雪のロンド 投稿者: nabe
<雪のロンド>

 茜のSSです。一部ネタバレ系なので、せめて茜シナリオ終了されてからお読み
下さる事をお薦めします。
 めちゃくちゃ長くなってしまいました。2分割すれば良かったかな…

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 降りしきる雪の中、私はあの空き地に立っている。
微風が降り来る雪の切片を舞い上げる。白き六角形の乱舞。
『ここにはな、家が立つんだよ』
 昼間、工事のおじさんに言われた言葉が、胸の中で暴れ回って、私の心を切り
苛む。
この場所が無くなる…それは、あの人の帰る場所がなくなるということ。
「……」
 私は、あの人の名をそっと口にしてみる。私だけの名前。他の誰もが、二度と
口にする事の無い名前。
 その名を口にし終えた時、不意に私は頬に熱い感触を憶えた。
これは…涙?
「……」
 私は、もう一度同じ名をそっと呟いてみた。
涙がとめどなくあふれる。一度あふれ出た涙は、もう止められなかった。
 涙と一緒に、思い出も流れ出してしまえばいいのに。
泣けば悲しみを忘れられると言ってた人がいた。でも、それは必ずしも真実では
ないと思う。
胸の中に詰まった悲しみは、涙という不純物を失う度に凝縮され、純粋な悲しみ
へと姿を変えていく。そして、私を過去へと縛り付ける。
 もう止めよう、ここに来るのはもう止めよう。何度そう思ったかしれない。
でも、中学を卒業し、高校も卒業し、大学生になっても、やはり私はここに来る
事を止める事は出来なかった。私が忘れたら、あの人は帰って来る術を失うのだ
から。
永遠に。
 あふれる涙を止められないまま、私は空を見上げた。
真っ暗な空から、真っ白な結晶が降りてくる。雪の降り来る先を辿ると、やがて
それは一つの点に集中する。
 その先に、あの人はいるのだろうか? そこが「えいえんの世界」なのだろう
か?
きっと、綺麗な世界なんだろうな… 私は、何の脈絡もなくそんな事を考えてい
た。
雪の生まれてくる世界。空の上にある世界。あの人は、どんな気持ちでそこに行っ
たのだろう。そしていま、どんな気持ちで私を、この世界を眺めているのだろう。
 私は、再び地上に目を移した。
街の喧噪がかすかに聞こえてくる。市街の方角が明るい。
 そういえば、今日は12月24日だった事を思い出した。
あの人が行ってから、私はクリスマスなんて忘れていた。忘れたふりをしていた。
あの人と詩子と私。三人で遊んだ思い出。クリスマスの思い出は、辛すぎるから。
 雪は勢いを増していた。視界が白に滲んでいく。私は少し寒さを感じたけれど、
そこから立ち去る気にはなれなかった。
 閉じたままずっと手にしていたピンクの傘を、広げようかと迷った時。
不意に背後から、声をかけられた。
「あれ? 里村じゃないのか?」
 何処かで聞き覚えのある声。
ゆっくり声の方角へ振り向くと、どこか見覚えのある二人が、傘を手にして立っ
ていた。
「憶えてないか? 高校で同じクラスだった、折原だよ」
「…憶えてます」
 私は、短く答えた。彼に寄り添っている女性も…私の高校の先輩のはず。
盲目なのにいつも元気良く学校内を走り回っていた人。たしか名前は…川名さん?
「浩平君、誰か知り合いの人に会ったの?」
「うん、里村さん。高校の時の同級生のなんだ。さっきからここにいるから、気
になって」
「ふ〜ん、そうなんだ。里村さん、寒いよ風邪ひいちゃうよ?」
 川名さんは、優しく明るい声で私に言ってくれた。暖かい言葉。私は…
「…大丈夫です。慣れてますから」
 心が動く。暖かさに惹かれるように、心を預けたくなってしまう。でも…でも、そうしたら…忘れてしまうかもしれない。あの人の事を。
「そうか? ならいいんだけど…でも、こんな所に一人でいるのに慣れているなん
て、淋しいぞ」
 折原くんの言葉。同じ。やっぱり、みんなと同じ。
『何故こんな所に立ってるの?』『何かあるの?』
 問われても、私には答えられない。誰も憶えていない事なのだから、答えても
わかるはずがない。
だんだん、問われるのが辛くなる。だから、私は心を閉ざした。だから、私は、
詩子とは違う高校に進んだ。だから、私は…
「…そうですね。でも、いいんです」
 短い答を口にする。いちばん簡単な言葉。それ以上、話す気は無かった。心を
開く気にはならなかった。
 だけど。折原くんが次に口にした言葉は、私の想像していたものとは違ってい
