日溜りの中へ vol.5 投稿者: 吉田 樹

 気がつくと周りの景色がぼやけていた。
 ここはどこなんだろう。林の中? 違う。あの日溜りの中? そうでもない。どこでもあって、どこでも無いような不思議な場所。何故だか懐かしく感じる場所。目の前の彼女と、ずっといたところでもあり。全く一緒にいなかった場所でもある。
「まず、あの世界にいた理由からだね。あなたが望んだからだよ。大切なものを失って、こんな事、無くしてしまいたいって。そう思ってたから」
「なんだよ、それじゃまるでオレがあの世界を創ったみたいじゃないか」
「そうだよ」
「待てよ、話がわからない。じゃ、なにか? オレは神か?」
 彼女は僕が理解し易いように喋る為、考えているのだと思う。しばらく悩んでいた後、にっこりと笑って言った。
「あなたはここに繋がってる人なの。つまりね、ここの…人、っていうのかな。想い、みたいなものとね。あなたのお母さんとの間に出来た子供なの」
「はい?」
「人とここの想いとの間に出来た子供はね、大抵、人としての存在が壊れてしまうの。つまり、体の事ね。ここの想いとしての存在が強すぎるから、それに耐えられずに」
「さっきっから何言ってんだかわからねえけどよ、オレには親父がいて。今頃奴は母さんと一緒に、アメリカにいるはずだぜ」
 嘘だ。僕には分かってるんだ。分かっていたんだ。
「元々あなたのいたところで、お父さんはいなかったよね」
 そうだよ。だから僕は、みさおに男としての愛情を注いでやりたかったんだ。
「あなたも、妹さんも、そういう事。あなたは適応する事が出来た。妹さんは出来なかった。他にもたくさんいるよ。あなたも知ってる、里村茜さん。彼女の幼馴染みも、あなたと同じように適応出来た数少ない人。ここに帰ってきちゃったけど」
 その人は帰ってきたんだ。僕も、ここがこんなに懐かしいと思うのは。ここにいると、帰ってきた、そう思えるから。
「ここはどこなんだ?」
「永遠の世界。何もかもが永遠に同じで、永遠に違う世界。全てがあって、なあんにも無いところ。混沌とした力や想いの漂う場所。根源にして、終焉。わかった?」
 よく分からない。でも、僕にはここがひどく懐かしいという事はわかる。ほら、こうやって目を瞑って開くだけで。目の前の景色は山の頂上にも、海の中にもなるこの場所。僕がいるべきはずの場所だと、帰ってくるべき場所だとわかる。
「昔ね。ある人達が、ここの力に目をつけたの。人がここの力を自由に使えたら何でも出来る、そう思ったのね。力に適応するには、強い心が必要だから。相当無茶な事もやったみたい…その人達が思ってるより、もっと大きな力だとも知らずにね」
 彼女は本当に楽しそうに笑っている。でも、彼女は本当に彼女なんだろうか。僕と永遠に一緒にいてくれると言ったあの娘とは、違う気がする。
「その結果、あなたや妹さんみたいな人達が生まれたの。あなたは、大好きな人が出来て、日々を楽しんでいるうちに、心の空洞を埋めたくなった。妹さんが死んだ空洞を、ね」
 みさおが生きていれば、僕はそう思っていたんだ。心の奥底で。そうすれば、あの満足が、もっとずっと。なんのためらいもない満足に変わるって。
「そしてあの世界が出来た。妹さんが生きているには、こことの繋がりがあっては駄目。こことの繋がりの無い世界には、あなたや、あなたのような人達にお父さんが必要だった」
「じゃ、全部が嘘なのか?」
「全部本当の事だよ。あなたは、世界を構成する要素の一つを、変えただけ。世界は柔軟に対応して、あの世界が出来た。こことの繋がりなんか、無いのが本当だった。言ってみれば、あの世界こそ、本当にあるべきだった世界。あなたの望んでいた世界。でも…」
 彼女は僕を見てにっこりと微笑んだ。彼女に言われるまでも無い。僕にはよく分かっていたんだ…オレには。
「あなたは満足していない。どうして?」
