【110】 彼のキモチと彼女のココロ 【Side:里村茜】
 投稿者: Matsurugi <tnkd@lily.yyy.or.jp> ( 男 ) 2000/4/8(土)01:14
まえがき

 このSSは単体でもお楽しみいただけますが、この前にある『彼のキモチと彼女のココロ【Side:南明義】』と併せることでさらにお楽しみいただけます。
 どちらでもお好きなほうから読んでいただいて結構ですし、もちろんどちらか片方だけでお楽しみいただいても結構です。



 ◇



 里村さんちの茜さんは南さんちの明義くんのことを特に好きではありません。
 ある日明義くんからラブレターを貰った時も、茜さんの返事は『……嫌です』のただ一言でした。
 その後も明義くんから様々なアプローチを受けていたのですが、茜さんは全く見向きもしませんでした。
 それでもなお、明義くんがあきらめる様子は無いみたいです。
 おそらくあきらめるという言葉を知らないのだろうと茜さんは思っている……かどうかはわかりませんが、ともかく茜さんは今日もまた明義くんに付きまとわれているのでした。



「けど、いい加減よくコりないよね、アイツも」
 ここは茜さんと明義くんのクラスの教室です。
 同じクラスの生徒たちが思い思いの場所で雑談を繰り広げています。どうやら今は休み時間のようです。
 茜さんの友人たちも茜さんの席の周りに集まってお喋りに興じてます。その友人のひとりの第一声が、さっきのセリフです。
「誰よ、アイツって」
「決まってるでしょ、沢口くんのことだよ」
 別の友人の問いかけに、友人はさも当然のような口ぶりで答えました。
 彼女たちが話題にしている沢口くん――明義くんの事です――は、ここ1週間ばかり放課後となると、茜さんの後を追って一緒に帰り道を歩いているのだそうです。
 別にそれはそれでいいのですが、茜さんの友人たちがこっそりとふたりを陰から見守っていた――本当は興味本位で見物してただけなのですが――ところによると、どうやら明義くんは茜さんに何かを言いたそうにしているようなのです。
 が、実際はほとんど会話を交わせぬままさようなら、というのがお決まりとなっていて、その状態を1週間ばかり繰り返している……というわけなのです。
「で、実際のところはどうなの? 沢口くんは?」
「…………」
 彼女たちにとっては、今後のこのふたりがどういう進展を見せるのかに興味があるらしく――うまくいく・いかないはどうでもいいようです――茜さんにそこのところを訊ねたりもしてるわけなのですが、当の茜さんはといえば終始無言を通しており、どのような気持ちであるのかなどは全くと言っていいほどわかりません。
「その性格のせいで、いままで何人がザセツしたのかしらね」
「今じゃいいよってくるのなんて、沢口くんだけだもんね」
 彼女たちの言うとおり、過去茜さんと付き合おうとして撃沈した男たちは、それはもう星の数ほどいるといわれているそうです……友人の談によれば、ですが。
 それから考えれば、明義くんは奇跡的なくらい今日までの関係が続いているといえるわけなんですが、それは彼が人一倍鈍感なだけなのかもしれません。
「でもま、あのようすじゃ当分どうにかなるなんてのはムリな気もするけどね」
「…………」
 ずけずけと酷い台詞を言ってますが、その対象たる明義くんは彼女らの目の前の席にいるのですから、よくもまあぬけぬけと口に出せるものです。まあ、こそこそというよりはましではありますが。
 そんな友人の言葉も、茜さんはやっぱり無言のままで聞いていたのでした。



