心ください 投稿者: GOMIMUSI
 別に、おまえが悪いわけじゃないんだ。
「………」
 要するに、俺が悪いってことだな。
「………」
 だから、さ。俺は、おまえのためにならないんだ。どんなに気をつけていたって、きっと傷つける。取り返しのつかないことになってからじゃ、遅いんだ。
 おまえが、好きだよ。たぶん、誰より好きだよ。でも、俺じゃ駄目なんだ。おまえを、大事にしたいだけなんだ。
 頼むからさ。泣くなよ。
 泣くなよ。

「………」
 目を覚ますと、頬を涙が伝っていた。窓から入ってくる風に当たって、頬がすうすうする。
 休日ともなると、最近寝てばかりだ。そして、似たような夢ばかり見ている。
 気にしていないつもりでも、潜在意識は正直なものだ。本心を、余すところなく見せつけられる。
 ぼんやり天井を見上げていると、階段をぱたぱたと駆け上がる、聞き覚えのある音が聞こえてきた。浩平は、慌てて自分の手の甲で頬をぬぐう。
「浩平、いるー?」
 予想通り、ドアを開けて入ってきたのは長森だった。大学生になってからも、この習慣は相変わらずだ。
「もう、だめだよ。休みだからってごろごろしてたら。ほら、起きてよ。布団干すから」
「………ああ」
 いつになく素直に、起きあがる浩平。その態度に、長森は首をかしげたが、あえて詮索しようとしなかった。
「由起子さんは?」
「また出かけてった。あの人も忙しそうだね」
「まあな。あれが、生き甲斐みたいなところあるからな」
「ねえ、ご飯、食べる? 由起子さん、ちゃんと用意していってくれたから、食べよ。ほら、眠そうな顔してないで、顔洗ってきなよ」
「うぃーす…」
 気の抜けた返事を返し、一階に下りる。長森は、浩平の布団を干しにかかっているようだ。つくづく、面倒見のいい幼なじみである。
 いや…。面倒見がいいだけではないな、今日は。そう考えた浩平の、唇の端が曲がって、奇妙な笑みになった。
 気を使いすぎている。いつも通りに振る舞おうとして、それが空回りしている。そもそも、「いつも通り」なんて意識した時点で、それはいつも通りではない。
 テーブルについて、長森を待つ。下りてきた長森は、浩平が食事に手をつけていないのを見て、驚いたような顔をした。
「食べないの?」
「いや…食べるけどな」
「どうしたの?」
「おまえを待ってたんだけど」
「待ってることなんて、ないじゃない。ほら、早く食べようよ」
 長森は冷蔵庫から牛乳のパックを取り出して、自分と浩平のカップに注いだ。いただきます、と手を合わせてから、食べはじめる。それを眺めながら、浩平も自分の分に取りかかった。
 基本的に、この家の朝はパン食である。この日は、スクランブルエッグや薄いスープなどが添えられていて、いつもよりメニューは充実していた。
「ねえ…」
 途中、長森が声をかけてきた。浩平はちらとそちらを見てから、言った。
「消化に悪い話は、あとでな」
「う、うん…」
 それから、また黙々と食事を続ける。いつになく時間をかけて食べていた浩平は、長森とほとんど同時に食べ終わった。もっとも、長森の食べた量は浩平の半分ほどでしかないが。
 カップの中の牛乳を飲み干して、立ち上がる。
「テレビでも見るか?」
「え? う…うん」
 ぎこちなくうなずいた長森と、リビングに移る。けれど、この時間帯、おもしろい番組はなかった。適当にかちゃかちゃとチャンネルを変えたあと、腹立たしげに電源を切る。そんな浩平の行動を、長森は逐一、少し離れて見守っていた。