「あんなの長森じゃない! 小さい頃からずっと一緒にいて、ばかで、ドジで…どうしようもなく可愛くて。何一つ欠けても、長森じゃないんだ。ずっと一緒にいたいと思った、あの長森じゃない」
「結局、ようやく気付いたってわけね」
 オレは長森が好きなんだ。外見とか、性格だけじゃなくて。ずっと一緒にいたからだけじゃなくて。そのどれも全てのある長森でないと、駄目なんだ。例えこれが、この想いが。どれだけの人の身の上から取り除かれた不幸を、再び降りかからせようと。
「あんた何者なんだ?」
「なんに見える?」
「みずか」
 オレには、彼女は小さかった頃の長森に見えていた。だがそう言ったオレをげらげらと笑う彼女は、どう見ても長森では無かった。さほど無作法な笑い、というわけでは無いが。長森はこんな笑い方はしない。
「重症だね。私に決まった姿なんてないんだよ。分かりやすく言うと…あなたのお父さん、かな」
「親父っ!?」
 そしてオレは目が覚めていた。
 周囲を見回すと、学校の裏手にある林の中だと言う事がわかる。さっきまで長森に膝枕して貰っていた、あの場所だ。冬の日溜りの中へ差し込んでくる、暖かい日差し。オレがずっといたいと思ったあの場所。
 妙にすっきりとした頭をしていたオレは、とりあえず大きく欠伸をした。これから、あいつに会いに行くんだ。大事な事を伝えに。気合いを入れていかないとな。

 オレが長森と別れたあの日溜りから、同じ場所に帰ってきた時。一年という歳月が経ってしまっていたらしい。オレが自分の本心を告げると、長森は頬を染めて強く頷いた。オレは、長森じゃないと駄目なんだ。他の何よりも、今の、この長森でなければ。
 デートと言う程、大袈裟なものじゃ無いかもしれないが。今、オレは長森と一緒に人気の少ない街並みを歩いていた。商店街の方に出れば、もっと賑っているのだろう。少し寂しい感じのする並木道を、ただ一緒に歩いているだけで楽しかった。
 雨の日、あの原っぱで茜を見かけた。ピンクの傘を差して、ずっと待っている。オレは、あそこで聞いた事をそのまま告げてやった。そいつは、自分の帰るべき場所に帰っていったんだって。
「…浩平は、ここに帰ってきたんですよね」
 オレの瞳をじっと見据えて茜がそう言った時。オレは、茜が少し笑顔を見せた気がしていた。気のせいだったのかも知れない。茜は、心を開く事は無いのだから。オレは、それをも望んだようなものなのだから。
 じっと待っている茜を、柚木は心配そうにしていた。茜にとって幼馴染みなら、柚木にとっても幼馴染みなんだろうに。茜がそこにいる理由も判らず、ただ心配して。
 オレはここに帰ってきたのだろうか? それは違うと思う。
 オレの帰るべき場所は、あの永遠の世界というところ。みさおが生きている、本来あるべきだった世界。少なくとも、どちらかが帰るべき場所なのだという事は分かる。
「どうかした?」
 オレの暗い顔が影を落としたらしく、心配そうな顔で長森が声をかけてくる。どう答えるべきか迷った末に、オレは長森に言っていた。
「いや、まあ、な」
「うん…」
 曖昧な言葉に、曖昧に頷いてくれる。触れられたく無い事を、長いつきあいと愛情から察してくれる。オレは、長森のこういうところも好きなんだ。
 大好きだから。
 帰るべき場所よりも、オレは行きたい場所を選んだ。この長森と、ずっと一緒にいたいから、オレはここを選んだんだ。みさおのいない、茜に冷たい瞳の宿る、ここを。
 ここに到るまでには数多くの分岐点があって。そのどの一つすら欠けても、オレはこうしてここにはいなかった。みさおが生きていれば、幼馴染みが毎朝起こしに来る事も無く。幼馴染みに心救われる事も無く。こんなに大好きだと思う事も無かった。
 オレは、みさおが死ぬという事を、自ら望んで、ここにいる。
 これだけの業を背負ってまで、オレは長森を望んでいる。他の誰でも無い、オレがみさおを殺したようなもんだ。最愛の妹を、オレが、このオレが、
「あ、あのねっ、浩平」
「ん? なんだ」
