夜。 降り続いた雨がひととき止み。 雲の切れ間から、星がのぞく。 「もう一泊しないとムリみたいですね」 「真夜中にあっちに着いてもマズイでしょうし」 その星の下。 車を降りた亮吾が立つ。 「澪ちゃーん、着いたわよー」 後ろの座席で眠り込む澪に。 雪見が呼び掛ける。 「あ、私が運びますよ」 そう言うと。 亮吾は熟睡している澪を、運び出す。 「あっち、ってどこに行かれるんですか?」 「え? いや、その……ちょっと、施設まで……」 亮吾が少しためらいがちに口にする。 「……ふーん」 素っ気無く雪見がそれだけを返す。 「そ、そこの施設ってとってもキレイで」 「設備完備のすごいところらしいんですよ」 何となく亮吾は気が咎めたのか。 そんな言葉を並べる。 「……別に何も言ってませんよ」 そう言いながら。 二人分の荷物を両手に軽々と持って。 雪見はすたすた、と歩いていく。 「でも、そうやってると」 澪を抱えて立つ亮吾に向かって。 「親子みたいね」 ホテルの方に歩き去る雪見が。 そんな言葉を残していった。 月を映し出す夜空から。 再び雨が、降り出していた。 (……変わった子だけど) ホテルの一室の窓から。 そんな光景を眺めていた亮吾が。 ベッドで眠る澪を、見つめる。 (父親も母親も亡くした少女) 少女のこれまでの事に、思いをはせる。 (守ってくれる人間がいないわけだからな) 枕元の微かな動きに気付いて。 澪が目を開けているのを、知る。 「……父親が死んだ時も泣かなかったんだって?」 「ちゃんと泣きたい時泣いておかないと、体に悪いですよ」 「…………」 独り言のように、亮吾が話す。 それを黙って聞いている、澪。 「心配しなくてもこれから先、澪なら誰かが守ってくれるよ」 その言葉に。 澪が自分の手を伸ばし、亮吾の服の裾を掴む。 差し出されたか細い手と。 少女を、亮吾は見つめる。 そして、澪もまた、亮吾の事を見る。 “誰か” ………… (私が?) 少女を狙う何かから。 守るための人間。 (“誰か”に私が?) その人に。 なって欲しいと言うのか。 目の前の少女は。 朝。 日が昇り始めた空は。 蒼く、澄み渡っていた。 「ねえ、どうせお別れなら思いっきり派手に着飾って送り出したらどう?」 雪見の提案により。 ホテル内にある洋服店へと。 三人は立ち寄っていた。 「ぜったいに着せがいあるわよ、この子」 そう言いながらドアを開ける。 中から店員の応対の声が聞こえてきた。 「泥だらけじゃあんまりだからね」 と戸惑ったままの澪に、雪見が服を見繕い始める。 「伯父さまとしては、どんなのが好み?」 「ええっ?」 楽しそうな雪見と澪の前に立って。 「えーと……、これなんかは?」 女物の服はよく判らない、と。 うろたえている亮吾は、適当に服を選び出す。 そんな亮吾を。 雪見はうろたえる事じゃないでしょ、と言いつつ。 別の服を見立てている。 「…………」 雪見の選んだ服を手に持ち。 澪はそんな亮吾の仕草を、じっと見ている。 真新しい服に着替え。 澪が更衣室から姿を現わす。 さすがに少し照れくさそうにして。 俯いている澪は。 フリルをアクセントとしてあしらった、ブラウスに。 膝上までのひらひらとした、スカートと。 折り返しにフリルをあしらった。 膝より少し下まである、ハイソックスといった装い。 店員がお似合いですよ、と言うその姿を。 亮吾と雪見も微笑みながら、見る。 「やっぱり、選ぶものがいかにもおじさん好みの服って感じね」 でも似合ってる、と褒める雪見。 「うん、かわいいよ、澪」 それに、亮吾も相槌をうつ。 「リボン、似合ってるよ」 綺麗に梳かされた髪の後ろに。 服の色にあわせしつらえられた。 大きなリボンが、飾られていた。 送り出す店員の声を背に。 三人は洋服店を出る。 亮吾は歩きながら。 新しい服に身を包む澪を見て。 (“誰か”に私が?) 