両手いっぱいに。
花を抱え。
少女が。
立っている。
目の前には。
小さく盛られた。
土と。
そこに刺さった。
木片。
僅かそれだけが。
此処で。
死者が弔われた事を示す。
痕跡。
その前に立ち。
花の中に。
顔を埋もれさせて。
少女は。
眼を伏せる。
「死んだ!?」
「一ヶ月前、火事でねえ」
「…………」
その事を聞かされた時。
男は。
片方の手で。
顔を覆い隠し。
長い間。
無言のままであった。
「……ああ」
「でも、娘は無事だよ」
だからあんたを呼んだんだ、と。
近くに住んでいるという。
中年と思しき婦人が。
語る。
「……娘?」
長い沈黙の後。
ようやく。
男が。
それだけを。
口にした。
墓前に花を供え。
真っ直ぐに。
少女は。
正面を見つめ。
そして。
不意に。
何を。
感じ取ったか。
首だけを。
後ろに巡らす。
少女が。
視線を向けた。
その場所。
遠くに見える。
腰の高さほどの。
草むらの。
向こう側から。
黒い人影が。
少女を。
見ている。
その鋭い視線が。
少女の眼にも。
はっきりと見えた。
(冗談じゃない)
それが。
真っ先に。
男の頭をよぎった事。
「私に引き取れというのですか?」
「ムリですよ、年中旅行しているのに」
「でも、あんたしか身内はいなんだろ」
「母親は死んでるそうだし」
家だってこれ以上増えるのは困るんだよ、と。
婦人の言葉を。
聞きつつも。
男が。
婦人と。
言い合いを続ける。
その最中。
外の入口のドアが。
乱暴に開かれる。
そこから。
飛び込んでくるような。
勢いで。
幼い少女が。
息を切らしながら。
彼の視界の中に。
現われる。
「おや、澪」
澪。
婦人が。
そう呼んだ。
少女は。
視界の中に。
一人の男の姿を。
見つけ。
睨み付けるような瞳で。
だけど。
怯えるような表情で。
彼を見る。
「この娘だよ」
「あんたの弟さんの一人娘」
澪、と。
婦人が。
あらためて。
そう呼んだ。
その少女を。
男が最初に見た時の。
出で立ちは。
顔が泥まみれで。
ワンピースのような衣服も。
泥で汚れていた。
「……えーと」
「なかなか、活発的な子供のようで……」
それが。
上月亮吾と。
上月澪の。
好印象とは。
言い難い。
最初の出会いであった。
「じゃあ、施設とかに預けたらどうかね」
婦人が。
提案する。
「最近いいところできたそうだし」
「私も、誰も来なかったら」
そこへ預けようと思ってた、と。
婦人は。
彼を見て。
告げる。
亮吾が。
少女を見る。
澪は。
どちらとも。
目を合わせず。
何も語らぬまま。
「…………」
暫しの沈黙。
やがて。
亮吾が。
口を開く。
「どこにあるんでしょうか、それ」
家屋の外。
車のエンジンが。
幾度かの。
試行の後。
作動する。
「よおし、かかった」
「…………」
澪が。
そんな様子を。
多少不安げな面持ちで。
見つめる。
「? 不安かい?」
「心配しなくてもちゃんと走る……」
「ああ、上月さん」
問いかけようとした。
亮吾に。
見送りに来ていた。
婦人が。
話し掛ける。
「この子、しゃべれないんだよ」
「あんたの弟さん……この子の父親が」
目の前で焼死したショックでね、と。
婦人が告げる。
(目の前で焼死……?)
突然に聞かされた。
その言葉に。
亮吾は。
何も。
言えなくなる。
婦人が話を続ける。
「しゃべれない上」
「もともと感受性が強いらしいって……」
「医者が言ってたっけ」
ちょっと変わった子だ、と。
少女の印象を。
口にする。
「父親が死んだ時も泣かないし」
「何考えてんのかさっぱり……」
溜息と共に。
そう言って。
話を区切る。
「……しかし、だからって」
「顔の泥ぐらい、ふいてあげたらどうです?」
ずっと。
気に懸かっていた事を。
口に出す。
「ふいても汚すんだよ、ワザと……」
見ててごらん、と。
手に持った布で。
婦人が。
澪の顔を。
拭こうとすると。
「……!」
その手を振り払い。
泥の落ちた顔に。
汚れたままの。
袖口や手で。
澪が。
泥を擦り付ける。
(……確かに)
亮吾は。
澪の横で。
その様子を。
見つめていた。
唖然とした顔で。
「遠いけれど」
「丸一日あれば着くだろ」
「じゃあ、澪」
元気で、と。
婦人が。
軽く手を挙げ。
走り去る車を。
見送る。
屋根の無い車は。
排気煙を残して。
そこから。
走り去る。
幼い少女と。
その叔父を。
乗せて。
周りの風景が。
遠ざかるのを。
澪は。
後向きになって。
見つめている。
その視界の。
片隅に。
黒い人影が。
立っているのを。
流れ過ぎていく。
景色の中に。
見止めながら。
夜。
欠けた月が昇り。
