夏祭りの当日。
陽が落ちて、夜が更けて、辺りが暗くなった。
ぽんっ。
「お待たせーっ」
そう言って、いつものごとく瑞佳が現れる。
「……こんばんは」
そして、これもまたいつものように、瑞佳の前に、あかねをはじめとしたねこたちが立っている。
「……今日は、いつもと違う感じですね」
「うん。やっぱり、夏祭りっていえば、これかなって思って」
いつもと違って、瑞佳は浴衣姿で現れたのであった。
「…………」
じろじろ。
ねこたちと一緒にいた浩平が、そんな瑞佳を黙って眺める。
「な、何?」
少し気恥ずかしくなって、瑞佳は自分を見ている浩平の眼から逃れようとする。
「似合わんこともないな」
「わっ、何てこというんだよ〜っ、浩平〜っ。わたしのこの格好なんて見慣れてるでしょーっ」
「最近は、そんなに見覚えなんかないと思うが」
「それは、一緒にお祭りとか行くことなくなったからだよっ。小さい頃はよく行ったから、浩平だってわたしのこんな姿、見た事きっとあるもんっ」
「そうか? ……そうだったかもしれないな」
確かに、浩平がかつて瑞佳のそんな姿を見たのはもうずいぶん前の事であった。
久しぶりに見て、その頃とは違っている今のこの姿を、目の前にいるこの幼なじみの少年(もうそんな風に呼べるような年齢ではなくなったが)はどんな風に受け止めたのだろうか。
瑞佳は、いつもと余り変わらない浩平の言葉が、何となく思った通りであったのと同時に、少しは違うことを言ってくれるのではないかと期待していた自分に気がついたのだった。
瑞佳と浩平、そしてねこたちは陽の暮れた街の通りへとやって来た。
いつもは街灯の光だけが灯されている夜の通りには、色とりどりの照明が映え、いつもよりたくさんの人が行き交う。
それは普段目にしている場所とは思えないほどの変容を見せており、またそれが印象的でもあった。
両脇にずらっと並ぶ屋台、露店の間を歩きながら、瑞佳はすっかり見慣れてしまった通りの異なる一面を眺める。
それは、瑞佳の世界で見る事の出来るものと何ら遜色のない光景である。
たとえ、頭にねこの耳をつけたような人々で埋め尽くされている場所であったとしても、その雰囲気が大きく変わるわけではないのだ。どんな世界であっても。
屋台に、様々なお祭りならではの食べ物が並んでいる。
焼きそば、お好み焼き、焼き鳥、大判焼き、焼きトウモロコシ、たこ焼き、焼きリンゴ、焼きイカ、綿あめ、ソフトクリーム、かき氷、べっ甲飴……
「……って、いつまで食べてるのっ、みさき!!」
「え〜、でも、あっちからもおいしそうな匂いがするよ〜」
「はあ……。みさきにかかったら屋台の食べ物全部、食べられかねないわね……」
「うー、そんな言い方ひどいよ〜、ゆきちゃん〜」
「…………」
「……ねえ」
「…………」
「ねえ、あかねってば」
「……はい」
「また、ここに来てるの?」
「……はい」
「ひょっとして、まだ、食べる気なの?」
「……はい」
「そんなに気に入ったの? この『たい焼き』ってのが?」
「……はい」
「おーい」
「……はい」
(……こりゃ、ダメだ)
「お、金魚すくいか。どうだ、挑戦してみたらどうだ? ななせ」
「えっ、でも、何だか難しそう……」
「そんなことないぞ。おまえだったら、『こんなの、ちまちまとすくってられるかーっ!!』って水槽ごといっぺんにすくえるかもしれないぞ」
「そんなことするかっ!!」
それぞれに、ねこたちがお祭りを楽しんで(?)いる最中、瑞佳も浩平と一緒に喧騒のただ中を歩いていた。
「楽しいねっ、浩平っ」
「そうか? このくらい、もとの世界でも普通に見れるだろ?」
「そうだけど、でも、楽しいことはどこでだって楽しいんだよ」
瑞佳は嬉しそうに浩平と話している。
と、ふと、瑞佳がある屋台の前で足を止める。
「あ、浩平、あれっ」
「何だ、こんなものまであるのか」
そこには、段々になった棚の上に大小様々なぬいぐるみやら置物が並べられ、それに向って輪を投げ、入ったらそれをもらえるという、屋台なんかではおなじみの輪投げであった。
「あ、あれ、かわいいねっ」
「どれだ?」
「ほら、あそこ」
と瑞佳が指差すのは、ねこを模したような(瑞佳の世界での一般的な猫である)ぬいぐるみであった。
