あなたのいない世界で 第一部 投稿者: GOMIMUSI
 浩平が、消えた。

 公園で、私の膝の上で。穏やかに笑っていた浩平が。いなくなった。
 最初からいなかったように、いなくなった。
 この世界から、消えた。

 浩平を思い起こさせるすべての痕跡。
 由紀子さんも、クラスの七瀬さんも、住井君も、南君も。だれも、浩平を覚えていない。
 覚えているのは、私だけ。それさえも、時にひどく曖昧になり、消えかける。それを私は、必死でつなぎとめていた。

「瑞佳、大丈夫?」
「え…うん」
「顔色が、すごく悪いよ?」
「そう? …うん、平気だから」
 廊下側、私の席にすわる。ふと横を見るのは、癖だった。
 窓側、一番後ろ。ひとつだけあいた机。それが、何のためにあるのかさえ、今は誰も知らない。

「あ、ちょっと瑞佳!?」
 背中に、佐織の呼ぶ声を聞いていた。

 無断で学校を早退して、私は公園の木陰にいた。浩平がいなくなった場所。私達の最後の、思い出を刻んだ場所。
 そこで私は、何をするでもなくただすわりこんでいた。
 気がつくと、夕暮れが近かった。

 次の日、私は学校を休んだ。

「どうしたの、瑞佳?」
 母さんが、心配そうに話しかけてきた。私は返事ができなくて、布団にくるまったまま、腕の中のぬいぐるみを強く抱きしめた。
「そんな苦しそうな顔をして…何があったの?
 母さんの声は、やさしい。だから、涙が出てきそうになる。
「………」
「ねえ、瑞佳。あまり我慢していたら、だめよ。ちゃんと、泣くときには泣かないと」
 私は黙って、首を振った。泣くわけにはいかないから。
「なに?」
「…約束、だから」
 それだけ、声になった。
「なんの、約束?」
 長いこと、私は黙っていた。それでも、母さんは私の答えを待って、私が寝ているベッドの端にすわっていた。
「…いつも、笑っているって。どんなときでも、ひきつるくらいの限界の笑顔で、笑っているって」
 腕の中の、ウサギのぬいぐるみ。浩平に、もらった。
「まったく…馬鹿な子ね」
 母さんの手が、私の髪をかきあげて、額に触れた。
「そんな顔をして、笑っているも何もないでしょう。そのままだと、もう二度と笑えなくなるわよ?」
「………」
「ねえ、瑞佳」
 母さんは静かに言った。
「笑いっぱなしでいるなんて、無理よ。人間は、楽しいことがあれば笑う、悲しければ泣く、そういうふうにできているんだもの。悲しいときに笑ったりしたら、心が壊れちゃうよ?」
 母さんの手が、私の髪をなでる。
「ね。泣きたいなら、泣きなさいな」
「…大丈夫かな」
「うん?」
「泣き出したら、そのままとまらなくなったりしないかな…悲しすぎて、涙がとまらなくなったり、しないのかな…」
「大丈夫よ。泣きっぱなしでいるなんて、笑いっぱなしでいるのと同じくらい難しいんだから。全部涙が流れたら、少しは心、軽くなってるから」
 母さんは、私の髪をなでつづける。
「ね?」
 それでも、私は我慢していた。限界まで我慢して、こらえきれなくなったとき、私は母さんにしがみついて、声を限りに泣いていた。

 泣きつかれて、眠った。夢は見なかった。

 朝になって、自然に目がさめた。ひどい顔をしているだろうと、鏡を見てみたが、そんなこともなかった。
「おはよう」
 母さんが、起きてきた私に笑いかける。少しばつが悪くて、私は小声で言った。
「夕べは、ごめんなさい」
 母さんは笑いながら、私の顔をのぞきこむようにじっと見た。
「うん、昨日よりいい顔になった。さあ、ご飯食べて、学校に行くんでしょう?」
「うん。…あの、聞かないの?」
 母さんは、ただ微笑んだ。
「話したいの?」
「う…ううん」
 話したところで、信じてもらえないと思う。誰も、浩平を覚えていないのだから。
「話したくなったら、話しなさい。さ、早く食べないと遅れるわよ」
 テーブルにつきながら、ふと思う。
 母さんも、悲しくて胸が張り裂けそうだったことがあるのだろうか。
「どうしたの?」
 私の視線を感じて、母さんが振り返る。
「なんでもない。…いただきます」
 そして、一日が始まる。あの人がいなくても。

「あ、瑞佳!」
 教室に入るなり、佐織が立ち上がって私のほうに駆け寄ってきた。
「おはよう。昨日はごめんね」
「ううん、いいけど…大丈夫?」
「うん、なんとかね」
 悪いことしたな。みんなに、ずいぶん心配かけた。
 こんなところを浩平が見たら、がっかりするんだろうなあ。しっかりしないと駄目だ。
 とりあえずは、笑えるようにならないと。…あの人が、いつ帰ってきてもいいように。

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一応、3部くらいで予定しています。瑞佳の浩平を待つ、一年間の物語です。
ちょっとねちねち心理描写を書き込みます。
時々こういうの書きたくなる。

>しーどりーふ様
実際にあったら、本当にほほえましい思い出の一こまだったのでしょう。
夢から覚めたら、泣いていそうだ。

>だよだよ星人様
また懐かしいネタを…。だけど、郁美の場合魔女というより、デストロイヤーではなかろうか。
こんな旦那がいたら、郁美もきっと幸せになれますね。おおらかな人だ。

>白久鮎様
茜って、自分が増えているのを見ても、平然としている気がしませんか?
この子が慌てるところって、想像できない。

ではでは。