「帰還」
その日、わたしは珍しいことに七瀬さんと帰路をともにしていた。
クラスメートで、登校中よく顔を合わせるとはいえ、いままで一緒に
学校から帰ったことなどなかったのに。
予感がしていたのかもしれない。
大事ななにかが砂のように掌中からこぼれ落ちていく感覚。
最初はクラスメートたちだった。
浩平−わたしの10年来の幼なじみであり、みなにとってもこの1年間ともに
机を並べてきたはずの彼の存在を忘れ始めたのは。
やがて担任の教師や親友(悪友?)であるはずの住井くんまでが、浩平のこ
とを口にしなくなっていく。
浩平自身は何かを悟っているのか、とくに騒ぎ立てることもなく、1週間
ほど前から学校へ姿を見せなくなっていた。
朝寝坊な浩平を起こして、学校へと向うあわただしい朝。
七瀬さんに悪戯したり、住井くんとロクでないたくらみをめぐらせたりす
る浩平を、あきらめまじりに見守る毎日。
部活のない日は一緒に帰って、途中ワッフルを買ったり、寄り道したりす
る楽しい放課後。
そんな平穏な日々が、これからもずっと続いていくものだと思っていたのに。
いっそのこと、わたしたちも浩平のことを忘れてしまえれば、こんな哀しい
気持ちは知らずにいられたのかもしれない。
わたしたち−そう、少なくともクラスで3人だけは彼の、浩平の記憶を失う
ことはなかった。
転校生で、浩平とはケンカ友達のような関係だった七瀬留美さん。
物静かで冷たい雰囲気があるものの、浩平が何かと気にかけていた里村茜さん。
そして、彼の幼なじみである、わたし−長森瑞佳。
もしかしたら、他にも浩平のことを覚えている人はいたのかしれない。
たとえば、林で出会って以来、浩平と私になついている少女、椎名繭ちゃん。
いまは別の学校に通っているはずの彼女に聞けば、「浩平、どこ?」と無邪気に
問い掛けてきたのかもしれない。
そうするだけの勇気は、わたしにはなかったけれど。
そんなある日、降りしきる雨のなか、わたしと七瀬さんがそれを目にしたの
は、あるいは必然だったのだろうか。
幼いころ遊んだ空き地。草がぼうぼうに荒れ放題のその場所で、珍しく欠席
した里村さんと浩平が、1つ傘の下、背中合わせに何かを話している光景。
そして−信じられないことに−浩平の姿が徐々に薄れ、やがて空気の中に溶
け込むように消えていく場面を。
× × ×
「ゴメン」と何度謝っても謝り足りない。
灼けつくような焦燥と、虚ろな寂しさだけが、オレの胸に渦巻いていた。
なぜ、こんな気持ちになるのか?
どうして、涙が止まらないのか?
ココハボクガノゾンダセカイのハズナノニ……。
(そう、きみが望ん「だ」世界だよ)
薄闇の世界にひとつの声が響き渡る。
どこかで聞いたことのある幼い女の子の声だった。
そしてオレは−ボクは彼女のことをよく知っている。
(かつて、きみは「永遠」を望み、彼女と「盟約」を交わした……)
今度は男性−いや少年の声が聞こえた。こちらも聞き覚えのある声だ。
それもごく最近……。
「−お久しぶり、というほどではないかな?」
「! 氷上!!」
そこに立っていたのは、オレのクラブ−ほとんど幽霊部員だが−の仲間だっ
た少年。オレが「ここ」へ来る2月ほどまえに、病で早逝したはずの友人だった。
「大事な人を亡くし、哀しみにうちひしがれていたキミは、変わることの−壊
れることのない永遠の世界を望んだ」
どうして、コイツがここに……と思いながらも、オレは氷上の言葉に耳を傾ける。
「……そして、そんなときキミに声をかけた「わたし」をキッカケに、永遠へと至
る道が、徐々にキミの心の中に構築されていったの」
振り返るまでなくオレ−いや、ボクは彼女が誰かを思い出していた。
「みずか……」
少女はニッコリと微笑む。あの日、あの時と同じ邪気のない透明な笑顔で。
「けれど、キミは気づいていたよね? ココへ来るためにあの世界を旅立つ
こと、それ自体が新たな哀しみを生むのだ、という現実に」
「だからこそ、キミはあちらに残ろうとしたのだろう? 様々な人々との絆
を通じて」
「……ああ、そうだよ」
あのとき、この少年は言ったのだ。「大切な女性との絆を求めろ」と。
だが、それも結局は果たせなかった。
大事なひとがいなかったわけじゃない。
むしろ、大切にしたい人が何人もいたために、誰がいちばん大事なのか、
自分でもわからなかったのだ。
いつもどこか寂しげだった茜。ゴメンな、結局オマエに再び同じ哀しみを
味あわせることになって。もう、2度と悲しい顔はさせたくないって、心に
誓ったはずなのに。それと……最後の瞬間つきあってくれて、ありがとな。
ケンカばかりしてた七瀬。でも、懸命に可愛くなろうとしていたアイツの、
そういうところこそが可愛いんだと気づいてからは、ときには女の子として
扱ってやんなきゃ、って思ったんだ。結局王子様にはなれなかったけどな。
あったかくて優しくて、ちょっと天然ボケ入ってるみさき先輩。目が見え
なくても人の心は見えるものだって、教えてもらったよな。先輩の卒業式、
見たかったぜ。もう学校以外の場所も恐くなくなったかな?
