詩子 −3− 投稿者: KOH

 二月七日、日曜日。
 オレは詩子といわゆるデートと言う物をしていた。
 二人で待ち合わせて、二人で映画を見て、二人で街を歩く。
 楽しそうに、そして嬉しそうに笑う詩子。
 詩子のその笑顔を愛しいと感じる。その気持が心地よい。
 詩子といると新しい自分が次々に見つかる。
 もっと詩子の側にいたい。もっと詩子を感じていたい。
 一体、何を感傷的になっているんだろうか。オレは。
 いつまでも一緒にいたければいつまでも一緒にいれば良いだけの話じゃないか。
 そう考えながらも、どこかでそれは無理だと否定する声が聞こえていた。
「こーへー!」
 詩子が噴水の側で手を振っている。
「おー!」
 オレも手を振り返し、詩子の側へと走る。
「ねえ、浩平。来週も会えるかな?」
「来週?んー…まあ、空いてるけど?」
「あ、それなら! 来週の日曜も会おうよ!」
「あ、ああ」
「約束だからね。えーと、場所は…あ、初詣で行った神社で待ち合わせ」
 繰り返す日常。
 来週の約束。
 ただそれだけの事なのに。
 オレは曖昧な返事しか出来なかった。

 デートの帰り道。
 オレ達は高校裏の公園を歩いていた。
「あ、澪ちゃんだ。澪ちゃーん!」
 ぶんぶんと元気良く手を振る詩子。
 澪もそれに気付いてスケッチブックを大きく振る。
 そして、スケッチブックを掲げたまま走ってくる。
 ズベッ!バサッ!
 転ばなきゃ良いが、と思った矢先、澪が盛大にこける。
「あ、大変!」
 詩子が走り出す。
 オレも詩子の後を追って、澪の元に走った。
「大丈夫?」
 詩子が澪を立たせながらそう訊ねた。
「…」
 えぐっ。…うん。
 なかば、べそをかきながら頷く澪。
 オレはそんな二人の様子を見ながら、澪が落としたスケッチブックを拾ってやった。
「ほら、これ」
 嬉しそうにそれを受け取る澪。
 ペコリ。と頭を下げる。
「いいって。所で怪我はないか?」
「あ、大丈夫みたいよ」澪の服のほこりを払いながら詩子がかわりに答えた。「膝とかも擦り剥いてないみたいだし」
『デートなの?』
「あ、まあ、そうだな」
 と、笑うオレ。
 デートしているところを知合いに見られるのが、こんなに気恥ずかしいものだとは思わなかった。
 オレがそんな事を考えている間に、澪はスケッチブックに何やら書きこんで、詩子に見せていた。
『同じ学校の人?』
 ……これはつまり、そういう事なのだろうか。
「詩子、行こう」
 オレは詩子の腕を掴み、その場から立ち去ろうとした。
「え?何?」
 詩子はオレと、澪を交互に見比べ、不思議そうに訊ねてきた。
「浩平、澪ちゃんと仲良かったよね?」
 澪はそんなオレ達二人を不思議そうに見ている。
 駄目だ。
 もう、耐えられない。
「ごめん!」
 オレはそう言い残して二人の前から走り去った。


 火曜日。
 七瀬がオレの事を忘れていた。
 もう、学校に行くのはやめた。


 水曜日。
 長森が迎えに来なかった。
 幼馴染ですらオレを忘れているのか…。


 木曜日。
 由起子さんが、オレに気付いたらしい。
 もう、この家にはいられない。


 土曜日。
 街中で詩子とすれ違った。
 買い物帰りなのだろう。両手に袋を抱えた詩子は、オレを無視した…いや、オレを忘れてしまったんだろう…。


 そして日曜日。
 先週の約束…。
   『あ、それなら! 来週の日曜も会おうよ!』
   『あ、ああ』
   『約束だからね。えーと、場所は…あ、初詣で行った神社で待ち合わせ』

