やさしい決断(前編) 投稿者: 吉田 樹
 俺には肉親はいない。
 お世話になっている義父と義母は、血の繋がりは全く無い。ややこしい家族環境というものも、慣れてしまえばどうという事も無い。
 ただ。みんなに内緒にしているのは、それを話した為に『演歌調』という烙印を押されかねないからだ。それだけは、回避したいと切に願っている。この俺に、まさか『演歌調』なんて紹介がされるなぞ…考えるだけでおぞましい。
 なんでこんな事を考えているんだっけ? ああ、そうだ。『汚い事をしたら、血縁が泣くな…いや、俺にはいないんだっけ』からの連想だったな。
 回りくどい事は、どうでもいい。俺は一つの決断をするべき時に今、いるのだ!
 教室の男どもは興味を持ちながら、俺を待っている。ふっ、なかなか心地良い緊張感ではないか。折原も、何度も聞きにきたぐらいだから、興味は深いだろう。こいつの場合、更に実利も加わっている。まあ、待て。焦るな。
 今回の企画は盛り上がりを見せた。
 女子の人気投票の主催者としては、誠に嬉しい限りだ。さっき、最後の最後まで渋っていた三人のうち二人が無事投票を終えた。残すはあと一人、つまり俺だ。
 現時点で、トップは転校生美少女の七瀬さんと、折原の幼馴染みの長森さんが同点一位。俺の一票で、トップはどちらにでも転がるのだ。こういう、人の運命を玩ぶ瞬間の緊張感が、なんともいえん。
 普段の俺ならば、迷わずに長森さんへ投票していた。だが、一つ問題があった。
 折原と昼飯を賭けてしまったのだ。俺が長森さんのトップに、折原は七瀬さんのトップに。こういう状況で、それが俺の心を激しく揺さぶっていた。
 …まあ、いいか。俺は迷った末の結論を書き加え、投票結果を折原へ放ってやった。
「よっしゃああぁぁぁぁーーっっ!! 七瀬、やったぞぉーっ!!」
 ふっ。かわいいものよ、たかが昼飯ぐらいでそこまで喜んでくれるとはな。だから折原といると、飽きる事が無い。どんなくだらない事でも、本気になって挑んでくれるからだ。企画の主催者として、これほど嬉しい事が他にあるだろうか。
 ぼそぼそと二人が、協力しあっていた成果について満足したような言葉を交わしている。
 隣の席にいる俺の事を無視しているらしく、前々からその協力関係には気付いていた。というより、彼らは俺に教えたがっていたのかも知れない。
 折原と七瀬さんが、かなりいい雰囲気だという事はよく知っていた。俺は無論、熱い友情と己の目的の為に。それを応援するつもりでいた。
 折原という強敵がいなければ。後は、正攻法で長森さんにアタックするだけだ。
 まあ、長森さんの相手が折原だったら、俺は諦めるつもりだ。二人の仲に敵うわけが無いし、なにより、『友情の為に身を引く』というフレーズが、俺を魅了して止まない。
 俺がそんな風に、一人深い思索に耽っていた時。一人の女子の、暗く強烈な視線を感じていた。激しい嫉妬の塊のようなその視線は、七瀬さんに強く向けられていた。

 試験の初日。
 いつもなら遅刻ぎりぎりで来るのだが、今日は早く来ていた。まあ、これも影での努力というか。こういうシチュエーションというものは、いかにも男らしくて俺が好きだからだろう。
 朝の早い時間、人気の無い教室。愛の告白をするには早すぎるし、男の友情を語るには太陽が上がりすぎている。今はそんな時間だ。
 雀の無き声を聞きながら、自分の掴んだ情報に誤りがあったのかと疑いを抱く。この情報ルートの封鎖を検討し始めた頃、教室の扉が音を立てて滑った。
 間違い無い。俺は彼女の足音を聞きながら、最高のタイミングを計っていた。こういう絶好の機会にきちんと決めてこそ、俺内部での俺評価も高まるというものだ。
 彼女が目的の場所に着いたその時。俺は今まで潜っていた教壇の下から這い出すと、音を立てないように慎重に彼女に近付いた。これで途中で気付かれるような事があってみろ、間抜けな事この上ない。
 彼女が作業に熱中していた事も手伝ってか。俺は、最もいい瞬間に手を伸ばしていた。
「やめときな」
 驚愕した表情を彼女、広瀬真希は俺に向けていた。
 当然といえば当然だ。画鋲を七瀬さんの椅子に仕掛けようとしていて、まさか突然腕を掴まれるなんて思いもしなかったはずだからな。そして、次のタイミングを俺はまた、細心の注意を払って待つ。
 広瀬の表情から驚きがひいていき、徐々にふてぶてしそうな笑みを浮かべようとする。一種の、自己防御というやつだ。まさにこの瞬間を、俺は待っていたのだ。
「…折原の事、好きなんだな」
 前後の脈絡も何もなく、俺は言ってやる。
 突然の事だが。充分すぎるほどに心当たりがあるらしく、広瀬は口を閉ざす。うろたえる広瀬に向かって、俺は『わかっている、何も言うな』ばりの。いかにも古株の刑事が浮かべそうな笑顔を浮かべてやった。
「あんたに何がわかるっていうの?」
 残念だな、広瀬。立て続けの俺の綿密に計算された攻撃の前に、内心の動揺が唇の震えに顕れているぞ。
「そんな事をしてみろ。益々、折原と七瀬さんを近付ける事になるんだぞ。折原はあれでけっこう優しい奴だからな。七瀬さんが、」
「わかってるわよ! そんな事、わかってるわ、よ…」
 広瀬はそう叫んだ後、必死に堪える涙目で俺に心情を吐露する。街で不良に絡まれたところを助けて貰っただの、なんだの、よくある話をぶつぶつと。
 俺は満足そうに頷くと、広瀬の肩を何度か優しく叩いてやった。窓の外から、生徒達の登校する声と、だんだんと明るさを増す冬の天が見える。今の俺、かなり格好いいな。
 そうして俺は、その状況にしばらく浸っていたのだった。

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みさお「…ねえ、なんか、あんまりにも会話が少なすぎるんじゃない?」
 そうだね。
みさお「あ、あのね。そうだね、じゃなくって…」
 あ、あはははははは(^^; 読み辛い事この上ないでしょうが、お付き合い頂けたら幸いです。言うまでも無いでしょうけど、本文中の「俺」は住井護君です。多分、三部構成で終わると思います。感想を頂いた皆様、読んで下さった皆さんありがとうございます。
 天王寺澪さんの蛇は、やっぱりただの蛇だったんですね(だろうと思いつつ、あんな感想を書く自分が謎(^^;)。ではでは