ガラスの靴が合わなくて(後編) 投稿者: 吉田 樹

 陽当たりのいい部屋。
 窓からの見晴らしが良くって、休日にこのフローリングの床に寝そべるのが私の楽しみだった。なにもせず、ただごろごろとして。逆さに眺めた窓の向こうに、サボテンが見えるのを怠惰に眺めている時間。自分の時計は止まっているのに、周りの時間はどんどんと流れていく。
 片付けた部屋に、驚くほどにゴミがあった。逐一分類して出すのが、若い女が一人暮しする時の自衛手段。近所の暇な主婦に、わざわざ楽しみを与える事もない。
 トゥルルル…トゥルルル…
 そういえば電話はNTTのリースだったっけ。受話器に手を伸ばしながら、相手が誰だか想像してみる。お母さんだったら、厄介だろうな。また、お説教される事だろう。
「あ、七瀬?」
 電話の向こうから聞こえてきたのは、広瀬の声だった。予想の範囲に入っていた声、裏切られない予想。それがいい事なのか悪い事なのか、私には判断出来ない。
 広瀬の話の内容も、こちらの思っていた通り。予想や期待を大きく裏切るような現実を得るのは、無理なんだろうな。
「あ、ごめんね。今日は約束があるから」
「そう、残念。でも、今度時間は取れるわよね? 別に、用事は無いんだけど」
「勿論よ」
 高校の頃はあんなに違っていたはずの二人が、今はこんなにも似ている。不思議な話なのかも知れない。でも、予想範囲の不思議。
 空を流れる雲を見ていたら、不意にわた菓子が食べてみたくなった。ひどく短絡的。だけれど、もう何年食べてないんだろう…

 気の早い街が、クリスマスのイルミネーションで飾り立てられている。私の化粧と同じように、嘘で塗り固めているみたい。自分の心を。
「さすがに寒いな…七瀬らしくそのへんの木をへし折って、焚き火にしてくれよ」
「あはは。管理当局に怒られちゃうわよ」
「いや、その時には、俺は関係無いと言い張るから大丈夫だ」
「私はどうするのよ」
 帰りたいって、そう言えばいいのに。瑞佳のところへ帰りたいって。
 でもこの人は優しいから、そんな事は言わない。少しは私の事を好きでいてくれるって、自惚れたいけれど。この人にとって、瑞佳より大切なものは無いから。自分の事や他の全ての事より、瑞佳の事が大切で。でも、みんなに優しくて。
 それって罪な事なのよ。
 罪には罰がつきものって知ってた?
 他愛無い会話をして、笑いながら私は思う。こうやって、もうちょっとだけ、この人をいじめていたい。そのくらいしか、望める事は無いから。
 静かな道を選んで歩いているうちに、私達はちょっとした公園に着いた。都会の中にあって、洒落た感じのする薄明るい公園に人気は無く。ちょっと空を見上げる。
 自分の吐いている白い息の向こうに、星空が広がっている。
「踊ろっか?」
「はあ?」
 戸惑う折原くんの手を取って、ステップを踏む。ダンスは慣れていないらしい折原くんは、されるがままに動かされている。不思議と笑いが溢れてくる。
 ダンスがお化粧が上手だったら、物憂い視線や慎ましやかな笑いが身についたら。乙女になれると思っていた。でも、それは大きな勘違い。当時思っていたほとんどの物を手に入れた今、乙女からは、かなり遠ざかってしまっている。
「…ったく。もっと七瀬らしく豪快にどじょうすくいでも踊ってくれよ。鼻に割り箸さして」
「いいけど、割り箸持ってるの?」
「生憎、今日の昼に使っちまった」
 笑いが止まらない。なんで割り箸なんか、いつも持ってるのよ。
 当時、乙女に必要だと思っていたもののほとんどは手に入れたけれど。一番大切で、欠けてはならないものを、私は持っていない。
 白馬に乗った王子様。
「なあ、七瀬」
「いいから、踊りましょう」
 ちょっと真面目な顔になったこの人を、はぐらかす。
 分かっているから、全部。だからもう少しだけ。魔法が解けてしまえば、私にはもう得られない時間だから。ガラスの靴がはけない私は、大人になってしまった私は。魔法が解けてしまえば、王子様には会えないのだから。
 カーン…カーン…
「七瀬?」
 教会が十二時の鐘を鳴らした時に、私はそっと手を離す。
 好きでいてね。愛していてね。嫌いにならないでね。言いたい…でも、言えないから。あなたの瞳をこうして見られて、それで喜ばないといけない。満足しないといけない。
「私ね、今度フランスに行くの。ずっと前から希望を出していてね」
「…そうか。フランス最中を送るの忘れるなよ」
「探してみるわ」
 恋と仕事を天秤にかけたんじゃなくて。想いでが欲しかったわけでもなくて。
 でも言いたい言葉は全て、返事が分かるから。だから、言わない。わざわざ聞くと悲しいから、言ってしまえばもう化粧も仮面の役を果たさなくなるから。
 結局。嘘が上手くなっただけで、私の中の私は、ずっとあの頃のままだから。
「瑞佳によろしくね」
「ああ」
 そんな風に気取って、別れの挨拶にしてみた。格好つけて、ヒロインでも気取っていないと。私の両手が、私の想いを形にするから。
 最後は二人とも笑顔だった。

「手紙書くわね」
「ええ」
 空港で広瀬と別れの挨拶をしながら、私の頭は色々な事を考えている。
 ゲートの番号、向こうのアパートの住所。空港からの地図や、着いてから連絡する人々の一覧。こうしていれば、白馬に乗った王子様を待っていたい私を忘れていられる、って事とか。
「向こうで格好良い男の人見つけたら、紹介してね」
「はいはい」
 さ、出発だ。
 色んな感傷に浸っていいはずなのに、何故だか私の心は晴れ晴れとしていた。

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 いやあ、終わったねえ。
みさお「くさかったぁ。私、ちょっと耐えきれなかったかも」
 最後は蛇足だった気もしたんですけど。ま、いっかな、と。感想を頂いた皆様、読んで下さった皆さんありがとうございました。なんか七瀬じゃない気がするのは、多分、私だけじゃないはず(^^;
みさお「ところで。藤井勇気さんのコメントがありましたけど。私がアシスタント
なのは、珍しさ狙いだって事です」
 初投稿でみさおと茜の幼馴染み出したからなんですけど。茜の幼馴染みは勝手に命名したんで、「誰?」という言葉を避けられないだろう、と。
沢口「別に僕だって良かったって事?」
 あれ? なんで南がこんなところに。感想はまだだぞ。
沢口「うー」
みさお「まあ、まあ」
 ま、今日はこんなところで。ではでは