【36】 D.S chapter.3
 投稿者: GOMIMUSI <underthesun@pop02.odn.ne.jp> ( 男 ) 2000/3/16(木)00:38
  act.5


「………」
 自分の置かれている状況を眺めてみる。周囲は一面、目の痛くなるような白一色だった。
 白い壁、白い床、白い天井。それ自体が淡く発光しているようだ。一辺が五、六歩ほどの真四角な部屋には、窓らしいものもなく、ただうっすらと存在する継ぎ目が扉のある場所を示していた。
 大きく息を吸い込んで、握りしめた拳を思い切り壁に叩きつけてみる。しかし、直後に激痛に身をよじることになった。壁はびくともしない。
「っつう…案の定か」
 ため息とともに小さくつぶやいた。壁が頑丈なのではない。彼の力が弱められているのだ…おそらく、常人と変わらないほどに。
 鍵のはずれる音がして、扉が微かにきしみながら開いた。その向こうに姿を現したのは、コウが意識を失う直前に見た若い男。
「おや、起きていましたか」
 ノーブルな顔立ちのその男は、もう一人、やせた長身の男を伴ってコウがいた部屋…独房の中に入ってきた。後から入ってきた男の手には、食事を乗せたトレイがある。
「腹は減ってないかい?」
 にやっと笑ってそれを掲げた男に、コウは無言でうなずいて見せた。男がそれを床に置くと、あぐらをかいて遠慮会釈なくその場で食べ始める。
 毒の心配などはまったくしなかった。その気があれば自分はとっくに死んでいるはずだし、薬で自白させられるような秘密もない。黙々と、さほどうまくもない冷たい食事を平らげると、コウは顔を上げた。ふたりの男は、その間ずっと黙ったままコウの様子をうかがっているようだった。
「いい度胸だな」
 長身の男が、本気で感嘆しているような声で言った。コウはそれに答えず、貴族風の若い男を見る。
「レイジーン・ミッドヴァレイ…そういったな」
「覚えていていただけましたか」
 レイジーンは柔らかな笑みを浮かべた。
「まあ、あんたは有名だからな…バルハラ王国、いや大陸サイファ最大の豪商。窮地に陥った王家の資金繰りに多大な貢献をして公爵位まで得た…それだけじゃない、王国の経済基盤をほとんど支え、事実上バルハラを買い占めたって話だが」
「それは、父の仕事ですね」
「ああ、そうらしいな。で、現在そのミッドヴァレイ家跡継ぎ候補の嫡男は、その屋台骨を傾かせかねないほどのどら息子とも聞いた」
 コウの口調に皮肉っぽいところはない。事実を事実として言う声だった。そして、レイジーンもまた悪びれることなくそれに答える。
「出る杭は打たれる、といいまして。少しくらい傾いた方が変に嫉まれることもないと思いましてね」
「そうかい…で、その道楽の一端として俺を捕らえたってところか?」
 目を細めて、相手の顔をじっと見る。
「この部屋の内装、光術系の細工が施されているな。ここまで固定するのに、いったい何人魔道士を使ったんだ? それに、あの時の捕縛結界…あれも相当な力量を備えた術者が四人は必要だろう。高かったろうに」
 コウが言い終えると、レイジーンは低い声をあげて笑い出した。
「ふふ…失礼。やはり、あなたはたいしたものだ。この状況で、そこまで冷静に分析できるとはね」
「このくらい、ガキにだって分かる…で、ついでにもうひとつ聞きたいが、俺をあそこへおびき寄せるために、いったい何を見せた?」
 レイジーンは、その問いに身振りで隣にいた男を示して見せた。
「彼の仕事ですよ。紹介しましょう、私の部下で、シデン・バウマンです」
 コウはその男に視線を向け、眉をひそめた。
「…なるほど、幻術士だな」
「いい勘してるね、兄さん」
 屈託のない笑顔を見せて、その男は手を叩いた。妙にノリの軽い男だ。
「俺はあんたの兄じゃない」
「まあまあ…そういうわけで、ちょっと幻を見てもらったわけさ。今、一番会いたい人の姿が見えるように、ってね。ちと卑怯なやり方だったかも知れないが。で、愛しい人の姿でも見たのかい? 俺はあんたが何を見たのか知らないんでね」
「知ったことか」
 不機嫌にコウはうなる。
「三流の手品師に引っかかったってわけか…ったく」
「三流の手品師はないだろう」
 シデンはひどく傷ついた顔をした。
「別に一流なんていうつもりはないが、そんなに捨てたもんでもないと思ってるんだけどな?」