「……おまえって、どんな時でも猫に眼がいくんだな」
「え〜っ、そんなことないもんっ」
瑞佳がむくれてみせるのをしり目に、
「やってみるか?」
「え〜っ、でも、わたし、こういうの苦手だよっ……」
「でも、欲しいんだろ?」
「だったら、浩平、取ってよっ」
「なんで、俺が取らなくちゃならないんだ」
「でも、浩平、こういうゲームとかって得意でしょっ」
「確かに得意かもしれないが、こういうのは全然違うと思うぞ。それに、得意だからって、取れるとは限らないんだぞ」
というと、浩平はさっさと歩いていこうとする。
「あ、待ってよ〜っ」
少し未練を残しながらも、瑞佳は浩平の後を追う。
「…………」
浩平は瑞佳が来るのを途中で待っていたが、少しだけ、さっきの屋台の方を気にするように顔を向けていた。
しかし、急いで追いつくために浩平の横で息を整えていた瑞佳は、そんな様子に気付かなかったのだった。
「……ここでしたか」
しばらく歩いていると瑞佳は、あかね、ななせ、みさきらねこたちと一緒になった。
まゆや、みおの姿も近くにいるようで、それぞれにお祭りを楽しんでいるようである。
「……そろそろ盆踊り、というのが始まるようです」
「あっ、そうなんだ」
「行きますか?」
「うん……あ、でもそろそろ帰る時間に……」
ねこたちによって呼び出されている瑞佳がこのねこの世界にいられる時間は1時間だけである。
そして、その呼び出しのための儀式には、2時間を必要とする。
「……それなら、大丈夫です」
「?」
「新方式を考えたんだって」
「新方式?」
「3交代で呼び出しの儀式を1時間ずつずらして連続で行うんです」
「これで、ひと晩中でのいられるよ」
(……ひと晩中?)
その言葉が少し引っかかった瑞佳であったが、ともかく、そういうことなら安心して祭りを楽しんでいられそうである。
そんなわけで、瑞佳はねこたちと一緒に盆踊りが行われる広場へと歩き出す。
と。
「あれ? 浩平は?」
今になって気づいて、周りを見渡すが、一緒にいたはずの浩平の姿は見えなかった。
先に広場へと行ったのかとも思ったが、他のねこたちも見ていないという。
待ってもらうのも気が引けたので、とりあえず瑞佳は先に行くことにして、歩き出したのだった。
瑞佳がねこたちとやって来た広場は、早朝にはたくさんのねこが整列し、ラジオ体操(に見える何だか分からない踊りのようなもの)が行われている場所である。
今、そこには、同じようにたくさんのねこによって(もともとねこしかいないのではあるが)埋め尽くされているわけだが、遠くまで見通せる星空の下、淡い灯火に照らされた宵闇の広場は、早朝の爽やかな雰囲気とは異なり、微かな熱気に包まれていた。
そんな賑やかな光景の中を、ねこたちが踊っていた。
それが盆踊りと呼べるのかどうかよくわからない踊りであっても、瑞佳の見る限りは(多分に主観が入っているだろうが)ねこたちはこの催しを楽しんでいる様に思えたのであった。
「あっ、もーっ、どこ言ってたんだよー」
そう瑞佳が声をかける先の方から来るのは、今まで姿が見えなかった浩平である。
「悪い、ちょっと、な」
「?」
浩平がはぐらかす様に瑞佳の問いを軽く受け流しているのを、瑞佳は不信に思ったが、それ以上追求する前に、
「そう言えば、おまえ、時間は大丈夫なのか?」
浩平の方からそう話し掛けられてしまう。
「え? う、うん。大丈夫だよっ」
「そうか。じゃあ、俺たちも行くか?」
「でも、わたしあんまり知らないよ」
「別にいいだろ。こいつらだって」
と、踊っているねこたちの方に目を向けて、
「よくわかっているわけじゃないんだろ」
「……うん。じゃあ、行こうっ」
そう言って、瑞佳と浩平も、ねこたちの踊りの輪へと入っていった。
やぐら太鼓が打ち鳴らされ、遠くからは祭囃子が聞こえてくる。
たくさんの踊りの輪で、あるねこは元気よく飛び跳ねまわり、またあるねこは優雅に踊る。
そんなありとあらゆる楽しい出来事がいっぺんに来たような、賑やかさとけたたましさに包まれたお祭り騒ぎ。
それは、文字通り、ひと晩じゅう続けられるかの勢いで、行われたのであった。
