嵐の後に 投稿者: GOMIMUSI
 昼休みのチャイムが鳴る。
 生徒たちがざわめく中、南は長時間座り続けてこわばった体を、首をめぐらしてほぐした。こきっ、こきっと関節が鳴る。
 さてこれから、学食にでも行こうか。そう思いかけたとき、ふと彼は周りとは毛色の違う生徒がこちらへ歩いてくるのを見つけた。
「あれ?」
 彼の前に立って、その少女は小首を傾げるような仕草をした。
「茜は?」
「あんたか。久しぶりじゃないか」
 南はその少女の名を覚えていた。柚木詩子。里村茜の幼なじみで、違う学校に通っているはずなのに、授業中の教室にさえ堂々と進入してくる神出鬼没の娘。
「ねえ、南君だっけ。茜、知らない?」
 詩子は首を傾げたまま、南に向かって訊ねた。
 南は黙って、席を立って窓側に歩いていく。途中一度だけ、ついてくるように詩子に合図を送り、そのまま確認もしないで中庭を見下ろせるその窓へ歩み寄っていった。
 詩子はいぶかしげな顔をしながら、ついていった。視線をたどって、南が見下ろしているものを見つける。
「あれは…」
 詩子は目を見開いた。校舎から、一人の少女が出てきて、風をさけるように壁際の木陰に座り、弁当箱を広げ始めたのだ。
 間違いなく茜だった。
「どうして、あんなところに?」
 詩子は思わず、南に向かって問いただしていた。少し声が険しい。
「さあな。わからん」
 南はゆっくり首を振った。
「だって、もう12月なのよ? あんなところで食べていたら、風邪ひいちゃうじゃない!」
「そうなんだ。12月になってから、急にあんなところで食べるようになって…そういえば、去年もあそこで食べていたな」
「どうして?」
「しつこく言い寄ってくる男から逃げるため…だったような気がする。だが、今は誰かに言い寄られている様子はない」
「じゃあ、なんで」
「だから、わからん」
 南は最後まで、淡々とした口調で言葉を重ねていた。
「………どうして戻っちゃったのよ」
「戻った…?」
 詩子のつぶやきに、南は振り返る。詩子は少し、青ざめてさえいた。
「茜、一時ずっと元気がなくて…あんな感じだった。ううん、今のほうが悪そう」
「…二年の終わり頃は、まだ元気だったよな?」
「うん。そう思う」
「卒業式の前後から、あんな感じだ。誰も寄せ付けないし、ほとんど口も聞かない」
「そう………」
 それきり、二人は黙り込んだ。
 やがて、南は窓に背を向けて、自分の席へと戻っていく。
「ちょっと」
 振り返ると、とがめるような目で詩子が彼をにらんでいた。
「ほっとくの? 茜を」
「どうしろっていうんだ」
 南の口調は素っ気ない。
「オレは、あいつが待っている奴じゃないからな」
「…どうして、茜が誰かを待っているなんて思うの?」
「だって、そうだろ? 誰だか忘れたけど、そいつのせいで中庭で食べるようになって、同じことを今繰り返してるんなら」
 ふう、と南はため息をついた。
「待ってるんだよ。あのときと同じ状況を演じながら、そいつが来てくれるのをな」


 冬の雨は、そのまま凍り付いてしまいそうに冷たかった。
 冬の冷たい空を覆う、冷たい雲から落ちてきた雫。それは町を覆い、静かに降り注ぐ。
 茜は相変わらず、空き地に立っていた。
 ピンクの水玉の傘をさして、靴を半ば、ぬかるみの中に埋めて。そうして雨の中たたずむ様子は、以前と変わっていなかった。
 丈の高い草が、茶色になって茜の姿を覆い隠している。だから、そこに踏み込んでこなければ、滅多に見つかることはない。
 そのはず、なのだが。
「おい」
 突然かけられた声に、茜はびくんと肩をふるわせた。
 空き地の入り口で、顔をしかめてこちらを見ているのは…見覚えがある。確か、同じクラスの南。
「遅刻になるぞ」
「………」
 答えず、茜は顔を伏せる。
 話しかけてほしくなかった。また、あのときのことを思い出してしまう。
 浩平が、話しかけてきたときのことを思い出してしまう。だけど、私はもう、同じことを繰り返したくない。
「なあ、里村」
 ため息をついた南は、ことさらゆっくりと言った。それを茜は無視していたが、南はかまわず続ける。
「この空き地、なくなるぞ」
「…どうして」
 とっさに顔を上げて、南を見ていた。南はどこか悲しい顔をして茜を見つめていた。
「新しい家が建つんだとさ、ここに。そう聞いた」
「………」
「おまえがなにを待っているのか知らないが、ここはやめておけ。工事の人の迷惑になる」
 茜は答えない。ただ、南のいったことを胸の内で反芻していた。
 待つ場所が、なくなる。奪われてしまう。
「先に行くぞ」
 言うべきことは言った、というように、南はきびすを返して本当に立ち去ってしまった。それからやや遅れて、茜も空き地を出る。
 空はどんよりと曇って、気分をふさがせた。天気予報によれば、さらに天候は悪化するらしい。