ちっこくてドジで、でもいつも一生懸命な澪。妹みたいなモンだと思って
たけど、本当はそればかりじゃなかったのかもな。初めての舞台、応援に行
けなくてゴメンな。オマエなら、きっとやれると信じてるぜ。
泣き虫だけど純粋な椎名。いまもまた泣いていないか? 大丈夫だよな?
ちゃんと自分で一歩ずつ踏み出すことを覚えたんだから。長森や七瀬のヤツ
もいることだし……。
そして、長森−瑞佳。あの日、オレを闇から救ってくれた幼なじみ。いま
目の前にいる少女の分身−いや、本体というべきかな? オレにとって、お
節介なアネキか母親みたいなモンであると同時に、小さいころから同じ時を
生きてきたかけがえのない存在。
誰かを選ぶことは、まだできなかった。たとえ、いつかは選ばなければい
けない日が来るのだとしても。
オレのエゴだけで誰かを選んで、他の娘を傷つける勇気はなかった。たと
え、そのためにオレの存在が薄れていくのだとしても。
「−で、結局、優柔不断なオレは6人とも失うコトになったってワケだ」
自嘲気味につぶやくオレに対して、みずかは首を横に振った。
「ううん、誰も無くしてなんかいないよ」
不意に目の前の空間に映像が浮かび上がる。
通学途中、もはや用もないはずなのにオレん家まで来て、部屋を見上げる長森。
拙い字と文で一生懸命に日記をつづる椎名。「浩平にあいたい」……。
部活の合間に、古いスケブを抱きしめ、こっそりと溜め息をつく澪。
卒業した今でも、時折学校を訪れ、夕暮れの屋上にたたずむみさき先輩。
髪型を変え、一抹の憂いとともに窓の外を眺める仕草が、いつの間にかサマに
なった七瀬。
そして……空き地ではなく、ふたりで見つけたあの公園にたたずむ茜。
「みんな、キミのことをちゃんと覚えているようだね」
氷上が信じられないほど優しい目をしてオレに問いかける。
「−あちらに帰りたいかい?」
「……帰り、たい」
ひとたび口に出してしまえば、その想いはとどめようもなかった。
「帰りたい、帰りたい−帰りたいんだ。帰れるものなら、あそこに、
あの世界に帰りたいんだ!!」
ボクは、いつしか幼い頃に戻ったかのように泣きじゃくり、駄々を
こねていた。
「帰る、絶対ボクはあそこに帰るんだ……」
謎めいた微笑を深める氷上に、理不尽だとは思いながらくってかかる。
「帰して! ボクを帰してくれよ!」
不可能だとは知りつつも、そう詰め寄る以外に激情を表す術を知らなくて。
だが、思いがけない方向から答えは返ってきた。
「……いいよ」
みずかが−永遠の盟約者たる少女もまた微笑んでいた。
両目にいっぱいの涙をたたえながら。
「その言葉をボクらは待っていたのさ」
氷上−シュンが穏やかな笑みを浮かべて、オレの肩を叩く。その笑顔は、
これまでのアルカイックなものではなく、確かな暖かさに満ちていた。
「ここはキミの心の奥底の世界。キミが望んだからこそ生まれた永遠……」
みずかの言葉をシュンが引き取る。
「だから、きみ自身がここにいることを強く否定すればここから出ることは
自体は不可能じゃないのさ。もっとも、「あちら側」へたどり着くにはちょっと
したコツがいるけどね」
いつのまにか、オレの「身体」がボンヤリと光り始めていた。
「誘導はぼくたちに任せてくれよ。キミはあちら側で待つ人たちのことを強
く念じるんだ」
「−ありがとう。で、きみたちは?」
視界がボンヤリとボヤけてくるなかで、そう懸命に問い掛ける。
