真夏のONE Phase#8  投稿者:Matsurugi


 夜。
 降り続いた雨がひととき止み。
 雲の切れ間から、星がのぞく。


「もう一泊しないとムリみたいですね」
「真夜中にあっちに着いてもマズイでしょうし」

 その星の下。
 車を降りた亮吾が立つ。

「澪ちゃーん、着いたわよー」

 後ろの座席で眠り込む澪に。
 雪見が呼び掛ける。

「あ、私が運びますよ」

 そう言うと。
 亮吾は熟睡している澪を、運び出す。

「あっち、ってどこに行かれるんですか?」

「え? いや、その……ちょっと、施設まで……」

 亮吾が少しためらいがちに口にする。

「……ふーん」

 素っ気無く雪見がそれだけを返す。

「そ、そこの施設ってとってもキレイで」
「設備完備のすごいところらしいんですよ」

 何となく亮吾は気が咎めたのか。
 そんな言葉を並べる。

「……別に何も言ってませんよ」

 そう言いながら。
 二人分の荷物を両手に軽々と持って。
 雪見はすたすた、と歩いていく。

「でも、そうやってると」

 澪を抱えて立つ亮吾に向かって。

「親子みたいね」

 ホテルの方に歩き去る雪見が。
 そんな言葉を残していった。



 月を映し出す夜空から。
 再び雨が、降り出していた。


(……変わった子だけど)

 ホテルの一室の窓から。
 そんな光景を眺めていた亮吾が。
 ベッドで眠る澪を、見つめる。

(父親も母親も亡くした少女)

 少女のこれまでの事に、思いをはせる。

(守ってくれる人間がいないわけだからな)

 枕元の微かな動きに気付いて。
 澪が目を開けているのを、知る。

「……父親が死んだ時も泣かなかったんだって?」
「ちゃんと泣きたい時泣いておかないと、体に悪いですよ」

「…………」

 独り言のように、亮吾が話す。
 それを黙って聞いている、澪。

「心配しなくてもこれから先、澪なら誰かが守ってくれるよ」

 その言葉に。
 澪が自分の手を伸ばし、亮吾の服の裾を掴む。
 差し出されたか細い手と。
 少女を、亮吾は見つめる。
 そして、澪もまた、亮吾の事を見る。


“誰か”


 …………


(私が?)

 少女を狙う何かから。
 守るための人間。

(“誰か”に私が?)

 その人に。
 なって欲しいと言うのか。
 目の前の少女は。



 朝。
 日が昇り始めた空は。
 蒼く、澄み渡っていた。


「ねえ、どうせお別れなら思いっきり派手に着飾って送り出したらどう?」

 雪見の提案により。
 ホテル内にある洋服店へと。
 三人は立ち寄っていた。

「ぜったいに着せがいあるわよ、この子」

 そう言いながらドアを開ける。
 中から店員の応対の声が聞こえてきた。
 
「泥だらけじゃあんまりだからね」

 と戸惑ったままの澪に、雪見が服を見繕い始める。

「伯父さまとしては、どんなのが好み?」

「ええっ?」

 楽しそうな雪見と澪の前に立って。

「えーと……、これなんかは?」

 女物の服はよく判らない、と。
 うろたえている亮吾は、適当に服を選び出す。
 そんな亮吾を。
 雪見はうろたえる事じゃないでしょ、と言いつつ。
 別の服を見立てている。

「…………」

 雪見の選んだ服を手に持ち。
 澪はそんな亮吾の仕草を、じっと見ている。


 真新しい服に着替え。
 澪が更衣室から姿を現わす。
 さすがに少し照れくさそうにして。
 俯いている澪は。
 フリルをアクセントとしてあしらった、ブラウスに。
 膝上までのひらひらとした、スカートと。
 折り返しにフリルをあしらった。
 膝より少し下まである、ハイソックスといった装い。
 店員がお似合いですよ、と言うその姿を。
 亮吾と雪見も微笑みながら、見る。

「やっぱり、選ぶものがいかにもおじさん好みの服って感じね」

 でも似合ってる、と褒める雪見。

「うん、かわいいよ、澪」

 それに、亮吾も相槌をうつ。

「リボン、似合ってるよ」

 綺麗に梳かされた髪の後ろに。
 服の色にあわせしつらえられた。
 大きなリボンが、飾られていた。


 送り出す店員の声を背に。
 三人は洋服店を出る。
 亮吾は歩きながら。
 新しい服に身を包む澪を見て。

(“誰か”に私が?)

