夢見ない日々 投稿者: GOMIMUSI
注:精神的苦痛を与えるおそれがあります。楽しい話が読みたい人は、読まないように。

 それは、冬の夕暮れ。
 薄赤く染まっていく空を見ながら、少年はフェンスにもたれていた。すでに寒気は少年の皮膚から、色という色を奪い去り、そのまま風に吹き散らされてもおかしくないほど、少年には生気がなかった。
「‥‥風邪、ひくよ」
 頭上から声が聞こえた。
「いいんだよ。気にするほどのことじゃない」
 少年は微笑して、空を見ながら答える。
「炉で焼かれている薪が、マッチ一本の火を気にすると思うのかい?」
「あなたは薪じゃないわ」
 少女の声は淡々と言った。
「マッチの燃えさしよ」
「‥‥そうだね」
 少年は、くすっと笑った。そして頭上をふり仰いだ。
 そこには、小さな少女がいた。髪の長い少女だ。フェンスに腰かけ、白い、薄手のブラウス姿で、風の冷たさを気にする様子もなく、少年にじっと視線を当てている。
「どちらにしろ、それほど長い話じゃない。少し早まるか否か、それだけじゃないか。僕はかまわないよ」
 少女は、小さく首をかしげた。
「どうして、待っているの? あの人は来ないかもしれない。あなたと違って、この世界で絆を探すのかもしれない」
 少年は笑う。
「もしそうなら、希望があるということだ。君には残念なことだね」
「あなたは、どうなの?」
 少女は、少し悲しそうな目で少年を見つめながら、問いかける。
「あの人に、絆を求めるの?」
「もともとそのつもりじゃなかった」
 穏やかな顔で、少年は答えた。
「今は、持ってもいいと思う。でも、時間が足りない。もう手遅れだろう」
 自分が平気な顔で話しているのが、不思議だった。もうここで、倒れたまま起きあがれなくなっても不思議ではない。
 身体の芯が灼かれているようだ。自分の生命は、まさにマッチの燃えさしだった。
「ただ、彼の目を見たときにわかったんだ。ああ、この人は大切な者を失っているんだって。僕と同じだなって‥‥だから、放っておけない」
「あなたは、なにを失ったの?」
 少女は訊ねる。
「どうしてそんなこと、聞くの?」
「あなたが、聞いてほしがっているから」
 少年の問いに、少女は無表情に答えた。少年は顔を伏せて、のどの奥で笑った。
「母だよ。僕の、母さん」
「‥‥‥‥」
「僕が愛した、最初の、そして最後の女性」
 ひときわ強い風が、フェンスを揺らした。斬りつけるような冷気に、少年の体が揺らぐ。けれど、そんな少年を少女は冷たい目でじっと見ている。
「母は、美しい人だった」
 静かに、少年は語り続けた。
「でも、長生きできる人じゃなかった。僕と同じようにね。清潔な病院の一室で、きれいなまま死んでいくように生まれた人だった。だから、僕はずっと彼女のそばにいた」
「やっぱりあなたは、あの人とは違うわ」
 不意に少女は言った。
「違う?」
「ええ。あの人は、あなたみたいに大切な人を殺したりしない」
 少年は軽く目を見開いた。それから、少し辛そうに笑った。
「どうしてわかったの」
「そんな顔をしてた」
「そう。‥‥そうだね。その通り。僕は、母を殺した」
 少年はささやくように言った。風が言葉を引きちぎり、空にまき散らす。
「母の望みでもあった。そして僕も、母が一番美しい時に、このまま終わるのがいいと思った。だから、僕たちは同じ薬を飲んだ」
「でも、あなたは生きている」
「そうだね」
「どうして、もう一度試さなかったの? 怖くなったから?」
「‥‥さあ。急がなくてもいいと、そう思ったのかもしれないな」
 少年は空を見上げた。黄昏をすぎて、冷たくなっていく空。
 今日は、特別な夜。聖夜。
 町の灯のにぎわいが、ひどく遠い。
「どうして‥‥」
 少女は突然、こみ上げてくる感情を抑えきれなくなったように少年をなじった。
「どうして、あなたなんかがあの人の心に入ってくるの。あなたなんかいらない。今すぐ、消えてしまえばいい。どの世界にもあなたなんかいらない!」
 少年は、自分がもたれているフェンスから離れ、一歩、二歩、三歩と歩いていった。そして振り返ると、少女を見上げた。
 ふたりだけを。ただふたりだけでいることを望んだ、ひとりの少女。その夢を、彼は汚した。
「君だけじゃないんだ」
 少年は優しく言った。
「彼と同じものを見ていたのは、君だけじゃない。そういうことだよ」
 悲しいことがあった。それは、永遠と信じたものの終わり。
 幸福の終わり。夢見ない日々の始まり。そして、彼らは旅路の果てにたどり着こうとしている。
「僕は、氷上シュン」
 少年は唐突に言った。
「君は、いったい誰?」
 少女に向かって、少年は笑みを浮かべる。少女はためらい、口を開きかけた。
「み‥‥」
 その時、鉄のドアが大きな音をたてて開いた。少年が振り返ると、そこに彼が立っていた。ちらりと振り返ると、フェンスの上には誰もいない。最初から、いなかったのだ。
 少年は微笑んで、言った。
「メリークリスマス」
 息を切らして、頬を紅潮させた彼は、怒ったような声で言った。
「ばか、下りるぞ。ついてこい」
 その時、同じ目を持つ彼と、屋上でふたりきりであることを、少年は奇妙に幸せに感じた。

**********
 実は、これは僕の7本目のSSです。ということは、これでONEの登場人物七人全員についてのSSを書いたわけです。相当間があいてるし、最初から読んでます、なんて奇特な人がいるとは思えませんが。

>風林火山様
ええ、書きましたとも。シュンです。え、没?(T\T)

>雫様
あなたのようなギャグの才能が、僕もほしいです。

>だよだよ星人様
ああ‥‥茜が、茜がぁ。