た。
「そうか。俺には、里村が待っているみたいに見えたから、気になって」
 え?
「待っている?」
 私は、思わず心の中のつぶやきを口にしてしまっていた。
どうして? どうして折原くんはそう思ったのだろう。
 私は、淋しかった。誰もが知らないあの人を待ち続ける私。詩子ですら忘れた
あの人。憶えているのは私だけ。私が忘れたら、あの人は…
「どれだけ、待っているんだ?」
 折原くんの声。それは、すでに確信を含んでいた。
「…どうして、私が誰かを待っていると思うんですか?」
 私は、必死に平静を装った。でも…自分でも声が震えているのがわかる。
「同じだから」
 折原くんの答は、そっけなかった。でも、彼の表情が多くを語っていた。彼の
視線は、私の顔に向いていながら、私の顔を見ていなかった。彼が見ているのは、私の奥。私の表情の裏側にある、私の想い。
…そう、そうなんだ。
わかっているんだ。この人は。私が何を待っているのかを。私がどこを見つめて
いたのかを。
「…そうですか」
 私は、自分のうちに沸き起こった感情を理解できなかった。
孤独は、永遠ではなかった。その安堵感で、私は崩れ折れてしまいそうだった。
あの人の記憶と一緒に、人々に忘れ去られた時にとどまってしまった私の心。そ
れが今、ゆっくりと音を立てて動きだしたような気がした。
 でも…でも同時に、それはあの人を待ち続ける日々が終焉を迎える、そんな気
がしてならなかった。悲しみ? それとも、安堵? 私にも理解できない感情が
胸の内にあふれていた。
「里村さんも、待ってるの?」
 川名さんの暖かい声。
…そうか、そうなんだ。私と同じだったのは、川名さん。そして、折原くんと同
じだったのは…
「私は…私は…」
 私は、何かを答えようとした。でも、言葉はうまく紡げなかった。私自身が、
何を言いたいのかわからなかったから。
「ほら」
 見つからない言葉を探して、軽いいらだちを憶えていた私に、折原くんは自分
がさしていた傘を半分、差し出してくれた。
「私、私…」
 私は不意に、自分の感情をとどめておく事ができなくなるのを感じた。決壊す
る私の心。
「里村」
 折原くんが、静かに私の名を呼んでくれた。答えようとして、開いた私の口か
らは、だけど言葉は出てこなかった。代わりに出てきたのは、嗚咽。
「…………」
 私は、思わず前に踏み出していた。折原くんの胸が眼前に迫る。
私は、川名さんに対して少しだけ申し訳ないと思いながらも、その広い胸に顔を
埋めてしまった。もう、止められなかった。私の心は弾けた。
悲しみが、寂しさが、孤独が、そして…あの人の存在が、涙になって私の心の壁
をあふれ越えていく。私は、小さくしゃくりあげながら、ただただ涙を流し続け
る事しか出来なかった。
 そんな私の背中に、折原くんは片手を回してくれた。あくまでも控えめに、そっ
と。
私は、その暖かさを感じて、また新しい涙をあふれさせた。
…いつまでも続くと思えた涙も、尽きる時がくる。
私の嗚咽も、少しづつ汐がひくように小さくなっていき、やがて私は顔をあげた。
きっと、ひどい顔だろうけど、私は折原くんと川名さんの顔を見たかった。
二人は、私を見ていてくれた。私をわかってくれる人たち。孤独から救い出して
くれた二人。
「あのな、里村」
 折原くんが、言いにくそうに口を開いた。
「…」
 私は、少し身を震わせる。折原くんが次に口にする言葉が、私にはわかってい
るから。
それは、私が待っていた言葉。ずっと、ずっと待ち続けていた言葉。
それでいて…決して、口にして欲しくなかった言葉。
「もう、待たない方がいいよ、里村」
「……」
 私は、どう答えたらいいかわからなかった。今の自分の感情が、わからないか
ら。
「俺は帰ってきた。でも…きっと里村の…」
 折原くんは、言いにくそうに一旦言葉を切った。しばらく言葉を探すふうに迷っ
たあと、再度口を開く。
「帰って、こないと、思う」
「……」
 わかってた。
それは、もうわかってた事。
わかってたのに、私は…
私は、あきらめる事ができなかった。
私があきらめたら、あの人は決して帰ってこられないから。
…でも、あの人が帰る意志を持ってなかったら。
いくら私が忘れなくても、決して帰ってはこない。
わかっていた。わかっていたのに……私は…
「…はい」
 私は、ついに肯定の言葉を口にした。もう、これで戻れないと思った。
「…わかっているんです。でも、でも…」
 沸き上がる、新たな恐怖。帰れない。もうこれで、あの人は帰ってはこられな
