心ください 2回目 投稿者: GOMIMUSI
 茜が澪の芝居を見に来たのには、理由があった。それは、川名みさきの代わりに澪の出る演劇部公演を見とどけるということである。
 高校を卒業する前に、茜は澪を介してみさきと知り合っていた。というのも、盲目のみさきと話すことのできない澪とではコミュニケーションがとれないということがあり、澪が茜に通訳を頼んだのである。
 澪は、にこにこと茜の顔を見上げている。とにかく、嬉しそうだ。
「…とにかく、着替えなさい」
 痛む頭をおさえながら、級友の少女は澪の手に制服を押しつけた。なにしろ、衣装から抜け出したままの澪は、スリップ一枚という客を迎えるにはむかない姿だったので。
 澪が服を着るのを、茜は黙って見つめていた。じたばたしながら頭から制服の上をかぶり、ようやく頭が出ると、ふと茜は訊ねた。
「浩平は、元気ですか?」
 茜も、澪と浩平がつきあっていることは知っていた。けれど、違う大学に行った茜は、それ以降音信不通だったのだ。
 突然、澪の動きが止まった。暗い表情から、茜は訊いてはいけないことに触れた、と気づいた。
「…上月さん…」
 戸惑う茜の手を取って、澪の級友は茜を少し離れたところへ連れていった。
「里村さん、でしたよね」
「…はい」
 相手の表情に、茜はわずかに緊張する。
「浩平って、あの子の彼氏ですよね?」
「ええ、そのはずですが」
「どうやら、喧嘩したみたいなんですよ、最近」
 後ろにいる澪のことを盛んに気にしながら、彼女は続けた。
「それ以来、あの子ずっと元気がなくて…その人のこと、知っているなら…」
「あれ? 里村さん?」
 驚いた声が、その時背後から聞こえた。茜の知っている声だった。
 振り返ると、そこにはぽかんとした顔の長森が立っていた。
「…長森さん」
 自分にむけられた視線に、その場の深刻な雰囲気を感じ取った長森は、居づらそうな顔をしていた。
「え、えっと…あの、おじゃまみたいだね。出直すから…じゃあ」
 背中をむけかけた長森に、茜が声をかける。
「待ってください…浩平のことで、上月さんに用事があるのではありませんか?」
 長森は振り返って、驚いた顔を見せた。

 その場で少し話し合った後、長森、茜、澪の三人は場所を移動することになった。その日の演劇部としての活動は終わり、片づけはまだ残っていたものの、級友の少女がすべて引き受けて三人を送り出したのだ。
「上月さん、副部長だそうです」
 移動中の茜の言葉に、長森は目を丸くした。
「ええっ? すごいじゃない、がんばってるんだね、澪ちゃん」
「………」
 澪は少し恥ずかしそうに、目を伏せて首を振った。そう言えば、どことなく全体に大人びた雰囲気は出てきた。
 基本的に、中身は無邪気な子どものままだが、経験が彼女を鍛えたのだろう。あるいは、最近の出来事が、その表情を沈ませているだけなのかもしれないが…。
「つきました」
 程なく、茜はそう言った。校門を出てすぐのところにある家。表札は川名。
 茜がチャイムのボタンを押すと、一人の女性がドアを開けて顔をのぞかせる。
「どなた?」
「里村です。みさきさんは、いらっしゃいますか?」
「あ、茜ちゃんだ。待ってたよー」
 二階のほうから、明るい声が聞こえてきた。「おじゃまします」
 頭を下げてから、家に上がった。部屋のドアを開け、待っていたみさきは、階段を上ってくる足音の数に首をかしげた。
「あれ? 茜ちゃんだけじゃないね。澪ちゃんと…あとは誰?」
「あの、長森です」
 急いで自己紹介する長森。
「長森さん…?」
「浩平の幼なじみの、長森瑞佳さんです」
 茜が補足する。すると、みさきはああ、という顔になる。
「浩平君の友達なんだ。ふうん。瑞佳ちゃんでいいかな」
「あ、はい。あの…急に押し掛けてきて、ごめんなさい」
「いいよ。にぎやかなほうが楽しいからね。今日の澪ちゃんの舞台、見てきたの?」
 みさきはわくわくしている顔である。よほど、今日の報告を楽しみにしていたのだろう。しかし、茜はまじめな顔で言った。
「みさきさん…少し、相談したいことがあります」

