ガラスの靴が合わなくて(中編) 投稿者: 吉田 樹

 広くて清潔な店内に入ると、彼女は既に来ていた。
 大人ってこうなのよね。旧友との再会も、仕事に繋げてしまう考え方をする。それも一つの道理だと、喫茶店内の他の客たちも似たような事をしていた。
 シナモンティーを注文すると、彼女の格好に興味が引かれる。ショートをばらけさせたヘアスタイルに、わりと濃い目の化粧。装飾品も目立つのに明るい店で浮かないのは、趣味の良さからだろう。安い物は身につけていない。
「…と、いう事で。お願い出来るかしら?」
「いいわよ、それで日時は?」
 広瀬はあっさりと頷いてくる。それもそうか。うちの雑誌は、業界ではそれなりに名前の通ったものだし。そこにインタビューが載って、服飾のデザイナーである彼女にメリットこそあれ。マイナス要因は何一つあるまい。
 …こんなにあっさり決まるんだったら、電話で済んだかもね。
 そろそろ忙しくなり始めた編集部の事を思いながら、ウェイトレスに礼を言っていると。広瀬がこれから本題に入る様な顔をする。好奇心が先に立つ彼女が、好んでしそうな笑顔を浮かべて。
「ところで。この前、帰りが折原くんと一緒だったじゃない。あれからどうしたの?」
「喋る必要、無いと思うんだけど?」
 こう言っただけで、広瀬には伝わっていく。どちらも子供じゃないのだから、「寝たわよ」なんて無粋な事を言う必要は無い。互いに通じていても言質は無い、暗黙の他言無用という話。
 しばらく驚いたような顔で、広瀬が私の事を見てくる。
「七瀬、変わったわね」
「そう?」
「ええ。昔はこう…なんていうか、もっとぶりっ子だった気がする」
 違うわよ。子供だっただけ、そして、今よりずっと可愛かっただけ。
 広瀬に嫌がらせを受けてた時に、私がもっと素直にあの人にお願い出来ていたら。「他の誰でもなく、あなたに守って欲しい」そう言えていたら、二人の関係は変わっていたのかしら?
 あの頃の私は、ずっと乙女になる事に憧れていた。でも、あの人は守ってくれなかったから。だから私は、大人になった。守ってくれる人がいなくても、辛い事や悲しい事に耐えられる、大人に。
 広瀬と会話しながら物思いに耽って、なおかつ、ここの払いをどうするか思案している…全く。私の頭はいつからこんなに忙しくなっちゃったんだろう。

 また、雨。ヒールの跳ねる泥が、ひどく鬱陶しい。
 高校三年の頃、瑞佳が随分落ち込んでいたけれど、理由も良くわからない。おそらく、その頃私があの人を見掛けた覚えが無い事と絡んでいるのだろうけど。でも、二人は誰に何を聞かれてもただ笑っていた。
 その姿を見た時に、絶対に入り込めないものを見せ付けられた気がした。
 折原くんは、それまでの私の周りにはいなかったタイプだ。いいえ、これは嘘ね。他では出会った事が無いタイプ。
 改めて考えると、広瀬にされた嫌がらせより、もっとひどい事をされていた気がする。
 初めのうちは、顔を見るのも腹立たしくて。でも、そのうち大事な事に気がついた。この人は、私の外見なんか気にもしていないんだって事に。
 それまでもそれからも、私は男の子達に顔で判断されてきた。剣道一筋の時も、髪を伸ばしてからも。喋った事も無い男の子から、ラブレターとか渡されて正直戸惑っていた。この人は一体、私の何が気に入ったんだろうって。
 あの人は違った。あの人の前では、つい地が出てしまって。それでも変わらず話し掛けてきてくれて。自分が自然でいられる事に気がついて、そして…瑞佳の存在が私の目に大きく映っていった。
 持ち帰って来た書類が濡れないように気をつけていた私は、あまり前の方を見ていなかった。それでも、長い間続けていた剣道が、何かの気配を私に感じさせる。
「留美…」
 つまらない男。大学の頃の友達に紹介されて、この前までしばらく付き合っていただけなのに。一度抱いたくらいで、自分の物だと思い込んで。
「僕は、君の為にお父さんの会社を辞める決意をしたよ」
 何もわかってないのね、あなたは。
 容姿端麗で、スポーツマン。頭が良くて、一流商事のお坊ちゃん。初めは楽しかったけれど、飽きるのも早い、底の浅い男。女を喜ばせる事の上手な、陳腐な奴。
 どうしてたかだか女の事で、こいつは会社を辞めようとまで思い詰めるのかしら。下世話な大人に、陳腐な恋。三流ドラマの筋立てにすら、ならない話。
「二度と私の前に現れないで」
 きつく叱ってやると、迫力に押されてひどく悲しそうな顔をする。誰が、いつ、あなたに、会社を辞めて欲しいなんて頼んだのよ。そのお坊ちゃんなところに嫌気がさした、そう言ってやっただけじゃない。
 それ以上構ってやる気になれず、私は無言でマンションの中に入っていく。何か言いかけた男の前で扉を閉め、管理人さんにお願いする。猫撫で声の使い方ぐらい、私の歳の女なら誰でも身につけている。
 こんな事、何度繰り返した事だろう。さすがに、マンションの前に立たれてたなんてのは初めてだけど。
 それよりも。あると思って買ってこなかったけれど、買い置きあったわよね。確か、冷蔵庫にはまだ卵と、にんじんと、えっと? …記憶を頼りに、頭の中に冷蔵庫の中身を再現してみる。
 大丈夫そうね。この時間から手早く作れば、いつもの番組を見ながら食べられそう。少し弾んだ心に、何故だかあの人の顔が浮かんでいた。高校の頃の顔ではなく。私を抱いた後に、ひどく悲しそうな笑みを見せたあの人の顔が。
 すぐに現実に引き戻される。エレベーターが使用中になっていた。まあ、どうせ二階なんだし階段を使うかな。
 鉄の階段を、私のヒールの踵が踏み鳴らす。硬い音を立てて。

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 ふふふ。この話でドラマチックな展開を期待された皆さん! ・・・ごめんなさい(^^;
みさお「なんのひねりもオチもなく、このまま『とれんでぃどらま(死語)』調でつっ走ってしまうそうです。でも皆様っ!」
 だから内緒だって言ってるのに・・・日溜りvol.2は明日UPします。感想はこれから書きますので、多分、吉田樹が二つ並ぶ事態がまた・・・
みさお「以上、南君のネタに困ってる吉田樹でした」
 しーっ!!(^^; ではでは