「三流を三流といって何が悪い」
「言ってくれるぜ…じゃあ、こんなのはどうだ?」
 にやっと笑ったシデンは、ちちち、と小さな鳥のさえずりに似た音をたてた。すると、コウの目の前に何かが現れる。
「…? ………………!」
 それがなんであるか理解した瞬間、コウは顔を真っ赤にして、手もとにあった空の皿をシデンめがけて力いっぱい投げつけていた。シデンはそれをひょいとかわし、壁に当たった皿は粉々に砕けた。
「シデン、いったい何を見せたんです?」
 とっさに剣の柄に手をかけたレイジーンは、困惑しながら訊ねた。
「いや、怒るようなもんじゃないと思いますぜ? 男なら誰だって、嬉しいと思うんですがね」
 しらっと答えたシデンに、レイジーンはあきれかえる。
「さっさと、そいつを追い出せ」
 コウは押し殺した声で言った。囚人の態度ではないが、レイジーンは要求通り、シデンを独房の外に出させた。
「なんというか…あなたもうぶですねえ」
 苦笑するレイジーンに、コウは吐き捨てるように言った。
「ただの美人なら俺だって嬉しいさ。…くそっ、あいつのことなんか思い出したくないってのに…」
 床に座り込んだコウは、ひどくつらそうな顔をしていた。その表情を見て、レイジーンはこれ以上追求しないことにした。
「まあ、いいでしょう。実は、あなたを捕らえさせたのはかなり個人的な興味があったからです。…質問に答えていただけますか?」
「囚人が、嫌だなんて言えるのか?」
 コウはふてくされたような声で応じた。再度、レイジーンは苦笑する。
「まあ、そうおっしゃらず」
「そうだな…答える前に、こっちからもあんたに質問がある。どうして俺の弱点が光だと知っていた?」
 意識を取り戻してから、ずっと引っかかっていたことだった。彼のなかに獣魔がいることは、ギルドでも限られた数人以外は知らない事実である。コウはその事実を知っている人間にさえ、ほとんど自分の本当の姿を見せたことがないのだ。
「そのことでしたら、以前に私はあなたと会っているのですよ。覚えていらっしゃらないでしょうが」
「………?」
「私は、父に連れられてスバルの視察に来ていました。その帰り道です。突然、グランリーチが襲いかかってきた…しかし、そのとき護衛についていた男が機転を効かせ、グランリーチの注意を引いて私達を逃がしてくれたのです」
「…そうか。去年の冬だな」
 コウの目に、理解の色が宿るのを見てレイジーンは破顔した。
「その通りです。そのときは誰もが、その無謀な少年が命を落としたものと思っていました。まあ、全長三十メートルに達する地虫の化け物に素手で挑んで勝てると思っている方がどうかしているのでしょうが…しかし、あなたは勝った」
 コウは鋭い目で相手を見やった。
「見ていたのか?」
「ええ。たまたま落馬して、崖下に転落していたものでね。いえ、父に言ったいいわけそのままなんですが、これは」
「………」
「興味を引かれたのですよ。あなたは死を賭して救わなければならないほどの義理を、私達に負っているわけでもなかった。そしてあなたの目は、死ぬつもりのそれでもなかった…私の勘は当たりました。あなたはグランリーチの腹を破り、その神経節を寸断することで仕留めてしまった。…そのときの興奮を、なんと表現したらいいのでしょうね」
 今でもレイジーンは、そのときのことをありありと思い出すことができた。一時間近い戦闘を終えたまだ幼さの残る少年は、勝利を特に喜ぶ様子もなく、むしろ悲しげな顔をして、まだ痙攣し続けるグランリーチの巨体を見ていた。そして、その小山が完全に動かなくなったことを確認すると、自分が護衛を引き受けた馬車とは反対の方向へ、無言のまま歩み去ったのだ。
「………」
「あの時以来、私はギルドというものに興味を抱いたのです。それまでは、危険人物を集めたならず者の集団としか見なされていなかったギルドが、どれほど統率された優秀な戦闘部隊であるかを図らずも知ることになりましたが…しかし、あなたはその中でも特別だった。あなたについての情報を集めるのは苦労しましたよ」
 レイジーンは微笑んで言った。コウは、深いため息をついた。
「暇な奴だ」
「その通りですね。道楽息子で通っている私だからできたことでしょう」
 しゃあしゃあと言ってのける。苦笑するしかない。
