悔恨への帰還 5  投稿者:Percomboy


<5日目> The last regret.

 ダイニングで、長森と顔を突き合せて朝食をとっている朝の光
景。朝、叩き起こされてからここまでは、もはやルーチンワークと
いう気もしてくる。

 そんな中、長森が、とんでもないことを言い出す。

「ねぇ、浩平。もう、みさきさんとは会わない方が良いんじゃない
 かな」

 オレは、思わず、飲みかけの紅茶を吹き出した。

「な、何故だ!? オレが何故みさきに会ってはいけないんだ!?
 あの人は、オレの大事な恋人だぞ!!!」

 オレは、長森に対して、はっきり言ってやった。

「で、でも、浩平…その様子だと忘れてしまっているんだと思うけ
 ど、あの人は…」
「うるさいうるさいうるさいっ! 誰が何と言おうとも、オレは
 みさきとつき合っているんだ!! お前なんかにそんなことを言
 われたくないっ!!!」

 長森の言葉を遮って、オレはまくし立てた。
 長森は、悲しそうな表情を浮かべて、うつむく。重い雰囲気があ
たりを包む。

「ああ、食欲が無くなった! オレはもう出かける! 長森、二度
 とここには来るな!!!」

 オレは、朝食を途中で止め、そう怒鳴りつけて、家を出た。
 後には、うつむいて泣いている長森が残された。だが、オレは、
それに気を止めるつもりも無かった…。

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 今日も、いつもの屋上で会うことにしていた。そのために、オレ
は、昔なじみの高校の校舎を目指していた。
 今日は、いつもと違って、高校生の時の通学路に従った道を通っ
ていた。学校の敷地内に入る直前には、たしか、みさきの家がある
はずである。そう言えば、なぜオレは、いつも昔とは違う道を歩い
ていたのだろう。まるで、みさきの家を避けるようにして…。

 みさきの家が見えてきた。しかし、何となく、日常的な雰囲気で
はない感じである。
 家の入り口で、紫がかった、ソバージュの、長い髪の女を見た。
黒い服に黒い帽子。この暑い夏の日に。
 その女がオレを見ると、にらみつけるような表情に変わり、オレ
の方に寄ってきた。

「浩平君? あなた、折原浩平君でしょ!」

 まさに、敵(かたき)を見つけたような雰囲気で、オレに詰め寄っ
てきた。

「あんた、7年もの間、どこに行っていたのよ! あの娘があんな目
 に遭ったっていうのに!」

 その女は、終わりの方は半ば涙声になって、オレにそう言った。

「あんな目って…」

 オレは、混乱の中、つぶやくように、そう口にしていた。

「忘れたっていうの、7年前のあの日を!? だいたい、その時に
 あんたもいっしょに居たんじゃない!!!」

 完全に泣きながら、その女が、オレに怒鳴りつけるように言っ
た。
 7年前…オレの記憶から抜け落ちた日々。「あの娘」は、みさき
のことだろう。今思い出したのは、目の前の女の事。この女は、
深山雪見(みやまゆきみ)。みさきの親友。みさきと同じ年で、オレ
からすると一つ先輩にあたる。

「あんたと一緒に出かけなければ、あの娘は…ううっ…」

 深山先輩が、泣きながら、そう続けた。

「7年前、いったい何が…」

 オレは、いっこうに様子がつかめず、深山先輩にそう訊ねた。

「あんた、本当に覚えてないの!?」

 いっそう厳しい表情で、深山先輩がオレに詰め寄ってきた。

「7年前のあの日、あんたとのデートの最中に、落ちてきたコンク
 リート片に潰されたってのを!」

 7年前…落ちてきた巨大なコンクリート片…赤く染まる歩道…無
惨な姿と化したみさき…。
 深山先輩の言葉により、オレの抜け落ちていた記憶は、鮮明なビ
ジュアルと共に、完全によみがえっていた。

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 その夏、オレは、大学に入ってからはじめてのみさきとのデート
に出かけた。
 いろいろあって、この時期まで、みさきと二人きりで出かける機
会が無かったのだ。
 オレはこの日、浮かれていた。思いっきり久しぶりのデート。ふ
と、冗談で、みさきから手を離して、その場でうろたえるみさきを
見てみよう、などといういたずら心が芽生えた。
 と、手を離し、その場から離れた時、周りから悲鳴が聞こえた。
上を見ると、近くに建っていたビルの壁から剥がれ落ちたのであろ
うと思われる、巨大なコンクリート片が、地球の重力に引かれて自
由落下をしている最中だった。そして、その真下には、みさきがい
た。オレは、駆け寄ろうとした。しかし、オレはみさきを引っ張っ
て逃げることが不可能なぐらいに離れてしまっていた。みさきは、
自分のまわりで何が起きているのか分からない様子だった…。

 大切な人を亡くすのは、生まれて2度目の経験だった。せっかく
「えいえんのせかい」とやらから帰ってくることができたのに、そ
の結末がこれだった。それも、今度は、オレ自身のせいで…。
 今さら「えいえんのせかい」に逃げ込むこともできなくなったオ
レは、そのいやな思い出を忘れるために、この街を後にした。

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 気が付くと、オレは駆け出していた。
 そして、オレは、あの屋上にいた。
 そこには、昨日と同じく、みさきが居た。

「あ、浩平君。10分の遅刻かな」

 みさきが、おどけた感じで、そう言った。
 オレは、おそるおそる、みさきに近づいた。

「みさき…オレは、思い出してしまったんだ…」

 オレは、沈んだ声で、そうみさきに告げた。

「そうなんだ。それはきっと、時間切れって事なんだね」

 みさきは、悲しそうにそう言った。そして続ける。

「浩平君にお別れの挨拶をしてなかったから、神様にお願いしたん
 だよ。浩平君にもう一度会えますようにって」

 そう言うと、みさきは顔を上げて、オレに向かってほほえんだ。

「浩平君と二人きりの時間、楽しかったよ。わたしには、良い思い
 出ができたからね」

 そう言うみさきの目には、別れを惜しむ涙が浮かんでいた。
 その瞬間、みさきの背中がまぶしく光ったような気がした。気が
付くと、みさきの背中に、大きな羽が開いていた。薄いピンク色の
大きな翼。

「それじゃ、さようならだね」

 その翼を大きく羽ばたかせると、みさきの体が宙に浮いた。
 そして、みさきは、見る見るうちに陽の光の中へと消えていっ
た。

「みさき〜〜〜!」

 あまりに突然の別れに、オレは、絶叫した。たぶん、泣いていた
と思う。

「今度は、わたしの事を忘れられないようにしてあげるね。わたし
 の、ささやかな復讐だよ」

 みさきの笑い声と共に、そんな声が聞こえてきたような気がし
た。
 オレは、ただ呆然と、屋上にたたずんでいるしかなかった。夜に
なって、長森がオレを見つけるまで。