春の公園は、あくまでうららかで、眠気を誘うように平和だった。
平和すぎて…落ち込んでいる人間にはいささか居づらい雰囲気だった。こういうところは、待ち合わせをしている相手がいなければならない。そう、俺のような人間がいるべきところではない。
短絡的にそう結論づけてしまう。別に短絡的な性格は、今に始まったことではない。歌を仕事にすると決めたときも、深い考えがあってのことではなかった。
向いていると思っていたのだ。それほど大きな望みを抱いていたわけでもない、好きなことを仕事にして、生きていけたら幸せだろうと思っていた。
だが現実は、そんなに甘くなかった。
ぼんやりベンチに身を沈め、どんより暗くなっていた俺の前を誰かが駆け足で通り過ぎようとしていた。
突然、その誰かがこけた。
「あ………」
いっそ感心するような、見事な転び方だった。下手すると、顔を打っているかもしれない。心配になって、思わず腰を浮かせる。ふと、下に何か落ちていることに気づいて、それをかがんで拾い上げる。
「スケッチブック…?」
緑色の表紙の、大きなスケッチブックだった。それに気を取られている間に、転んでいた人物が半泣きで起きあがっていた。
頭に大きなリボンを着けた、ショートカットの少女だった。自分の周囲を見回し、何か探しているようだ。俺はその子に近づいて、スケッチブックを差し出した
「これ、君の?」
振り返った女の子は、俺が持っているスケッチブックを見たとたん、ぱっとスイッチを入れたような明るい笑顔になった。両手で受け取ったそれを胸に抱きしめ、俺に向かってぺこりと頭を下げる。
「ええっと…」
頭をかく俺を見上げ、またぺこり。次に、スケッチブックを広げて何かを書き、それを向けて見せた。
『ありがとう、なの』
にこにこ。
女の子は無邪気に笑いながら、その文字を指で指し示す。その間、無言のまま。
「あ、ひょっとして、君は口が…」
きけないのか。遅まきながらそう気づいて、思わず口にする。女の子はうん、うんと二回うなずいて、照れくさそうな笑顔を見せた。
「そうか…悪かった」
思わず謝った俺の顔を、女の子は?という顔で見つめていた。どうして謝られたのか、分かっていないようだ。当人は、全く気にしていないのだろう。
「いや、なんでもない」
軽く手を振って、苦笑する。その俺の顔をじっと見たまま、女の子はいぶかしげな顔をしている。またスケッチブックに何か書いた。
『どうしたの?』
「…どうしたって、なにが?」
『とっても悲しそうなの』
…おい、いいのかよ。
こういう子が一番危ないんだぞ。この子は、知らない人についていってはいけませんよ、とか、親から教わっていないのか。警戒心ゼロじゃないか。
「いや、何でもないんだけど…君、中学生?」
訊ねたとたん、ぶんぶんぶん、と頭が勢い良く振られた。
「ええと、じゃあ…」
『高校生なの』
…小学生、と言おうとしていたんだが。
「…一年?」
『三年なの』
思わず力がこもってしまったような、大きな字でそう訴える。そのむくれた顔と、語尾(?)にいちいち「なの」とつけるあたりが、よけいに幼く見せる。
「…全然そう見えない」
そう言ったとたん、女の子はスケッチブックを振り上げ、殴りかかろうとする素振りを見せた。これはさすがに気にさわったらしい。
「わ、悪い。ほんと、悪かった」
あわてて謝ると、うー、という顔でこちらをにらみながらも、殴るのはやめてくれた。俺は顔がゆるむのを、どうしても抑えられなかった。なんていうか…妹っていうのがいたら、こんな感じなのだろうか。そう思わせる。
『どうしたの?』
また、さっきと同じページを見せて問いかける顔になる。俺はそんなに、暗い顔をしていたのだろうか。
「いや…別に話すようなことじゃないって」
俺はベンチに腰を下ろしながら、軽く首を振った。
「お仕事で、うまくいかないことがあったってだけだよ。よくあることさ」
おしごと、と唇を動かして、首を傾げる女の子。何の仕事か、と聞きたいらしい。
「歌手、やってるんだ」
とりあえず、簡単にそう言った。すると、女の子の表情が、わあっ、と華やいだ。
『すごいの』
笑顔でそう書く。
「すごいもんか。全然売れないんだ。ま、それだけならいいんだけど、最近は最低でさ…」
なにを…なにを話しているんだ、俺は。見ず知らずの女の子に。
「ちょっと、仕事仲間と喧嘩しちまったんだ。最近、歌が浮かばなくて…全然、なにも浮かばないんだ。それで、八つ当たり。最低だろ?」
自嘲しつつ言う俺の言葉を、女の子は真剣な顔で聞いている。まったく、最低だ。こんな愚痴、人に聞かせるようなことじゃない。
女の子は黙って、何か考えていた。そして、例のスケッチブックを開いて一面に書いたこと。
『なにを 伝えたいの?』
「え?」
その問いに、俺は意表をつかれた。一度ページを引っ込め、また書いてから向けたページは同じままで、新しい言葉が加わっていた。
『なにを
伝えたいの?