 だがそうなると、あの時彼は危険な空白地帯の森を護衛もなしで、一人で踏破してバルハラまで戻ったことになる。
「たいしたもんだよ、あんたは…」
 ため息とともに吐き出した言葉に、レイジーンは子どもっぽいほど無邪気な笑顔を見せた。
「ありがとうございます。ところで、私がお聞きしたいのは…あなたの目的についてです」
 その言葉の意味を計りかねて、コウは眉をひそめる。
「目的…?」
「そうです。あなたが持っている力はあまりに巨大だ…この世界から疎んじられるほどに。そして、あなたの存在を認めないこの世界に対して、私には…その、譲歩しすぎているように思えるのですが」
「意味が分からないな…譲歩って、どういうことだ?」
「そこまで説明させるのですか?」
 やれやれ、とレイジーンは首を振る。
「つまり、どうして世界を征服するなり国土を焼き尽くすなり、そういう行動に出ないのかということです」
「…はあ? どうしてそうなるんだ、いったい」
「決まってるじゃないですか。あなたがそれだけの力を持っているからですよ」
 両手を左右に広げて、肩をそびやかすレイジーン。
「もしかして、全然考えもしなかった、なんて言わないでしょうね? それだけの力があれば、なんだってできるんですよ」
「だからって世界征服のどこが楽しいのか、俺には分からんぞ」
「そうですか? 自分の力を思い切り振るいたいという衝動にかられたりはしないんですか? そのほうが、私には信じられませんが」
 コウはひどくけだるげな笑みを浮かべた。
「そんな身分じゃないね。俺は、その前に…もっと強くなりたい」
「強く…?」
 レイジーンは、それこそ理解できないと言うように目を見張る。
「それ以上強くなってどうしようというんです? あなたは、ひとつの軍隊を凌駕する力を持っているというのに」
「あんなの強いと言わないさ。単に力があるってだけで…」
「力があるなら、強いというんじゃないですか?」
「違うね。俺が本当に強いなら、そもそもこんなところにいない」
 瞬きして、相手の顔を凝視するレイジーン。
「それはただ、たまたまあなたの弱点を私が知っていたというだけのことでしょう」
 なんだ? 微妙な違和感。この男は、自分が置かれている状況にどんな感想を持っているのだろう?
 悲観するでなく、自棄になるでなく、ただ淡々としている。敵の手中にあるというのに、それに対するなんの感慨も感じられない。ただ、あきらめきったような静謐がある。
 これが、この男の本当の顔なのだろうか?
「大切なものが、あるんだ」
 独り言のようにコウはつぶやいた。
「どうしても守りたいものが…以前、俺は本当に大切なものをなくして、どうすることもできなかった。今、俺が守るべきものを失ったら…」
 何か言おうとして、ふっと口をつぐむ。その場に聞く相手がいることを、思い出したように。そのまま、沈黙が降りてきた。
「…ひとつ、最近入ってきた情報があるのですが」
 やがて、レイジーンが口を開く。
「未来視(さきみ)の巫女、というのがスバルにいるそうですね」
 その名を聞いた瞬間、コウは目を大きく見開いてレイジーンに顔を向けた。
「お知り合いでしたか?」
「…知ってて言ってるんじゃないのか?」
「いえ。まあ、それはともかく…その巫女が、刺客に襲われたそうですよ」
 コウは立ち上がろうとする。レイジーンはそれを手振りで抑えた。
「成功した、という情報は入ってません。が、行方不明だそうです。…おそらく保身のために自分から姿をくらましたのでしょうが」
「なんで、そんなことを俺に教えるんだ?」
 鋭い視線を向けるコウに、レイジーンは小さく笑った。
 そう、この顔のほうがよほどらしい。あのグランリーチを寄せ付けないほどの、強大な力を持つ男には。
「別に。ただ、おもしろい話だと思っただけです。未来を語る巫女の失踪…実に、この戦いの行く末を暗示するようではありませんか?」
「………」
「長居しすぎたようですね。そろそろ戻ります。では、ごゆっくり」
 優雅な一礼を残して、レイジーンは白い部屋を出ていった。扉が閉まり、コウ一人が残される。
 床に座り込んだコウは、ため息をついてつぶやいた。
「ミスティさん…ひもじがってなけりゃいいが」


「旦那!」