 さて放課後、HRが終わり、茜さんは教室を出て廊下を歩き、階段を降りて下駄箱から校舎の外に出ると、まっすぐ帰り道を歩いていきます。どの部活にも入っていない茜さんでありますので、特に用事がなければ彼女はそのまま自宅へと帰るのです。
「さ、里村さんっ!」
 そう、何事もないのであれば……。
「…………」
 茜さんが顔だけで後ろを振り返ると、そこにはここ1週間と同様、明義くんがこちらに向かってきていました。
 すでに知っての通り、ふたりはここのところ帰り道を一緒に帰っています。
 もっとも、今現在このふたりの間に特別な関係は皆無――少なくとも茜さんの態度からはそれらしいものは見られません――ですので、一方的に明義くんが茜さんに付きまとっているように見えなくもありません。
「…………」「…………」
 そしてそんなふたりの様子を物陰からこっそりと見物している者たちがいました。
 茜さんが校舎を出てからこっそりと後をつけてきた、彼女の友人ふたりです。
「でも、毎日毎日同じ事の繰り返しでよく一緒にいられるよね、ふたりとも」
「……それを毎日ノゾきに来てるあたしらもね」
 友人のひとりが溜め息混じりに言いました。
 彼女たちの言うように、ここ1週間というもの茜さんと明義くんの間に何か新しい展開が起こったかといえば、物の見事に何もないのでした。
 明義くんはといえば。度々何かを言い出そうとするのですが結局何も言えぬままであり、茜さんはといえば彼女らが知ってのとおり、とてつもなく無口な方でありますので、とても両者の間にはまともな会話が成立しないのです。
 そんなわけで、下校中時には一言も言葉を交わさぬまま、ふたりは帰宅路の分かれ道でさようならしてそれっきり、というのを繰り返しているわけなのでありました。
 見てるだけの彼女らでもわかるほどの進展のなさですから、ただ見ているだけの人間からすれば、全くといっていいほど面白くもなんともないといえるでしょう。
 とはいえ、もともと他人事でしかない恋愛沙汰にわざわざ首を突っ込むこと自体ばかばかしい限りではありますが、人によっては、それはそれで見世物としては別の味わい深さがあるのかもしれません。
 茜さんの友人のひとりも、そのような楽しみ方をしているようです。
「ま、こういうのは適当なスタンスで楽しめば、それでいいのよ」
 と言うのが、その友人の弁です。
 彼女にしてみれば、当人たちの深刻な恋の悩みですらただの暇つぶしぐらいにしか思ってないのでしょう。
 当該者たちにとってみればはた迷惑なことこの上ないでしょうが、かといって直接的に邪魔をしているわけでもないので、どうしようもありません。
 ま、それはおいとくとして……今日はしかしどうやら違った展開が起こりそうです。
 茜さんの近くまで来てから明義くんは気付いたようですが、茜さんの隣に見た事のない小さな女の子が立っていたからです。
 校舎を出たところからそのショートカットに付けた大きなリボンが特徴的なその女の子が一緒にいたのを茜さんの友人たちは知っていましたが、明義くんの方は茜さんのそばに来るまで全然気付いてはいなかったようです。
 友人たちはしばらく彼女らの様子を窺っていました。と、女の子がスケッチブックのようなものを取り出して、明義くんに何か見せています。何かが書かれているようですが、ここからではよく見えません。が、それを見た直後に明義くんの顔がこわばったのがわかりました。
 さらにしばらくして、その女の子が再びスケッチブックに何かを書き込み明義くんに見せたところ、彼の顔は完全に凍り付いてしまっていました。そしてやにわに、明義くんは背を向けて校舎の方へと猛ダッシュで走り去って行きました。
「どうしたのかしら?」
「さあね。でも……」
 友人がとても楽しそうな表情で言いました。
「これで、かなり面白いことになるかもしれないねっ」



 明義くんが走り去ってから、茜さんの友人たちは茜さんと女の子に合流し、共に帰り道を歩いていました。
 道すがら、友人ふたりは茜さんから澪というその女の子の事を聞きました。それによると、澪は他人の思っていることを言い当てる事が出来るというらしいのです。
「それで、沢口くんが驚いて逃げていったってワケなの?」
「何よ、それ……」
 友人のひとりが呆れたように言いました。澪の方は、別段彼女らの言葉を気にかけもせず、ニコニコとした表情で彼女らを見ています。
「で、なんでまたそんな子を連れて歩いてるわけ?」
「…………」
 茜さんの意図するところを友人が聞きましたが、無解答でした。
「ようは、虫よけってこと?」
 もう一方の友人が別の見解を述べました。この場合、虫の意味するところが何であるのかは、言うまでもないでしょう。
「…………」
 茜さんは、やはり答えませんでした。
「でもさ、こんなコをこの先ずっと連れて歩いてたら……」
 友人が途中まで言いかけると……
『一生ボーイフレンドなしで過ごす事になるんじゃないの、なの』
 その考えていたことを、澪がスケッチブックに書きこんでいました。
「…………」
「あ、いや、えっと……」
 驚くと同時に、茜さんからの非難がましい視線を受けて、友人は慌てふためいてしまいました。
「もーっ、あんまり連れて歩かないでよっ、そんな子!」
「……嫌です」
 友人の怒りもものともせず、茜さんは答えました。そうなるとそれ以上何も言えなくなってしまい、友人はさっさと先に歩いて行ったのでした。もうひとりの友人も、苦笑しながら、その後を追っていきました。
 ふたりが去った後、茜さんが何かを呟きました。
「……これなら一石二鳥ですから」
 それを耳にしたのは澪だけでしたが、彼女には何の事かわからず、ただ首を傾げるばかりでした。



