窓を開けると、昨晩からの雨はまだやんでなかった。ため息をつく。
浩平は雨の日に限って、いつもより早く起きていた。私は逆に、朝が辛くなる。気圧の影響だろうか。
それでなくても、学校に行くのは憂鬱だった。いっそ、さぼってしまおうかとも思うが、当然そういうわけにはいかない。
傘をさして、一人学校に向かう。途中、見覚えのある後ろ姿に思わず足をとめた。
里村茜さん。確か、浩平が気にしていたことのあるクラスメイト。けれど私が足をとめた理由は、彼女の足元に目をとめたからだった。
泥で真っ黒に汚れた靴。ぬかるみの中に、長い間立っていれば、ちょうどあんな風になる。いったい、どこでなにをしていたのだろう。
ぼんやり立っていた私を、視線を感じたのか、不意に里村さんは振り向いた。
「あ、おはよう」
その場を取り繕うようにあいさつすると、里村さんは表情の読めない顔で、少しの間見つめていた。
それから、何ごともなかったように背中をむける。
「…遅れますよ」
言われて時計を見ると、確かにもう余裕がなかった。
私は小走りに里村さんにならび、早足で学校に向かった。
どちらも、教室にはいるまで一言も話さなかった。
「住井君、ふられたってね」
屋上でお弁当を食べていた私のところに、七瀬さんがやってきて切り出した。
声に、責めているようなところはない。…当たり前か。私が勝手に罪悪感を感じているだけだ。
昨日、住井君に告白されて、私はごめんなさい、と頭を下げた。それだけの話。
「ひょっとして、話題になってる?」
訊ねると、七瀬さんは頷いて私の隣にすわった。
「たぶん、クラスには知れ渡ってる」
「そう…悪いこと、したな」
しばらく、私も七瀬さんも黙っていた。やがて、七瀬さんがまた口を開く。
「どうして、住井君があんなこと言ったか、分かる?」
「え……」
私は思わず、七瀬さんの顔を見た。
「あれはあれで、純情な奴だからね。ああいう言い方しかできなかったんだと思うけど」
「それって…どういうこと?」
「見ていられなかったのよ、あんたが」
はあっ、とため息をつかれてしまう。
「ねえ。この二、三ヶ月、あんたおかしいよ。はしゃいでいても、心ここにあらずって感じだし。すごく無理して、明るくしているのがバレバレだよ。どうしたの?」
「……」
「まあ…あたしなんて、あんたとつきあいが長いわけでもないし。相談相手としては不足なのかもしれないけど」
「そんなこと…ない」
私は首を、強く振った。
「じゃあ、話してくれるの?」
「…ごめんね。話せない」
「やっぱり…」
またため息。どうにも気まずかった。
まだ残っているお弁当をしまって、牛乳のパックを開け、ストローを口に入れる。
「瑞佳。あんまり、思い詰めたら駄目だよ?」
「…うん。ありがとう。ごめんね」
「なに言ってるの」
肩をすくめて、七瀬さんは立ち去った。
一人になると急に、胸がいっぱいになる。心が震えている。
浩平。私、笑えなくなりそうだよ。
あなたがいない。
あなたがいないのに、笑うことに、そして生きることに、一体何の意味があるの?
…寂しいよ、浩平。
帰ってくるかどうか、それすらも分からない。
私にできることは、日常を精一杯生きて、待つことだけ。それでも、時々心がつぶされそうになる。
夢のなかで、浩平に会う。
「よう、元気か?」
「馬鹿、何泣いてるんだよ」
「心配するなって。オレはちゃんと、ここにいるだろ?」
…………。
目が覚めると、少しだけ心が温かく、そして寂しい気持ちになっている。
時は流れ、過去になってしまった日々は、少しずつ記憶から削られていく。何一つ、そのままの姿ではとどまらない。
けれど、浩平との思い出は、いつまでも残り続ける。そして、輝きを増す。
その時には気にもとめなかった、何気ない会話。他愛ないやりとり。ふたりで歩いた道。聞いた音。感じた風。それらすべてが、きらきらと輝きだす。時が過ぎれば、それだけ私の中で美しくなっていく。
そんな思い出たちを抱いたまま、私は生きている。過去にすがって。浩平がいたという記憶にすがって。それ以外、私には何もないから。
私を取り残すように、容赦なく時は流れ続ける。
その日、私は帰るのが遅くなった。部長などの業務を、二年に引き継ぐ作業が予想以上に難航したからである。
外を見ると、もう空が赤く染まっていた。急ぎ足で玄関へ向かう、私の背後から酷くひかえめな声が聞こえた。
「…長森さん」
振り返ると、里村さんが立っていた。長いお下げに夕日が映えて、幻想的にきれいだった。
「あれ…今、呼んだ?」
里村さんは、こくりと頷く。この人から話しかけるなんて、はじめてではないだろうか。
「あなたに、お話があります」
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最近思うんですが、瑞佳はやっぱりヒロインなんですね。他の女の子ではたどり着けないような位置にいる気がします。
これは別に、瑞佳に比べて他の子が劣るとかいうことではないのですが。
次あたりで終わらせる予定です。