心ください・3回目 投稿者: GOMIMUSI
 シナリオを考え、大道具、小道具を揃えて、演出、照明、音響などの細かい設定を整え…一口に劇といっても、準備段階としてやることは数限りなくある。
 長森、茜、みさきは演劇にはほとんど素人だったので、ものの役には立たない。助っ人が必要だった。
 茜が教室の扉を開くと、高校生と元高校生がごちゃ混ぜとなって元気に働いていた。
「ほら、もっとおなかの底から声を出す!」
 檄を飛ばしているのは、深山雪見。みさきの幼なじみだ。当然、みさきが呼び出して仲間に引っ張り込んだのである。そしてその前で、ふうふういっているのもやはりみさきだった。
「えーん、もう声が出ないよお…」
「なにいってるの。大食らいと大声がみさきの自慢なんでしょ」
「雪ちゃん、ひどい…」
「大変そうですね」
 思わず茜はそう言った。
「あ、茜ちゃん。聞いてよ、雪ちゃんひどいんだよ。鬼なんだよ、悪魔なんだよー」
「…こらみさきちゃん。練習メニューを倍にされたいのかね」
「だって、発声のために普通、食事制限なんてする?」
 みさきはすねた顔で訴える。
「きちんと、きれいな声を出すには重要なのよ。素人のあんたに、このわたしが、マンツーマンで指導してあげてるんだからありがたく思いなさい」
「でもわたし、そんなに太ってない…」
「いいから。おなかが空っぽでいたほうが、声が響くの!」
 茜は首をかしげて、深山を見た。
「あの…本当に発声と、食事制限は関係あるんですか?」
 すると、深山はにやっと笑った。いたずらっ子のような、楽しそうな笑み。…茜は心の中で、みさきに手を合わせた。
「あーっ、今、茜ちゃん笑った!」
 即座にみさきが騒ぎ出す。
「こらこら、勝手に決めつけない」
「雰囲気で分かるよ。雪ちゃん、ぜっっったいに嘘ついてる。ひどいよ、ひどいよ〜」
 暴れるみさきを後目に、深山は茜に向き直った。
「あれはほっといていいから、あなたも長森さんとか上月さんを、ちょっと手伝ってきてよ。ま…上月さんのほうは問題ないかな。長森さん、衣装のほうにかかっているから、針仕事ができるならそっちをお願いね」
「はい」
 あきれたような笑みをこぼしつつ、茜は教室の奥へ移動した。
「あ、里村さん」
 椅子に腰かけ、器用に針を操っていた長森が、気配に顔を上げて笑顔を見せた。
「どうですか?」
「うん、前に使っていた衣装が、ちょっと直せばそのまま使えそう。問題は、脚本の中に舞台の上で衣装を替える場面があるんだけどね、それをどうするかとか」
「演出の担当ですね」
「そだね。でもそうすると、あとわたし達にできることっていったら、あまりないんじゃないかな」
 ふう、とため息をつく。
「あとは仕上げだけっていう感じ。もうそんなにかかんないでできるよ」
「…ずいぶん早いですね」
「うん。みんな、すごいペースでがんばってるよ。澪ちゃんなんて、台本とかほとんど一人で書いて…ほんと、すごいよ」
 その澪はといえば、今は別の机にすわって奇妙な機械と格闘している。みさきが借りてきた、点字用タイプライターである。これで、みさきが読む台本を作成しているのだ。
「やっぱり、がんばってますね…」
「うん。自分のためにみんながんばってくれているから、自分もがんばらないとって。本当に嬉しくて楽しいから、どんなこともできそうなんだって」
「…そうですか」
 その時、深山から声がかけられた。
「そうそう、日取りとかももう決まったのよ。場所は、この近くの小さなホールを確保してあるから」
「問題は、お客さんだね。約一名の」
 みさきがぽつりと言った。
 一瞬、澪がややこわばった顔を上げた。それから、またすぐに何も聞かなかったような顔で作業に没頭する。
「…そうだね。浩平が来ないと、意味がないんだよね、今度の舞台は」
 長森は今初めて気づいた、というような顔をした。
「でも、来るかな…浩平もなかなか、頑固なところがあるから」
「来ます」
 茜が、きっぱりと言った。
「…絶対に、来させます」

 夢のなかで、浩平は澪と歩いていた。
 ただ黙って歩いているだけ。それでも、とても楽しそうな澪。ふと目の前を大きな蝶が横切っていき、目を丸くした澪は、それを追いかけて走り出した。
「ころぶなよー」
 のんびりと、浩平は声をかけた。だいじょうぶー、と澪は手を振ってみせる。
 苦笑しながら、浩平もその後を追う…しかし、その足が、がくんととまった。
「………!?」
 足元に、何があるわけでもない。けれど、セメントで固められたように、足が動かない。
 澪は、離れていく。その背中に声をかけようとして、浩平は声を飲み込んだ。
 …そうだ。いっしょにいちゃいけないんだ。
 どこまでも、走っていく澪。いつも危なっかしくて、目を離せない感じだったけど。でも、あいつもいつまでも子どもじゃないんだ。
「もう…いいか。俺の役目は」
 その場に座り込む。大丈夫。澪は一人で走っていける。しばらく寂しい思いをするかもしれないけど…俺のことなんて、きっと忘れる。
 大丈夫だ、あいつは強いから。
 あいつなら大丈夫…じゃあ、俺は?
 みさおの手をはなして、ここへ帰ってきた。そして、澪からも離れようとしている。
 俺は、いったいどこへ行こうというのだろう。