「えっとね。私がずっと勇気づけられてたお守り、貸してあげようか。浩平がみんなから忘れられちゃっててもね、それがあるから頑張れたんだよ」
「ぐあ…まさか、バニ山バニ夫か?」
「そうだよ。浩平がくれた、うさぎのぬいぐるみだよ」
「まだ持ってやがったのか、捨てろ、捨てろ、そんなもの。いらないだろ」
「そんな事ないもん。大切な宝物だもん。毎晩抱いて寝てるんだよ、私」
「抱いて寝るなら、オレにしておけ」
 オレの言葉に反応して、長森の顔が火でも吹きそうになるぐらい赤くなる。こういうからい甲斐のあるところも、オレは好きなんだ。たまらない感情に襲われて、オレは長森を引き寄せる。長森はびっくりしたように、益々顔を赤らめて、オレの顔を見る。
「浩平?」
 顔は見るな。見るんじゃない。
「浩平…泣いてるの?」
 見るなと思っているだろうに、全く。ちくしょう。泣いてどうなるもんでも無い、オレのこの罪深さが少しでも薄らぐわけじゃない。それでも、それでも長森の傍にいられるという事がこんなに愛しくて。哀しくて。嬉しくて。
 長森はオレの顔を両手で挟むと、にっこりと微笑んだ。
「ん…」
 唇に当たる感触。柔らかくて、ちょっぴり牛乳の匂いのする、長森の唇。
「覚えてるかな? 小さい頃、こんなふうに泣いてる浩平とキスした事があるんだよ。永遠はあるよ、って。私が永遠に一緒にいてあげるよ、って」
 忘れるわけが無い。みさおが死んで、永遠に続く幸せなんか無いと思っていたオレを救ってくれた言葉。
「何があっても、私は浩平と一緒がいいよ。浩平じゃないと駄目なんだよ」
「オレも」
「うん」
 長森は慈しむような笑顔を見せて、オレの手に手を絡めてくる。ぴったりと寄り添ってくる長森の暖かさが、とても優しく感じる。
 許しを乞うたら、多分、みさおは笑顔ですんなり許してくれるだろうから。だから、言わない。オレがした事の償いは、出来る事では無いのだから。選択出来る道、帰るべき場所を、振り捨ててしまった罪は。決して消せるものでは無いのだから。
「七瀬さんがね、今度、一緒に遊ぼうって言ってたんだよ」
「なんだそりゃ…ガキじゃ無いんだから」
「はぁ…別にそういう意味じゃないんだよ」
 長森のため息。暖かくて、優しくて。オレはこのため息を聞きたいから、彼女に呆れられるような事を言う。みさおのため息も、同じように暖かかったな。
「そういや、住井の奴もそんな事言ってたな」
「どうする?」
「長森のしたいようにしろ。オレもつきあう」
 嬉しそうに笑う長森を見て、オレは確信していた。罪に心苦しくなる事があっても、決して後悔する事は無いという事を。
 人気の無い並木道に溢れる陽の光が、オレ達を優しく包んでくれる気がしていた。気のせいだろう。ただオレは、この日溜りをとても居心地が良いと感じていた。

fin

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 瑞佳シナリオその後、というようなお話だと思って下さい。はなから、このクライマックスが書きたかったんですよね。そしたら、「みさおが生きていたら」な世界を書かなくちゃならなくなって。瑞佳も茜も設定変わっちゃって、大変。いやあ、冷や汗かきっぱなし(^^; 挿入会話(――どうして泣いてるの? 等)は、フラッシュバックみたいなもんだと思って下さい。
みさお「私が目一杯登場するSS書いてるの、吉田樹だけかもね」
 そうかも(^^; だって、あんた生きてたらONEじゃ無いもんね。ま、タイトルで予想された方も多いと思いますけれど。長森と別れた、あの日溜りの中へ帰っていくという話なんですよ。
みさお「ラスト変わってやんの」
 うぐ…だって、教室での告白シーンだと、拡げられないし。せっかく出した茜のフォローも無し、という状態になっちまうから…って、言わなきゃわかんないじゃん(^^;
みさお「感想を頂いた皆様、読んで下さった皆さん、ありがとうございますっ」
 親父はまずいだろう、って声がいっぱい聞こえてきそう(^^; ではでは