 昨日も頭に浮かんだ考えを思い出す。

(それは無理だよ)

 自分自身を納得させるような。

(この方がお前の為になるんだ)

 それは声に出す事は出来ない、心の呟き。

(わかってくれるよな、澪……)



「へえ、キレイなところね」

 雪見が言う様に。
 大きな真新しい建物が、三人の目の前にある。


 確かにお預かりします、と。
 応対した修道女姿の女性に。
 澪が引き取られる。

「いい子にしてるんだよ」

 そう別れを告げる亮吾に。
 澪は背中を向けたまま。
 何も返す事無く。
 ただ俯いたまま。

「ばいばい、澪ちゃん」

 雪見も別れを告げると。
 車は施設の前から走り去った。
 その間もずっと、澪は後ろ向きのまま。
 それを見送る事もせず。


 排気煙だけが後に残されてから。
 澪は入口から奥の方に向けて駆け出す。
 修道女が振り向いて声を掛けるが。
 少女は立ち止まらずに、そのまま去って行く。



『守ってあげる』

 亮吾の言葉。
 澪はただ走る。
 森の中を。

『守って……』

 一陣の風が吹き。
 土埃が舞い。
 枯れ葉が辺りに散る。

「!」

 風を手で遮って。
 細めた目の端に。
 浮かんだ雫は。
 埃のためか。
 それとも……


 風が吹き去って。
 舞い落ちる枯葉の中に。
 澪は、立ち尽くす。

「…………」



「しかし、なぜ澪はいつも泥だらけにしてたんでしょう?」

 雪見を目的先に送り届けてから。
 亮吾はふと口にする。

「……多分、自己防衛なんじゃないですか?」

 亮吾に礼を述べていた雪見が。
 その疑問に答える。

「自己防衛?」

 亮吾が問い返す。

「きれいにしてたら見られるでしょう。余計にね」

「え?」

「いい意味ではいいとは思うんだけど、磨かれて」

 私みたいにね、と冗談めかして言って。

「でも」

 だが、すぐに真剣な口調に戻り。

「澪ちゃんの場合、危険まで感じているのかもしれないわね」

「危険?」



 足の先に。
 何かが掴み掛かる。

「!!」

 その衝撃で。
 澪は地面の上に倒れこむ。
 少女が目を向けたその先に。
 足首を掴む、男がいた。

「やっと、ひとりになったな」

 口元に笑みを浮かべる。
 影になって見えない顔。
 男から感じられる雰囲気。
 それは、あの黒い人影と同じ。

「父親の研究してたものの情報を、お前が何か知っているだろう」

 少女に向けられる視線。

「いっしょにいたもうひとりの奴は気づかず帰ったようだが」

 そして、地面に横たわる少女に。

「オレにはわかる」

 男が近付いてくる。
 枯れ葉を手で掴んでいる姿勢の、澪の周りに。
 人の姿は無い。

「オレは、お前の事をずっと見てたのだから……」

 少女を捕えようとする、男の手が触れる寸前。

「!!」

 澪は。
 手に持った枯れ葉を、男の前に投げつけた。

「うわっ!?」



(危険……)

 車を走らせる亮吾の頭に過る。
 雪見の言葉。
 
「…………」



 森の中を少女が駆ける。
 後ろから来る者から。
 澪は、逃げる。

「逃げろ」

 逃げる。
 逃げる。

「逃げろ逃げろ」

 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。

「逃げろ逃げろ逃げろ」

 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。

「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ」

 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。

「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ」

 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。

「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ」
「捕まえるぞ!!」

 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げる。
 逃げ……

「……!」

 少女の頭上。
 張り出た小さな木の枝に。
 リボンが絡みつく。
 それを逃れようとする澪が。
 前につんのめる。

『リボン似合ってるよ』

 男の近付く枯れ葉を踏む音。
 澪が逃れようとして、もがく。
 そのせいで、更に引っ張られたリボンが。

『似合ってるよ……』

 破れそうになるのを見て。
 リボンを庇おうと。
 すぐ近くに男の手が、迫ったとき。
 その場で向きを変える。
 そのために。
 男の手が、少女を捕らえそこね。
 空を切る。
 澪の方に顔を向けたために。
 足元の段差に、男は気づかなかった。

