日溜りの中へ vol.4 投稿者: 吉田 樹

――ここはどこなんだ?
――永遠の世界

 暖かい季節の屋上は好きだ。ここ以外に、安らぐ場所などあるまい。学食など人が多すぎて、味なんかよく分からなくなっちまうからな。
 みさおの弁当を食べながらふと思うのだが。本当にもう夏なんだな。今朝雨が降っていた事なんぞ、感じさせないぐらいに周囲が乾いている。いや、座る前に気付いていなかったかと言ったら、嘘になるが。
「…でね。あーっ、また人の話聞いてない」
「聞いてるぞ。それで、みさおはどうしたんだ?」
「全然聞いてないじゃない」
 うーむ。こう言っておけば、なんとかなると思ったのだが。深いな。
「だからね。ま、説明はいいや、どうせまた聞かないんだろうから。七瀬さんって、お兄ちゃんの事好きだと思うの。お兄ちゃんの方はどうなの?」
「おう、オレも好きだぞ」
「えっ? 本当?」
 何故だかみさおは嬉しそうな顔をする。こいつはオレに友達がいないとでも思ってるんだろうか…仕方が無いから、七瀬の事がどのくらい好きだか言ってやる事にする。
「まず七瀬といれば、不良に絡まれても怖く無いだろ。あと、ちょっと気の引ける気合いの入ったコンサートなんかも堂々といける。チケットが無い場合も、七瀬の進行を止められるような奴はいないからお得だな。それにだな、」
「はぁ…もういいよ」
 何故にそんなつまらなそうな顔をする。自分ではわりと面白いと思ったのだが。
 冗談はともかく。七瀬とはいい友達だとは思うが、その手の関係は考えられない。顔も可愛いと思うし、性格も面白い奴だとは思う。でも、七瀬とあんな事やこんな事をするなんて考えられない。それを言い出したら、住井でもオッケーでなくてはなるまい。
 …一瞬、えぐい映像がよぎってしまった。
「しかし。なんだってそんな、無理矢理オレを誰かとくっつけたがるんだ?」
 ちょっと女の子と関わりを持つと、みさおは昔からこうだった。七瀬の事だけで、何度言われたか分からない。別にシスコンの噂が立っているわけでも無いのだから、放っておけばいいのに。
「だって、お兄ちゃんがいい人見つけてくれないと、心配で心配で」
 まさか。オレが結婚するまで、結婚しないとかいう意味なのかっ? な、なにっ? つまり、
「待てみさお! それで、相手はどこのどいつだ。向こうの親に挨拶は済んだのか? 弱ったな、式場の手配は済んだのか? 親父達に帰ってくるように伝えないとな」
「は、はい? あの、お兄ちゃん。何の話?」
「だからお前、結婚するんだろ?」
「なんでそんな話になってるのよ、全く…」
 みさおが深々とつくため息を聞きながら、確かに説明を端折り過ぎたと思った。ここでもう一度、きちんと説明してやってもいいと思ったが。どうせまた馬鹿にするだろうから、やめてやる事にした。
「あのね…」
 不意にみさおが真面目な顔をする。真面目、というよりは。寂しそうな、守ってやりたくなるような、そんな顔だった。みさおは大抵の事は笑って済ませられる奴だ。そのみさおがこんな顔をするのは、よほど辛い事なのだろう。
「お兄ちゃん、自分で気付いてるのかな。時々ね、すっごく淋しそうな顔をしてるってこと。それでね、そんなお兄ちゃんを見てるとね。どこかに行っちゃうんじゃないかって、私、すっごく不安になるの」
「みさお…」
「あはは。ごめんね、変な事言って。私じゃお兄ちゃんの力になれないから、もっとね。その淋しさを埋めてくれる人がいればな、って」
 ばかだな、みさおは。オレがお前の傍からいなくなるなんて、あるわけが無いだろう。血の繋がった兄妹なんだから、縁を切ろうったって切れるもんじゃない。
 …そう、言ってやりたかった。そう言えば、みさおの感じている不安を取り除けると知っていたから。嘘でもなんでもいい、みさおのこんな顔は見たくなかった。それでも、
 それでも言葉は喉の奥に張りついて、口から出てこなかった。
「つまんない事言ってないで、飯食ったんだから下に戻るぞ」
「あ、ちょっと待ってよ。私まだ、食べてないのに」
「オレは食べた」
「うわ、そういう事言っちゃうかな。だったらいいよ、さっき言ってた事、全部七瀬さんに教えちゃうから。それでもいいならご自由にどうぞ」
「…お前、お兄さんがどうなってもいいのか?」
「ひどい事言うよね、お兄ちゃんって」
 仕方がないから、オレは脅迫に応じてやる事にした。オレだって自分の身は可愛い。何より、みさおの事を可愛いと思っている。ずっと傍にいたいと思っている。思っているのだが、
「お兄ちゃん?」
「だから、聞いてるだろうが。それで、みさおはどうしたんだ?」
「まだ何にも話してないよ…」

