ガラスの靴が合わなくて(前編) 投稿者: 吉田 樹

 出版社に勤めて、もう三年目の冬を迎えようとしていた。
 モニターから顔を上げると、窓の外の寒さが目に見えるみたい。ラジオのパーソナリティの言葉を信じるなら、未明には氷点下になるそうで。小雨がぱらついていて、これから外に出なくてはならない事が億劫に感じられる。
「それじゃ、デスク」
「ん、ああそっか。七瀬君、お通夜だったもんな」
「はい。みなさん、お先に失礼しますね」
 椅子の背もたれにかけておいたベージュのコートを手に、周りを見まわして笑顔で頭を下げる。校了期の修羅場が想像つかないくらい、穏やかな職場になっていた。
 エレベーターホールに向かいながら、鏡を取り出して顔を覗いてみる。
 化粧が上手になった分だけ、嘘も上手になった私の顔がそこにあった。自分でも気に入ってる大きめの目や、形のいい唇。元々化粧の薄い方だから、このまま出向いて構わないだろう。
 エレベーターに乗り込もうとした時に、ふっと頭をかすめる。
 ほとんど話した事も無い高校の同級生のお通夜に、私とは違う理由で行く人なんているのかな。当時の他の同級生に会ってみたい、という理由以外で。
 同時に、黒いネクタイを買う場所を探っている自分に、少し苦笑した。
 感傷にずっと浸っていられる時間は、もう遠い過去になってしまったんだな、って。

 コンビニでネクタイと一緒にビニール傘を買ったのは、どうやら正解だったようだ。
 親族らしき人々や、私のような旧友達が結構集まっていて、外でだいぶ待たされそうだった。降ってる事の気にならないような雨だけれど、長い時間経つとスーツが湿ってしまっただろう。
 亡くなったのが高校のクラスメートだけに、参列者にも私と同年輩の者が多い。これが高校の時なら、私も含めて泣く人は多かっただろうけれど。みんな大人の顔をしている。
「あ、七瀬さん」
 あの頃とちっとも変わらない声が聞こえた。顔を向けると、喪服に身を包んだ子供っぽい顔が見える。家にいる人が連絡を受けたら、こういう格好になるのも当然ね。彼女とあの人が同棲を始めて、何年になるんだったかしら?
「久しぶりね、瑞佳」
「本当、お久しぶり。元気だった?」
 他愛の無い挨拶を交わす中、懐かしさがこみ上げてくるけれど。席が席だけに、大っぴらに振舞うわけにもいかず。私も彼女も、大人な挨拶を交わす。
 あの頃からずっと、あの人と彼女はこうなるって思ってた。高二の冬。だから私は、諦めた。叶わない努力をして、傷つくのが怖かったから。少しだけ、あの人が私を振り向いてくれないか、気弱な賭けをして。
「おう。七瀬じゃねえか」
「あ、折原くん。久しぶり」
 自分から声をかけてきたくせに、あの人は少しだけ驚いたような顔をする。あの頃いつも結んでいた髪が、真っ直ぐに垂れただけでなく。お化粧をしているから。そうしてとっても、嘘が上手になったから。
 素直で純真で、可愛かった私じゃない私を見て、折原くんが言う。折原くんも、あの頃とは変わってしまった言い方。少し大人びた、場をわきまえた声で。
「住井達とこの後飲みに行くんだが、お前も来るだろ?」
「そうね。久しぶりに、お酒でも飲みたい気分だし」
「お。七瀬らしく豪快に、ビア樽ごといってくれるんだな。どのくらい積み上がるか、楽しみにしてるぜ」
「ははは。飲むのは飲んでもいいけど、積み上げるのは折原くんがやってね」
「ぐあ…なんだか今から、明日筋肉痛になりそうな気が…」
 ぽかんと私の事を見ていた瑞佳に目を向けると、ぱちぱちと瞬きして少し慌てる。私だってこの歳で、いつまでも真に受けていられないわよ。変わっちゃったな、って少し寂しそうな顔をされても。瑞佳だって、あの頃とは変わったんでしょう?
「瑞佳も来るんでしょう?」
「あ、私は。急に出てきちゃったから、猫たちのご飯用意してないのよ」
「聞いてくれよ。こいつが次々に拾ってくるから、うちは猫屋敷だぜ」
「そんなにたくさんはいないもん」
「二十匹ってのは、たくさんじゃないのか…」
 げんなりした折原くんと、むきになって怒る瑞佳。二人のこんな姿を、あの頃も私はこんなふうに。ちょっと寂しく感じて見ていたんだな。

「くぅ…七瀬、おやじみたいにげーげー吐くなよ」
「吐いてるのは折原くんでしょうが」
「ぐあ…」
 家が同じ方角だったのは私達だけで、駅裏の路地脇に折原くんが吐いている。
 つきあいのいいこの人は、飲み会のあっちこっちでお酌を受けて。止せばいいのに全部飲んで、陽気に馬鹿騒ぎして。少し正気に戻ったら、こんなに吐いている。
 お通夜の後だけに、みんなそれなりの節度を守っていたけれど。亡くなった彼女と喋っていたのは、うちのクラスでは折原くんだけだった。だから彼女を偲ぶ事に名を借りて、みんなでお酒を楽しんだだけ。
 自分でも驚いたのは。当時、嫌がらせを受けていた広瀬さんに会って、「きゃ〜久しぶりぃ。元気だった〜」という調子になった事だった。彼女も同様で、二人して近況報告とかしながら、ちょっとだけ苦笑したっけ。
「うが〜、気持ち悪い」
 吐いていた折原くんが顔を上げると、口元は全然汚れていなかった。
 本当、大馬鹿なんだから。
 取り出したハンカチを渡すと、すまなそうに受け取った折原くんが目を拭う。照れ隠しにか、無意味にげらげらと笑っている。笑いながらハンカチを濡らし続ける彼を見ているうちに、私の腕は自然に伸びていた。
「どこかで少し休まない?」
 笑顔でそう言った私を、折原くんが見ている。相当無茶苦茶な奴のくせに、変なところで子供っぽかったりして。今も本当に、子供みたいに可愛い顔になっている。
 電車が通る音を聞きながら、終電は乗り過ごしたな、と。一部分だけ醒めている私の頭が、そんな現実的な事を考えていた。

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みさお「これのどこが七瀬さんなの?」
 ま、いいじゃない。細かい事は。それより・・・それより・・・ああっ(^^; いけだものさん(並びに茜ファンの皆様)が、にこにこと笑っていそうで怖い。なにが怖いって、その手に握られた、よ〜っく切れそうな包丁が・・・(^^;
みさお「吉田樹って、茜さんのファンじゃなかったの?」
 いや、初めは同窓会の予定が。何故だか、茜が出てくると全部かっさらっていっちゃうんだよね・・・ま、まあ。皆様、広い、ひろ〜いお心を(涙)。
みさお「夜道には気をつける事だね♪」
 う・・・さて、感想は予告通り、しばらく後に放出します。こんな調子の雰囲気小説で、テーマ性は薄いですが。おつきあい頂ければ幸いです。
みさお「直球ですけど、本格派でなくコントロールピッチャーですので。リリーフとしてお読みいただければ、ありがたいです」
 ではでは