 部屋が静まり返る。しばらくして、長森が意を決したように声をかけた。
「ねえ。話があるんだけど、いいかな」
「嫌だ」
 言下に浩平は答えた。それから、ふっと笑う。
「と、言ってもおまえのことだから、無理矢理にでも聞かせるつもりだろ」
「………」
 長森は、しばらく複雑な顔をして黙っていた。やがて、ためらいがちに話しだす。
「澪ちゃんの、ことだけど」
「…ああ」
 予想通りだった。浩平は、ソファにもたれて天井を見ながら、長森の次に続く言葉を待つ。
「浩平…最近、澪ちゃんと会ってる? この前、会ったんだけど…すごく、哀しい顔してたよ。ねえ、浩平。澪ちゃんと、何があったの?」
 問いつめるような長森に、浩平は視線を逸らす。そのままで、言った。
「…もう、会わないことにしようと思うんだ」
 永森は目を見張って、絶句した。
「…それ、澪ちゃんと別れるってこと?」
「そうなるな…」
「…どうして? 浩平、澪ちゃんを嫌いになったの? それとも、澪ちゃんが浩平を?」
「別に。そのほうが、あいつのためだと思っただけだよ」
「どうして…どうしてそんなこと言うの? 浩平、分かってるよね。分かってないはず、ないよね。澪ちゃん、浩平が、大好きなんだよ?」
 浩平は、うつむいたまま黙っていた。
 こんなふうに、自分以外の女の子と、幼なじみのつきあいにまで気を回し、本気で心配してしまう。昔から、面倒見のいい人を見つけないと心配だよ、などと言いながらなにくれとなく世話を焼いて、実際に相手が見つかったら見つかったで、うまくいっているかどうかに気を配る。
 たぶん、うぬぼれでなく、長森は自分を好きなのだろう。そう浩平は思う。だからこそ、こうして浩平がつきあっている相手のことに、過敏なまでに反応するのだろうが…だが、彼女は決して、自分が澪の居た位置に納まろうとはしない。必死になって、壊れかけている関係を修復しようとするのだ。それが、自分のためだと信じて。
 それが分かるから、浩平は長森の顔を、正面から見ることができない。
「ねえ、どうして? わたし…浩平の考えていることが、わかんないよ」
 半ば泣きそうな顔になって、長森は言った。浩平はしばらくカーペットの上に視線を落としていたが、やがて言った。
「駄目なんだ、俺じゃ」
「だから、なんで?」
「…俺、このままいったら、きっと澪を、みさおの代わりにしちまう。澪は、澪なのに…どこも、みさおと似てなんかいないのに。あいつを、妹としてしか、見てやれなくなる…」
 浩平の声は、長森がこれまでに聞いたことがないほど苦しげで、悲壮だっだ。長森は、声もなくその横顔を見守っていた。
 見ていることしか、できなかった。
「自分でも、おかしいと思ってるんだ。でも、俺は、現にみさおのためにあいつを一人にしちまって…あの時、俺は、みさおといっしょに、とても大事な何かをなくしたみたいで…みさおは、もういないって分かってるのに、駄目なんだ。いつまでも、同じところをうろうろして…きっと、あいつがその分、傷つくんだ。それで、みさおの居ない分を埋め合わせようと、あいつは俺のために一生懸命になるんだ。そういう奴だから。でも、それじゃあいつは、みさおではないあいつ自身は、俺のなかで迷子になったまま、出口が見つからない…」
 ゆっくりと首を振って、力なくつけ加える。
「それじゃ、あいつが幸せになれない…」
 浩平が黙ると、部屋の空気は凍りついたように静止した。
 ただ、壁に掛かった時計の、秒針の刻む音だけがやけに大きく耳についた。