 まずは長森が、浩平の語ったことを話した。それから、浩平の死んだ妹、みさおのことについて、浩平から聞いた限りのことを話す。本来なら気軽に話せることではないが、今は必要なことだった。
「そう…か。浩平君が、そんなことを…」
 みさきは腕を組んで、顔をしかめた。
「でも、なんだか浩平君らしくないね。わたし、浩平君はもっと楽天的な人だと思ってたけど」
 みさきの言葉に、長森は首を振る。
「いつもならそうですけど…こと妹が関わってくると、浩平は思い詰めてしまうんです。みさおちゃんが死んだときには、浩平は家族みんなから孤立していて…本当に、ひとりぼっちだったから。この町に来たばかりの時も、会う度に泣いている感じで…」
「つまり、澪ちゃんがまた、みさおちゃんみたいに浩平君から離れることを恐れているのかな?」
「…そう思います」
 長森の言葉に、みさきはうなずく。
「それだけ、澪ちゃんの存在は浩平君の中で大きいんだね」
「だからといって」
 それまでずっと黙っていた茜が、憤りを含んだ声でいった。
「そんなのは、浩平が臆病になっているだけではありませんか。上月さんの気持ちなんて、ぜんぜん考えてない…」
「まあ、そうだけどね。今のままだと、どっちも辛いことになるし」
 みさきはそこで、澪がすわっている(らしい)方向へ顔を向けた。
「澪ちゃん、浩平君と別れること、できる?」
 その率直な問いに、澪よりもむしろ長森、茜のほうがぎょっとした。しかし、澪は落ち着いた顔で、首を横に振る。
「…別れられないそうです」
 茜が、みさきに通訳する。みさきはうん、とうなずいた。
「でもね、浩平君の考えているとおり、澪ちゃん、とっても傷つくかもしれないよ。これは浩平君の心の問題だからね。わたし達はなんの力にもなれない。澪ちゃんが、みさおちゃんにとらわれている浩平君を、どうやって変えていくのか。それは、澪ちゃんの問題。とっても辛いことかもしれないよ?」
 澪は、しばらく考え込んでいる様子だった。やがてスケッチブックを開き、何か書き始める。それを読んでみさきに聞かせるのは、茜の役目だった。
『あのね』
 書き込みながら、茜の顔を見る。うなずいてみせると、さらに書いていった
「…上月さんは小さいときに、浩平にあったことがあるそうです。言葉を話せなくて、自分の気持ちや考えが、他の人に伝えられなくて…どうしていいか分からなかったとき」
 あの時、浩平と出会っていなければ、自分は今、笑うことができたかどうか分からない。自分の殻に閉じこもって、ふさぎ込んでいたのかもしれない。
 だから、浩平にはありがとうと、大好きと、自分の気持ちを伝えたかった。一週間の期限で借りたのに、その時は浩平は現れず、それでも、ずっと出会える日を夢見て…そして、やっとこの学校で出会えた。
 だから、あの時伝えられなかった分も、自分の気持ちをあの人に伝えたい。
『まだ、半分も伝えてないの』
 澪はそう締めくくって、ペンを置いた。
 しばらく、みんな黙っていた。
「…分かったよ、澪ちゃん」
 みさきが最初に、口を開く。
「その気持ち、浩平君に伝えないとね。浩平君が最後に、どんな答えを出すのかは分からないけど。澪ちゃんにも、ちゃんと覚悟はあるんだって、教えてあげないとね」
 みさきの言葉に、澪は嬉しそうにうなずいた。
「あのね」
 何か思いついた顔で、みさきは身を乗り出した。
「わたしの尊敬する人の言葉に、こんなのがあるんだ。『二番目に言いたいことしか、人には言えない』」
 澪はきょとんとしてみさきを見つめる。みさきは先を続けた。
「『一番言いたいことが言えないもどかしさに耐えられないから、絵を描くのかもしれない。歌を歌うのかもしれない』…ってね。でも、わたしは絵が描けないし、澪ちゃんは歌うことができないでしょ」
 そして、みさきはにっと笑う。
「劇だったら、いっしょにできることもあるじゃないかと思うんだけど。どうかな」

 澪はみさきの思いつきを聞くと、早速行動を開始した。まだ部室に残っているはずの演劇部部員に、話をつけにいったのである。
「大丈夫かな、澪ちゃん」
 長森は帰り道、茜とならんで歩きながら校舎のほうを気にかけていた。
「澪ちゃんの行動力は、空回りすることがあるからなあ」
「…長森さん、あなたは、いいんですか?」
 唐突に、茜が問いかけた。
「何?」
「上月さんに、協力することです。あなたは、浩平のことを…」
 皆まで言わせず、長森は静かに首を振る。
「だって、澪ちゃん、あんなに一生懸命なんだよ? わたしよりずっと前に、浩平に出会っていて。それからずっと、浩平のことだけが大好きで。…かなわないもん」
「………」
「だから、ね」
 長森は決意を秘めた顔で、前を見る。顎をひいて、唇をひき結んで。
「絶対、あの二人はうまくいかないと、嘘だよね」
 その横顔を、茜はしばらく黙って見つめていた。やがて、ひっそりと笑みを浮かべる。
「…はい」
 複雑な思いを込めて、茜はそれだけ言った。

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みさき先輩の言葉は、星野富弘という人の詩から引用しました。興味のある方は、書店で風の旅という本を見かけたらめくってみてください。

感想に入る前に…みなさん、最近すごいパワー…

>偽善者Z様
おお、敵の懐で暴れる浩平組!(仁義屋だってば…)七瀬の安否も気になる。たとえ給金が出なくても、がんばれ浩平(笑)

>ひろやん様
繭の話をしているのに、結婚したのは瑞佳? 何があったんでしょう…。でも、繭が出てきても、瑞佳シナリオは進むけど。

>よもすえ様
日頃何を見て、何を考えているのか一番知りたい人です…こんなものどうやったら書けるのか、さっぱり分からない。でも、シュソ。おまえさん、黒魔術か?
削除? そんな、もったいない…。

>だよだよ星人様
あの郁未と同一人物ですか? だったら、学食にいるのは誰?

>11番目の猫様
あえて多くは語りませんが…茜の心情描写がすごい。
ちなみに、僕のSSから取った名前だとしたら、なんだか嬉しいです。

>いちごう様
やっぱり、沢口君の立場も南といっしょなんでしょうね。不憫だ。

>WIL YOU様
お久しぶりです。だけど、住井にばかりいい思いをさせておいていいのかっ、浩平!!

>雫様
茜…そこまで芸達者なら、おまえさんが髭と直接対決すればいいじゃないか。ドッペルでもクローンでも出して…。そういうつっこみは禁止?

>スライム様
体重を気にする茜…それはそれで、女の子には重要な問題だろうけど、うーん…(汗)

「心ください」は四回くらいになりそうです。澪の舞台まで書きます。よければ読んでやってください。ではでは。