鬼神楽 投稿者:丹石 緑葉 投稿日:7月5日(水)00時44分
 夏、隆山の温泉街は祭りににぎわう。夜店があちこちに現れ、神輿が担ぎ出される。
 圧巻は、なんと言っても最終日の花火だ。
 先々代の鶴来屋の会長が、「隆山の夏に観光の華を」と始められた夏祭りは鶴来屋を中心に
大々的に催され、毎年多くの観光客を呼ぶ。

 さて一般にはあまり知られていないが、山の手にあるとある神社も同じ時期に夏祭りを行う。
そこで行われるのは、神楽の奉納。「鬼神楽」と呼び慣わされるそれは、毎年柏木家の人間に
よって執り行われる。
 鶴来屋を経営する柏木一族にゆかりのあるこの神社、地元の者はともかく観光客にはあまり
知られていない。鬼の伝説に興味を引かれた者が、時折訪れるくらいである。これも『隆山の
鬼』伝説の特異性故か。土地の者も、この話を流布するのに積極的ではない。
 鬼神楽は、この土地、いや日本のどこにも存在しない民族衣装で行われる。美しくも、儚く
悲しいその舞いは、見る者にこの世ならざる風景を幻視させるという。
 その縁起には、歴史には記されていない一つの物語があった。
 昔々、隆山の地に現れた鬼を一人の侍が滅ぼしたのは、よく知られている通り。
 これは、その後日談。



 次郎衛門は、笛の好きな男であった。いつも刀といっしょに笛を腰に差し、気が向いたときに
吹くのだ。
 赤く染まった荒野を前に笛を吹いているとき、この男は異国の衣装を纏った少女と会った。
 それが、次郎衛門と鬼の娘エディフェルとの出会いであった。
 言葉は通じずとも、心は通じ合った。

 そして娘は、鬼の一族に裏切り者として始末された。

 鬼達を討ち果たし、鬼の王族の末娘を妻に迎えたあとも、次郎衛門は時折笛を吹くことがあった。
 憑かれたように鬼達を殺しまくったが、その心は空虚なものであった。
 その空虚さを埋めるかのように。何かを求めるように。
 死んだ自分の恋人を想い、復讐のために為した殺戮を思い。恋人の好きだった笛を吹く。
 リネットも、次郎衛門の吹く笛が好きだった。その悲しい音色は、姉を思い出させるから。
 心優しい末娘は、次郎衛門のそんな寂しそうな風情を何とかしたかった。しかし自分では姉の
代わりにはなれないことは、よく分かっていた。

 次郎衛門が笛を吹く晩には決まって、リネットはうなされていた。姉が枕元に立つから。
『リネット… 幸せ?
 わたしの恋人を寝取って、幸せ?』
「寝取ったりなんかしてない!
 わたしがあの人を必要なように、あの人もわたしを必要としているの!
 次郎衛門、泣いていたんだよ?
 わたし、あの人の悲しみの信号を黙ってみているなんてできないよ」
『お互いが必要としている? それは違うわね。
 あなたは怖いだけ。捨てられた子犬のように、この世界から見放されるのが。
 次郎衛門を拠り所としているだけ… あなたは本当に次郎衛門を見てはいないでしょう?』
「……もう、やめて! わたしを、次郎衛門を、解放して!
 姉様は、死んだのでしょう?」
『ふふ… 肉体は死んでも、エルクゥは残る…
 まだわたしは、次なる肉体を求めるときではないのよ』

 それからしばらくして、リネットは次郎衛門の笛に合わせて舞いを舞うようになった。
 祖国の情景を思い出して。未だ死んだ恋人の面影を追う次郎衛門のために。
 そして、未だ想いを残している姉のために。
 それは美しくも悲しい、異国の舞いであった。



 鬼神楽の奉納は、代々柏木家の女によって行われる。
 夏休みを利用して隆山を訪れていた耕一も、柏木家の人間として参加することになった。
 耕一の役割は、笛を吹くこと。舞い手は、柏木の末娘、初音であった。
 初音の舞いを見る耕一は、複雑な思いを抱いていた。
 次郎衛門とエディフェルは、自分と楓として今生で結ばれることができた。
 しかし、ならば、リネットの心はどこへ行くのだろうか?

「お兄ちゃん?」
 考えに気を取られたのか。笛を吹く手が止まっていた。
「お兄ちゃん、どうしたの? 難しい顔してる」
「ん? うん、リネットは幸せだったのかな…って。
 次郎衛門は、昔の恋人を忘れられたのかなって」
「…お兄ちゃん。間違えちゃ駄目だよ。
 次郎衛門は、ちゃんとリネットを愛していたと思うよ。
 最初はエディフェルの面影を追っていたかもしれないけど、きっとリネットのためにも笛を吹
 いていたと思うよ。
 リネットもきっと、姉さんの面影を追っていることも含めて、次郎衛門を好きだったと思うよ。
 わたしは、お兄ちゃんにはずっとお兄ちゃんでいてもらいたいの。
 お兄ちゃんと楓お姉ちゃんが仲良くしているのを見ると、嬉しいよ。
 だからわたしは、お兄ちゃんと楓お姉ちゃんがずっと幸せだといいなって思って舞うの」

  姉様達の魂を慰めるために。
  わたしの愛しい人が心安らかなように。
  精一杯の思いを込めてわたしは舞いましょう。
  悲しい笛の音にあわせて、鬼神楽

 末娘の舞う神楽は、やはり美しくも悲しいものであった。