「……はあ」
机の上に頭をもたれかけて、瑞佳はぐったりした状態で息をついた。
「どうしたの? 瑞佳」
そんな様の瑞佳を、佐織は目にしている。ここの所毎日のように。
瑞佳が突っ伏しているのは教室の机の上であるのだが、それは今日が登校日だからというわけではない。
では何なのかといえば、補習を受けに学校に来ていると言う、瑞佳にしては珍しい理由によってであった。
そうなっている現状を、今さらどうこう考える事は無意味だったし、また誰かにそうなった真の理由を言ったところで、どうにもならなかったりするわけで、今の状態はある意味、瑞佳にとって悲観的になってもおかしくないくらいの状況ともいえるのである。
が、瑞佳がため息をついたのは、別にそのことに関係しているわけではなく、
「うん……毎晩お祭り騒ぎなんだよ」
といった理由による。
「? 何なの、それ」
「……それで、朝はラジオ体操なの」
「は?」
「……1日中、踊っているの」
「誰が?」
それ以上は話す気力もないのか、瑞佳はぼーっとした顔のまま突っ伏してしまったのだった。
(それにしても……)
学校からの帰り道の途中で、瑞佳はふと、思う。
日常的な事からかけ離れたものにはあまりなじめない方である瑞佳であったのが、ふと気がつけば、いつのまにか、今のとんでもなく非日常的な出来事の起こる環境に、自分はなじんでしまっているのである。
しかも、それはわけのわからない方法でねこの世界に呼び出され、たまに相談に乗らされ、あまつさえその世界でいなくなったはずの幼なじみと再会し、そのお守りみたいな事までさせられていたりする……。
「…………」
改めてそうやって考えてみると、瑞佳は思わずにいられないものがあった。
何なんだろう、今の自分の日常とは、と。
ぽんっ。
「お待たせっ」
いつもの様に呼び出されて、瑞佳はねこの世界に現れる。
「?」
だが、いつもの様に立っている筈のねこたちが、今日は全く見当たらなかった。
変わりに、瑞佳が見たのは、倒れている1人(1匹?)のねこであった。
「ど、どうしたの?」
倒れているそのねこのところへと駆け寄る。
瑞佳が抱き起こしたそのねこは、みさきであった。
「……よかった……うまく……呼び出せたみたいだね……」
あきらかに様子がおかしかった。
何故か言いにくそうにそう呟く。
と。
ゴロゴロゴロ。
急に、みさきの様子が変わった。
正確には、外見的に変わったところはない。
だが、何かが違う。
「??」
何が起こったのかわからないまま、瑞佳は戸惑っていたが、はっと、気配を感じて、顔を上げる。
瑞佳が見たそこには、柱の影から顔を覗かせているあかねがいた。
「…………」
「???」
あかねはただじっと、瑞佳の方を見ている。
そうしていたかと思うと、急に柱の影から出て、違う方向をじっと見つめる。
と思うと、また柱の影に隠れて、半分だけ顔を出して、こっちを見る。
「…………」
「? なに? 何なのー?」
その振る舞いを、わけがわからないまま、瑞佳は見ているしかなかった。
何か、様子が変だ。
そう思って外に出た瑞佳は、街の通りへと足を運んだ。
昨日まで、あれほど賑やかであった場所が、今日は全く人気(ねこ気?)がしない。
今日はお祭りの最終日の筈だから、こうまで誰にも会わないのはどう考えてもおかしい。
瑞佳は、通りのさらに先へと歩いて行った。
その途中で、ようやく瑞佳は見知ったねこと出会う。
それは、ななせであったのだが、どういうわけか、ななせは手を地面につけた格好で、つまりは四つんばいの状態で歩いていたのである。
「ど、どうしたの?」
「にゃーん」
「にゃーん?」
瑞佳の問いかけに答えたその声は、まるで鳴き声であった。
彼女がふざけて、そんなことをしているのかとも思った瑞佳だが、
「にゃにゃーん」
再び鳴き声を上げて地面に転がるななせのそのさまは、ふざけている様には見えない。
さっきのみさきや、あかねの振る舞いと言い、やっぱり、何かおかしい。
瑞佳が見た彼女らの仕草。
まるで。そう。何となく。見た覚えがある。
瑞佳は、思い当たるふしがあった。
それは。まさかとは思うが。
(みんな、ただの猫になってる!?)