「もしかして、消えてしまうんじゃ……」
「心配ないわ。わたしたちはあなたの−そう、夢のような存在。あなたが
現実(うつつ)に戻れば忘れてしまうだろうけど、あなたの心がある限り、
ココで生きて−存在していける」
みずかが、外見に似合わぬ大人びた愁い顔を見せる。
「少し、せつないけどね」
「でも、逆に言えば、ボクたちはいつでもキミとともにあるのさ」
シュンが続ける。
「……そうそう、向こうへ戻ったら多分1年近く時が過ぎていることに
驚くだろう。それぐらいは、勘弁してほしいな」
その声もだんだんと遠くなってきた。
「キミを取り戻した彼女たちへの、ボクらのささやかな意地といぢわる
だからね……」
声がフェイドアウトすると同時に、オレの心は眩い光に包まれ、
意識を失っていた。
× × ×
「−え!?」
「……あ!?」
夕暮れの商店街をとぼとぼと歩いている、制服姿のふたりの少女たちが
突然顔を見合わせる。
「聞こえた…よね?」
「うん、確かに」
立ち止まっていたのは一瞬。
「行こう、瑞佳!」
「うんっ!!」
ふたりは元きた方向へと走り出した。
「!! みゅーっ!」
ファーストフードショップの店先で、テリヤキバーガーをパクつい
ていた少女が、とつぜんトレイを置いたまま表へと駆け出す。
「!!」
クラブの友達に囲まれ、ニコニコと話を聞いていた少女が、真剣な表情で
立ち上がると、ペコリと頭を下げて部室を抜け出した。
「……覚悟しててくださいね」
ポツリと呟く少女。だが、その目にはまぎれない喜びの涙が浮かんでいる。
「……ワッフル1年分ぐらいじゃ許しませんから」
示し合わせたかのように5人の少女たちは学校へと集まると、中庭にもう
ひとりの少女が待っていた。
「−いま、来たみたいだよ」
盲目のはずの彼女が指差す先、中庭の芝生の3メートルほど上の空間が
陽炎のように揺らめいていた。
固唾を呑んで6人の少女が見守るなか……。
"彼"はゆっくりと姿をあらわしていく。
ボヤけていた輪郭が明確になり−。
モノクロめいた外観が確かな色を取り戻し−。
閉じていたまぶたをゆっくりと開く。
そして、照れくさそうな表情とともに一言。
「よう! ただいま」
<HAPPY END>
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
どうも。普段ははっぱ系、EVA系でSS書いてる、KCAと申すものです。
−−ううう、やめときゃ良かった。
まさか、こんなに難産になるとは。オマケにヘッポコだし。
「ONE」にはリーフの「TH」における雅史エンドにあたるもの(そして続く
平凡な日常)が存在しないので、「誰とも結ばれていないけど、現実に帰って
くるエンディング」を想定して、書いてみました。
一応、「茜メインで他の娘のイベントも進めた」って設定で書いてます。
具体的には、@昼は茜と弁当を食べてる A人気投票で七瀬に全面協力
Bひやかし告白は瑞佳 Cてきとーに繭の面倒もみてる D演劇部にた
まに見学に行く Eクリスマスは、茜、澪、詩子とパーティーをし、そ
こへ七瀬や繭、みさき先輩&深山部長も呼んだ(オリジナル設定)
Fゆえに6人の少女たちは顔見知り
あと、ラストシーンは、シルキーズの名作「ビ・ヨンド」の大団円エンディ
ングをイメージしたかったんですが……大失敗ですね。
そのうちどこかで改訂版を掲載するかもしれません。