い。
「里村…」
 折原くんが、私を見ている。その目は優しい。
「あっちの世界に行くって、幸せだと思うか?」
「……」
 私には答えられなかった。
私から、あの人を奪った世界。でも…あの人の望んだ世界。
「俺は、本人次第だと思ってる。俺には、あっちは幸せじゃなかった」
 折原くんは、そっと隣を見やる。そこには、穏やかな目をした川名さんがいた。
そう。折原くんの幸せは、この人なんだ。だから、折原くんは帰ってこられた。
「でもな、あっちの世界が幸せなら。本人がそう思っているなら、それを無理に
引き戻すのは可哀想だよ」
 折原くんはそっと目を伏せた。その表情から、私は全てを悟る。
そうか。そうなんだ。川名さんを置いて旅立ってしまいたくなるほど、悲しい事
があったんだ。この世界で。
 あの人も、そうだったんだろうか。こっちの世界を…私も詩子も、学校も両親
も友達も…何もかも置いて行くほど、悲しい事があったんだろうか。そして…今、
あの人は幸せなんだろうか。
「幸せだよ、きっと」
 折原くんの言葉。
 私の思っている事はなんでもわかってしまう。
でも不思議と、嫌な気持ちはしなかった。ただ、安堵が増して行くのが不思議だっ
た。
「きっと、幸せでいるよ。でなきゃ、帰ってくるはずだろ? こんなに里村が待っ
てるのに」
 私の心に残っていた、最後の一条の糸。どんなに絶望しても、どんなに忘れそ
うになっても、絶対に切れる事を拒み続けていた最後の希望。
『あの人は帰ってくるはず、いや、帰って来たいと思っているはず』。
 でも、それは今、音を立てて切れた。もう、繋ぎ止めておく事は出来ない。最
後の希望は、雪の降り来る彼方へ昇って行ったような気がした。
あの人の世界へ、行くのだろうか?
「…折原くん」
「ん?」
「…ありがとう」
 私は、心から折原くんに感謝した。あの人を忘れられるかどうか自信は無いけ
ど、わかったような気がした。あの人は、あっちの世界を選んだ。それが、たと
え私や詩子を忘れるという選択であっても…
 だから、私がいつまでも憶えているのは、きっとあの人を不幸にしてしまう。
だから、忘れなきゃ。あの人のためにも。そして…
「里村、おまえは幸せか?」
 そう、私のためにも。
「はい、たった今、幸せになりました。ちょっとだけ、だけど」
 私は、折原くんに笑顔を見せた。
何年ぶりだろう、笑ったのなんて。そっか。私、まだ笑えたんだ。
「そうか、良かった」
 折原くんも笑う。
私は、空を見上げた。勢いを増した雪が、視界に乱舞する。もう、雪の降り来る
一点を確認する事も出来ない。
 私は、自分の傘を広げた。ピンクが広がって、私の視界から空を覆い隠す。
忘れて行こう。これから、こうやって、少しづつでも空を見ないようにして。
「もう、帰るのか?」
「はい」
 折原くんは、背中の雪を払うと川名さんの腕をとった。
「じゃあさ、一緒にラーメン食いに行かないか? クリスマスらしくなくて悪い
けど」
「……」
 私は、川名さんを見た。そこまで邪魔しては悪いと思ったから。
でも、そんな私の遠慮を包み込むように、川名さんは優しい微笑を浮かべた。
「行こうよ。キムチラーメン、おいしいよ」
「はい」
 私は、素直にうなづいた。二人の好意に、今は素直に甘えていたいと思ったか
ら。
「里村さん、ケーキ好き?」
「とても好きです」
「じゃ、ラーメン食べたら、うちに行こうよ。ケーキいっぱい買ってあるんだ」
「はい」
 川名さんの笑顔は、とても優しい。きっとそれは、私と同じ体験をして、そし
てまた折原くんが帰ってきたから。だから、きっとこんなにやさしくなれるのだ
ろう。
 一緒に歩き出した途端、不意に涙があふれ出した。二人に気付かれまいと、そっ
と手のひらで拭おうとしたけれど…
「そうした、里村? まだ、悲しいのか?」
「いいえ、そうじゃないんです。悲しいんだけど…嬉しいんです」
 私は、涙を溢れさせながら、笑顔で答えた。
この先、きっと私はまた、思い出す度に泣くだろう。でも、泣く度に、少しづつ
変わっていけるような気がする。あの人の事は辛いけれど、でも忘れていけるだ
ろう。
 少し立ち止まって振り返ると、私の足跡は降りしきる雪に覆われ、数歩先で消
えていた。
 この足跡みたいに、忘れていけるのかな。
 そんな事を思いながら、私はふたたび歩き出した。少し先で待っててくれる二
人に追いつこうと、今度は振り返らないで、少しだけ歩みを早めて。

