小さい頃の話 投稿者:
長ったらしい、稚拙な文ですみません。
暇があったら読んでください。

「ふう、姉さんも困った事をしてくれたわね」
軽くため息を吐き、私はテレビのスイッチをONにした。
いつもどおりワイドショーが、対象をかえただけのつまらない
話題をふりまいている。
・・・同じ事の繰り返しでしかないのに、よく飽きないわよね。
そう思うが、別にチャンネルをかえるわけではないし、音量を下
げるわけでもない。
私には考えることがいっぱいありすぎる。
雑音は本来邪魔なだけだが、思考能力を麻痺させるような悩み
の前では耳から中へは入ってこない。
「・・・まったく・・・」
もう一度ため息を吐いて、いつもと代わりのない見なれた天井
に目を向けた。
壁をはさんだその先から聞こえてくるようだ。
絶望に身を委ね、部屋の隅で泣き続ける浩平の声が。

妹の娘、みさおが死んだのはつい一週間前のことだった。
みさおが死の病に冒されていたことは聞いていた。
妹が宗教へ逃げているのも、知人を通して知らされていた。
もはや助かる見込みのないみさおから逃げるかのように。
そして、みさおが死んだ日、喪主をつとめるはずの妹は入り浸
っていた宗教団体のもとへと走り、まだ幼い浩平のもとをも去っ
ていった。
母としての責を逃れた妹に一番近い筋の私が幼い浩平に代わっ
て喪主をつとめることは当然だと思うが、やはりどこか遠くで起
こったことであり、他人事であるという感じは拭えなかった。
だから私は争議に関する手続きを済ませ、葬式を取り仕切った。
あとは人形のように参列さえしていればよい。
それで役目は終わりだ。
そう思っていた。
だが、私は見てしまった。
みさおの遺品を手にうつむく浩平。
葬儀のとき、無表情だった顔に涙がとめどもなくあふれている。
そこには私の知っている浩平の姿はなく、ただその場所に取り
残されて消えてしまうかのように弱々しい姿だった。
私は、ここへ来るときには考えもしなかった。
だが、この時の浩平の姿を見て、そのままに去る事ができなか
った。
だから、浩平を引き取ったのだ。

「浩平、入るわよ」
どうせ返ってこない返事を待たずにドアを開けた。
今日もまた、部屋の隅でひざを抱えてうずくまり、目を赤く腫
らしている。
私の姿を認めはしたものの、関心を示さず、つけっぱなしのテ
レビをやはり無関心に眺めている。
「・・・ご飯ぐらい食べた方がいいわよ。このままだと体を壊すわ」
浩平はそうなってもいいと思ったようだが、この家の主たる私
に義理立てするかのように、もそもそと冷め切ったご飯を食べは
じめた。
・・・それにしても、このままじゃだめね。
自分の子どもすら育てたことのない私にとって、この悩みの前
ではまるで濃霧の中を手探りで進んでいるようだ。
この霧の中には、幸せである浩平の姿はどこにも感じられない。
私はまた、ため息を吐き、もう一度思う。
だめね、私って。ため息ばかりで。
このままじゃだめね。
浩平のために、仕事を休んでばかりもいられないし・・・
こんな状況でも仕事のことを考えてしまう私が、妙に腹立たし
かった。
私は、まだ目を腫らしながら機械じかけのように食事を続けて
いる浩平に目を向けた。
今の浩平にとって、この世界がすべてだった。
外の世界を締め出し、泣きやむ間に人生を送っているような浩
平があまりにも悲しく思えた。
私もこの年だし、今までの人生の中でいろいろな出会いや別れ
を経験している。
悲しいことだけがすべてではないことも知っている。
だが、私の言葉では浩平を外の世界へと向けさせるきっかけに
はならないだろう。
大人の言葉だから。
子どもと接点のほとんどない私の言葉は、紙のように薄っぺら
いものでしかないだろう。
時計が11時の針を指す。
本当なら、浩平は学校へ行っている時間だ。
ふと、最近見かけた、見知った顔が脳裏に浮かんでくる。
・・・そういえば、長森さんの娘さん、浩平と同じクラスじゃ
なかったかしら?
転校初日、浩平を家まで送ってくれた少女のことを思い出した。
・・・あの子にお願いしてみようかしら・・・

浩平が学校へ行くようになった。
どのような心境の変化があったか知らないが、よい兆候である
と思いたかった。
相変わらず、私との会話はほとんどなかったが、少なくとも返
事はするようになったし、学校へ行くときの浩平の目には光が灯
っている様にみえた。
暴れてでもきたのか、ひどく汚れて帰ってくることもあったが、
あまり気にはならなかった。
この世界で生きていくための何かを見つけたのだと思った。
浩平の目を外へ向けたものが何だったのか、この時の私にはわ
からなかったが、だからこそ、純粋にこの変化を喜んだ。