――じゃ、全部が嘘なのか?
――全部本当の事だよ

 毎日が幸せだった。
 朝。いつものようにみさおが起こしにきて、惰眠を貪る時。
 学校で。七瀬や住井や茜達と、下らない冗談を言う時。
 夕方。夕焼けをぼんやりと眺めながら、なんとなくいい気分になっている時。
 夜。眠る前に、今日は疲れたなと思う時。
 晴れの日に駆け回って遊び、雨の日に鬱陶しさを感じる。春には桜を見に行き、舞い散る花びらに心洗われて。夏の暑い日には海に行って、人ごみに辟易して。秋の枯葉道を歩いて、ちょっと寂しいなと思って。冬の寒い日には身を縮ませて、寒さに文句を言ってみて。
 変わり映えのしない毎日。そんな日々に、心から言いたい。
 ありがとう
 退屈な、特に何も起こらない毎日に、ありがとう。でも、なんでこんなに寂しいと思うんだろう。どうしてこんなに、大切なものが欠けていると思うんだろう。心にぽっかりと穴が開いたみたいに感じるんだろう。

「本当に良かったのかな…」
「だったらみさお、お前は戻れ」
「今から戻ったら、かえって大変な事になっちゃうよ」
 生徒総会だという事だったが、こうして日向ぼっこしている方がよっぽど有意義だろう。学校の裏手にある高台で、たくさんの太陽の光を浴びて。気持ちがいいじゃないか。
「みさおちゃんに膝枕して貰って、恥ずかしい奴だな」
「羨ましかったら、お前もみさおの兄になってみろ」
「なれるわけないでしょ…」
 深々とみさおのつくため息が、頬に当たってくすぐったい。横で寝っ転がって、半分眠っている住井も。向こうではしゃぎ回っている七瀬も、とても楽しそうだった。
「蛇、蛇がいたわよ」
「なんだ七瀬、闘争本能に火が点いたのか?」
「失礼だよ、お兄ちゃん」
 そう言って、みさおがオレの鼻をつまむ。たしなめているようで、笑っているところからして。お前の方がよっぽど失礼だと思うぞ、オレは。
 なんにもする事もなく、こうしてぼーっと太陽の光を浴びていると。なんだか頭の中が真っ白になっていく気がする。芝生のちくちくするような感触も、みさおの柔らかい枕も。オレに眠ってくれ、とお願いしているようだった。
「ところで折原」
 せっかくの眠気に誘われていた気分を、住井の声がぶち壊しにする。普段と変わらない声を出そうとしているようだが、真剣な調子が滲み出ている。まだまだ、だな。そんなんじゃ、演劇部の星にはなれんぞ。全然関係ないが。
「お前、本当に長森さんの事。なんとも思ってないんだな?」
「くどいな。ほとんど喋っても無い奴を、どう思えって言うんだよ」
「そうか」
 どうでもいいように呟き返してくるが、ほっとした気配がみえみえだった。みさおもそれに気付いたらしく、応援する笑顔を浮かべている。全く、みさおは。色恋沙汰になると、途端に目をきらきらさせやがって。
 住井が長森の事を好きなら、応援してやろうとは思う。思うが、何をどうすればいいのかさっぱりわからん。ま、どうでもいいや。
「蛇とかって苦手なのよ」
「なんだ? いつも飲んでるマムシドリンクは別なのか、七瀬」
「飲まないわよ、そんなもん」
 近くに座ってきた七瀬も交えて、どうでもいい事をどうでもいいように話す。後になってみれば、何の想い出にも残らないこんな時間。どうでもいいこんな時間が、オレは何故かとても愛しいと思う。
「どうしたの、お兄ちゃん。変な顔して」
「変なのはお前の顔だ」
「ひ、ひっどい。えい、こうしてやるっ」
 オレがみさおに顔をぐじゃぐじゃにいじられているというのに。住井も七瀬も助けようとしない。薄情な奴らだ、なんでそんなに穏やかな笑みを浮かべてやがる。
 オレが奴らに制裁の計画を立て始めた頃、学校からチャイムの音が聞こえてきた。誰からともなく立ち上がったオレ達は、誰が言い出すまでもなく競争のような体勢に入る。しまった、スタートで出遅れてしまったではないか。
 オレは必死に挽回しようと、学校の裏手の林でコースを模索する。先を走る連中のガードが甘くなっているインを取ろうと、コースを注視する。
 ふと、足が止まっていた。
 何故だろう。今までも時折通ってきた道、見覚えのある、どこにでもあるような林の中。そこに陽の光が射し込んでいる事も、よくある事。どこにでもある景色の一つなのに、なのに、なんで、
「なんで泣いてるの?」
「わからない。自分でも分からない」
 林の木々の間から、あの娘が現れる。白い、ひらひらのついたワンピースを着た、小さな女の子。彼女は僕の顔を見ると、にっこりと微笑んでこう言った。
「教えてあげようか?」

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 ついに次回、クライマックス&ラスト! 仕掛けをどのくらい隠し通せているのか、ちょっと心配。自分では、疑問の残らないものに仕上げたつもりですけど。あくまでつもりはつもり。ご批判のある方は、遠慮なくどうぞ。
みさお「今度はその手だったのか、というような設定らしいです」
 予想を裏切れていたら最高なんですけどね。感想を頂いた皆様、読んで下さった皆さんありがとうございます。最終回は明日UPします。ではでは

 追記:南救済SSのプロットが、なんとか固まりました。普通のラブコメにおさまりそうで、なんか一安心。