 天気予報は正確だった。
 低気圧が重く腰を据え、冬にしては珍しい大嵐になったのだ。強い風が、横殴りに雨をたたきつける。体ごと持って行かれそうな強い風だった。
 そこに、茜はいた。ピンク色の傘をさして、じっと風雨に耐えていた。
 もうすぐここが、この場所がなくなる。それを、茜はどうすることもできない。
 だから。せめて、待ち続けられる間はここで待っていたかった。浩平の帰りを。
 あいつは、帰ってくる。何度も、自分の胸に言い聞かせる。
 以前も違う人を、ここで待っていた。それを浩平は、救ってくれた。そして、その人と同じように消えた。
 けれど、決定的に違うことがある。あいつは、私に好きだと言ってくれた。だから、帰ってくる。私が待っていると、知っているから…帰ってくる。
 …そういえば、去年もこんな嵐の日があった。意識を失った自分を、浩平は自分の家まで連れていってくれたけど…でも浩平は、今はいない。倒れても、誰も助けてくれない。
 帰ったほうがいいだろうか。もう、頭がぼんやりと、膜がかかったようになってきた。危険な兆候だった。体温が下がっているのだ。冬の雨の中で立っていれば、こうなって当然である。
 突風が吹き荒れた。思わず身を縮めた茜の手から、あっさり傘が奪われてとばされる。
「ああ………!」
 思わず声を上げた茜は、目だけで傘の行方を追った。足が、動かない。
 もう立っているだけでやっとなのだ。ここから出ることさえ、できそうにない。
 死ぬのだろうか。私は、ここで。
 それも、いい、か…。
 突然。
「なにやってんだ、馬鹿っ!」
 耳元で大きな声がした。誰?
「死にたいのか、おまえは!」
 乱暴に手をつかまれ、引き寄せられる。しかし茜は拒んだ。その誰かの胸に手を当て、弱々しく押した。
「嫌…」
「なにが!」
「………誰? 私…待ってるの。あの人を。だから…」
「だから、オレだろ? 折原浩平だろ!」
 いらだったように耳元で怒鳴られた。その瞬間、茜の体を電流が流れたようだった。
 浩平…本当に?
「こ………こう、へい…?」
 舌打ちする気配。風に負けないように、怒鳴るようにしてその人物は叫んでいた。
「この、馬鹿野郎! 待つにしても待ち方があるだろう。オレはこんなの、全然嬉しくないぞ!」
「ほ…本当に? 浩平…?」
 顔を確かめたい。でも駄目だ。意識が遠ざかる。
「帰ってくるから! すぐに帰るから、おとなしく家で待ってろ!」
 最後にそう聞こえたようだった。茜は紫色の唇で、しかし、幸せそうにほほえんで、気を失ってしまった。


 茜をベッドに横たえると、南はようやく一息ついて腰を伸ばした。
 とりあえず詩子がシャワーを浴びさせ、体温を確保しておいて、パジャマに着替えさせてある。その間も目を覚まさない茜に、女二人が大騒ぎをしていたが、どうやら心配ないようだ。呼吸も落ち着いてきている。
「…バカは風邪ひかないって、本当だな」
 南はつぶやいて、肩をすくめる。一瞬、茜のまつげがぴくりとふるえた。
 目が覚めたのだろうか? 顔をのぞき込んで…しかし、呼吸は相変わらずなのを確認すると、また体を離す。
 寝顔は安らかだった。…まあ、幸せな夢でも見ているといい。
 部屋を出て階下に降りていくと、詩子が待っていた。
「どうだ?」
「うん…やっと、おばさんも落ち着いたみたい」
 茜の母をなだめすかしていた詩子は、ちょっと疲れた顔をしている。
 取り乱して当然だろう。学校にいるはずの娘が、突然知らない男に背負われて、気を失って帰ってきたのだ。茜の傘を持って付き添ってきた詩子がいなければ、もっと面倒なことになっていたかもしれない。
「柚木、助かったよ」
「なに?」
「…まあ、いろいろ。おまえがついてきてくれたこととか、里村のいそうな場所を教えてくれたこととか…あと、あの紙もな」
「ああ…あれ」
 詩子はふと、肩を落とす。
 折原浩平、という名前で一面埋められた紙。それが茜の部屋に落ちていたのだ。
「レポート用紙一面、同じ単語を繰り返しシャーペンで書いて。それも、たぶん無意識のことなのよね。一人の人の名前を…ずっと繰り返し書いていたの…」
 顔を伏せた詩子は、声を途切れさせた。
「柚木?」
 顔をのぞき込もうとした南に、ふっと背中を向ける。見られたくないというように。
「幼なじみ、失格だよね…全然気づいてあげられないなんて…」
 きっと、以前にもこういうことがあったのだ。茜が言っていた、もう一人の幼なじみ。けれど、彼女はまだその人のことを思い出せない。
「…バカ。おまえまで思い詰めてどうするんだ」
 南はぶっきらぼうにそう言って、詩子の髪をくしゃっとなでた。
「ま、あとはその折原浩平って奴が帰ってくれば、万事オーケーというわけだ。なんで俺たちがそいつのことを覚えてないかとか…そういうことは別にしても」
「…南君、信じてるの? その人が本当にいて、本当に帰って来るって…」
「…信じるもなにも」
 ふん、と鼻を鳴らす南。
「里村をあれだけ待たせて、それで帰ってこない、なんて奴は、許しておけないからな」
 そう言った南の顔を、詩子は軽く目を見開いて見つめた。そして、いかにも嬉しそうににこっと笑ったのだ。
「…なんだよ」
「南君てさ、いい人だね」
「そりゃどうも」
「ね、ちょっとつきあわない? おごるから。今日の、お礼ってことで」
「はあ…? まだ降ってるぞ?」
「いいからいいから」
「お、おい」
 いつか嵐は、小雨程度になっていた。やむまでそうかからないだろう。
 そして、春が近づいている。今はまだ眠り続ける茜も、その時には。
 きっと、その時には心から笑えるだろう。