だれに 』
ぽかんとして、俺は女の子の顔を見ていた。どこか悲しげでさえある、大きな目をして俺を見ている。しばらく互いに見つめ合った後、女の子はページをめくって、また何か書いていた。
『演劇部なの』
まるで、脈絡のなさそうなことを書く。
「…君が?」
うん。
うなずいてからまた書いていく。
『伝えたいこと、あるの。たくさんあるの。だから、演劇部に入ったの』
言葉も話せない少女が、演劇部だということも意外だったが、それ以上に俺は女の子の、伝えようとする意志に驚いていた。
『昔、スケッチブックを貸してくれた男の子がいるの。その人に、ありがとうって伝えたかったの』
「…そう」
『その人が、大好きなの』
「………」
『その人がいるから、わたしは笑うの。心が温かいの。伝えられるの』
そのときの彼女の顔を、なんと形容すればいいのか俺には分からない。いっそ、神々しいとさえいえるような表情だった。
『大好きなの』
短い言葉に、想いがあふれていた。ぼうっとしていた俺の腕を突然つかんで、女の子はその言葉を書いた。
『だからね、あきらめたらいけないの』
「え、えっと…」
『あきらめなければ伝わるの』
女の子の目が、自分を見ろ、と言っていた。声を持たず、話すことのできない自分が、どれほど伝えることを持っているか、そして伝えようとし続けているか見てみろと言っていた。そして、情けないことに俺はなんて言い返したらいいのだろうと、混乱しながら考えていて…。
突然、女の子はぴょんと飛び上がった。あたふたと走り出そうとする様子が見える。
「どうした?」
『待ち合わせしていたの』
素早くそう書いて、本当に駆け出す。
『遅れちゃうの〜〜〜っ』
ドップラー効果を伴いそうな勢いで、最後の一言を向けながら走っていく。また転ぶぞ、あれじゃ。
…そう言えば、名前も聞いていなかった。
ぽかんとしていた俺の名前を、そのとき誰かが呼んだ。
「健明っ、こんなところにいたっ!」
腰に手を当てて、怖い顔をしてにらんでいるのは…長いつきあいになるマネージャー。
「彩…」
「もう、探したんだからね。レコーディング、勝手にキャンセルしちゃって。仕事先に謝りにいくのはわたしなんだからね!」
ぶんむくれながら彩は、俺の前に立っていた。いつもならここで俺がかっとして言い返し、口論の一つでも始まるところなのだが…。
「ああ…悪かった。すまん」
「え?」
素直に謝った俺を、彩はぽかんとして凝視していた。
「健明…熱でもある?」
「なんだ、そりゃ」
「う、ううん。なんでも」
しきりに首を傾げている彩。そう、こいつはいつも俺のそばにいて。なんだかんだと文句を言いながら、けれど結局、俺を支え続けてくれた…。
「帰るか」
「え、あ、そうね。もうこんな時間だし」
一呼吸おいて、俺は彩にこう言った。
「なあ、暇ならちょっとだけ、俺につきあわないか?」
伝えたいことが、たくさんあった。
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お久しぶり&初めまして。
澪が、EDのときに遅刻してきた理由、という感じですか。
歌手という設定には、特に深い意味はありません。
別に歌が好きとか言うのでもないし。歌詞作るのは好きだけど。
実は、うちのパソコンが不機嫌でして、いつつなげられなくなるか分からない状況。
次にお会いできるのはいつの日か…というわけで、でもないけど、感想は最近の人に絞らせていただきます。
>幸せのおとしご様
実に、いいです。顔が赤くなっちゃいます。本当に瑞佳が幸せそうで…。
>ニュー偽善者R様
水浴びしている二人って、姉妹みたいですね(ほのぼの)。
襦袢の張り付いたところって、あ、いかん…(^^;
>KOH様
お体はお大事に。HPのも読ませていただきましたが、やっぱりいいですわ。
茜とか、みさき先輩のちょっとした心の動きがね。
椎ちゃんというのは、北川椎子さんですよね。うーん…二人の詩子、お待ちしてます。
ついでに。HP作ったんで、興味がおありでしたら。
なーんにもないけどね。http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/4203/