「話って?」
私は、無人の教室で里村さんと差し向かいにすわっていた。
この人が、誰かと楽しそうに話しているところを見たことがない。気がつくと、いつも一人でいたような気がする。
「誰を、待っているんですか」
突然、里村さんはそう言った。
驚きに目を見開いた私を、里村さんはじっと見つめている。
「えっ…えっ!?」
私は狼狽した。里村さんの目はとてもきれいで、なんだか心の奥まで見透かされる気がした。
「待ってるって…私が?」
「はい」
「私はその…どうして?」
問い返すことしかできなかった。里村さんの言い方は、今日誰かと待ち合わせをしていますか、とかそんなレベルの話ではない。浩平のことを言っているのだと分かった。
「なんとなく、です」
微かに微笑んで、彼女は答える。
「あなたは、最近ずっと、誰かを待っているのでしょう。誰ですか?」
しばらく私は、呆然としていたようだった。なんと言ったらいいのだろう?
「その…幼なじみを」
それだけ言った。すると、里村さんはすっと目を伏せた。
「そうですか…」
その時、私の頭の中で、何かがつながった。
まさか、この人も……。
「いつまで、待つのですか?」
「…帰ってくるまで」
「…帰らなかったら?」
「…そんなの、知らない。私には、待つことしかできないもの」
そんな、答えられないことを訊かないでほしい。私は膝の上で、両手を握りしめた。
「じゃあ、もうひとつ…その幼なじみも、あなたを好きだった?」
私は思わず顔を上げた。
「うん…好きだって、言ってくれた」
「そうですか」
里村さんは、そこではじめて笑顔を見せた。ふわりと、やわらかな微笑。
「なら…帰ってきてもらわないといけませんね」
「里村さん…?」
戸惑う私をおいて、彼女は立ち上がる。
「私は、片思いでしたけど」
何か懐かしくなるような、胸が温かくなるようなほほえみを私にむけて、里村さんはこう言った。
「あなた達は、不幸になってはいけませんよ。お互いが、必要としている人なんだから」
数日たって、また雨の日があった。それほど激しい雨ではない。町をしっとりと濡らす、銀の糸。
学校に向かう途中、里村さんに出会った。ピンク色の傘をさして、私を見ると軽く会釈をした。
「あ…おはよう」
思わず足元を見ると、今日は靴に泥が付いてない。
「何か?」
私の視線に気づいた里村さんが、首をかしげた。
「え? ううん、なんでも…」
訊こうか、どうしようかと迷っていた私に、里村さんのほうから話しかけてきた。
「向こうに、空き地があるのを知ってますか」
「え……」
「そこに、新しい家が建つそうです」
静かな声だった。顔を見ると、相変わらずの無表情。でも、彼女の中でなにかのけじめが付いたのだろうか。前を向いた視線に、力を感じる。
「行きましょうか」
里村さんにうながされて、私は慌てて歩き出す。西の空が、明るくなってきていた。
私は生き続けていた。けれど、一人ではなかった。
一人で生きられるはずもなかった。母さん、七瀬さん、住井君、里村さん。そのほかたくさんの友人、知人。彼らに支えられて、今の私がいる。
そして、今ここにいない人。私が待ち続ける人。彼も、支えてくれている。
そうでなくて、何度もくじけそうになった日々をどうして乗り越えてこられただろう。どうして、弱い私が生きてこられただろう。
この、あなたがいない世界で。
やがて、一年が過ぎようとしていた。
もうすぐ授業が終わる。でも、今日は日直だから。あとは、学級日誌をつけて、職員室に行って…。
ふと、意識の片隅で教室が騒がしくなるのを感じた。それでも、つけている日誌からは目を離さない。
「あ……」
里村さんの、驚いたような声が聞こえた。なんだろう。
「あー…ごほんっ」
咳払い。どこかで聞いた…。
「えっと…長森…」
名前を呼ばれ、視線をあげる。
目の前に立っている、この学校の制服。その上の、顔。照れたような、笑い。
「あー…えっとだなぁ…」
「………」
「ずっと前から好きだったんだ…」
声。懐かしい、声。
「オレともう一度…付き合ってくれっ!」
「………」
呆然として、私は相手を見ていた。目の前に、あの人がいる。そして。
その後ろに立っている、里村さんと目があった。彼女は、やさしく笑っていた。
…よかったですね。
唇が、そんなふうに動いた。
その顔と、あの日、呼び止められたときの静かな表情が重なる。
「長森…?」
黙ったままの私に、声が不安そうになった。私はゆっくりと顔を上げ…言った。
「うん…いいよっ」
不幸になったりしない。
こんなにも、私たちは多くの優しさに支えられているのだから。
お帰りなさい。大好きな、浩平。
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どうしても、この最後の一行に持ってきたかった。お帰りなさい、と、大好き、というのが書きたかったんですね。
愛している、より、大好き、のほうが体温を感じませんか?
…なんかすごい恥ずかしいことを言ってる気がする。(*^^*;
>しーどりーふ様
もし詩子とくっつくエンディングがあったら…主人公は、尻に敷かれっぱなしでしょう(笑)。
>雫様
外道ですね。いっそこのまま、極めてしまいましょうね(笑)。
ちなみに、僕の感想のところでお怒りだったのは、茜・千鶴さんバージョンです。
無敵って奴ですか。
>だよだよ星人様
いや〜いいですねえ。郁未の旦那さん、幸せだわ。ほんと。
あの施設を脱出した他の三人とも仲良さそうだし。うらやましいなあ。
今回は、自分としてはけっこうハイペースでした。次はいつになるやら。
ではでは。