 舞台袖に、ひらひらの塊みたいなものが飛び込んでくると、演劇部員の少女はそれを抱き留めるようにして迎えた。
「お疲れっ。よかったよ」
「………」
 返事はない。ただ、緑色の薄い布地越しに、にこっと笑った気配がある。それだけで、通じた。
「ほら、衣装、大変でしょ」
 とりあえず、過剰に装飾のついた衣装から抜け出すのを手伝ってやることにした。春の妖精というイメージのその衣装は、やたらと緑色のひらひらがまとわりついた非常にやっかいなものだった。ようやく顔だけ出すと、澪はふーっ、と息をついて表情を和らげる。
「…ね、少しは元気になった?」
 よけいなことと思いながら、それでも彼女は訊かずにはいられない。
 澪は少し驚いたような顔をして、しかし、穏やかな顔で微笑んだ。大丈夫だよというように。…けれど、それは明らかに、無理をして笑っている顔だった。
 昔なら、こんな顔はしなかった。
「ねえ」
 突然、通用口のほうから別の女の子が声をかけてきた。
「上月さんに、お客さんだよ」
「誰?」
 澪の代わりに、彼女が尋ねる。
「里村さんだって」
「………!!」
 澪の表情が、ぱっと輝いた。突然衣装を脱ぎ捨て、身軽になると、通用口に向かって駆け出す。
「こ、こら、澪!」
 下着同然の姿で駆け出した澪のあとを、彼女は椅子にかけてあった澪の服をかっさらって慌てて追いかける。
「三年生が、小学生みたいなことをしてるんじゃない!」
 言っている間にも、澪は通用口から乗り出すようにして、訪問者を出迎えていた。
「…お久しぶりです。変わってませんね」
 少しとまどいを含んだ、穏やかな声が聞こえた。
 里村茜。この学校の、卒業生だった。

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ども。場の空気を重くする男、GOMIMUSIです。
なかなかヘビーな出だしになってしまいましたが、これは誰にでも考えられる事態だと思うのです。お互いの気持ちを確認して、恋人同士になったところでそのあともうまくいくとは限らない。それなりに、山あり谷ありというのを表現したいと思って書き始めました。
あと、前に書いた「One of the Daydreamers」が消化不良のまま終わってしまった感があり、それに決着をつけたいというのもあります。でも、力量不足…。もっと違う終わり方にしたかったのですよ、実は。そうすると、もう一本ぐらい書けていたかもしれない。そうすると、さらに粗がばれて…あう。

>もうちゃん@様
だんだん、ONEの食習慣がやばい方向に…って、これONEじゃなかったか。じゃあいいや(をい)

>KOH様
猫を溺愛する長森と、それにいやいやながらもつきあってしまう浩平の感じが絶妙。ONEのキャラをよく分かってますね。さすがです。

>mizuka様
長森…怖いです。確かに、それくらいひどいことされてますけどね。しかし、長森の深層心理にこんなものがあったら…(汗)

>火消しの風様
黒い心の炎No.2? 1は? 知らない間に終わっていた?
涙を越えて、はシュンに繭がからむのでしょうか。意外といえば意外な取り合わせになりそう。

>しーどりーふ様
お久しぶりです。って、また永遠の世界に? 早く戻ってきてくださいね(笑)
浩平を待つ長森の、切ない感じがいいですね。そこにいなくても、胸の奥は暖かい、みたいで。

>藤井勇気様
あの…みさき先輩、シュンと同じくらい得体が知れない(爆)。ところで、シュンはどんな噂を…。繭ママも、今回切れまくってるし…(^^;

>T.kame様
むごいぞ、茜…でも、個人的にはやっぱり浩平と茜、のほうがいいけど。南にはもったいない。なんせ、顔も知らないし(笑)

>偽善者Z様
ええと、とりあえず疑問に思ったことをひとつだけ。岡っ引きの仕事をそっちのけにしておいて、浩平は給金もらえるんですか?

>いちごう様
七瀬、一人で暴れてるけど…乙女はどうした、乙女は。
幸せな日ですか? 続きません。なにしろ、その場の思いつきですから。すいません。

>スライム様
茜の、飛んで火に入る夏の虫って、いったい…なんか妙に頭に残ります(笑)

ためすぎたので、感想全部書けません。すいません。
前回は不気味なものを書いてしまったので、今度は茜のワッフル並に甘い話になる、かもしれない。ま、期待はしないでくださいね、見切り発車なので(汗)
ではでは。