 憶えているわけがない。
 昨日、それを思い知らされていると言うのにオレは。
「未練…だな」
 もう、いつ消えてもおかしくない。
 オレはふらふらと何かに吸い寄せられるように神社へと向かった。

 どうやら神社の片隅のベンチで眠ってしまったらしい。
 目が覚めたとき、オレはまだ自分がここに留まれているという安心と、いつまで待たせるつもりだ。という軽い失望を感じていた。
 どれくらい眠っていたのだろうか。
 腕時計を見てみる。
 約束の時間は既に二時間前に過ぎていた。
 当然だ。
 約束をした事どころか、約束をした相手が存在した事すら忘れている。そんな状態でどうやって約束を守れと言うのだ。
 オレは立ちあがろうとし、ふと、首の辺りに違和感を感じた。
「これ…は…」
 それは緑色の毛糸で編まれた長いマフラーだった。
 市販のものとは思えない目の粗さと歪みが、それが手編みである事を示していた。
「一体…」
 その長いマフラーは、ベンチに座るもう一人へとつながっていた。
「…ん?あ、起きた」
 詩子…。まさか憶えているのか?
「どう…して?」
「だって、浩平、良く眠ってたから。それに驚くかなって思って」
 そう言って詩子は嬉しそうに笑った。
「その顔からすると、十分に驚いてくれたみたいね」
「…ああ」
 憶えてくれていた。
 大好きな詩子が。
 それがとても嬉しくて。
 そして、詩子と会えなくなってしまうと言うその事が悲しくて、寂しくて。
「…どうして泣いてるの?」
 オレは不覚にも涙を零していた。
 詩子は心配そうにオレの顔を覗き込む。
「ああ、嬉しくてな…」
「そんな…初めて編んだから目とか滅茶苦茶なんだけど…」
 詩子はそう言って自分の首にかけていたマフラーを外して、オレの首にしっかりとかけてくれた。
「マフラー、くれるのか?」
「うん」詩子はオレの問いに答え、ちょっと俯く。「それとね…これも」
 掌に乗るくらいの小さな包み。
「なんだ?」
「開けて見て」
 言われるままにリボンを解き、包み紙を開く。
 甘い香り。
「昨日ね、浩平とすれ違ったときは、これの材料を買いに出てたの…恥ずかしくて無視しちゃって…ごめんね」
 チョコレート。
 手作りの小さなチョコレートが、包み一杯に入っていた。
 そうか…。
 そのときになってようやく、オレは今日が何日かを思い出した。
 二月十四日。
 セント・バレンタインデー。
 チョコレートを一つ、口に入れてみる。
「うん、甘い…」
「甘いの、大丈夫だったよね?」
 心配そうにオレの様子を伺う詩子。
 オレは安心させるように頷いた。
「ああ、今まで食ったチョコの中で一番うまいよ」
「もう! 照れちゃうよーな事言わないでよ」
 ふざけるようにオレの肩をぶつ詩子。
 オレはその手を捕まえ、詩子を胸に抱いた。
「…浩平?」
 詩子は抵抗せずにおとなしくオレの腕に収まった。
「詩子、ありがとうな」
「うん…ねえ、クリスマスの事、憶えてる?」
「ああ」
 詩子との想い出…その欠片だって忘れるものか。
「…浩平、責任取ってもらうからね…こんなに好きにさせて…」
 それが。
 溶けて行く意識の中で。
 最後に聞いた詩子の言葉だった。
 そうか…あれはそういう意味だったのか…

  ***

  エンディング:遠いまなざし

    クリスマス・イブ。エプロンをつけて洗い物をする詩子。



       初めて「詩子」、と呼ばれて喜ぶ詩子。



         嬉しそうな詩子の満面の笑顔。



       朝、目覚めて時計を見て慌てまくる詩子。



    元旦の早朝。初詣に行こうと誘いに来た晴れ姿の詩子。



                         Fin.



