日溜りの中へ vol.2 投稿者: 吉田 樹

――こんな事、無くしてしまいたいって。そう思ってたから
――なんだよ。それじゃまるで、

「はぁ…」
 今朝の出来事を聞き終えたみさおが、深々とため息をついた。
 いつもの事ながら、こいつは昼休みになるとオレのところへ飛んでくる。由起子さんが作れない時は、みさおの弁当を食べているわけだから。ま、感謝してやってもいい。
「それは、お兄ちゃんが悪いよ」
「ばか。ちゃんと謝ったんだぞ」
「長森さん、傷ついたと思うよ…」
 何故だか含みを持たせるような言い方で、みさおがオレの顔色を窺う。こいつの口うるさいところと、こういう笑顔は母さんにそっくりだ。言いたい事があるならはっきり言え、というと馬鹿にするから、我慢しておいてやる事にした。
「あ、みさおちゃん」
 住井が野獣の目をして襲い掛かってきた。振り返ったみさおは、にっこりと微笑んで住井に応える。待て、襲い掛かってきているのに、にっこりと微笑むのか?
「こんにちは、住井さん」
「お義兄さんなんて呼ぶんじゃねえぞ」
 言い出す前に釘を刺しておいてやると、住井が不思議そうな表情をオレに向ける。なんだ、既に深い関係があるとか言い出すんじゃないだろうな…
 オレの頭の中に、浴衣であぐらをかいているオレと。愛想笑いを浮かべて、「ま、お義兄さん、一杯」と言ってビールを注ぐ住井の姿が浮かぶ…嫌だ、嫌すぎる。
「なに言ってんだ? 折原。俺はただ、一緒に昼飯を食おうと思ってだな」
「いくぞ、みさお。こういう悪い虫には近付くな」
 無理矢理みさおの腕を掴むと、引っ張って歩き出す。住井とみさおは、二人とも戸惑った顔で挨拶を交わしている。いや、いかん。友達にはともかく、義弟にはしたくないぞ。
 ま、冗談はおいておいて。
 オレは初めからそのつもりだった、茜の席へと向かう。目的地が分かって、みさおも納得したらしい。住井の頷きも目に見えるようだ、いや、実際振り返って確認したが。
「よう、南。悪いが、席を譲ってくれ」
「はい?」
 オレが声をかけると、茜の前の席に座っていた南が変な顔をしてこっちを見る。いや、南の顔が変なのではなく。整形でもしたのか、南の顔が変わっている。よく見るとスカートをはいていて、制服もうちの学校の制服では無い。
「だから南。机や椅子を積み上げて何段になるか挑戦しないから、席を貸してくれ」
「南って誰?」
 なるほど。南は自分の名前を忘れてしまったらしい。いや、待てよ。ひょっとして…
「沢口?」
「沢口って誰?」
 奴も一歩も引かない。なるほど、敵もさるものか。呆れた顔で、空いている椅子を持ってくるみさおを無視して、俺は更に南に言った。
「冗談はおいておいてだな。南、悪いが席を貸してくれ」
「だから南って誰?」
「その席に座っていた…まさかっ!? お前、南を殺したのか!?」
「殺した?」
「お兄ちゃん、いい加減にしてよね。恥ずかしい。詩子さんも茜さんもごめんなさい」
「気にしてないよ」
 柚木はあっさりと笑顔で頷く。茜は少し柔らかい笑みを見せて、仕草と表情でオレに座るように促す。みさおの用意した椅子に座るのは癪だったが、オレは我慢する事にした。
 男なら自分で勝ち取る。そして、我慢するのも男だ。うむ。
「…浩平、食欲が無いんですか?」
 茜がやや心配そうに尋ねてきたので、オレは満面の笑顔を作って弁当に箸をつけた。美味しそうに食べるオレに、何故だかみさおが抗議の声を上げる。
「それ、私のお弁当だよ。お兄ちゃんの、ちゃんとあるでしょう」
「いや。お前が、自分の方のだけ美味しく作っていないか、味見してみたんだ」
「はぁ…一緒に作ってるんだから、そんなわけないでしょ。具も一緒なのに」
 茜の周りは、昼時なんかは特に人で溢れている。ごみごみした中で食っても食い辛いだけのオレは、そんな時はわざわざ来ない。そういう点では、こいつに感謝してやらない事もない。ないのだが、
「おい柚木。なんでお前がここにいるんだよ?」
「お弁当を食べてるんだけど?」
「そうじゃなくって、なんで、ここに、いるのか、聞いてるんだ」
「茜の友達だから一緒に食べてるんじゃない。折原くんて時々変な事言うね」
「ごめんね、詩子さん。お兄ちゃんが変なこと言って」
 オレか? オレが変なのか? オレは、他校の生徒であるお前が、何故ここで平然と飯を食うのか疑問だぞ。クラスメートも、既に全員受け入れていまったらしい。茜の幼馴染みである柚木が来ているときは、オレ以外の奴は遠慮している。
 そんなやりとりを見て、茜が口元を抑えてくすくすと笑う。茜はわりと大人しい方だけれど、笑顔の似合う優しい娘だ。引っ込み思案なところもあるが、男女問わずにクラス中に好かれているという点では、長森と争う。
 オレもなんとなく、茜のこういう笑顔を見るのは好きだった。

――そうだよ
――待てよ、話がわからない。じゃ、なにか?