空には星が。
散りばめられる。
「やれやれ、疲れた」
「車が途中で動かなくなるなんて……」
車を降りて。
その脇に。
亮吾は立つ。
「とにかく、一泊して明日ですね」
近くに建つ。
ホテルを見つけて。
「ここで待っててくれますか?」
澪に言い残し。
歩き出そうと。
……出そうと。
「わ?」
と。
背後から。
何かに引かれ。
バランスを崩す。
「な、何だ?」
「…………」
亮吾の袖を。
澪の手が。
掴んでいる。
まるで。
彼から。
離れたくないように。
「……何を、恐がっているの?」
幼子をなだめる様に。
言い聞かせる様に。
亮吾が澪を諭す。
「いくらなんでも」
「こんなところに置いてきぼりにはしませんよ」
宿が空いているか聞いて……、と。
続けようとした。
その途中で。
近くの草むらが。
葉を揺らす。
その音に。
澪が。
びくり、と。
身を竦ませる。
「どちらに行かれるんでしょうか?」
音のした方から。
声が掛けられる。
そちらを向いた。
亮吾と。
澪は。
そこに現われた。
およそこの場には。
似つかわしくない。
華美な服装の。
若い女性の姿を。
見る。
「ええ、南の方へ……」
「ああ、それじゃ、ちょうど良かった」
「?」
その出で立ちは。
閑散とした周囲とは。
あまりにも。
場違いな様相。
だが。
それほど違和感が無い。
雰囲気に見えるのは。
それが。
様になってる為か。
そして。
その外見とは。
裏腹に。
片手に持っている。
大荷物が。
逆に。
違和感を感じさせる。
「途中まで乗せてってくれませんか?」
「車が壊れちゃって」
そう言った。
その女性が。
深山雪見です、と。
名前を告げる。
「ええ、喜んで……あ、私は」
同じように。
自分の名前を。
亮吾が名乗る。
「…………」
そんな二人を。
ちら、と見て。
澪は。
唐突に。
くるり、と。
頭を巡らして。
ホテルの方へと。
向かって行く。
「あ、澪」
声を掛けるが。
止まる事無く。
澪はそのまま。
すたすた、と。
歩いていく。
その後を。
慌てて。
亮吾が追う。
「じゃあ、また明日」
雪見も。
そのまま。
挨拶を返し。
ホテルの方へ。
歩き去っていく。
「……ん?」
荷物を持って。
歩き出した時。
茂みの方から。
物音が。
聞こえた気がして。
亮吾が。
振り返る。
「……?」
が。
先の時と。
異なり。
そこには。
誰の姿も。
見る事は。
無かった。
辺りには。
虫の鳴声だけが。
静かに。
響くのみ。
ホテルの一室に。
亮吾達が。
部屋を取ってから。
暫くは。
何事も無く。
夜のしじまが。
流れていた。
だが。
突然に。
その静寂が。
破られる。
「うわああっ?」
悲鳴のような声と。
時を同じくして。
騒がしい音が。
響き渡る。
「何事だ?」
「どうかしたのか?」
ホテル内にいた。
人々が。
騒然となる。
「あの声は……上月さん?」
声の人物に。
雪見は。
気付く。
「失礼します、何か……あ?」
大急ぎで。
駆けつけた。
ホテルの従業員等が。
そこで。
見たもの。
椅子を振り上げて立つ。
澪と。
床に倒れ込んでいる。
亮吾。
部屋の入口に立つ。
人々は。
何が起こったのか。
判らずに。
立ち尽くしたまま。
「上月さん……! どうしたの?」
一緒に来ていた。
雪見も。
その様子に。
唖然としている。
「何でもありません」
とても。
そうは思えぬ。
風体で。
亮吾が答える。
「風呂に入れようとしたら」
「暴れ出しただけです」
座り込んだまま。
そう言う亮吾に。
「当たり前でしょう」
「女の子なんだから」
雪見が。
さも普通であると。
いった口調で。
返す。
浴室から。
澪が出てくる。
「へえ」
身体を洗って。
全身の。
汚れを落とした。
少女を。
「ちゃんと綺麗にしたら」
「キレイになるじゃないか」
亮吾が。
嬉しそうな表情で。
眺める。
「…………」
そんな亮吾の。
表情を見て。
澪も。
同じように。
何となく。
嬉しそうな。
表情になる。
「じゃあ、帰りますね、私」
「ありがとう」
礼を述べてから。
雪見が。
部屋を出る。
「さてと」
亮吾が。
ひと息入れている間。
澪は。
窓辺に向かい。
外の空気を。
取り込む。
遠くから響く。
鈴虫の泣き声。
近くに見える。
生い茂った草。
その1ヶ所で。
眼が留まる。
闇の中。
黒い人影を。
澪は見る。
その鋭い眼が。
少女を見る。
何度か。
眼にした覚えがある。
少女だけを。
見つめる。
その眼を。
向けて。
大きな音を立てて。
窓が閉じられるのを。
聞いて。
「?」
亮吾が。
澪の方を。
振り返る。
「どうした?」
窓を閉じた手を。
そのままに。