 夢は、何かの物音で破られた。
 何度も繰り返し鳴っている…ドアチャイム。
「ああ…由起子さん、いないんだっけ」
 声に出して確認しながら、階下へ降りていく。
「誰だ、いったい…」
 眠りから無理矢理引き剥がされた、重い不快感に顔をしかめながらドアを開く。そこには、予想外の人物が立っていた。
「…茜」
「お久しぶりです」
 無表情に、茜は言った。
 本当に久しぶりだった。卒業以来、まったく会っていなかったのだ。
「どうしたんだ、おまえが家に来るなんて…」
「招待状です」
 一枚の封筒を、浩平の目の前に差し出す。
「…何?」
「来週末、上月さんの舞台があります。見に来てください」
 淡々とした声だった。浩平は、首を振った。
「悪い。行けない」
「…都合が悪いのですか?」
「…ああ。ちょっとな」
 差し出されたままの封筒から目をそらし、歯切れの悪い声で答える。そんな浩平を、茜は冷ややかな目で見つめていた。
「そうやって、また上月さんを傷つけるつもりですか」
「…そんなつもりは、ない。だけど…そうだな、そうなるかもしれない。でも、今だけだ。時間がたてば、あいつだって…」
「本気でそう思っているんですか?」
「…ああ」
 茜は封筒を持った手を脇に下ろし、静かに言い放った。
「意気地なし」
「………」
「あなたは、何も分かってない。…あなたは、上月さんと離れて、平気でいられるんですか?」
「…平気じゃないさ」
「だったら、どうして分からないんですか。上月さんも同じです。あなたが傷ついていれば、上月さんも同じように苦しんでいる…上月さんは傷ついています、浩平と同じくらい」
 浩平は息をのんだ。自分にむけられた、茜の視線の激しさに。
「途中で放り出すくらいなら、どうして上月さんを好きになったのですか」
「………俺は…あいつのことを、これ以上傷つけたくないから…」
「浩平」
 茜の声が、さらに厳しさを増す。
「だったら、あなたは誰のことも好きにならなければよかったのです。…他人としての距離を保って、上辺だけの笑顔で、自分の弱いところを隠して。誰にも踏み込まず、踏み込ませずに、一人だけで生きていればよかったのです。そうすれば、あなたは誰も傷つけないですんだ…でも、あなたは、もう上月さんの手を取ってしまった。それならば、たとえ相手が傷だらけになっても、ぼろぼろになっても、あなたのほうからは絶対に手を離してはいけないんです!!」
 最後は、ほとんど叫ぶような声だった。浩平はひたすら、茜の激しい勢いに圧倒されていた。
 今にも泣きそうに揺れている瞳。
「好きにさせておいて…それで、おまえのためだから別れよう、なんて、そんなの…あんまりです。勝手すぎます」
「茜…」
 思わず、浩平は茜の名を呼んでいた。茜は、静かにうつむいた。
「上月さんは、ずっと待ってます。傷だらけになっても、まだ浩平を待っているんです。あなたは、上月さんだけではない、これからも何人も傷つけるでしょう…それでも、きっと上月さんはあなたを待ち続けます、あなたのことだけを」
 再び顔を上げ、正面から浩平を見つめる。
「必ず、来てください」
 長いためらいのあと、浩平は言った。
「…もし…もしそのために、おまえや長森まで傷つけることがあっても…それでも、来いって言うのか?」
「はい」
 なんの迷いもなく、茜はうなずいた。
「それでもです」
 もう一度、チケットの入った封筒を差し出す。浩平は、今度はそれを受け取った。
「茜」
「はい」
「その…すまなかった」
 浩平の謝罪に、茜は素っ気なく言った。
「謝る相手が、違います」
 そして背中をむける。遠ざかる茜を、浩平はただ、じっと見送っていた。
 茜は、最後まで一度も振り返らなかった。

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置き去りにされた側の痛みを知っている人間として、茜の台詞に思いっきり力をいれました。今回は茜が主役のよう。澪の話なのに…。

>スライム様
浩平がAクラス…だから、こいつに不可視の力はやばいって。

>ひろやん様
こういうふうには別れてほしくないです。でも、現実にはありそうなことなので、僕には何も言えません。彼はあのあと、繭に会うことができたのでしょうか。

>dojinano様
瑞佳と茜の話を書いた人…? 違ったらごめんなさい。だけど澪、死んじゃったのですか…。さよならと心でつぶやいた、はちょっと痛すぎます。

>いけだもの様
やっぱり行ったんですね、上月山の栗拾い…。しかも、出来上がりが…。
茜、強し。冬には何を作るのかな?

>まてつや様
なんだかすごい配役が、浮かび上がってきましたねえ。未悠先輩、葉子おばさん…そうすると、当然総主郁未も登場するんでしょうね。

>偽善者Z様
…なんだか、七瀬のしていたことより、浩平の想像のほうがとんでもねーと思ってしまうのは僕だけでしょうか。いや、どっちもすごいけど…。

>T.kame様
どいつもこいつも、腹に一物ありそうで、波乱含みの予感。浩平、どっちにしても無事ですまないような。大丈夫でしょうか。

>藤井勇気様
読んでないかもしれませんが、がんばってください。

>火消しの風様
あの、何かあったんですか?(汗)けっこう暗そうな話も見かけたし…。シュン君、何を伝授されたの?

>KOH様
みさき先輩の冗談が、実は本気だった…なんてことがないように…。ところで、これから出てくる人って、あれ? しかも仮面…??

調子に乗って書いているうちに、収拾がつかなくなるという事態にはもうなれました(笑)。感想をくれた人、また読んでくれた人たちに感謝。
あと一回、でおさまるか心配ですが、とりあえずここまでです。ではでは。