やさしい決断(後編) 投稿者: 吉田 樹
 朝起きると、俺の部屋だった。
 いや、俺情報満載の俺の部屋以外で目が覚めたら、それはそれで怖いのだが。
 一人で暮らすには充分な広さの、ワンルームアパート。西日が差し込み、近くのビルによって日陰になっているという。まあ、よくある造りのアパートだろう。家賃は、月々俺が支払う分には、少し苦しかったりするが。まあ、大家さんとオーナーさんの色々な秘密を知っている為。大変、ご好意を受けている。
 制服に着替えながら、朝の情報確認を行う。とはいえ、テレビを点けっぱなしにして、メールチェックをするぐらいのものだが。
 今日はバレンタインか…元々の欧米では、家族に贈り物をする行事だったな。
 義父母には、大変お世話になっている。感謝の言葉も無い。無いが、それは決して実の両親へのそれとは異なっているだろう。それがあったからこそ、小さな頃から、高校以降は自分の生活は自分で賄う事に決めていた。
 産みの両親の顔は覚えていない。だから、肉親という感覚が分からない。それだからなのかも知れない。俺が、長森さんに魅かれているのは。
 トーストを口に放り込み、電気の消し忘れが無いか確かめてから、俺は部屋を出る。鍵をかけている時に、隣のおばちゃんと短い世間話をこなす。この辺りも、世渡りの常として抑えておきたいところだ。
 学校への道を歩いて時計を確認しながら、俺は再び他愛の無い思索に耽る。
 長森さんは、言ってみれば『お母さん』といった雰囲気を持った人だ。そして、俺はそういう雰囲気に、これまで全く縁が無かった。義母には感謝しているが、彼女は母親というよりは、姉という印象が強い。
 言ってみれば、俺はマザコンなのだろう…お笑い草だな。実の母親の顔も覚えていないような奴が、実はマザコンだったとは。
「護っ!」
 通学途中にあるタバコ屋の前で、広瀬に声を掛けられた。こいつと親しくなったきっかけは、確か転校生の七瀬さんへの嫌がらせを俺が止めた事だ。ただ…嫌がらせを止める、というだけで俺が動くのかどうか、それが深い疑問だ。そんな正義漢じゃないしな、俺は。
 そういうわけで、詳しく思い出せないが。まあ、世の中そういうものだ。親しい友達というのは、いつの間にやら親しくなっているものだしな。
 逆に、余り会わなくなって忘れる奴は、いつの間にやら忘れている。会っていた頃は、毎日遊んでいた奴でさえ、今は名前すら覚えていない事も多い…そのせいなのか? 最近、何故だか誰かが足りないような違和感があるのは。
「あ、あのさあ。おはよう」
 手を後ろに組んで、ひきつったような笑みを浮かべる広瀬に、俺も怪訝そうに挨拶を返す。
 なかなか用件を切り出さない広瀬に、やや苛立ち。それを抑える事で、自分の大人さ加減に満足していた頃。向こうから走ってきた長森さんが、大声で俺の名前を呼んだ。近寄ってきた長森さんは、にっこりと笑って俺に包み紙を渡す。
「はい。一応、手作りチョコレートなんだよ。住井君には、いつもお世話になってるし」
「え? ああ、ありがとう」
 こう、『義理チョコ』と宣言されると、かえって気持ちのいいものだな。遅刻するよ、などと言いながら、長森さんが先に行く。
 長森さんは男子で特に親しい奴もおらず、俺がクラスの男どもの中で一歩リードしている。といったところだろう。ただ、どうして長森さんと俺が親しくなったのか、全然思い出せない。ま、どうでもいい事だから忘れるんだろう。
 長森さんの後を追いかけようとした俺に、広瀬が何かをぶつけてくる。
 拾い上げるとそれは、一個十円のチョコだった。
「あげる」
「お前なあ、もっとあげ方というものがあるだろう。ま、ありがたく貰っておく」
 何故だかむっつりとしたままの広瀬は、ポケットに乱暴に手を突っ込むと走り出した。女心の不可思議さ、というやつなのだろうと思いながら。俺は、拾い上げた十円チョコレートの包み紙を開いて、中身を口に放り込んでいた。

