声を聞かせて 投稿者: GOMIMUSI(み−3)
 意外なことに‥‥でもないか。
 澪は、小さな子どもと仲がいい。
 その日も、澪は小学校低学年の部で、絵本を真ん中にして小さな子どもと車座になってしゃべりあっていた。無論、澪はスケッチブック持参である。この年齢の子どもは、字を読むのが楽しいらしくて会話が弾んでいる。
 どうして小学校にいるかというと、演劇部が小学校へ公演に来たのである。滅多にない、というより、はじめてのことだった。澪など、緊張しまくりで何度もトイレに駆け込んでいた。
「最初の選択からして、無謀なんだよな。演劇部なんて」
 俺が言うと、深山先輩は首をかしげた。
「そうかな。あの子くらい、演劇に向いてる子っていないと思うけど」
 深山先輩も澪のことは気にかかるらしく、卒業してからも、しょっちゅうこうして様子を見に来るのだ。
「そうか? しゃべれないってのは演劇じゃハンデにならないかな?」
「うん、なるけどね。でも、あの子の持っているものは、それを埋め合わせてまだお釣りが来るわよ。本当、あんなに指先まで表現しきれる子は滅多にいないんだから」
 手放しの絶賛だった。
「へえ‥‥あいつがねえ」
「うん。やっぱり、言葉で伝えられない分、頑張って全身で伝えようとするからでしょうね。あの子、気持ちがつまった風船みたいなものよ。外に表せなくなったら、ぱん! なんて破裂しちゃうんじゃないかしら」
 風船ねえ‥‥。しばらくして、澪がてとてととこちらへ駆けてきた。風船というより、やっぱり子犬だろう。大判の絵本を抱くようにしている。
「よう、楽しかったか?」
 うん! 満面の笑顔でうなずく。
「そうかそうか。で、その本は?」
 言われて、澪は表紙を見せる。アンデルセン童話だった。
『あのね』
 スケッチブックを開いてみせる。
『人魚姫の話、読んだの』
「人魚姫か」
『うん。それでね』
 まだなにか言いたいらしい。うーん、と考えて、またスケッチブックに書く。
『人魚姫も、スケッチブックを持ってたら、泡にならなくてよかったのにね』
「ああ、そうねえ。澪ちゃん、いいこと言うわね」
 深山先輩はそう言って喜んでいた。だが俺は、その時、なにも言えずにただそこに立っていた。

 その夜、俺はなかなか寝付けなかった。昼間のことが、何度も頭に浮かんでくる。
 気持ちのつまった風船。
 泡になって消えた人魚姫。
 俺は澪と、一応つきあっているわけだ。だが、澪のほうはどう思っているのだろう。
 共有する時間は、一日のうちでもわずか。たぶん、演劇部の仲間といっしょに過ごすほうが長いだろう。それはしかたがない。
 しかたがないが、それで澪は、いったいどこへ伝えたい気持ちを伝えるのだろう。無意識に階下へ降り、電話をとって、だがまた叩きつけるように置いてしまった。
「なにしてるんだ、俺は‥‥」
 澪の家にかけても、澪は出られない。家族と一緒に暮らしてはいるが、澪とは電話では話せないのだ。こんな時、言葉を話せないということが重くのしかかってくる。
 俺はきちんと、澪の『思い』を受けとめていただろうか。
 俺は、本当に澪の彼氏だろうか。

「なあ、澪」
 澪を喫茶店に連れ出して、俺は切り出した。パフェの塔を頑張って攻略しようとしながら、澪は、ほえ? という顔で俺を見る。
「俺にしてほしいこととかあるか? どんなことでもいいから」
 スケッチブックを取り出す。
『今度は、お寿司』
「いや、金がないから‥‥って、そうじゃなくてさ」
 俺は焦って手を振った。
「お前、一応俺の彼女だよな」
 うん。
 速攻でうなずく。こう、なんのためらいもなく肯定されると、俺のほうが照れる。
「俺にしかできないことで、してほしいことってないか?」
 澪は、しばらく考えていた。やがて、答えが出たらしい。書いたものを俺に見せる。
『毎日、声を聞かせてね』
 ‥‥恥ずかしい話だが、俺は感激のあまり、涙がこぼれそうになった。
 なにを言ってほしい、ではない。声を聞かせてほしい。それだけだ。今まで真剣に悩んでいたのが、馬鹿らしく思えた。
 きっと、俺は難しく考えすぎていたのだろう。言葉があっても、伝えきれないことはたくさんある。言葉が邪魔になることもある。それを俺は、澪から教わっていたのに‥‥。
「なあ、一緒に暮らそうか」
 知らないうちに、ぽろりとそう言っていた。澪は、目を丸くして俺の顔を見た。
「い、いや、そうじゃなくて‥‥今すぐってことじゃなくて、その‥‥」
 あわてふためく俺を、ただじっと見ている。俺の顔、穴があくんじゃないか?
「その‥‥今すぐ、返事しろとは言わないから‥‥な?」
 見るなよ、そんなに。赤い顔してるのはわかってるんだから。
 見るなってば。
 ふと澪は、テーブルに視線を落とした。また例によって、スケッチブックである。
 書いたものを、真っ赤な顔をして、それでも笑顔で見せてくれた。
 白いページに、ただ一言だけ。

『はい』
***********
 とうとう、澪を書きました。次は七瀬の予定。
「読みたくない!」という人いるかな。
 でも書く。そのうち。