「うわっ!?」

 地を捉え損ね男が、足を踏み外し。
 草むらの上に倒れ込む。
 斜面になっていた、そこを滑り落ち。
 直下に。
 鋭く尖った細い木の、先端が。
 突き出していた。

「ぐがっ!!」

 木に刺し貫かれた男が、短く悲鳴をあげると。
 そのまま動かなくなる。

『心配しなくてもいいんだよ、澪』

 一部始終を見ていた澪は。
 亮吾の声を聞いた気がして。
 枝に絡まったリボンを見る。
 亮吾が選んでくれた、それを。

『私が守ってあげるから』

 まるで。
 その言葉の通りに。
 亮吾が守ってくれた様に思えて。
 少女はリボンに、そっと手を触れる。



「何だ?」

 息を切らした亮吾が。
 施設の辺りへと戻って来たとき。
 人々のざわめきとサイレンの音で。
 辺りは、喧騒に包まれていた。

「何があったんだ? いったい?」

 人の集まっている辺りへと。
 近付く亮吾は。
 その中に。

「澪!?」

 別れたばかりの少女の姿を、見付ける。
 慌てて駆け寄り。

「……あーあ」
「さっき買ったばかりの服を」

 もう泥だらけにして、と。
 そう言う亮吾が見た。
 澪の出で立ちは。
 ほどけたリボンを手に持ち。
 泥まみれの顔と服で。
 髪の毛も、乱れたまま。

「まだあれから一時間もたってないんだよ」
「あれほどいい子にしてるんだよって言ったのに……」

 事情を知らない亮吾が。
 澪の前でそう言うのを。
 澪は問いたげな眼で、見つめる。

「……えーと」

 その表情に気付き。
 照れくさそうな顔で、亮吾は話す。

「ここにいた方が澪のためにいいんだし……」
「そのことは十分承知してはいるんだけど……」
「何となく……その……心配になったので……」

 口篭もりながらのその言葉を聞く、澪の手から。
 リボンが落ちて。
 そのまま亮吾に向かって、飛び込んでくる。
 服の袖を握り。
 押さえていたものを解き放つような勢いで。
 少女は。
 亮吾に、しがみつく。

「……不幸にするかもしれないけど」
「いっしょに来るかい?」

(まるでプロポーズするみたいな言葉だな)

 心の中でそんな事を思いながら。
 語り掛ける亮吾に。
 澪が伝えたのは。
 袖を掴む手を、強く握りしめた事。
 それが、少女の返答。

「……そうか」

 その返事を受け取った、亮吾は。

「……じゃあ、まず最初の不幸なんだけど」
「車がオシャカになったんでこれから歩きになるけど、いいかい?」



「いらっしゃい」

 入口につけられたベルが鳴り。
 一人の客が現れる。

「ふうん……あれ? ポートレート?」

 その客が見せた絵。
 それを見た美術店の主人は。
 意外そうな声をあげる。

「ええ……まあ……」

「へえ、昔あった時は、人物は苦手だって言ってなかったかい?」

 茶化すような店長の言葉に。

「そうでしたね」

 絵を描いた亮吾が、頷く。

「でも、何となくいいなあ……これ」

 そう言う店の主人が持つ。
 肖像画に描かれているのは。
 夏の花を背にした。
 座り込んでいる少女の、姿。

「そうですか」

(何となく、ね)

 それを聞いていた亮吾が。
 向けた視線の先で。
 入口の向こうから。
 彼が描いた絵の中の少女が。
 こちらを見て、手を挙げる。

「何か、いい事でもあったのかい?」

「さあ?」

 店の主人の言葉に軽く答えて。
 入口から出ようとする、亮吾を。
 頭に花冠を載せ。
 手にどこからか摘んできた花を持った。
 澪が、迎える。

「でも」

 顔や服が泥だらけである少女を。
 またか、という風に。
 呆れたように、見ながらも。

「毎日が楽しいからかもしれませんね」

 少女が見せる、無邪気な笑顔。
 亮吾もまた。
 それに笑顔で、答えるのだった。



 - Story3 End -


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