昨日も頭に浮かんだ考えを思い出す。 (それは無理だよ) 自分自身を納得させるような。 (この方がお前の為になるんだ) それは声に出す事は出来ない、心の呟き。 (わかってくれるよな、澪……) 「へえ、キレイなところね」 雪見が言う様に。 大きな真新しい建物が、三人の目の前にある。 確かにお預かりします、と。 応対した修道女姿の女性に。 澪が引き取られる。 「いい子にしてるんだよ」 そう別れを告げる亮吾に。 澪は背中を向けたまま。 何も返す事無く。 ただ俯いたまま。 「ばいばい、澪ちゃん」 雪見も別れを告げると。 車は施設の前から走り去った。 その間もずっと、澪は後ろ向きのまま。 それを見送る事もせず。 排気煙だけが後に残されてから。 澪は入口から奥の方に向けて駆け出す。 修道女が振り向いて声を掛けるが。 少女は立ち止まらずに、そのまま去って行く。 『守ってあげる』 亮吾の言葉。 澪はただ走る。 森の中を。 『守って……』 一陣の風が吹き。 土埃が舞い。 枯れ葉が辺りに散る。 「!」 風を手で遮って。 細めた目の端に。 浮かんだ雫は。 埃のためか。 それとも…… 風が吹き去って。 舞い落ちる枯葉の中に。 澪は、立ち尽くす。 「…………」 「しかし、なぜ澪はいつも泥だらけにしてたんでしょう?」 雪見を目的先に送り届けてから。 亮吾はふと口にする。 「……多分、自己防衛なんじゃないですか?」 亮吾に礼を述べていた雪見が。 その疑問に答える。 「自己防衛?」 亮吾が問い返す。 「きれいにしてたら見られるでしょう。余計にね」 「え?」 「いい意味ではいいとは思うんだけど、磨かれて」 私みたいにね、と冗談めかして言って。 「でも」 だが、すぐに真剣な口調に戻り。 「澪ちゃんの場合、危険まで感じているのかもしれないわね」 「危険?」 足の先に。 何かが掴み掛かる。 「!!」 その衝撃で。 澪は地面の上に倒れこむ。 少女が目を向けたその先に。 足首を掴む、男がいた。 「やっと、ひとりになったな」 口元に笑みを浮かべる。 影になって見えない顔。 男から感じられる雰囲気。 それは、あの黒い人影と同じ。 「父親の研究してたものの情報を、お前が何か知っているだろう」 少女に向けられる視線。 「いっしょにいたもうひとりの奴は気づかず帰ったようだが」 そして、地面に横たわる少女に。 「オレにはわかる」 男が近付いてくる。 枯れ葉を手で掴んでいる姿勢の、澪の周りに。 人の姿は無い。 「オレは、お前の事をずっと見てたのだから……」 少女を捕えようとする、男の手が触れる寸前。 「!!」 澪は。 手に持った枯れ葉を、男の前に投げつけた。 「うわっ!?」 (危険……) 車を走らせる亮吾の頭に過る。 雪見の言葉。 「…………」 森の中を少女が駆ける。 後ろから来る者から。 澪は、逃げる。 「逃げろ」 逃げる。 逃げる。 「逃げろ逃げろ」 逃げる。 逃げる。 逃げる。 「逃げろ逃げろ逃げろ」 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ」 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ」 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ」 「捕まえるぞ!!」 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げる。 逃げ…… 「……!」 少女の頭上。 張り出た小さな木の枝に。 リボンが絡みつく。 それを逃れようとする澪が。 前につんのめる。 『リボン似合ってるよ』 男の近付く枯れ葉を踏む音。 澪が逃れようとして、もがく。 そのせいで、更に引っ張られたリボンが。 『似合ってるよ……』 破れそうになるのを見て。 