 地上に出たとたんに、レイジーンに声がかけられた。あたりはひどく騒がしくなっている。行き交う兵士達の間をすい、すいと縫うようにシデンが近づいてきた。
「なんです、この騒ぎは」
 辺りを見回しながら問いかけるレイジーンに、シデンは肩をすくめて答えた。
「本気で聞いてるんですかい? 出陣の準備に決まってるじゃないですか」
「スバル…いえ、ナユタを攻めるんですか?」
「当然でしょ。目の上のたんこぶだった男が、こっちの手の中に収まってるんだ、遠慮する理由はないでしょうが」
「まあ、それはそうですが…」
 言葉を濁すレイジーン。多分、自分が上の連中に教えたところで耳を貸してはもらえないだろう…化け物と呼ばれるのが、コウ・フラットフィールドだけではないということを。
「それはそうとですね、旦那。親父さんが呼んでますぜ」
「父が?」
 レイジーンは露骨に嫌な顔をした。
「どうします? またしらばくれますか?」
「…いえ、そんなことが最近続いてますからね。ここで無視したら、本当にまずいことになるかも…」
 はあ、とため息をつくレイジーン。
「これからおもしろくなるというのに、なんて野暮な…まあ、配慮を怠ったこちらもこちらですか…」
「じゃあ、バルハラに戻るんですね。すぐ準備しますかい?」
「のんびりいきましょう。せっかく騒ぎが目の前で起きているのに、指をくわえて見送るのも癪だ」
「そうですな」
 上司の性格を熟知しているシデンは、軽く肩をすくめて同意を示した。


 強い西風が吹いていた。黒い、重い雲を運ぶ嵐の兆し。やがて、空は黄昏のような暗い色のふたに覆われた。
 そのころ、ギルドのテントはちょっとした混乱のさなかにあった。コウが捕らえられ、バルハラの軍隊が攻勢に転じたのである。その数前回のおよそ倍、騎兵歩兵をあわせ一万に達するという。
「ま、無理もないわな」
 至極のんびりと、マスターはつぶやいた。
「なにを太平楽に構えてるのよっ!!」
 ルウは血管が切れそうな勢いで怒鳴りつけた。
「どうしてコウが捕まるのよ、地上最強じゃなかったの?」
「あいつにも弱点はあるからな。どうして連中がそれを知ったか、まではわからんが」
「弱点?」
「ああ。光呪…光系統の魔法に弱いからな、あいつは」
「太陽の下でも平気だったのに?」
「光呪はあいつの内部にいる、獣魔に直接影響を及ぼす…それはともかく、捕まったってことはまだ殺されちゃいないんだな?」
「確認できませんが…その場で殺そうとしなかったのは、確かです」
 傍目にも蒼白な顔をしたサリィが応じた。何人かで組んで砦を監視していた、そのうちのふたりがコウの捕縛されるところを目撃しており、そのうちの一人がサリィだったのだ。
「ま、それは何よりだ。問題なのはこっちだが…」
 そのとき、大柄な青年がテントに飛び込んできた。
「マスター、来ます! 全体の指示は?」
 緊張に引き締まった顔が、事態の深刻さを伝える。マスターは考えるように間をおき…言った。
「敵を通すな、踏ん張れ。以上」
「………って、それだけですか?」
 唖然とした顔の青年に、マスターは投げやりな声で言った。
「どうせ、細かい指示を出してもその場になれば、みんな忘れちまうだろ? 指示ってのはある程度、場慣れして初めて意味がでるんだ。今のところ、頑張る以外にわしらにできることはないな」
「そんな、いい加減な…」
 ルウは言いかけて、言葉を飲み込む。マスターの目は、まったく笑ってない。
「今回は、こっちもかなり血を流すかもしれんなあ…」
 あきらめているわけではない。自棄になっているのでもない。ただ、できることがないのだ。
「マスター、一時戦列を離れていいかしら?」
 ルウは突然、無謀とも言える案を思いついた。サリィが目を見開く。
「ルウさん!?」
「…まあ、あんたはもとからギルドのメンバーじゃない、好意でついてきてもらってるわけだからな。別にかまわんが…」
「ありがと。じゃ、ちょっと行って来る」
 短く言って、ルウはきびすを返し、テントの出口へ向かって大股に歩き出した。
「ちょっと、ルウさん! どこへ?」
「砦。コウを取り返してくるから」
 足も止めず、流れるように言い放つと、ルウは彼らの視界からでていった。慌てて席を立ったサリィが、追いかけようとする。
「待て、サリィ…とりあえず、今は目の前の敵が優先だ。援護に向かってくれ」
「マスター、ルウさんを見殺しにする気ですか!?」