**********
これも南救済SSというんだろうか…。何となくかっこいい南が書いてみたい、というかかっこいい話が好きなんで。これ読んだ人が、かっこいいと思ってくれるかどうかは知らんけど。
このあと、南と詩子がどうしたか、というのはみなさんのご想像にお任せして。とりあえず、これの前に書いたものを読んでいる人は、その内容をリセットしてから読んでくださいね。全くの別人だから(笑)

>ここにあるよ?様
完全版の茜、元気ですね。ふと思いましたが、偽善者Zさんのあれを完全版にしたらどうなるでしょう。…感想になってませんね。後、牛乳一気飲みが笑えた。

>パル様
みさき先輩と澪のやりとり。そうか、イエスとノーでなら答えられますね。鋭い。これを思いついた浩平に対する、みさき先輩の気持ちっていうのも、なかなか。

>メタルスライム様
ふ、深い…。ゲームではまったく語られていない澪の心理を、ここまで掘り下げますか。さすがです。リボンの種類なんて全然気づかなかったし。

>吉田 樹様
感想SSでは南がすっかり定着してますね。はは…。茜、どんな甘いクッキー作ったのやら。それから日溜まりの中へ。あれには感服しました。またああいうの書いてください。

>偽善者Z様
というわけで、完全版楽しみにしてます(やらねえって、んなの)。瑞佳の幸せの行方も気になりますし。遠い蛍火、由依が…せつなかったです。やっぱり。

>もうちゃん@様
浩平、繭に感想を読ませなくても…。しかしよくしゃべるようになりましたね、繭。成長の証かな?
ミズエモン、笑えました。漬け物石持って往復するみさき先輩を想像して…。

>しーどりーふ様
雪のように白く。暖かさがありますね、冷たい雪の表現なのに。遠いまなざし。こんな短い歌詞で、切迫感が伝わります。あとしーどりーふさんのSS、僕は好きなんですが。

>天王寺澪様
つん、と鉄錆臭い血のにおいがしそうな、そんなすごみがあります。世界に引き込まれて、一気に読んでしまいました。みさき先輩がすごいですね、ほんとに。

>ブラック火消しの風様
以前の続きですね。また消えるのでしょうか、前のも全部は読めなかったのに。
浩平を拾った女の子たちと、新しい生活へ? でも瑞佳は? …気にかかります。

>KOH様
詩子のシナリオは、はっきり言って感動でした。茜が詩子を思いやる気持ちとか。バレンタインデーを渡すところとか。二人の詩子は、澪が…かわいすぎる。『食べない?』(爆)

>かっぺえ様
おとめちっくふぃーるど…。本当にやりそうな気がして怖い(笑)。ためらいもなく真空飛び膝蹴りかます浩平も凄いが。で、つっこみ茜ちゃんと親睦は深めました?(笑)

>キン肉マンはあまり知りませんが、歌詞が熱いですね〜。ONEの、というよりイベントの歌っぽいところがまたいいですね。応援歌みたいで。

>藤井勇気様
何度も確認する浩平と、律儀に答える茜が楽しいのなんの。笑えました。しかし南、詩子ファンを敵に回すかもな。あ、僕のもか。それと、日常はみあの大活躍でしたね。この子のSSも見たい。それからいただいた感想のことですが、本当に気にしてませんからね。

>ばやん様
結局、浩平がおいしいところだけで終わったような気が…。苛めるというと、シマリスくんですか(それはぼのぼの)

>加龍魔様
繭の中に、永遠の世界…。元ネタは知りませんが、すごい設定かもしれない。想像すると…うっ、繭が七瀬を頭から丸呑み、という光景が…(自爆)

>変身動物ポン太様
五日連続のUP、お疲れさまでした。個人的に、元旦SSの藤田あ○りが、もう…その場に居合わせたかったと、マジで思いましたよ。おもしろそうじゃないですか。

感想SSだけでもみなさんのパワーに追いつけてない…。年じゃのう。でも、みんな読んでます。ああっ、この人のこの台詞は! といちいち感動しながら。
考えてみれば、この掲示板にもずいぶん長くお世話になってます。居心地がよければ、もうくるな! といわれるまで入り浸ってしまうたちなので。というわけで、また来ます。ではでは。