  ***



 あの日から私の時間は凍りついた。
 私は、毎日のように浩平の消えたあの神社に行き、浩平を待った。
 学校には休学届を出している。
 一年間、私はここで浩平を待つつもりだった。
 二ヶ月が過ぎた頃、私の噂を聞きつけ、心配して茜が様子を見に来てくれた。
 しかし、私には茜の問いに答える事が出来なかった。
「…私に話せないような事ですか?」
 茜は心配そうにそう尋ねる。
 私はただ、首を振るだけだ。
 話しても信じてもらえないから…だから、私はこう尋ねた。
「茜…去年のクリスマスの事、覚えてる?」
「私と、詩子…それから上月さんの3人で…」
「場所は?」
「…思い出せません」
 そう言ってから茜は何かに気付いたかのように私の顔を見詰めた。
「…詩子…誰が…消えたんですか?」
 茜は知っていた。
 そう、忘れていたのは私。
 大切な幼馴染を忘れていた。
 茜と話すうちに、自分の記憶の欠落に気づいていく。
 でも、茜の言う幼馴染の事を思い出すことはなかった。
 怖い。
 茜も同じ気持だったんだと思う。
 でも、だからこそ私の気持ちも分かってくれた。
「気が済むまで…待ってあげてください。私は詩子を信じます」

 そして夏が過ぎ、秋が来て、再び冬。
 バレンタイン・デーになっても浩平は帰ってこなかった。
 一年待ったら諦めよう。
 そう決めていたのだけれど、私は翌日も、そのまた翌日も神社に足を運んでいた。
 どうせ今年一年は休学しているんだし、一学期が始まるまでは待とう。

 そして、三月。
 朝早く、私は茜から電話を貰った。
『もしもし、里村です』
「あ、茜?」
『詩子…消えた人って…浩平…折原 浩平』
「うん、そうだ…けど…茜…まさか」
『思い出したの。クリスマスの事も、大晦日の事も』
「じゃあ…じゃあ…」
『神社で消えたんでしょう?神社に急いで!』
「うん!」
 私は神社に走った。
 あのベンチ。
 浩平が消えたベンチへ。
 でも、そこには誰もいなかった。
 力なくベンチに座り込む私。
 茜は思い出したって言ったのに…なんで、帰ってこないんだろう…。
 私はベンチの上で膝を抱えて声を殺して泣いた。

 暖かい。
 背中と首と肩…とっても暖かい…。
「う…ん…」
 あれ、私、いつの間にか眠ってたのかぁ…。
「お、起きたな」
「ん…おはよ…浩平」
 あれ?
 まだ眠ってるのかな?
 浩平がいるよ。
 あ、これ、浩平の上着?
 ふと気付くと、私の背中にコートがかけてある。それに私があげたマフラーが首に巻いてある…それで暖かかったんだ。
「どうした、詩子、寝ぼけてるのか?」
「浩平……浩平?」
 本当に浩平?
 それともこれは夢?
「ああ、オレだ。ごめんな、遅くなって…」
 私は浩平に最後まで言わせなかった。
 ただ、しっかりと抱き付いて、わんわん泣いてやった。
 一年以上もこの詩子さんを待たせた罰なんだから。


「あ、詩子…」
「何?」
 浩平に寄りかかるように座ったまま、返事をする。
「これ…戻ってきて街に出て気付いたんだけど…」
 小さな包み。あれ?
「今日ってホワイト・デーなのな。遅くなったけどお返しだ」
「ふーんだ、3倍返しに利子付けてくんなきゃやだ」
「あのなぁ…」
 一年以上も待ってたんだからね。
 それ位のわがまま、言わせてもらうわよ。
 でも、浩平。
 とりあえず…一緒に三年生になろうね。

  エンディング:輝く季節へ


〜〜〜〜〜〜〜
どもKOHです。
あぁ、長くてごめんなさいっ。
途中で切ろうかとも思ったんですが、エンディングがぶつ切りになってしまうのは避けたかったので…。

何にしても復帰一本目の「詩子」。以上で終わりです。
今回は今までの倍近いの長さになってますので、感想は別の機会に…

では