 信じられないという顔でサリィは振り返る。だが、マスターは笑って見せた。
「なに、そう簡単に死にやしない。なにしろ、あのコウが認めた化け物だからな」
「え…」
「天竜の剣、または、天竜七星(あめのりゅうななつぼし)ともいうが…北天にかかる竜の爪を象徴とする、人間離れした東国の剣の使い手。まずあいつなら、人を相手にして引けを取ることはなかろう」
 サリィは複雑な顔でマスターを見守っていた。どの程度、信じたらいいのだろう。そんな顔だった。
「でも…どちらにせよ、私達は苦しい戦いになります」
「そうだな。そろそろ奴が戻ると思うんだが…どこで道草を食ってるんだかな」
 マスターはため息をついた。それさえも、あまり深刻そうに見えないのがらしいと言えばらしかった。


「ったく、ほんとに世話の焼ける…」
 ぼやきながらも、ルウは砦のほうへ向かっていた。まっすぐに、ではない。とりあえずこちらへ向かってくる敵軍に衝突しないように、岩場を縫いながらだ。起伏に富んだ地形は、軍隊が通るには狭く、個人行動するには身を隠すのに最適である。砦を作った側も、このあたりの地質にはさんざん悩まされただろう。
 夜明け前の一番冷え込む時間。おそらく、出陣の準備で大わらわのバルハラ軍には、ひとりふたりが侵入するのを警戒する余裕などない。それに、第一ひとりで砦の奥に捕らわれている捕虜を、救出に来るような命知らずがいるとも思うまい。
 それだけが頼みの綱だった。
 大きく迂回して砦の裏手に回る。大きな石造りの壁が、深く掘られた堀の向こうにそびえていた。ちょうど、入り口とは反対方向。監視の目も甘い。
「…よし」
 慎重に、堀までの距離と壁の高さを目で測る。いっさいの余分な考えを捨て、神経を集中する。体内をめぐる気が、空気と同化していく感覚。
 たん、と短いダッシュで走り出す。鋭く、疾く。そして、一気に跳躍する。
 一度で堀を越えられはしない。それも計算済み。水面に足が触れる、その瞬間にまた跳躍。
 中程の水面に波紋を残して、ルウの身体は堀の下あたりに到達した。
 そこでとまらない。そこから、ほとんど垂直に飛び上がると壁に足をつける。
 たたっ、と壁の表面を走って、ルウは砦の壁、その最上部に一瞬で駆け上がっていた。重力を無視するように、壁を垂直に走り抜けたのだ。
 鏡渡り。彼女が修得した『天竜の剣』に伝わる技である。気の練成によって、自分の体重、気配、場合によっては姿さえ空気にとけ込ませ、移動できるという体術。
 壁を乗り越えると、周囲の気配を探る。巡回の兵は二、三人というところか。
「なんとかなる、かな」
 つぶやいて、ルウはまた動き出した。開戦まで時間がないのだ。


 まばゆい光が、突然そこに落ちてきた。轟音とともに着地した「それ」は、少しの間うずくまっていた。やがて、身を起こす。
 それは、栗色の髪を長く伸ばした少女。白い緩やかな服と足に履いた編み上げのサンダルは、普通の町娘という装い。
 ただ、目だけが違った。それは薄闇の中に輝く、猫のような目。ひどく、危険な獣の目だった。
 少女は周囲を見渡す。しかしそこは無人の岩場。もはや、なんの気配も残ってない。
「…い、ちゃん………」
 彼女は、小さくつぶやいた。と、獣じみた敏捷さでその顔を上げる。
 誰かが、来る。
「確か、こっちだと思ったが…」
 バルハラ軍の若い兵士だった。突然落下してきた発光体を目撃し、様子を見に来たのだろう。少女はまっすぐにそちらへ向かった。
「あなた」
 様子をみるでもなく、突然斬りつけるような口調で声をかける。
「うわっ。な、なんだ君は?」
 突然話しかけられた兵士は、驚いて目の前に立つ少女を見た。
「お兄ちゃんは、どこ」
 兵士のとまどいにまったくかまわず、少女は冷え冷えとした声で言った。
「え、なんだって? お兄ちゃん…?」
 困惑しきった顔の兵士は、ただ目を白黒させていた。と、少女が動いた。
 がん、と耳元で音がした。何が起きたのか一瞬分からなかった。喉が、締め上げられるように苦しい。
 いや、締め上げられているよう、ではない。締め上げられているのだ。少女の、片腕に。
 兵士はようやく、自分の置かれている立場を理解した。目の前にいた小柄な少女、彼女が片腕だけで自分の喉元をつかんで、後ろにあった岸壁に押さえつけている…?
