屋上にとどいた一通の手紙 投稿者: GOMIMUSI
 冬の雨が、暗い空から降り注いでいた。
 冷たく研ぎ澄まされた、肺に傷をつけそうなほどクリアな空気に、雨のにおいが漂っていた。それを窓から眺めて、茜はひとつ、くしゃみをした。
 家から出る前にテレビをつけた。ニュースキャスターが晴れやかな笑顔で、午後には雨もやみ、晴天になるでしょうと言っていた。聞き流しながら、茜はピンク色の傘を手にして家を出た。
 雨の音のリフレイン。紗のかかったような商店街を、無言のまま歩く。空き地だったところには、今は三階建ての大きな家が建っていた。けれど、まだ入居者は決まっていないらしく、どの窓にも明かりが灯ることはない。その横を、茜は黙って通り過ぎる。
 いつもより早く学校に着きそうだった。校門が見えてきたとき、ふと茜は足をとめた。
 学校の正面にある家の門が開いて、ひとりの女性が出てきたのが見えたのだ。かなり雨足の強いなかを、傘もささずに走って校門をくぐり、建物の中へ入っていった。けれど、学生ではないようだった。着ているものは、ニットのセーターとジーンズのスカートだったのである。それが、髪の長いおしとやかな外見に、不思議と似合っていた。
 茜は、見知らぬ女性を、素知らぬふりをして飲み込んだ校舎をしばらく見つめ、また歩き出した。

 すべての授業が終わって窓から外を見ると、天気予報の通り、晴れた空が広がっていた。冬の日は短く、もう夕焼けが、遠くの空を染めようとしている。茜は鞄を手にして、教室を出ていった。途中、机を囲んだ女生徒たちの会話が耳に入ってくる。
「ねえ、瑞佳は大学決まったー?」
「うん。推薦ではいれそう」
「ええーっ、すごいじゃん」
「そんなことないよ。わたし、高望みはしないもん」
 そうか。もうそんな季節なんだ。ちょうど、あいつと出会って一年。
 なんて、長い一年だったろう。茜は黙ったまま、教室を出ていく。長森瑞佳が、そんな茜の背中に「さよなら、里村さん」と声をかけたようだが、茜は足をとめず、振り返りもしなかった。
 いつもなら、そのまままっすぐに帰っていただろう。けれど、その日はなんとなく屋上へ足が向いてしまった。
 『立入禁止』
 看板のさがっているドアの、冷たいノブを握って扉を開く。びゅう、と強い風が吹いてきて、茜は身をすくませた。
 後ろ手にバタン、とドアを閉める。その音に反応して、フェンスの前に立っていた女性が振り返った。
「あ、こんにちは」
 屈託のない笑顔を向けられて、茜は反射的に頭を下げる。しかし、その目を見て、相手が盲目であることに気づいた。いや、本当は、姿を見たときから知っていたのだが。
「……こんにちは。川名先輩、ですよね」
 名を言い当てられた相手は、見えない目を大きく見開いて、驚きを示した。
「うん。そうだけど、あなたは? あの、知らない人だよね」
「……はい」
 茜はじっと、川名みさきというこの学校の卒業生の顔を見た。きれいな人だ、と思う。みさきは、首をかしげて茜の立つ方向を見つめていた。
「ええと、どなた?」
「里村茜といいます。三年です」
「ふうん、茜ちゃんか」
 初対面の茜をまったく警戒するでもなく、みさきは笑いかける。話に聞いたとおりだ、と茜は思った。最初から、人との間に壁を作ることをしない。
「屋上が好きなんだ?」
「……いいえ。今日は、なんとなくです」
「そうなんだ。わたしはここが好きだけどね。いい風が吹いてるから」
 みさきは言って、気持ちよさそうにのびをする。これからますます寒くなる。いい風と言っていられるのも、今のうちだけだろう。
「あ、そうだ。どうしてわたしのこと知ってるの?」
 思い出したように聞いたみさきの隣まで、茜は歩いていった。
「クラスメイトから聞きました。見かけによらず、すごくよく食べる先輩だって」
「うーん、確かに食べるのは好きだけどね」
 みさきは困ったように笑った。
「だって、ここの学食は値段も安いし、おいしいし」
 自然に微笑が浮かんだ。いつもの茜からは考えられないことだが、初対面に等しい相手に、積極的に話しかけていた。
「卒業したのに、ここでよく食べるんですか?」
「ううん。今日は、お世話になった先生に、あいさつに行ったついでにね。あ……ついでと言えば、忘れていたな」
 急に、みさきは顔を曇らせる。茜がその顔を見つめていると、ごそごそとポケットのなかを探って、しわくちゃの葉書を取り出した。
「……なんですか?」
「この年賀状の差出人が、誰なのか調べてもらおうと思っていたんだよ。この学校の生徒だと思うんだけど」
「……見せてもらっても、いいですか?」
「うん。いいよ」
 差し出された葉書を、茜は受け取った。宛名は、川名みさき様。差出人は、折原浩平。
「少し、出っ張っているところがあるでしょう」
 言われて、茜は葉書の表面を指で探ってみる。確かに、ぽつぽつと表面が突出しているのが感じられた。
「点字だよ。点字で、あけめしておめでとう、って書いてあるの」
 茜は思わず顔を上げた。
「……どうして」
「どうして調べてもらうのかって? うん、それがわたしにもよくわからないんだよ」
 みさきは困ったように言った。
「点字でもらった年賀状なんて、わたし覚えがないんだ。でも、もらったら絶対に忘れないと思うよ。だって、嬉しくて嬉しくてたまらないはずだからね」
 だから気になるんだよ、とみさきはつけ加え、少し照れたように笑った。
 茜は、その年賀状を彼女の手に返す。
「……わからないままで、いいですよ」
「え?」
 驚いた顔のみさきに、茜は微笑んで言った。
「今は、わからなくてもいいんです。もしかしたら、思い出すかもしれないでしょう」
 みさきはぱちぱちと、光を映さない目を瞬かせた。
「もしかして、その年賀状を書いた人のこと、知ってるの?」
「はい」
 茜ははっきりと言った。
「わたしの、大好きな人です」
 やや間を置いて、みさきは感心したような声で言った。
「ふうん……本当に、好きなんだね」
「はい」
「ね、その人のこと、聞かせてほしいな」
「嫌です」
 きっぱりと拒否。悲しそうな顔をしたみさきに、茜は穏やかに言う。
「自分で思い出してほしいですから」
「……うん、そうだね。そのほうがいいね」
 それからふたりはならんで、夕焼けの空を見つめた。茜は、ぽつりと言った。
「……雨、やんでよかったです」
「そうだね。やっぱり、雨は嫌い?」
「はい。……あいつも、やっぱり傘を持っていかなかったし」
 せっかく自分の、お気に入りの傘を持たせておいたのに。
「え……?」
「こちらの話です」
 静かに笑って、茜は言った。みさきも首をかしげたが、それ以上は詮索しなかった。
「ねえ、その人は今、どうしてるの?」
「遠いところにいます」
「外国?」
「もっと遠いです。でも、そのうち帰ってきます」
「そうなんだ」
「はい。約束しましたから」
 誕生日に、おかえしをくれると。だから、茜はその日を待っていた。
 自分のほかにも、こんな形で待っている人がいるのだから。きっと、あいつは帰ってくる。そう信じられた。

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 どーも。ゲーム中では接点のない、茜とみさき先輩のSSです。
 澪とのシナリオでちらとみさき先輩が顔を出しますが、あのあと主人公は忘れ去られるのでしょうねえ。少し寂しい……。