リボンを庇おうと。 すぐ近くに男の手が、迫ったとき。 その場で向きを変える。 そのために。 男の手が、少女を捕らえそこね。 空を切る。 澪の方に顔を向けたために。 足元の段差に、男は気づかなかった。 「うわっ!?」 地を捉え損ね男が、足を踏み外し。 草むらの上に倒れ込む。 斜面になっていた、そこを滑り落ち。 直下に。 鋭く尖った細い木の、先端が。 突き出していた。 「ぐがっ!!」 木に刺し貫かれた男が、短く悲鳴をあげると。 そのまま動かなくなる。 『心配しなくてもいいんだよ、澪』 一部始終を見ていた澪は。 亮吾の声を聞いた気がして。 枝に絡まったリボンを見る。 亮吾が選んでくれた、それを。 『私が守ってあげるから』 まるで。 その言葉の通りに。 亮吾が守ってくれた様に思えて。 少女はリボンに、そっと手を触れる。 「何だ?」 息を切らした亮吾が。 施設の辺りへと戻って来たとき。 人々のざわめきとサイレンの音で。 辺りは、喧騒に包まれていた。 「何があったんだ? いったい?」 人の集まっている辺りへと。 近付く亮吾は。 その中に。 「澪!?」 別れたばかりの少女の姿を、見付ける。 慌てて駆け寄り。 「……あーあ」 「さっき買ったばかりの服を」 もう泥だらけにして、と。 そう言う亮吾が見た。 澪の出で立ちは。 ほどけたリボンを手に持ち。 泥まみれの顔と服で。 髪の毛も、乱れたまま。 「まだあれから一時間もたってないんだよ」 「あれほどいい子にしてるんだよって言ったのに……」 事情を知らない亮吾が。 澪の前でそう言うのを。 澪は問いたげな眼で、見つめる。 「……えーと」 その表情に気付き。 照れくさそうな顔で、亮吾は話す。 「ここにいた方が澪のためにいいんだし……」 「そのことは十分承知してはいるんだけど……」 「何となく……その……心配になったので……」 口篭もりながらのその言葉を聞く、澪の手から。 リボンが落ちて。 そのまま亮吾に向かって、飛び込んでくる。 服の袖を握り。 押さえていたものを解き放つような勢いで。 少女は。 亮吾に、しがみつく。 「……不幸にするかもしれないけど」 「いっしょに来るかい?」 (まるでプロポーズするみたいな言葉だな) 心の中でそんな事を思いながら。 語り掛ける亮吾に。 澪が伝えたのは。 袖を掴む手を、強く握りしめた事。 それが、少女の返答。 「……そうか」 その返事を受け取った、亮吾は。 「……じゃあ、まず最初の不幸なんだけど」 「車がオシャカになったんでこれから歩きになるけど、いいかい?」 「いらっしゃい」 入口につけられたベルが鳴り。 一人の客が現れる。 「ふうん……あれ? ポートレート?」 その客が見せた絵。 それを見た美術店の主人は。 意外そうな声をあげる。 「ええ……まあ……」 「へえ、昔あった時は、人物は苦手だって言ってなかったかい?」 茶化すような店長の言葉に。 「そうでしたね」 絵を描いた亮吾が、頷く。 「でも、何となくいいなあ……これ」 そう言う店の主人が持つ。 肖像画に描かれているのは。 夏の花を背にした。 座り込んでいる少女の、姿。 「そうですか」 (何となく、ね) それを聞いていた亮吾が。 向けた視線の先で。 入口の向こうから。 彼が描いた絵の中の少女が。 こちらを見て、手を挙げる。 「何か、いい事でもあったのかい?」 「さあ?」 店の主人の言葉に軽く答えて。 入口から出ようとする、亮吾を。 頭に花冠を載せ。 手にどこからか摘んできた花を持った。 澪が、迎える。 「でも」 顔や服が泥だらけである少女を。 またか、という風に。 呆れたように、見ながらも。 「毎日が楽しいからかもしれませんね」 少女が見せる、無邪気な笑顔。 亮吾もまた。 それに笑顔で、答えるのだった。 - Story3 End - < Next Phase >