「答えなさい。あなた達がつかまえた、私のお兄ちゃんをどこにやったの?」
 冷たく澄んだ声が、酸素不足の耳に届く。兵士はその細い手をつかんで、何とか引き離そうともがいた。信じられない膂力だ。これは…化け物か?
「きっ…狂戦士、なら、と、砦に…」
 なんとかそれだけ声に出せた。
「砦…?」
 少女は、兵士から手を離すと砦のほうへ目を向ける。それを好機と見て、兵士は剣を抜きはなった。一撃で斬り伏せる…はずが、大きく吹き飛ばされ、地面に転がった。
 うめきながら起きあがった兵士は、相手が自分を見つめていることを知った。…途方もなく冷酷な、そしてぞっとするほどに美しい瞳。血の色を思わせる、澄んだ赤い目。
 魔族。そんな単語が不意に脳裏に浮かんだ。誰もそれに出会ったことはないと言う。だが、今目の前にいるのは…人では、ない。
「あ、あ………」
 今度は恐怖が、彼を締め上げた。声が出ない。
「フレア」
 少女はつぶやくような、けれどよく通る声で言った。と、少女の掲げた右腕が炎を上げた。炎はひとつの形を取って、地上に降り立つ。それは、黄金のたてがみを持つ獅子。
「食らいつくしなさい…残さずに」
 命じられるままに獣は一歩、前に進んだ。兵士は逃げだそうとする。しかし、足が動かない。
 獅子は大きく跳躍して兵士に飛びかかった。同時にそれは巨大な炎の塊となって兵士を包む。断末魔の声は、ほとんど聞こえなかった。
 その光景を少女は見ていなかった。すでにそこに何があるかも忘れ去ったように、彼方にそびえる砦に視線を注いでいた。
 やがて、『食事』を終えたフレアが少女の元に戻ってくる。少女は、微かな笑みを浮かべた。
「いい子だね…」
 のばされた手が、燃える獅子の頭に置かれる。炎はその白い手をこがすこともなかった。ただ、百獣の王であるはずの獅子が、わずかに怯えたように身じろいで、低くうなり声を上げただけだった。

**********
 ――いやあ、久しぶり(^^;
美沙「なにが、久しぶりですか…以前、もっと早くするとか言ってなかった?」
 ――やっぱり無理でした。というか、今はそういう時期っぽい…
美沙「怠け者ですからね、あなたは」
 ――申し訳ないです。けど、ほんとに難産だった…
美沙「ゲームにはまってただけ…」
 ――ううっ! いや、それもあることはあるが…
美沙「寝る時間削りながらやってたものねえ」
 ――………というわけで、次もまた多分遅れます
美沙「………………こら」

 申し訳ありません、今回感想は割愛させていただきます…っていうか、全然読んでない(^^;

 とにかく時間かけまくりのこの話ですが、このペースが続けばあと2〜3年は楽しめそうです(爆)
「ああ、やっぱりアクアはこうだったか」と思った方、引っかかってはいけない。というか、だましばかりですね、この話…
 アリザやマイオ、あと懐かしいあの人物も出したいのですが、ページが間に合うかどうか。ちょっと心配です。
 前の話覚えてない人は、とりあえずうちのページをご覧ください。殺風景きわまりない、やる気のないページですがね(^^;
 では、またです

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/4203/