澪の視線の先に。
窓際に置かれた。
鉢植えが留まる。
「わーーーーーーーーーーーっ!!」
静寂を破って。
辺りを騒がす。
今夜。
二度目となる。
大声。
「どうしたの、上月さん!?」
「また、何かしたの?」
聞きつけた雪見が。
慌ただしく。
駆け付け。
再び。
部屋の入口を。
開けて。
見たものは。
「……澪ちゃん!?」
部屋の中には。
土がこぼれ出た。
鉢植えが。
床に転がり。
雪見の声に。
こちらを。
振り向いた。
亮吾が。
床に座り込んで。
澪の手を。
掴んでいる。
そして。
澪の方は。
こぼれ出た土を。
手にして。
半ば床に。
倒れ込んでいる。
その全身を。
真新しい土で。
泥まみれにして。
「上月さんっ、何かしたのっ!」
洗ったばかりの。
髪も。
顔も。
服も。
ついたばかりの。
土で。
斑模様に。
染まっている。
「何もしてませんよ、今度こそ」
「外を見てたら、いきなり……」
雪見の剣幕に。
怯みながらも。
弁解する。
亮吾の話を。
聞いて。
「外?」
窓の方を。
暫し眺め。
雪見は。
澪の方に。
向き直る。
「……澪ちゃん? 何かいたの?」
小さく頷いて。
肯定の意志を。
澪が伝える。
「?」
窓を開け。
「べつに今は」
「何にもいないようだけど」
雪見は。
外の様子を。
伺っている。
「…………」
亮吾は。
その間。
無言。
(そう言えば)
(さっき……ホテルに入る前に)
(人の気配を感じたのは……)
「澪」
記憶の中の思考に。
心を漂わせながら。
「木の枝、危ないよ」
倒れた鉢植えの。
近くに立つ澪に。
注意を促して。
手を差し伸べる。
そんな。
亮吾を見て。
澪の表情は。
安心したように。
見える。
(まさか)
だが。
(誰かが)
亮吾の方は。
(澪を狙っている……?)
心の中で。
ふと。
よぎった考えが。
頭をもたげていた。
翌日。
「へえ、絵描きさんなんですか」
宿を発った。
三人を乗せて。
車が走る。
亮吾の隣りに。
雪見が座る。
その途中で。
どんな絵を描くのか、と。
亮吾の事を。
雪見が聞く。
「次のは、まだ描いてないんです」
こう騒がしいとね、と。
苦笑して。
(早くこの子を送り届けないと)
(ゆっくり絵も描いてられないな……)
そんな事を。
考えてると。
隣りから。
苦しそうな。
声が。
聞こえる。
「どうしました?」
見ると。
「ちょっと、酔ったみたいで……」
蒼ざめた。
雪見の顔。
車が停まると。
慌ただしく。
道の奥の。
茂みへと。
雪見が。
口を手で押さえ。
駆け出して行く。
「……z」
澪は。
後ろの座席で。
眠っている。
「大丈夫ですかー?」
車から降りて。
立っている。
亮吾が。
その場所から。
見えない。
雪見の方へ。
声を掛けた時。
「え?」
真後ろからの。
物音。
振り向いた。
亮吾の袖に。
いつ起きたのか。
澪が。
しがみついてくる。
唐突な。
その様子に。
「……どうした?」
また何かいたのか。
そう。
問い掛けても。
答えは。
当然。
無い。
だから。
変わりに。
胸元に。
澪を抱え。
安心させるように。
抱き寄せる。
……ふと。
その顔を見て。
「しかし、何で顔に泥を塗るんだ?」
昨日の夜と同じ。
泥のついたままの。
澪の顔。
それを。
見つめながら。
(一人になりたがらないのは)
(何かに怯えてるせいだからだろうか?)
昨日も感じた。
少女の。
今までの行動。
それは。
分らない何かを。
感じているがために。
そうしていると。
云う事なのか。
「……まあ、そう怖がらなくてもいいんだよ」
ぽんぽん、と。
澪の頭に。
手をやりながら。
「ちゃんと私が守ってあげるから」
シートに。
横になって。
そう言った。
亮吾の顔を。
澪は。
不思議な。
面持ちで。
見上げる。
「でも、ま、女の子ひとりで」
自分の上着を。
澪に。
掛けてやりながら。
「こんなに生活が」
「びっくり箱になってしまうとはね……」
帽子を。
頭に乗せ。
呟くように。
洩らす。
「この子の男は」
「苦労が絶えないでしょうね」
丁度戻ってきた。
雪見が。
亮吾の呟きを。
労るような事を。
話し掛ける。
……と。
「ん?」
雪見の帽子に。
何かが当たる音。
雨、と。
思う間もなく。
続けざまの。
雨音が。
打ち付ける。
突然の事に。
亮吾と。
雪見は。
慌てて。
雨除けの用意を。
始める。
横になっていた。
澪は。
雨の降る。
その前に。
亮吾の上着を。
頭から。
被って。
シートの上に。
座り込んでいた。
「…………」
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