「さよなら、折原くん」
「おう、長森。今朝は悪かったな」
 さして親しくもないが、付き合いは長いから幼馴染みと呼べるのだろうか。その長森が泣いているのを見た時の事が、不意に思い出される。
 ひどく、胸が苦しかった。
 オレが自分のした事に後悔しているとか。女の子の涙が苦手というのでは無く。もっと別の感情。懐かしさにも似た、胸をしめつけるような感情。
 今朝も、謝る時も、今も。長森の泣き顔を思い出して、たまらない感情がオレの内面で暴れまわっていた。以前に長森を泣かせた覚えは、オレには無い。いや、悪戯坊主だったオレが泣かせてしまった事もあっただろうとは思う。だが…
 みさおの泣き顔や、いじめて泣かせてしまった奴の泣き顔は思い浮かぶ。それでも、何故だか長森の泣き顔は思い出せない。親しくなくても、同じクラスだった事も多い。それでも一度も泣き顔を見ていないという事は…ま、世間にはざらにあるだろう。
「なに、ぼーっとしてるの?」
「ぼーっとしてるのはお前の顔だろ」
「な、ちょっと、ひどいよお兄ちゃん。私、これでも自分の顔、けっこう気に入ってるのに」
 みさおの自惚れは無視して、オレは階段の方へと歩いていく。まあ、その辺りはさすがに血縁というか、長いつきあいというか。みさおもついてくる。
 みさおは可愛い、らしい。
 よくラブレターを貰ってきては、オレに見せびらかしている。せっかくだから読んでやろうとすると、決まって断られるのだが。だったら見せなければいいだろう。オレがラブレターを貰うと、見たがるくせに。ま、オレも見せたりしないが。
 別にみさおに異常な愛情を抱いているから、という理由ではなく。何故だかオレは、女の子と付き合う気がしなかった。昔からずっと。
 変な話、決まった人が既にいるような気がするのだ。赤い糸とか運命とか前世とか聞くと、必ず吹き出すこのオレが。何故か、そんな気がしている。ただ、顔やどんな奴かなんて事は何も分からない。
「…でね。聞いてるの、お兄ちゃん?」
「ああ、聞いてる」
「嘘。だったら、私が今、何の話してたんだか答えてよ」
「嫌だ。なんでお前に命令されないといけないんだ」
「もう! ちゃんと聞いてよ。えっと、じゃ初めから話すね。えっとね…」
 みさおの話は、退屈極まりない友達の話や。今日学校であった事。どうでもいい事この上ない話を、ひどく楽しそうに話す。オレはどちらかというと、話の内容よりもみさおの笑顔を見ている方が楽しかった。
 オレはみさおにはいい兄でいたかったし。男の愛情というものを与えてやりたかった。
「どうかした?」
 話し終えて一息ついたみさおが。オレがちょっと真面目な顔をしているのに気付いて、声をかけてくる。理由はわからないが、少し不安そうな顔をして。
「みさお。両親がいなくて、天涯孤独の兄妹二人きり、仲良くやっていこうな」
「はぁ…なに言ってんのよ。昨日も、お父さん達から電話あったじゃない」
「ばか。十年近くほったらかしにされてるってのは、捨てられたんだよ。だから、天涯孤独じゃねえかよ」
「お兄ちゃん、天涯孤独って意味、わかって使ってる? 由紀子さんはお母さんの妹なんだから、血縁なんだよ。だからお父さんお母さんに捨てられたとしても、天涯孤独でもなんでもないでしょ」
「いや。由紀子さんは実は、拾われた子供だったらしいんだ」
「怒られるよ、そんな事言ってると」
「橋の下に捨てられてたって、よく母さんから聞かされたぞ」
「はぁ…お兄ちゃんって、変なところばっかりお母さんに似てるんだから」
 いや、オレはむしろお前の方が、母さんの遺伝は強いと思うぞ。そのため息なんか特に…? 母さん、こんなため息をついていたっけかな。あれ?
 ひどく懐かしくて。昔いつも聞いていた気がして。ずっと聞いていたいと思ったから。オレはこのため息を、母さんのものだと思っていた。でも、違う。母さんがため息をつくのは、もっとひどく疲れたようなため息だ。全てを失ってしまったみたいな、哀しいため息。僕を忘れた、ため息。
 ? …オレは一体、何を考えてるんだろう。みさおが妙な顔でオレを見ている。ひどく不安そうな。誤魔化すように空を見上げたオレは言っていた。
「見ろみさお、夕焼けが綺麗だぞ」
「本当…」
 帰り道。空を見上げると、一面の夕焼け雲が広がっていて。僕はその向こうから来てしまったんだということが、はっきりとわかる。僕はここにいるような存在ではなくて、夕焼けの向こう。あそこに…?
 …疲れてるのかな、オレ。

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 いやあ、四時過ぎにやっと開放された吉田樹です(涙)。
みさお「そんな事はどうでもいいの。それより、もももさん。あ、他にも誤解された方ごめんなさい。ガラスの靴の後書きでかけあいやっちゃったんで、勘違いさせてしまったみたいで」
 だから最初から、内緒にしておいてくれればいいのに。
みさお「と、いう事でっ。今回は、『日溜り』の仕掛けを全部バラしちゃいます。吉田樹が苦悩しているクライマックスシーンも含めてっ!」
 それをされて、私が続きを書く必要があるのか? あんた出番なくなるよ。
みさお「一身上の都合により、前言を撤回しますっ。みなさんごめんなさい。でも、今回のでエンディングは判っちゃったと思いますけどね」
 過程が大事なのだよ、みさお君。感想を頂いた皆様、読んで下さった皆さんありがとうございます。「追想迷宮」最終回、心に染み渡ってきました。感想はまた後日改めて。他の皆さんも、南(感想)まで待ってて下さいね。ギャグが読めて、嬉しい限りです。自分で書けないんで。
みさお「ガラスの靴は、あのまま後編も同じ調子で終わっちゃうそうです」
 ではでは