 それから数日ばかり過ぎたある日の事です。
 午前中の授業が終わっての昼休み、茜さんの前の席にいる明義くんが友人に連れられて教室を出て行った少し後、茜さんも友人ふたりと教室を出て、澪を含めた4人で中庭で昼食を広げていました。
 春先ののどかな日差しの中で彼女たちが話の花を咲かせていた最中、明義くんの事がまたまた話題に上りました。
「そういえば、ここんところ茜、沢口くんと一緒に帰っていないよね」
「……そらそうでしょうよ」
 友人たちがそう口にするのも無理らしからぬ事で……ここ数日というもの、茜さんは毎日のように澪と一緒に帰っているからです。明義くんにしてみれば、あんな事があってはおいそれと近づけないのも道理でしょう。
「沢口くんも苦労が絶えないよねー」
「でも、ホントに虫よけのためだけに連れているの?」
 友人が澪の方を向きながら訊ねました。
「…………」
 前にも聞かれた疑問でしたが、やはり茜さんは答えません。
 友人たちもそれ以上は追及せず、結局明義くんの話題はそれっきりとなりました。茜さんの友人たちは互いのおかずの取り合いなんかを始めたりしていたのですが、澪はスケッチブックで茜さんにある事を訊ねていました。
『一石二鳥ってなんの事なの?』
「……?」
『前に言ってたの』
「……あの事ですか」
 それは数日前の帰り道で茜さんがつぶやいていた言葉でした。友人たちは聞いていませんでしたが、澪は覚えていたのです。
「……秘密です」
 茜さんは意味ありげにそう言っただけで、それ以上は答えませんでした。
「?」
 澪の頭の中の疑問符は、そのために消える事は無かったのでした。



 それからまた数日が過ぎました。
 授業が終わりHRが終わって放課後、茜さんはいつものように教室を出て帰宅の途に着きました。
 茜さんの友人たちはまだ教室に残っていましたが、つと明義くんが教室を出ていくのを目にしました。
 彼の表情を垣間見た時、そこからは並々ならぬ決意がみなぎっていたように見えました。
「今日あたり、言うのかな?」
「別にどうだっていいけど、あたしは……」
「何いってんの、こんなオモシロそうなこと見逃すテはないよっ」
 あまり乗り気ではない友人に対して、もう一人の方はとても興味津々といった感じのようです。
 結局は無理やりもう片方の友人も引っ張られて、茜さんたちの様子を見物に行く事になりました。
 校舎を出て、ふたりが先回りして前から歩いてくる茜さんの姿を見つけた時、ちょうど明義くんも茜さんの後ろからやって来るところでした。もちろん、茜さんの隣には今日も澪がいます。
「里村さんっ!」
 明義くんの呼びかけに茜さんが顔だけで振り返ります。明義くんはそのまま茜さんに近付きます。その時澪はすでにスケッチブックにペンを走らせようとしていました。
 が。
「オレと付き合ってくださいっ!!」
 突然の大声に、澪がびっくりしてスケッチブックを落としてしまいました。
 茜さんは表情を変えぬまま、明義くんを見ています。
 そして明義くんは、顔を真っ赤にして息を詰めたまま、その場に固まっていました。
「……ようやく言えたようですね」
 長い沈黙の後、先に口を開いたのは茜さんでした。
「……は?」
「ここのところ、何か言いたそうにしていたようですから」
「じゃ、じゃあそのために……」明義くんが澪の方に目を向けました。
「はい」
 意外な茜さんの言葉に、明義くんはしばしぼう然となっていました。
「けっきょく、茜ってば澪ちゃんをダシに使ったってこと?」
「そういうことなんでしょうよ……あいかわらずナニ考えてんだか」
 友人ふたりも意表を点かれたこの急展開を、息を潜めて見つめていました。
「そ、それじゃ……あらためて」
 やがて、明義くんは姿勢を正すと、改めて茜さんに告げました。
「オレと、付き合ってください」
「……嫌です」
 …………。
「……は?」
 しばしの空白の時間の後、思わずマヌケな声で明義くんが問い返しました。
「そのことと、返事の答えとは、別です」
 あっさりと言い切ると、茜さんはさっさと立ち去っていったのでした。
「…………」
 後には、あ然として立ち尽くす明義くんと、スケッチブックを拾い直した澪が残されました。
 澪は去ってゆく茜さんと。そばに立つ明義くんとを交互に見やって、ほえ? と首を傾げていました。
「ま、結果は予想通りだったってわけだね」
「みんなして茜ひとりに振りまわされたようなもんよね、まったく」
 物陰に隠れていた友人ふたりが、澪のところに姿を現わしながら言いました。
「で、これどうしよっか?」
 友人のひとりが、まっ白になって固まっている明義くんを指しました。
「ほっとけばいいでしょ。どうせこいつは自分が幸せもんなんだって気付かないのよ、一生ね」
 そう言うと、もうひとりの友人は茜の歩き去った方向へ歩き出したのでした。
「ただ、間違いなく、茜の尻に敷かれるだろうけどね」
 そんな言葉を残して、さっさと歩いていきます。
「……そうだね。じゃ、ひとりもんはひとりもん同士で、パフェでも食べにいこっか」
「……それはそれでイヤすぎるものがあるわよ」
「いいじゃないの、ほら、澪ちゃんも一緒に行こうよっ」
 そう言って彼女は澪を連れて、先を行く友人の後を追いかけたのでした。
 花咲く春のうららかな日、花の匂いを運ぶさわやかな風が吹きぬける午後、ひとり残された明義くんはその風に晒されながら、その日はずっとまっ白になったままであったということでした。



おわり