                             fin.
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 茜エンド以外では、茜はずっとあの広場で待ち続けているのかな、と思うと、
あまりに不憫になったので、なんとか救済しようとこういうSSを書いてみまし
た。誰も幼なじみの事を覚えてないので、そもそも何故茜が待っているのかすら、
他の人にはわからないんですよね。だから、茜を救えるのは、浩平たちだけだと
思います。
 こういう話の雰囲気に合うように、文体を変えてみようと努力したんですが、
結局失敗したようです。前半後半で全然文章違うなあ…(汗)


 感想行きます、っても、あまり沢山書けないなあ…(汗)

<繭のとくべつなみゅー :奈伊朗さん>
 なんか、すごく心に「来る」話ですね。ONE本編と、同種の香りを感じると
言うか… ちゃんと、ONE本編と無理なくシンクロしているのも心地良いです。
 みゅ〜の気持ちなんて、今まで考えてみた事もなかったなあ…(汗)

<同棲 スライムさん>
 なんか、本当にのんびり、のほほんとした感じが良いですね。
これからの展開が楽しみです。嵐の展開になるのか、それとものんびりした日常
が続くのか…

<俺と茜の学園祭 いけだものさん>
 平和ラブラブものかと思うと、住井と南の登場… 怒涛の展開になるんでしょう
か? 密かに想いを寄せていた茜を取られた、南の恨みは深そうだからなあ…(笑)

<茜様がゆく! まてつやさん>
 こんな茜…面白いじゃないですか(笑) 茜って、普段あんなんだから、色々
想像の余地があって面白いですね。私にも、茜は麻雀強そうなイメージあります。

<二人のしいこ KOHさん>
 一瞬「北川って誰だっけ…」と思ったけど、よく覚えてましたね〜
普段、あまり物事に動じない詩子さんの動揺が面白かったです。

<ケンカしよ? まてつやさん>
 解決方法が前向きで、澪らしいですね。きっと、ゲームエンディング後色々
あるんだろうけど、きっと澪なら、乗り越えて行くと思えるお話でした。

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