それから少し過ぎたある日曜日、私は浩平に思い切ってある提
案をした。
「浩平、今日は遺品の整理をしにいこうかと思うの」
そして、少し間を置いてから、そっと付け加えた。
「・・・・・・浩平も行く?」
浩平はうつむき、いくらか考えた後、そのまま頷いた。
妹の家につき、私が妹の荷物の整理をしている間、浩平はただ
一つの玩具をもてあそんでいた。
カメレオンの玩具を。
「・・・もう片付いたの?」
静かに尋ねると、浩平は頷いて立ち上がり、カメレオンの玩具
をポケットの奥深くにしまい込んで私に近づいてきた。
私は浩平の手を引き、この家の前に出た。
もう、ここに来ることもないだろう。
「ここにくるのは、たぶん今日で最後ね。もう大丈夫?」
「・・・・・・うん」
私と浩平は静かに歩き出した。
浩平にとって、思い出の詰まった家を背にして。
浩平の、私の手を握る力が、いくぶん強くなったように感じた。
だが、私にはその浩平の手が小さく感じた。

ふと、浩平が立ち止まった。
公園の側。
「どうしたの?」
返事はない。
大きく目を見開いて、歯を食いしばっている。
浩平の変化に戸惑うばかりの私に、ふと会話が聞こえてきた。
「もういなくなったわね」
「そうみたい。このブランコでしょ?」
「そお、雨の日もだって。ずっと泣きながら座っていたらしいわよ」
「一週間ぐらいいたらしいわね。いったいなにをしていたのかしら?」
「さあ?」
浩平は肩を震わせていると、不意に私の手を引き、強引に歩き出
した。
「ちょっと!浩平?」
浩平はさらに力を入れ、まるで逃げるかのようにその公園の側を
通りすぎた。

・・・まだ、浩平には早すぎたかしら?
駅からの帰り道、今日の浩平のことを思い出してみた。
慣れ親しんだ街でさえ、浩平にはいい影響を与えてはいなかった
ようだ。
楽しげな表情はまだない。
考えてみなくても、うちに引き取ってから、まだ一度も楽しげな
浩平を見たことがないことはわかっている。
ため息を吐いて浩平を見ようとすると、またも浩平は立ち止まっ
ていた。
・・・今度は何かしら?
前の方では浩平と同じ年頃の少女たちが話をしている。
私には、そのうちの一人には見覚えがあった。
・・・あれは、確か長森さんの・・・
「最近げんきないね」
一人が長森さんの娘さんに話かけた。
「そんなことないよ」
「うそうそ、また折原の奴に何かされたんでしょ」
・・・・!
「違うよ」
「わかってるのよ。なんであんな奴にかまってるのよ。あんなことさ
れてまで。もうほっとこうよ、あんな奴」
「違うってば。全然気にしてないよ、わたし」
「でもさ、あれっていじめだよ。あいつも瑞佳いじめるために学校に
来てる感じだし。我慢しない方がいいよ?」
「違うもん!わたしは平気だもん!わたしはただ一緒に遊びたいだけ
だよ!我慢しているのはきっとあの子の方だよ!いつも寂しそうだけ
ど、一緒に遊べばきっと楽しいと思うよ!あのこの笑った顔が見てみ
たいんだよ!」
そこまで言って瑞佳は一息つき、寂しげに呟いた」
「でも、どうしたら一緒に遊んでくれるのかな?笑ってくれるのかな?」
「あれぇ?瑞佳、もしかして・・・」
「な、なに?」
「もー、かくしちゃって」
「だからなによ〜」
次第に二人は遠ざかっていったが、浩平は一歩も動かなかった。
手を握る力がこもる。
浩平はふいにうつむくと堰を切ったように叫びだした。
「おばさん!
オレわかんないよ!
オレあいつにいろいろなことしたんだ。
いじめたんだよ。
嫌われて当然なことばっかしてたのに。
なんであんなふうに・・・・・・・」
彼女は子どもながらも精いっぱいのことばで自分の気持ちを表して
いた。
ひどいことをされながらもなお、自分のことを気にかけてくれている。
一緒に笑いたいと思ってくれている。
本心から心配してくれている。
そのことが浩平にも十分伝わったのだろう。
私の服にしがみつき、鳴咽をもらしている。
今までとは違う種類の涙。
わたしは黙って浩平を抱き寄せた。
「でも・・・これからは大丈夫だよね?わかってあげられるよね?」
そう囁くように尋ねると、浩平は肩を震わせながら小さく頷いた。
「それと」
「?」
「私を”おばさん”て呼ばないで。”由起子さん”て呼びなさい」
本気ながらも少しおどけたようにそういうと、浩平は思わず笑みを
もらした。
苦笑いではあったが、笑顔には違いない。
その笑顔を見た瞬間、私の心の中が暖かくなるのを感じた。