 俺は結局、長森さん内部での俺度数を確かめずにはいられなかった。
 バレンタインのお返しをする今日、思いきって告白してみた。そして、その結果がこれだ。誰もいない放課後の教室で、俺は、ぼんやりと一人で座っている。
 既に掃除組も引き揚げた後の教室はひっそりとしていて、廊下の足音まで聞こえてくる。吹奏楽部の部室や、グラウンドからは離れているので。異様なくらいの静けさと言っていいだろう。
 窓際の一番後ろの空席に座った俺は、特に何をするでもなく。ぼんやりと雲を眺めていた。今の俺、傍から見ると、かなり渋いだろうな。
 俺のちょっとした満足感をぶち壊しにするかのように、ドアが乱暴に開く。足音を立てて近付いてきた誰かは、俺の真後ろに立つとこう言った。
「なっさけないわね、フラれたぐらいで。もう少し、しゃんと出来ないの?」
 よく分からない事を言う広瀬を振り返りながら、ふと思い出して俺はポケットをまさぐる。すぐには目的の物が掴めない。その間の沈黙を嫌った俺は、口を開いていた。
「広瀬、なにをどう…」
「真希よ真希! ったく、何度言ったら覚えるのよ」
 いや、広瀬は広瀬だと思うがな、俺は。ようやく目的の物を掴んだ俺は、それを広瀬にトスするようにして放った。
 やや驚いた顔をしながら、広瀬は難なくそれを掴み取る。俺のコントロールも、なかなかのものだな。
「今日、ホワイトデーだろ? お返しだ」
「これって、一個十円の飴じゃないの…」
 ぶつぶつと文句を言うので返品するのかと思ったが、広瀬はそれを口に放り込んだ。飴を口の中で転がしながら喋ろうとした広瀬が、それを中断させる出来事が起こった。
「お待たせ、住井くん。ごめんね、言ってたのより時間かかっちゃって」
「いいよ。こうしてぼーっとしてるのも、嫌いじゃないから」
 息を弾ませて教室に入ってきた長森さんは、広瀬に気付いて軽く頭を下げる。広瀬も、鸚鵡返しのように頭を下げ返していた。
「じゃあな、広瀬」
 返事は無かった。大きなくしゃみをした広瀬は、苦しそうに口元に手をあてている。少しむせながらも、『大丈夫、いいから行って』の意思表示のように、手を振る。
 頷いた俺は、長森さんの隣に並ぶと、彼女を促して帰路に着いた。そう、三人称としての呼び名である彼女、ではなく。いわゆる彼女である長森さんを促して。

 前は楽しかったはずの学校が、最近は結構退屈に思えてきていた。授業やクラスメート達との会話も、ありきたりで。誰もが大人ぶった顔をして、俺が盛り上げる企画をやっても、結果は今一つだった。
 そんな中、長森さんと会えるからという理由で、学校に来ていた部分も少なくない。だから、こうして一緒に帰れるのはとても嬉しい。夕暮れに染まる住宅街を通り抜けながら、ふと隣を見ると。ホワイトデーのお返しに俺が贈った安物の腕時計を撫でながら、長森さんが言った。
「バレンタインにチョコあげたの、住井くんだけなんだよ」
 …あれ? おかしいな。長森さんなら、他にも誰かあげるはずの奴がいる気がするんだけど。思い出せない、というより、本当に忘れたのか? 忘れた事すら、忘れていたりして。まあ、単なる気のせい、なのだろうが。
「ここしばらくね。なぜだか知らないけど、ずっと寂しく感じてたんだ。学校来る時とかに、私の隣に誰かがいないのが、変なような気がしてね。不思議だよね。今まで誰かと一緒に学校へ通った事、一度も無かったのに」
「ふ〜ん。でもまあ、原因はよく分からないんでしょ?」
「うん…なんなのかな」
「いいんじゃない? 別に。忘れるような事に、大した事は無いんだよ」
 長森さんを好き、という気持ちは大切なものだから。忘れるわけが無いけれど。好きになっていった細かい過程は、大した事じゃないから忘れてしまってる。そんな説明をすると、照れ照れと顔を赤くしながら、長森さんは俯いて髪を掻き揚げる。
 けれど、不意にその大きな目を曇らせると。恐る恐る、といった感じで目を上げて彼女が言う。
「…広瀬さん、住井くんの事が好きなんじゃないかな?」
 俺もそう思うよ。ただ俺は、気付いてるって事を微塵も表に出さないけれど。
「でも、俺が好きなのは長森さんだから」
 そう。好きになってくれる事は、とても嬉しい事だけど。でも、自分の気持ちを誤魔化す事は出来ないから。そんな事をしたら、絶対に後悔するから。俺は、正直でありたいと思う。自分の気持ちには、誠実でありたいと思う。
 ん? 今の言い回し、俺内部での俺評価が更に上昇したな。
「…ありがとう」
 俯いた長森さんが、はにかみながらそう言った。そして、そんな様子の彼女を見ていて。俺は、自分がとても易しい決断をしたのだという事が分かった。

fin

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 後編、異様に長くなってしまいました(^^; …弱ったなあ(^^; いつもの倍近い長さです(^^;
 進行過程で、七瀬のフラグを画鋲排除で削り。長森シナリオで、クリスマスにお食事=バッドルート=この後編の初めには浩平は既に消えている。って話なんです。うー(^^; いいやっ! これが私の限界さっ!(開き直り)
みさお「吉田樹のHPでは現在、ヒロイン大戦! 開催中ですっ。ご用とお急ぎで無い方は、いらしてみてくださいねっ」
 あれ? そっちの告知でいいの?
みさお「えへへっ。じゃ、言いますっ。私のファンクラブが無いみたいなので、吉田が勝手に作りました♪ タクティクスさんから、くれーむがついたら取り下げるそうですけど」
 特に何をする団体でも無いので、お気軽にどうぞ。いつもながら、感想を頂いた皆様、読んで下さった皆さんありがとうございます。今度の私の感想は大晦日に放出します! ではでは

http://www2u.biglobe.ne.jp/~denju/