年初めての、雪だった。
 次郎衛門は、下駄を履いて庭に降りた。
 ギュ、ギュと足の下で雪が鳴る。

  ギュ、ギュ
  ギュ、ギュ

 次郎衛門が見下ろしても、エディフェルはどこかぼんやりと天を仰いでいた。

「ほら、手を出せ。いい加減に、起きろ。
 …こんなに冷えてしまって」

 よっ、と引っ張り起こす。
 そのまま、次郎衛門は妻を抱き留めた。

「いくら鬼の体が丈夫だからとて、こんな寒い中にいつまでもいるもんじゃないぞ」
「…次郎衛門、温かい」
「そりゃそうだ」

 お互いの耳元で、ささやきあう。

「次郎衛門、私、雪が気に入った」
「…そうか」
「ええ。何もかも白く覆い隠す…
 綺麗な物も、汚い物も…
 雪は、冷たくて…綺麗」
「そうだな…
 そのうちに、雪の遊びを、教えてやろう。
 かまくらや、雪だるまを作ろうか…」
「かまくら? 雪だるま? おもしろそう…
 ふふふ、子供みたい」
「ああ、雪を見ると、童心に帰るものなんだよ」

 重苦しく、暗い冬だからこそ、明るい遊び。


 雪は、しんしんと降る。
 昨日も、今日も、明日も。
 それでも、毎日降れば、雪も一休みする。
 その晩は、そんな感じだった。

「明日晴れたら、雪遊びをしようか」

 雪国の居間には、囲炉裏が切ってある。
 次郎衛門の小屋も、ご多分に漏れずそうだった。
 その囲炉裏端で夕餉をとりながら、ふと次郎衛門はそう呟いた。

「雪遊び? ああ、かまくらとか雪だるまとか…」
「そうだ。
 今宵は、久しぶりに星が見えた。
 明日はきっと、いい天気だ…」
「明日… 童心に、帰って?
 ふふふ、楽しみ…」

 囲炉裏端で、二人向かい合わせの食卓。
 エディフェルは、嬉しそうに笑っていた。
 童女の、様に。

 翌朝。
 やはり、次郎衛門は寒くて目が覚めた。
 寝床には自分しか寝ていなかった。

「まったく、しょうがない…」

 身を起こして見回せば、いつかのように雨戸が少し空いていた。
 以前ならばそこから庭が覗けただろうが、もう無理だった。
 雪は、もうだいぶ積もっていた。
 特に軒下は、屋根から落ちてきた雪が積み重なっていた。
 そのため、庭を一望にはできなくなっていた。

 雪の壁をよじ登り、外に出てみると、一面の銀世界だった。
 まだ日は上がっていなかったが、空は青く晴れ渡っていた。
 小屋から少し離れたとこの雪は踏み固められたようになっており、
 エディフェルは以前と同じようにその雪の上に仰向けに横たわっていた。
 紅に染まった、雪の上に。

「エ、エディフェル!」

 エディフェルは、葛籠の奥に仕舞ったはずの異国の服を着ていた。
 駆け寄って抱き起こしてみたが、その身体はもう冷え切っており。

「あ… 次郎…衛門?」

 こぷり、と口元から血が流れた。
 抱き上げた腕を、血が伝った。
 ぱたぱたと、白い雪に赤い花を咲かせる。
 それでもまだ、命の炎は燃え尽きていなかった。

「ごめん…なさい… 私…、もう、雪遊びできない…」
「いいんだ、そんなことはいいんだ…
 儂が暖めてやるから、もう喋らないでくれ。
 そうすれば、鬼の力で、お前はまた元気になるんだろう?」
「…… ………」
「エディフェル…!」

 エディフェルの唇は言葉を刻んだが、音になっていなかった。
 徐々に、呼吸が浅くなっていく。
 次郎衛門は、強く、強く、妻を抱きしめた。
 自分の温もりを伝えようと。

「次郎衛門、温かい…」

 ため息のように、そう残し。
 赤い、炎が散った。
 雪に、染み込むように。

 男はじっと妻の亡骸を抱きしめたまま。
 涙を、流し続けた…


 亡骸を前に泣き続ける男のもとへ、妻の妹が訪れた。
 リネットは、次郎衛門にいくつかの事実を語った。

  エディフェルは、一族の掟に従って殺された。
  手を下したのは、一族の皇女、実の姉だった。
  エディフェルは、次郎衛門に手を出さないことを条件に討たれた。
  そして、皇族は一族の裏切りにあった。

 そのうえで次郎衛門に一降りの刀を渡し、こう言った。

「私が、手引きを行います」


 吹雪の中、次郎衛門は鬼の集落を襲撃した。
 自分の半身を奪った鬼の一族も、
 自分の半身を守れなかった自分自身も、
 次郎衛門には何もかもが憎かった。

 自らの中の虚ろを満たすように、
 次郎衛門は破壊と殺戮の限りを尽くした。

  男も、女も、子供も、老人も

 次々と赤い命の炎が燃え上がり、散っていった。
 まるで、夏の夜空を飾る花火のようだった。

 いつしか白い闇は晴れ上がり、
 ただ一人次郎衛門は赤い炎に踊る暗い影を落としていた。

  ***

 冬休み。
 耕一は、再び隆山を訪れていた。

 隆山も、雪が降る。いや、かなり積もる方だ。
 柏木の屋敷も、白一色に閉じこめられていた。

 到着して早々、耕一は庭に引っ張り出された。
「雪遊びをしよう」ということだった。
 その日の午後を目一杯使って、耕一と従姉妹達は遊んだ。
 雪合戦をし、雪だるまを作り。

 夕食の終わったあと、楓と耕一は庭に作ったかまくらの中にいた。
 楓は、耕一に後ろから抱きかかえられていた。
 耕一のあぐらの上にすわって、その腕の中にすっぽりと収まっていた。
 火鉢が、かまくらの中の空気を暖めていた。
 満ち足りた、気分だった。

「耕一さん…」

 じっと火鉢の火を見ながら、楓が呟いた。

「ん?」
「私は、雪は嫌いです」
「…どうして?」
「すべてを白く、隠してしまいますから。
 綺麗なものも、汚いものも…
 本当の心まで、隠してしまいそうですから」
「そうか…」
「…耕一さん、温かい…」

 雪は、しんしんと降り積もっていた。

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